序(フィオリーナの独白)
甲板で潮風を浴びながら赤く染まる水平線を見つめ、わたくしはひとつ、息を落とした。
こうして船に揺られていると、普段は忘れているあの日々のことを思い出してしまう。
寝てもさめても心のどこかが重苦しい、自分ではどうにもできない悩みばかりだった……そのくせ、妙に充実していた日々。
我が国にとって危急存亡の秋であり、明日の行方もわからぬ混沌の日々でもあった。
(……でも。わたくしの人生で、最も『生きている』実感を持って生きていた日々、だったかもしれない)
ふとそんなことを思い、苦く嗤う。
あの修羅の日々を懐かしむ自分を、自分ながら呆れる。
我が国としてはあんな日々、今後とも決してあってはならない。
十二分にわかっている。
わかっていても……、わたくし個人としてはあの日々の方が、今の閉塞よりましだった気がしてしまうのが正直なところだ。
もうひとつ息を落とし、緋色に燃える水平線をうちながめる。
ふっと、このままこの幻の火の向こう側へ、永遠に行ってしまいたい、不思議な衝動を覚える。
「殿下。フィオリーナ様」
エリアーナ・デュランの声だ。わたくしは振り向く。
女性用の護衛官の制服を身に着け、ややよろめきながら甲板を歩く彼女は顔色が悪い。船酔いしているのだろう。
わたくし付きの新人護衛官であると同時にわたくし付きの新人侍女でもある彼女は、今回初めて大型船に乗り、初めて海を渡る。
「暗くなってまいりました。風も強くなってまいりましたし、船室へ戻られませんか?」
青い顔で、懸命に己れの使命を果たそうと頑張る彼女が、何だかひどく健気でいたいけに感じてしまい、私はゆるく笑む。
「そうね、戻りましょうか」
うなずき、踵を返した。
山と森の国であるラクレイドの民は、船に弱い者が多い。
弱いのだと、この旅に出る少し前に知った。
この度の公務が決まった時、当代の王でいらっしゃるアイオール陛下が、かつて海軍将軍として務めていらした頃の思い出話をしてくださった。
初めての海上演習で艦船に乗った時、将軍の護衛として付き従った護衛官たちが皆、船酔いで倒れて使いものにならなかった、と。
(彼らのほとんどが、さすがに半年~1年後には船に慣れて平気になったそうだが、中にはどうしても船酔いが克服できず、陸上勤務だけしかできなかった者もいたらしい)
「まったく、彼らは私の護衛どころか、私が彼らの護衛をするような羽目に陥ったものだよ」
ニヤニヤしながらそうおっしゃる陛下を、後ろで控えている陛下付き筆頭正護衛官のタイスンが、じとっと恨めしそうな目で見ていたのが可笑しかった。
陛下のおっしゃる『私が彼らの護衛をする』云々は冗談にせよ、それだけ彼らの船酔いが大変だったのは察せられた。
「だからフィオリーナ姫。くれぐれも船酔いにはお気をつけください」
真顔になってそうおっしゃる陛下へ、わたくしはいつも通り元気いっぱいに答えた。
「大丈夫ですわ、ご安心くださいな陛下。わたくし、何度か船に乗っていますけど、船酔いの経験はまったくないのですよ!」
わたくしは、大陸で一番の歴史を誇るラクレイド王国の、第十一代国王セイイールの娘・フィオリーナ。
第十三代国王アイオール陛下の姪でもある。
身分としては王女。
……だけど。
哀しいことに、父母どちら側の血筋をたどっても、裏切り者の血を引く娘でもある。
祖国を大切に思う心は、他の誰にも負けはしないというのに。




