009
ライオット帝国がラグナを倒した一件は、世界中を震撼させた。
その理由は二つある。
一つはクリスタルの装甲を撃ち抜くほどの威力を持つ大砲の存在。
弓矢や弩砲で戦うのが主流とされている時代なので衝撃的だった。
だが、それよりも諸国を驚かせたのがエマの力だ。
海と心を通わせ、ラグナの位置を特定し、さらに海面に浮上させた。
これだけでも異次元なのに、温和な魔獣と協力したのだから別格だ。
もちろん、他国は「我が国にもお力を!」とエマに頼ろうとする。
しかし、彼女は帝国において国宝級の扱い。
エマのリスクを最小限に抑えるため、帝国は全て拒んでいた。
そうしたエマの状況は、もちろんバルガニア王国にも伝わる。
エマの活躍を聞くたび、国王や貴族、国民たちは絶望していた。
王国での問題は何も改善していない。
海洋魔獣が怒り狂い、港町には連日にわたって高波が押し寄せている。
クライスは起死回生の一手を打つことができず、ただ状況を眺めていただけだ。
当然、王国民の不満は高まっている。
「クライス公爵がエマを蔑ろにしなかったら……」
「チャールズ伯爵は何でエマを追い出したんだよ……実の娘だろ……!」
誰もが公爵家と伯爵家を恨んでいた。
景気刺激策の恩恵など遥か昔に消え失せている。
残っているのは、崩壊した港町の数々と、破綻寸前の財政問題だけだ。
◇
王都ロベリオンにあるクライスの別邸。
そこに、クライス、リリアン、チャールズ、キャサリンの四人がいた。
現状をどうにかするべく緊急の会議を開くことにしたのだ。
「どうしたらいいのかしら。皆様、何かご意見は?」
リリアンが尋ねる。
艶やかな黒髪をなびかせて、娼婦のような甘ったるい匂いを撒き散らす。
カツ、カツ、カツ、とヒールの音を鳴らしながら歩き回る。
「…………」
彼女の問いに、三人は答えることができなかった。
自身の領地や財産を守る方法が浮かばず途方に暮れているのだ。
重厚感のある革張りの椅子に座って、ため息をつくばかり。
「ひとまず財政の再建を急がねばならんな……」
チャールズが呟き、キャサリンが「そうね」と頷く。
「そういう話じゃないんです。海洋魔獣の問題ですよ。待っていてもどうにもならないでしょう?」
「そんなこと、あなたに言われなくても分かっています。あなただって妙案がないのでしょう? ならば、わたくしたちに八つ当たりするのはやめてくださる?」
キャサリンが苛立ち気味に言い返す。
これにリリアンも反論しようとするが、クライスが「やめろ」と止めた。
「言い合っていても解決しない。現実問題として、帝国と同じように艦隊を率いて魔獣を退治するしかないだろう。幸いにも軍艦の被害は軽微だ」
クライスが言い、リリアンは同意するが、チャールズは消極的だった。
「それはリスクが高すぎます。帝国がラグナを討伐できたのは、平和な海とエマの能力、何より〈大砲〉なる新兵器の力があったからです。我が軍では海に出ることすらままならないでしょう」
「だが、我が国の近海で暴れている魔獣は、ラグナではなく〈クラーケン・エヴィリア〉なのだろう? ならば矢が通用するはずだ」
クラーケン・エヴィリア――通称「クラーケン」は、タコ型の魔獣だ。
サイズはラグナと同じく巨大で、狡猾さを武器にしている。
クライスの言う通り矢が通用するものの、王国軍に倒せる相手ではない。
「となると、やはり財政の再建や経済の立て直しが最優先ですわ」
キャサリンが改めて経済対策を論点にしようとする。
その目は「分かったか?」と言いたげにリリアンを見ていた。
(なによ、この女! あたしのことを見下しやがって!)
リリアンは舌打ちして心の中で毒づくが、口には出さない。
論戦に持ち込むと不利になると分かっていたからだ。
そんな時だった。
「そもそもクライス殿が我が娘を蔑ろにしていなければ、こんなことには……」
チャールズがポロリと呟いてしまった。
本人は慌てて口に手を当てるが、時既に遅し。
「なんだと!? まさか俺のせいだとでも言うのか、伯爵!」
クライスがテーブルを叩いて立ち上がる。
一瞬にして部屋の空気が張り詰めた。
(これじゃ共倒れね)
リリアンは二人の様子を眺めながら、瞬時に考えを巡らせる。
そして、一つの答えに辿り着いた。
(認めたくないけど、やっぱりこれしかないわね……)
リリアンはクライスに抱きつき「まあまあ、落ち着いて」となだめる。
服の上から彼の胸板を撫でつつ、ひとまず席に座らせた。
「実は……あたしに考えがあります」
三人の視線がリリアンに向く。
だがそれぞれの目の色は全く異なっていた。
クライスは期待しており、チャールズは興味を示している。
一方、キャサリンは全く期待していない。
「リリアン、その考えとは何だ?」
クライスが尋ねると、リリアンは右の人差し指を立てた。
「……エマを奪い返すのよ。帝国から」
しんと静まる部屋。
クライスは一瞬キョトンとしたが、すぐに目を見開いた。
「何を馬鹿げたことを言っている」
「それができたら苦労せんわ。我々が恥を忍んで頭を下げたとしても、娘ではなく帝国が受け入れまい」
チャールズも落胆した様子。
「夫の言う通りですわ。そういうことも分からないのでして?」
キャサリンが小馬鹿にしたような言い方をする。
「分かっていないのはあなた方ですよ」
リリアンは力強い口調で言い返した。
「あたしは『奪い返す』と言ったの。頭を下げて『戻ってきてもらう』なんて一言も言っていない」
「リリアン、お前、まさか……!」
クライスがハッとする。
遅れてチャールズとキャサリンも意図を察した。
「そう、エマを誘拐するのよ」
それがリリアンの策だった。
「馬鹿げたことを! エマは皇宮で過ごしている。その警備は厳重だ! それに帝国とは海を隔てている。百歩譲って誘拐に成功したとしても、王国まで連れ帰ることなど不可能!」
すぐさま否定したのはチャールズだ。
しかし、リリアンは冷静に反論した。
「たしかに困難ではありますが、クラーケンを討伐することに比べたらそうでもないでしょう。不可能というほどのことではありません」
「そうは言うが、リリアン、移動はどうする? 魔獣の問題が深刻だぞ」
クライスが口を挟む。
「王国と帝国の間には安全な航路が存在している。エマが帝国へ渡った時もそこを使ったわよ。問題は皇宮で過ごすエマをどうやって誘拐するかよ」
「なら、誘拐はどうするんだ……? 皇宮には近衛騎士長のアルフォンスが常駐しているんだぞ」
「お金の力があればどうにでもなるでしょう。そういったお金次第でどんな汚れ仕事も担う“裏の方々”については、あたしよりもクライス様やチャールズ様のほうがご存じでは?」
ニヤリと笑うリリアン。
クライスとチャールズは「ぐっ」と唸るだけで何も言えない。
事実、二人はそういった“闇の住人”に精通しているのだ。
自らの地位を守るため、しばしばお世話になっていた。
「俺はリリアンの案に賛成だが、実の親である伯爵夫妻はどうだ?」
チャールズとキャサリンは、しばらく黙っていた。
互いに目を見つめて、アイコンタクトによって会話する。
それから、クライスに向かって静かに頷く。
こうして、エマの誘拐計画が動き始めた――。
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