【002】ホットサンドとゼガルリア系人類
新しい朝、というには遅い時間。
今日視察に来るという帝国軍人に聞きたいことが山ほどあるため、リストアップしていて寝坊した幹葉は、エナジードリンクを買うべく、たまたま目についたワゴン売りのドリンク屋の前に立った。車体には、下手くそな黒猫の顔が描かれている。これは、宇宙食品黒猫會という第三銀河の各地で展開している飲食店で営業許可を得た者が掲げられるマークなので、安全な飲食物だと保証されている。幹葉は、このワゴン売りから毎日飲み物を購入しているので、店主の顔を知っている。自分と同じくらいの歳の、黒い髪に青い目をした店主は、整った顔立ちをしていて、いつも朗らかに笑っている。
「エナジードリンク二つ、と……あ」
注文しようとして、幹葉は『本日限定・ホットサンド』の文字を見つけた。
このワゴン売りが、不定期で出す食べ物は、知る人ぞ知るのだが、非常に美味だ。
世界では、多くはフードプリンターの品に味をダウンロードして食べるので画一的な味なのだが、どうやらこの店舗は手作りらしく、フードプリンターでは再現できないような美味な味をしている。
「――ホットサンドも二つ」
「はい。ありがとうございます、幹葉さん」
「ううん。晴渡さんこそ、美味しい食べ物の供給をありがとうございます」
晴渡サフというのが、ここのオーナーの名前だというのは、毎日のように通ううちに、雑談する中で知った。三十三歳の晴渡は、四月開始の学校教育でいうと、晴渡が一つ年下である。元々は別の銀河から来たそうで、晴渡という名は、この威球の永住許可証を取得した際に名付けた名前らしい。いつか、『ハルト・サフィレイスという名前だったんだ』と話していた。サフィレイスという姓は帝国に多い。過去に帝国がトイフェルの大規模な襲来に遭い、避難してきた者が第三銀河には多いので、なにか事情があるのかもしれないと、幹葉は漠然と考えたことがある。
その後基地へとついてから、控え室のパイプ椅子に座り、幹葉はホットサンドを手に取った。そうして、一口。口の中に広がる蕩けたチーズと濃厚なトマトソースの味。じゅわっと唾液がより溢れ、また一口、二口、と、どんどん食べてしまう。二つ買ってきて本当によかった。パンは焦げ目までもが美味だ。これだから、晴渡の店の不定期な料理を食べるのはやめられない。食べ終えて手を清めてから、幹葉は質問リストをテーブルに置き、なにから問うか、優先順位を考える。
「同じ部隊だったとはいうけど、どの程度関わっていたかは分からないしね」
こうして午前中を終え、お偉い方と話を終えた帝国軍人が、格納庫に来るのを、幹葉は待った。白銀のハデスの前で待機していると、ゆっくりと、漆黒の軍服を纏った金色の髪に紅色の目をした軍人が歩いてきた。幹葉は息を呑む。
地球系人類ではないと分かったからだ。今、第一から第五までの銀河の多くは、地球系の人類が占めている。例外は第四銀河の一地域だが、あそこは特別だ。
――ゼガルリア系人類。
彼らは、地球系人類の血を吸うため、迫害されてごく少数になってしまった人類だ。ただ、地球系人類よりも強いPSYを持っているとされる。しかしそれは機密事項だ。帝国もまた、地球系人類が入植して築いた国ではあるが、ゼルガリア系人類を保護している点が特異的である。
何故来訪者がゼルガリア系人類だと分かったかと言えば、写真を見たことがあったからだ。
「ルシス・ゼガルリア博士……」
ぽつりと幹葉は呟いた。ゼガルリア王家の末裔にして、帝国一の人型戦略機の研究者である。帝国で用いられているのは、黒いハデスの他、マルス・シリーズと呼ばれる機体なのだが、いずれにも精通しているという。
「――お見知りおき頂き光栄だ、幹葉和音博士。それで、白いハデスが発掘されたと聞いた。入植時帝国記録での呼び名は、ハデス2nd。うちにあるブラックハデスと同種の機体で、より操縦に柔軟性が求められるが……強い機体だと記録に残っている」
「!」
ルシスの言葉に、幹葉が目を見開く。
「稼働させる方法をご存じですか?」
「あいにくながら。実を言えば、それは俺こそが知りたいんだ。ブラックハデスも、うちの隊長――ああ、元特務部隊隊長のみが、駆動できた。隊長以外には動かせないから、ブラックハデスは元隊長の退役時に、皇帝陛下が『欲しいものを一つやろう』というお言葉で、元隊長がそれを所望したから、帝国にももう無い」
ルシスはそう言うと、白銀のハデスを見上げた。
「懐かしいな。色が違うだけで、顔立ちがそっくりだ」
「では……退役ですから臨時招集はあると思いますが、一応の民間人がブラックハデスを?」
「そうだ。皇帝陛下は、元隊長を信頼しておられる」
「その元隊長はどこに? お会いすることは叶いますか?」
「それもまた、俺も探しているとしか答えられない。皇帝陛下ならばご存じかも知れないが、聞くことは躊躇われる」
「そうですね……では、もう一つ。その元隊長は、失礼ですがゼガルリア系人類の方だったのですか?」
「いいや、地球系だと聞いている」
「そうですか」
ならば、地球系人類が稼働できるはずだと、そこは一つ収穫だと幹葉は考えた。
「有意義なお話の最中に失礼致しますわ」
そこに美怜がやってきた。幹葉が顔を向けると、十三歳の美怜の二歳年上の兄である優雅がそこに立っていた。水埜優雅は、本来知星社の来たるべき時のグループのトップとなる青年なのだが、現在は威球のパイロット士官学校に通っている。この兄妹の祖父と、優雅までの間を継ぐ者が、会社にはいないというのが大きな名目で、都合のいい年代の幹葉に白羽の矢が立った形である。一族経営で、名目だけでも近親者か配偶者に代表を務めてもらいたいらしい。
「ああ、美怜。それに優雅。久しいな」
ルシスの表情が優しくなった。どうやら二人と既知らしい。その縁で呼んでもらえたのだろうかと、幹葉は考える。十五歳の優雅は、照れくさそうに笑っている。幹葉はそれが少し意外だった。いつも、悲しそうなおどおどした様子を、優雅は浮かべているからだ。あるいは、無表情。その原因を、幹葉は、上手くPSYを操作できないからだろうと考えていた。優雅は、ごくまれに好成績を出すのだが、自分ではそれを意図的には使えない、上手くメルクリウスを操縦できないパイロットなのである。成功すれば誰よりも強いが、しない場合の方が多く、模擬戦などがあれば、大抵歩くことすら出来ずに敗北だ。過去の好成績の方が奇跡か計測ミスだったのではないかと言われている。そのようにあしざまにいわれることが多いのだから、内向的になっても仕方が無いと幹葉は思う。
「ルシス叔父様、今日はあと一時間で、水埜家でお食事よ?」
叔父と聞いて、初めて幹葉は、水埜兄妹にゼガルリア血統が入っている可能性に気づいた。
「え、血縁者なの? 失礼だけど」
「そうですわ。私達の母は、ゼガルリア王家の血を引いておりましたの。世が世ならば、私はお姫様ですわ――私が怖くなりまして?」
「怖くはないけど……許婚について知らないことがあるというのは快くはないね」
何気なく幹葉が言うと、白磁の頬をぽっと朱色に美怜が染めた。
「許婚……そ、そうですわね。私達は許婚ですものね」
それを聞くと、ルシスが腕を組んだ。
「帝国では、十三歳から卵子と精子の採取による人工授精と人工子宮による出産が公的に認められているが、威球もそうなのか?」
「――威球でもそれは違法じゃないですけど、俺は十代前半の娘を手込めにする趣味はないので、誤解なさらないで下さい」
幹葉が目を据わらせると、ルシスが喉で笑った。
「女性の成長は早いからな。年の差という言い訳が通用する内はいいが、しなくなったり、あるいは逆に捨てられる日もくるかもしれないぞ」
笑っているルシスに頭痛を覚えていると、不意にルシスが優雅を見た。
「優雅は、このホワイトハデスに騎乗したことはあるのか?」
「えっ? な、ないよ……」
「もしかしたならば、優雅にならば動かせるかもしれない」
二人のやりとりに、高砂が優雅を見る。
「乗ってみますか?」
「い、いえ! 全然! 僕、乗らなくていいです! がっかりさせたくないし……」
「優雅様さえよければ、ぜひ」
あくまで、メルクリウス社の御曹司として、『様』と幹葉は呼んでいる。
「……っ、いやです。僕、動かなかったら嫌だし、そもそもみんな動かせてないし……」
「……そ、そうですか」
動かないのは事実なので、幹葉はそれ以上は何も言えなかった。
そしてその後は、水埜家へ向かう三人を見送った。幹葉も誘われたが、整備があるとして、適当に断ったのだった。