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「客観視」理想のコミュニケーションとは何か。

作者: 田中円

★「客観視」理想のコミュニケーションとは何か。


私の大切な仲間が、コミュニケーションの問題で悩んでいる。彼女は、私にとって命の恩人であり、大切な人。私に何か出来ないかと、力不足ながら、私のやり方を筆を執ってみた。風邪で頭が痛いので、配慮の足らない文章とならないかが、不安だが、書きたいと思う。

私のやり方が、みんなのコミュニケーション方法において、何らかの参考になればと思う。


注:あくまでこの文章は、万人に向けて書いている。万人に向けて書くが故に、その大切な仲間個人にとっては、言葉遣いであるとか、少なくとも、経験値が私の何倍もある彼女に対して、本来なら私が何か進言することは、恐れ多いことだ。

もう一歩踏み込むなら、その人のコミュニケーション方法論は、私のやり方とは異なり

「主観で行動し、相手に切り込み、そこから客観視を後に構築する」

というやり方だと私は考える。

だが、何か得る所があればと思い、力になりたい一心で書いた。傲慢を許して欲しい。


◆コミュニケーションの理想的な状態とは何か


コミュニケーションの理想的な状態とは何か。私は


「互いを完全に理解し合い、不快な感情を伴うことなく、互いの必要とする情報を与え、受けている状態。」


だと定義する。

この文章において、全てを仔細に説明することは、文章が長く主題が散漫となり、風邪で体力が持たないので、避ける。

何かあったら直接でも聞いてくれればと思う。

また、自分で頭を使って考えて、以降全ての文章を自分のコミュニケーション方法の構築に、一部でも全部でも「利用」してくれさえすれば、私は嬉しい。


◆1、互いを完全に理解すること。


では、互いを完全に理解するにはどうすれば良いのか。

まず、相手を知ることだ。


相手を知るには、


1、外見や立場からの先入観を捨て

2、自分の経験から相手の行動をパターン化せず

3、倫理感から、聞いている最中にも相手を断罪しない。


ことが大事だと考える。

知る、というのは、自分にとって有益と「主観」で判断することに先立つ物だ。まずは知ってから、利用できるかは考えろ。


また、所詮自分なんてものは、地球規模で見たらカスのようなものである。

そのカスの経験なんて、言わばミソッカス、である。

何もかも全部見て、全部聞いて、全部知れ。相手が全てで、知るまでは一言も「自分を語る」な。

自分をゼロにして、相手を知る為以外に、何も思わない方が良い。

少しでも自分の経験を加味した時点で、それは自分の経験を加味した相手であって、ありのままの相手ではなくなるということを、常に意識せよ。


ただし。聞く為には手段が必要だ。名前を先に名乗るのが礼儀なように、相手の恋愛感について聞きたいなら、自分の恋愛感を語るしかない。あらゆる手段を尽くし、気持ちよくさせ、興奮させ、語らせろ。けれど、全ては、相手を全部知る為だ。

もちろん、それをするのは、自分が知りたい相手だけで良い。別に涎をたらしているチンピラまでやれとはいわない。

だが、私は全ての人に興味がある。全ての人は、私の知らない人生を知っている。何もかも知りたい。全て知りたいと思う。


だから、地球そのものとなれ。地球の広い心で、相手を全部受け入れろ。それが、知るって事で、客観視だ。


一般的に客観視とは、自分を高い視点から、もう一つの目線で見る、と理解されている。

けれど僕は「客観視」という言葉を、

「地球の視点で相手を見、全てを知ること」と、捉えている。


◆2、その上で、自分を知って貰え。


相手を知った上でなら、自分を伝えることは楽だ。

遊びも、仕事も、相手がショッピング好きならショッピングには誘いやすい。相手が営業に向いているなら、営業について相談すれば良い。


また同時に、自分を知ってもらうときも、相手を知った上できちんと自分はこういう人間だと言葉を尽くして伝えれば、相手にも自分の利用価値が伝わりやすい。


そして二人で一人では作れないより良い物を、協力して作り上げられる。

正しいコミュニケーションを個々人が心がけることで、その輪は広がり、世界はより良い方向へ向かう。


以上が真のコミュニケーションと客観視の全てである。


◆3、補足


1、どうして人は客観視が出来ないのか。


競争社会の中で、個々人は自分がいかに出来るかを相手に伝えることは学び、相手を「客観視」することは学ばなかった。

「俺かっこいいだろ」「私、頭良いの。それに美人でしょ。」「俺、面白いだろ。こんな芸もできるんだぜ。」と互いに別の方向を向かって叫びあい、それが孤独を産んでいる。まずは叫ぶのをやめて、黙ってただ相手を知ることが大切だ。

誰も聞いていないから、だから私も聞きませんというのは、エゴである。

チカンを見て見ぬ振りするのと同じである。知らない時は、しょうがない。だけど、知ってやらないのは、最低の良心に反することだと私は思う。


誰もやらなくても、まずは自分が耳を傾けろ、全てに。全ての声に。言葉無き声に。声なき声に。人だけではない、植物や風や、地球の声に。全ての声に。


2、憎しみは何も産まない。


憎しみは何も産まない。自分を裏切った相手だからこそ、客観視し、新しい、互いにWinWinの関係を構築せよ。それが出来ないなら、憎しみが消えるまで、立ち止まれ。

そしていつか相手も、自分も許し、客観視し、新しい物を生み出す関係にするのが「理想」だ。


3、相談


相談の多くは頭がこんがらがっている場合がほとんどである。

聞くだけで解決する場合がほとんどである。

ただ聞け。したいことは本人の中にある。

それでもいう必要のある、自分だけが知っているほんの少しの事だけを、相手に伝えれば答えは相手が勝手に見つけだす。


4、情報は、分けられるだけ分けて考え、まとめて一つのわかりやすい何かにしない。


例えば、お昼に電車でおばあさんに席を譲り、夜に消しゴムを万引きした少年がいたとしよう。私達は、つい少年を良い少年か悪い少年かに決めたがる。

例えば、浮気されて振られた時、相手を悪い人間だったと決め付ける。

どちらかにカテゴライズした方が、自分にとって損得を考える上で、扱いやすいからだ。

だが、彼が万引きをしたからといって、その万引きは確かに悪いが、彼がお昼におばあさんに席を譲ったことはそれで帳消しになったりはしない。

また、おばあさんに席を譲ったからといって、万引きの事実は消えない。

それはあくまで、おばあさんに席を譲るが万引きをする少年、であり、良い少年だ、悪い少年だ、とまとめた一つの分かりやすい何かにすることは、少年にとっては失礼な話である。

なるべくそのまま、細部まで丁寧に相手を知ろう。


5、言葉を信じると言う事


言葉は道具だ。それ以上でもそれ以下でもないが、言葉を信じていない人は多い。

だが、抱き締め合っていても、互いに別の事を考えていることは、ありがちなことである。

「僕は君を愛している」と男性は思っていても、女性は「脇汗臭くてキモチワルイ」と思っているような状況がどれほどあることか。


その時に、相手も私を愛しているから愛してくれているのが当然だ、などと感情論で考えるのは、不確か過ぎる。

大体馬鹿を見る。


その時に、聞くのだ。

「今何を思っているの?」

と。


真に相手と向き合うことこそ、勇気である。

そこで返ってくる言葉は、自分の想像を絶する物かもしれない。

だが、後で突然知らされるより何倍も対処の仕様がある。


もっと早く知りたかった、と後で後悔することのこの世にどれ程多いことか。


確かに、温もりで伝わる物はあるだろう。だが、

この世で唯一確実なのは「言葉」だけである。

法廷では証拠にさえなりうる。


言葉はあくまで道具だが、言葉を信じて使って欲しい。

言葉を愛して欲しい。


それが生をより豊かにする。


◆最後に


客観視は、凄いことではない。社会で生きる為の最低限のコミュニケーションのマナーであると私は考えている。

冒頭の私の仲間は、人を救いたいが、おせっかいになってやしないかと悩んでいたが、私は彼女の言葉に命を救われたのだ。

自分が正しいと思うことをする。それは素晴らしいことだ。

いつも行動には失敗が潜んでいるが、失敗こそ、人生の醍醐味で、そこで行われるこの客観視を通じたコミュニケーションこそ、人生の本質である。


私は一生、真のコミュニケーションを追い求めるだろうし、客観視をより徹底しようとするだろう。それは人生で追い求める大きなテーマの一つでもある。


地球そのものの心となり、社会に所属している以上そのルールに従う必要はありこそすれ、究極的には何者にも束縛されない、全てにおいて「自由」である人と、

向き合い、学び、協力して、産み続ける。


その為の方法論が、客観視である。


僕はずっと昔、この事を、ある人に教えられた。

それが僕に新しい、客観視を通じて世界を学び自分を構築する、という方法論を目覚めさせた。

彼女には心から感謝している。


どうか、この文章が、あの時の私のように悩む全ての人に、なんらかの気付きを与えられれば、嬉しい。


読んでくれてありがとう。いつも、ありがとう。


2010年05月28日 田中亮

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