【001】PSY円環と人型戦略機
遙か昔、地球から太陽系の外に出た地球系人類は、数多ある銀河の各地の惑星に入植した。これは、少なくともこの、第三銀河の中立的惑星・威球において六歳から十二歳まで行われる六年間の義務教育期間に誰だって習う。
勿論、幹葉和音博士も学校で習った。
現在、統一宇宙歴2525年。
地球のグレゴリオ暦が2525年の時に、日本国を飛び立った播種船がこの惑星をテラフォーミングして以降、この威球の公用語は統一宇宙共通語と日本語となっている。今年は歴史上きりのよい年だと言われており、威球では入植祭が企画されている。
日本国が威球を開発したのは約1500年前だとされる。正確には、1000年ほど前からテラフォーミングが始まっていたようなのだが、歴史書に残る威球歴においては、1800年以前の歴史は『空白の時代』と呼ばれており、詳しいことが分かっていない。ロストテクノロジーが存在していたようで、今よりも進んだ分野があり、地下を発掘すると、その当時の科学的な遺物が発掘される。例えば、今幹葉が見上げている人型戦略機ハデスも発掘されたものだ。
人型戦略機は、連綿と継承されてきた知識もあり、それは知星社という企業が、メルクリウス・シリーズとして開発・販売している。
人型戦略機というのは、人のかたちを模した巨大ロボットで、干渉危険区画銀河から飛来するトイフェルという敵対的宇宙生物を排除・殲滅するために、地球系人類が生み出した兵器だ。PSYで稼働させることが出来る。
人間には、PSYと呼ばれる超能力が、誰しもに備わっている。
PSY円環と呼ばれる力の比率があり、円の真ん中に直線を引いて半円にし、向かって右側の真ん中に線を引いてさらに二等分にした時、上がPSY-PK、下がPSY-ESP、左側の半円がPSY-Otherと呼ばれる力を表す。人間のPKで人型戦略機を動かし、ESPで人型戦略機に指令を与え、人は人型戦略機を動かしている。なお、Otherについては、どのような力があるのか、いまだ解明されていない。
たとえばメルクリウス・シリーズであれば、操縦席に乗りこみ、操縦桿に触れ、ESPでOSを起動し、PKを注ぎ込んで武器を揮うなどさせることが出来る。今の最も汎用的な人型戦略機で、動作も安定している。
「……」
しかし、幹葉が発掘から携わったロストテクノロジーを用いている人型戦略機――機体にハデスと書かれているのでハデスと呼んでいる白銀の巨大人型ロボットは、PKを使ってもESPを使っても、一切動かない。第二銀河のダイナシア帝国にも、色は黒だがハデスという機体があるという情報があるのだが、帝国は他と関わりをほとんど持っていないので、情報を得ることは出来ない。ただ、地球系のロストテクノロジー兵器としてハデスという人型戦略機が存在したというのは、この威球にかぎったことではないというのは分かる。
「なんで動かないかな……」
機械的な部分の修理は既に完璧に終わっている。だが、どんなパイロットを乗せても稼働しないため、『壊れてるんだろ』と、基地では皆が幹葉を哀れむように見る。幹葉は元々は優秀な知星社の研究者だった。それが、『夢を追って発掘機に囚われてしまった愚か者』という扱いに変わった。
幹葉は他に悪口を言われることもある。『知星社のお嬢様の許婚だからって、なんでも許されると思ってる。基地の予算を無駄遣いしやがって。婿入り先から援助してもらえ。どうせ形見が狭くてそれも無理だろうけどな!』という部類の悪口だ。
幹葉は現在三十四歳。確かに許婚はいる。
それは、知星社の人間として働いていた頃に、『研究費を増やすからうちの孫娘の許婚になってくれんかね?』『大歓迎です』と、予算と引き換えに政略結婚を受け入れた結果出来た許婚で、御年十三歳。約二十歳の年の差がある。
年齢を聞いておくべきだったと、顔合わせの席でダラダラと冷や汗をかいたことを覚えている。何せその日の彼女はまだ八歳だった。結婚相手に希望はなく、それ以前に結婚願望がなかったので、誰でもいいだろうと思っていた結果訪れた、予想外の事態だった。
しかも義務教育をスキップして終え、既に第一線の研究者として活動中の彼女、水埜美怜は、この基地で金色の巻き毛を揺らしながら、緑の瞳で各地を正確に把握し、ビシバシと指示を飛ばすやり手だ。
「『動かないかな』ではありませんわ。もう見切りをつけて、早く通常業務のメルクリウスの調整をなさってくださる?」
189cmという長身の幹葉の横に、まだ二次性徴前の132cmの美怜が並ぶ。
地球以外の星の環境に適応するために、地球系人類は遺伝子に操作を加えたので、現在生まれてくる色彩は多種多様だ。幹葉の場合は、薄い金色の髪に黄緑色の瞳。だて眼鏡を仕事中にはかけている。インナーは橙色のハイネック。美怜と幹葉の共通点は、長袖の白い白衣を着ていることだろうか。
「終わってるよ」
「……そう。さすがに幹葉博士は、仕事だけはきちんと片付けるのね」
「『だけ』? どういう意味?」
「昨日の私との食事の約束はお忘れになられたようだけれど?」
「あ」
「はぁ。婚約者が聞いて呆れますわ」
「いつでも破棄してもらって」
「っ、し、しませんわ! そ、祖父が決めたことです! ……そんなことより、せっかく、いいお話をしようと思っていたのに」
語調を強めて否定した少女は、それからぷいっと顔を背けた。
「なに? 可愛いリボンが買えたとかそういう話?」
「それは確かに素敵なお話ですが、そうではなく。幹葉博士? 以前よりその“ハデス”の件で、帝国の人型戦略機騎兵部隊の方のお話を聞きたいと仰っていたでしょう?」
「うん」
「お招きしましたわ。明日、この格納庫に視察にいらっしゃいます。通称ブラックハデスが所属していた、帝国特務部隊に在席なさっていた軍人とのことなので、有意義なお話が伺えるかもしれませんわね」
それを聞いて、幹葉は虚を突かれて目を見開いた。
「美怜嬢」
「あら、珍しい。いつも呼び捨てで『博士』とすらつけないくせに」
「ありがとう」
「っ……別に。内助の功などと気取るつもりはございませんわ」
こうしてその日は過ぎていった。