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007

 バルガニア王国の公爵クライスは強い焦燥感に駆られていた。

 領民からの陳情は数えきれず、荒れ狂う海の被害は拡大するばかり。

 領地の財政が逼迫しており、好き勝手に散財することもできない。


 そのうえ、クライスはエマが帝国へ行く原因を作った張本人だ。

 当然ながら他の貴族からは「お前のせいで……」と恨まれている。

 公爵としての権威は既に失墜していた。


「クライス様、いかがなさいますか? このままでは公爵家の財産も地位も脅かされてしまいます……」


 公爵邸の執務室で、クライスの部下が恐る恐る進言する。

 クライスは椅子に深く腰掛け、脚を組み直すと、部下を睨んだ。


「分かっている。だが、手立てがないのだ。王国の周辺では途方もない数の海洋魔獣が暴れ狂い、沿岸部の町は大半が壊滅状態。王都ですら深刻な有様だ。何か策があるなら教えてくれよ」


 クライスは金髪を撫でつけながら苛立ちを露わにする。

 ただ、部下を怒鳴るだけの気力は残っていなかった。


「申し上げにくいのですが、やはりここはエマを取り戻すしかないのでは……? 王妃様の調査によってエマの能力は誰もが知るところ。クライス様にとっては屈辱的かもしれませんが、ここはエマに謝罪文を……」


 部下がそう提案すると、クライスは反射的に眉をひそめた。


「ふざけたことを言うなよ。そんなことをしたら俺のプライドはどうなる」


「ですが、このまま問題が深刻化すると、それはそれで爵位の剥奪もあり得るのでは……」


「たしかに……そうだな……」


 クライスは言い返すことができなかった。

 エマに頭を下げるのは癪だが、そうも言っていられないのが現状だ。


「よし、ここはお前の言う通りエマに――」


「おや? クライス様、もしかしてエマを取り戻そうと帝国へ行かれるおつもりですか?」


 ノックもなく執務室の扉が開き、リリアンが入ってきた。

 黒髪を長く伸ばし妖艶なドレスをまとう彼女は、部下の隣をするりと抜ける。

 そして、クライスの膝の上に座り、彼の頬を左手で撫でながら言った。


「クライス様、もしもエマが王国に戻ったら、あなたの立場が危うくなりますわよ?」


「俺の立場が?」


「いえ、そんなことは絶対にありえません」


「おだまり! 誰が口を開いていいと言った!」


 リリアンが部下の男に向かって吠える。


(なんでお前に指図されないといけねぇんだよ)


 そう思いつつ、部下の男は「すみません」と頭を下げる。

 クライスの寵愛を受けているせいで、リリアンに逆らえないのだ。


「リリアン、どうしてエマを連れ戻したら俺の立場が危うくなるんだ?」


「領民だけでなく、他の貴族や国王陛下ですらも、この問題をクライス様のせいにしようとしています。できれば今すぐにでも責任を取らせて、爵位を剥奪させたいと願っているでしょう。それは分かりますよね?」


「ああ、痛いほど分かっている」


「そんな中でクライス様が今の地位を保てているのは、そこの凡愚が言ったように『エマを取り戻そうとするかも』という期待があるからです。つまり、エマが戻ればクライス様は用済みになってしまうのです」


「たしかにそうだ……!」


「ここでクライス様が採用するべき策は、エマを取り戻すことではありません。エマに頼らず、ご自身の力でこの問題を解決してみせるのです。そうすれば、クライス様は王国の救世主として崇められ、その権威は以前よりも強くなり、国王陛下ですら意見できなくなるでしょう」


「なるほど……! そうだ! その通りだ! リリアン、やはりお前は賢い!」


 リリアンは「ふふふ」と誇らしげに笑う。


「ですが、クライス様、それは理想論と言いますか無理難題というもので――」


 部下の男が再考を求めようとする。


「――うるさい! お前はすっこんでいろ! もう下がれ! 失せろ! 危うく地位を失うところだった!」


「はい……」


 部下の男が出ていく。


「それでよろしいのです、クライス様」


 リリアンは妖艶な笑みを浮かべると、クライスにキスする。

 しばらくそれを堪能したあと、クライスはリリアンに尋ねた。


「これから俺はどうすればいい? エマに頼らずに解決する方法など思いつかない……いや、そもそも、そんな方法が存在するのかどうかすら分からない」


 リリアンは「簡単なことですわ」と笑った。


「有名な言葉に『止まない雨はない』というものがあります。それと同じで、海洋問題もいずれは落ち着きます。問題はその時までどう耐えるかです」


「……で、具体的には?」


「貴族や陛下は無視でいいとして、領民には手を打ったほうがいいでしょう。私たちと同じく立場の悪い伯爵家と連携して、大規模な景気刺激策を打ってみてはいかがかしら?」


「景気刺激策……つまり、溜め込んできた領地の金をばら撒けということだな」


「その通りです。これで一時的に領民の怒りを鎮められます。加えて沿岸部の都市に限定して一時的な無税状態にしましょう」


「かなり思い切った策だが、この難局を乗り切るにはやむを得ないか。あとは伯爵家が協力してくれるかだが……」


「必ずや協力するでしょう。伯爵領は財政状況がそれほどよくなかったわけですから、あたしたちよりも苦しい立場にあります。この提案は向こうにとっても喜ばしいものですわ」


「そうだな。よし、伯爵家と組んで景気刺激策を打つぞ!」


 その日の内に、クライスは使者を送った。

 部下の正しい助言を聞き入れず、リリアンの甘言に惑わされて……。


 ◇


 リリアンの案は現実から目を背けるだけの愚行だ。

 それでも、彼女の読みは的中した。


「キャサリン、クライス公爵の提案をどう思う?」


 伯爵邸の一室で、チャールズ伯爵は妻のキャサリンと相談していた。

 目の前のテーブルには、クライスの使者から受け取った書簡が転がっている。


「先代の公爵とは比較にならない、愚かとしか言いようがありませんわ。このような景気刺激策を打ったところで一時しのぎにしかならず、その間に問題が解決しなければ財政破綻に陥ってしまいますわ」


「とはいえ、このままでは怒れる領民がここまで押し寄せてくるのも時間の問題だ。なにかしら手を打つ必要がある」


「そうですわね……今さらエマに頼るなんて、そんな恥知らずな真似はできませんし、この期に及んでは受けるしかありませんわ」


「そうだよな……」


 かくして、クライスとチャールズは手を組んだ。

 大規模な財政出動による景気刺激策によって、経済の活性化を図る。

 ばら撒き、減税、その他……異例の大盤振る舞いだ。


 目先のことだけを考えた浅はかな延命措置に全てを賭ける。

 リスクとリターンの収支が合わないとしても関係ない。


 もしも、プライドが邪魔をしなければ――。

 帝国に行って、エマに「力を貸してほしい」と頭を下げられていれば――。

 王国やクライスたちの未来は、きっと違うものになっていただろう。

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