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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ポタモス信仰

作者: つみき

 人間たちの嫌忌と恐怖まじりの視線、それを受けながらポタモスは言葉を尽くしても表されない不満を抱きながら生きていた。

 白く鋭い牙、真円に見開かれた眼、黒の鱗を無数に纏った巨体を持つ蛇の悪魔だ。

 人間の生気を喰らう事で存在を保つ下位の悪魔、大きな力はなく、あるのは人間たちの魂を振るわせ、恐怖に呑みこむ容姿だけだ。

 人間たちの前に姿を見せるたびに祓いの儀式が行われ、いそいそと退散する。

 疎まれながら陰で暮らす日々にポタモスの精神は辟易としていた。


「ああ神よ、なぜ私にこのような役を……。なぜ精霊のように力を私に与えない。私はなんのためにこの世界で生きるのか……」


 神に対する嘆きを聞き、同じ境遇を生きる別の悪魔が答えた。


「そんなに落ち込むなよ。俺たちは仕方なく創られたんだ。勝者の存在には必ず敗者がいるように、信仰される存在には忌み嫌われる存在がいる。気にせず生きていくのが一番さ」


「でも見ろよ。あの精霊たちを!羨ましくないのか?人間たちに信仰されて、貢物も捧げられてるんだぞ!」


「別に羨ましくないね。やつらは信仰されないと生きていけない。つまり人間からの信頼に応え続ける責任を一生負わないといけない。そんな息苦しい生活、俺にはやだね」


 淡々と覇気のない眼で語る別の悪魔、ポタモスにとっては益体のない思考で理解などできない。

 責任のない怠惰な生活などつまらない生き方ではないのか。

 あの精霊のように、人間たちに信仰され死後も生きた証として彼らの記憶に残り続ける。

 それこそがこの世界に生まれた意義なのではないのか。

 黙ったままでいると別の悪魔はそっぽを向いてどこか遠くへ行ってしまった。


 悪魔の住処から十分離れたところ、乾いた砂と熱気を孕んだ風が強くなり、砂原が広がる砂漠地帯へとやってきた。

 風上から流れる砂風のおかげで微かに歯が砂を噛む感触がある。

 近くに川はなく、給水源となる水は信仰された精霊による祝福の雨だけだ。


「――――」


 眼前、進行方向に移動する道先に倒れた男の人間を発見した。

 黒の巨体を側に置き、二股に分かれた舌を男に向けて上下に揺らす。

 微かに漏れる吐息と汗の匂いから生気を感じとる事ができた。


 この世界では人は精霊を信仰し悪魔は祓うものとして定義されている。

 長年忌み嫌われきたポタモスにとって人間からの信仰とは魅力的に見えていた。

 神から与えられた、人間たちから疎まれる役というものに懐疑的であった。


 だがどんなに疑問を抱こうとも世界はそれを許さない。

 許されない。

 悪魔は人の生気を吸い取る事で存在を保つ事ができる。

『この種を喰い殺せ』と、生まれた時から植え付けられた本能の声が頭の中で何度も響く。

 人の生気だけがこの世界における、悪魔の存在意義なのだ。


 そんな『存在意義』が悪い方向に働き、ポタモスの思考に雑音が走り始める。

 脳神経が焼きつき、視界が明滅する。

 心中にどす黒い感情が広がり始め、本能のままに舌を鳴らし――――


 瞬間、男が大きな悲鳴をあげた。

 ガタガタと足を振るわせ心が恐怖に支配されている。

 絶望とも言える顔の瞳に、爬虫類に似た紅い眼は、ひどく鋭く――――涎を垂らし、狂喜に満ちた狩人の笑顔が映っていた。


 ポタモスは思わずその場を離れる。

 初めて見た自身の姿に、あんなにもおぞましいものかと驚愕する。

 ポタモスは砂漠を駆け抜けながら虚脱感に襲われる。

 あの姿では信仰どころか、慄然されても無理はない。

 容姿など変えれないし、生まれ持った種としての本能も捨て去る事はできない。

 なぜ自分のような種族がこの世界に存在するのか?

 生気を喰らい、恐怖を与え、嫌われるだけの存在に――――いっそ居なくなってしまった方が世界のためにもいいのでは?


 どこか遠くの、誰も人気のない居ない場所で何も喰らう事なく朽ち果てる。

 それが自分に与えられた役から解放される唯一の方法なのか?


 苦悩に悶々とし、時を無駄に過ごしてたころ一滴の雫が頭に落ちて顔を伝って地面へ落ちる。

 落ちてくる雫の数は時が経つほど多くなり、いつしか空は薄暗くなって、ポタモスの巨体を叩く音が強くなった。

 乾燥したこの砂漠地帯に降る雨――――精霊の祝福だ。

 遠くから何やらわきだつ溌剌としたいい声、真円の眼を声の方へ向けると活気あふれる村の人間たちが見えた。

 村の人間たちは膝をついて天に向かって祈り、感謝の言葉を述べている。


 ポタモスは身を縮めて人間たちに見つからないように天へと昇り、水の精霊へと近づいた。


「水の精霊ヒューエトスよ。私は悪魔のポタモスだ。どうか私に水の力を分けて欲しい。私も人を助け、信仰されたい」


「愚かなる悪魔ポタモスよ。身の程をわきまえよ。妾の力は神から与えられたものであり、これが与えられた役目である。卿にも与えられた役目があろう。いかに卿は己の役目を放棄して妾に縋るか」


「ああヒューエトスよ、申し訳ない。どうやら神に与えられた私の役目は私には合わないようだ。力を分け与えてくれたのなら、私はもう人間を喰らったりはしない事を誓おう」


 水の精霊は不愉快だとでも言いたげな顔つきで、


「つまらんつまらん。貴様のそれは正義感でもなんでもない、欲しがるだけの醜い欲望じゃ。貴様のような醜い畜生は妾が打ち滅ぼしてやる!」


 瞬間、凄まじい衝撃に頭がぶちのめされ、浮遊感が訪れる。

 精霊の力により天から打ち落とされ、宙を掻く。

 なににも触れない。届かない。

 上か下か、バランスを保つ事ができずに重力に任せて落下する。

 打ち落とされた時の痛みがやっと引いたかと思った直後、頭からゆっくり揺らめく海面に激突。

 二度目の衝撃を受け、意識が吹き飛びかける。

 かろうじて意識を保ったまま巨体を唸らせ陸地へと這い上がる。


 何もかもにも拒絶され、身体の全身が脱力する。

 悪魔の身分として生まれてきたのなら、その身分の運命を受け入れないとダメなのか?

 他の種がもつ運命を、望む事は許されないのか?

 この身体が悪魔の象徴なら、滅んで仕舞えばいい。 


 地面に黒の巨体を引きずって、身体に残ってる最後の力を使いどこまでも這いずる。

 世界にふさわしい役なんて知らない。要らない。

 運命なんて不確かなもののはずだ。

 断じて種によって決められるべきではない。

 神への最後の反逆として、与えられたこの身体を削っていく。

 何百キロと這いずり回って、意識が果てるまで抗っていく。

 その時が来たとわかった時、ポタモスは笑みを浮かべて朽ち果てた。


 巨体の蛇が這いずり回った後の溝、そこには海からの水が流れ込み一つの巨大な川となっていた。

 人間たちは川の側に住みつき、文明を発達させていく。

 何百年、何千年と経てど、川の起源となった『蛇のポタモス』は信仰されている。

 今もなお信仰されている。

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