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004

 エマは連日にわたって帝国の各地に赴き、海で祈りを捧げた。

 それによって帝国の海に平和をもたらし、〈海の巫女〉として周囲に崇められていた。


 その一方――。

 バルガニア王国の海は、かつてないほど荒れ始めていた。


 例えば、公爵領の港町オルトマール。

 ここでは、突如として押し寄せた大波によって大半が流されてしまった。

 港は崩壊し、船は海の藻屑となり、建物は瓦礫の山と化した。

 人々は大混乱に陥り、あちこちで助けを呼ぶ声が響き渡る。


「くそっ……どうしてこんなことになったんだ」


「おい、誰か手伝ってくれ! この下に人がいるんだ!」


「こっちにだって人がいるんだ! 自分でどうにかしてくれよ!」


 被害は壊滅的で、どうにもならない状況だった。


 ◇


 バルガニア王国の首都ロベリオン――。

 不運なことに、この街も帝都アインフェルトと同じ沿岸都市だ。

 当然、荒れ狂う海の被害が及んでいた。


「な、何があったのじゃ……? どうして急に海が荒れ始めた……? 海洋魔獣が迫ってきているのか? ここ何年も王国の海は守られていただろう? 誰かがおびき寄せたとでも言うのか? おぉん?」


 国王エドヴァール王は、各地から届く被害報告に驚愕していた。

 肥満気味の体を震わせながら、額に汗を滲ませて顔を歪める。


「あなた、どうか落ち着いてください。王として威厳と余裕のある振る舞いをされなければ、他の者たちが不安になってしまいます」


 横に控えているイザベラ王妃が穏やかな口調で諫める。

 それでも、エドヴァール王の動揺は収まらない。


「落ち着けるわけないだろう! オルトマン……じゃない、オルトマルク……いや、違うな、えっと……なんだっけ?」


「もしかして、オルトマールですか?」


「そうじゃ! オルトマールが潰れたんだぞ! 他の港町も大変だと言うではないか! このままでは王国の経済に深刻な被害が出る!」


「だからといって喚いても解決しませんよ」


「うるさい! 女がわしに知った口を利くな!」


 イザベラ王妃は発言を控えた。

 その場にいる貴族たちも八つ当たりが怖くて口を開けない。

 だが、黙っていてもエドヴァールのほうから話しかける。


「おい! お前!」


 爵位のない弱小貴族の一人が声を掛けられる。


「な、なんでしょうか、陛下……!」


「お前はどうして今回のような問題が起きたと思う?」


「それは……」


 ここで回答を誤ると後が怖い。

 かといって、「分かりません」と答えるのも怖い。

 そこで、貴族の男は逃げの一手を打つことにした。


「民衆の間では、エマ様がいなくなったせいではないか、との声が上がっております」


「エマ? 誰だそれは。帝国の人間か?」


「違いますよ。ラドフォード家の娘です」


 イザベラ王妃が「そうでしょう?」と貴族の男に確認する。

 男は「さようでございます!」と頷いた。


「ああ、そういえばいたな。伯爵家にそのような娘が。今はクライスと結婚したのだったか」


 エドヴァールはエマの存在を思い出した。

 同時に、彼女が持つ〈海と心を通わす力〉のことも。


「しばらく前にクライス公爵が離縁を宣言し、両者の婚姻関係は解消されております」


 イザベラ王妃が補足する。


「なるほどのう。たしかにあの娘を同船させると豊漁になると言われていたが、いなくなったからといって海が荒れるものか?」


 貴族の男は「これも民衆の話ですが」と前置きをしてから答える。


「エマ様がクライス公爵から酷い仕打ちを受けていたことは有名です。また、婚姻関係の解消後、伯爵領に戻った際には、伯爵夫妻から家を出されました。こうした行為が海を怒らせたのではないか……とのことです」


 言い終えると、貴族の男は、改めて「民衆の話です」と付け加えた。


「ふん、女が少し厳しく扱われたくらいで海が怒るわけなかろう」


 エドヴァールは鼻で笑い、深く聞き入れなかった。


 ◇


 王国の問題は伯爵領にも及んでいた。

 急な高波によって農地が塩害を被り、漁港周辺の施設も破壊されている。


「伯爵様がエマを不当に扱ったからだ……」


「エマを追い出したせいで海が怒っている……」


 伯爵領では、領民たちの不平不満が高まっていた。

 エマが離縁を宣言された時には冷たい対応を示していたが、そのことを覚えている者は誰もいない。


「チャールズ、どうするの? このままでは領地の経済が回らないわよ」


 キャサリンが悲痛の面持ちで尋ねると、チャールズはため息をついた。


「もし領民たちが言うようにエマを追い出したからだとしたら、我々は対応を大きく誤ったことになる」


「そんなこと、今さら言っても仕方ないじゃないの。それに、あの場ではあれが正しい対応だったでしょう? クライス公爵に婚姻を破棄された娘をここに置いておいたら、わたくしたちの立場だって危うくなっていたわ」


「とはいえ、このままでは……」


 チャールズがうなだれる。

 すると、キャサリンはとんでもないことを言い出した。


「全てはあの子が悪いのよ。家を追い出されたからって、あてつけのようにレイヴン殿下の馬車に乗って去っていったのだから。あの時だってわたくしたちは笑いものにされたものよ。わたくしたちは真っ当に育ててやったというのに、いつもいつも家の看板に泥を塗るようなことばかりして。あなただってそう思うでしょ?」


 あまりにも身勝手極まりない都合のいい発言だ。

 普通であれば「それはおかしい」と怒り、たしなめる場面だろう。

 だが、チャールズの答えは違っていた。


「同感だ。恩を仇で返すとはまさにこのことだな!」


 ◇


「オルトマールはもうダメだな。下手に金を突っ込んでも立て直せない。別の町に移して立て直したほうがまだ経済的だ」


 クライスは書斎で頭を抱えていた。

 机には領内の被害をまとめた書類が散乱している。


「そうねえ。あたしたちの財産だって、このままじゃ減る一方だわ」


 リリアンは後ろからクライスに抱きつく。

 まるで娼婦のように、彼の耳元で媚びるような声を出す。


「クライス様、私たちが損をしない方法を考えてちょうだい。あなたは公爵。この国では王に次ぐ権力者。実務上では王国でも一番の権力者なんだから、好きなようにできるでしょ?」


「……問題は海が落ち着かないことだ。複数の海洋魔獣が押し寄せている、という噂も流れているようだしな」


「魔獣は倒せないの? あなたなら王国軍を動かせるでしょ?」


「軍を動かすことはできても、魔獣を倒すのは難しい。なにせフィールドが海だからな。追い詰めても逃げられる。そのうえ、戦いになれば少なからず被害が出る。だから帝国ですら海洋魔獣には手をこまねいているんだ」


「だったら、面倒なことは他の貴族に押しつけて、あたしたちだけでも無事でいられる方法を考えましょうよ」


「ああ、そうだな」


 リリアンにとって、国難などどうでもよかった。

 大事なのは自分だけだ。


『公爵夫人になって、華やかな貴族の世界を生きる』


 それがリリアンの目的だ。

 目的を果たすためなら、港町の壊滅などどうでもいい。

 どれだけの人が死のうとも関係ない。


 故に、リリアンはこう思っていた。


(雑務なんか他の奴に押しつけてさっさとプロポーズしてよ!)


 ◇


 王都ロベリオンにそびえる巨大な城。

 その城にある〈玉座の間〉に、全ての王国貴族が集まっていた。

 事態が収拾しないことに業を煮やしたエドヴァール王が召集したのだ。


「海の問題は酷くなるばかりだ。一方、聞けば帝国は立て直しているそうじゃないか。余は帝国が海洋魔獣を我が国にけしかけてきたのではないかと考えておる。お主らの意見を聞きたい」


 エドヴァール王が切り出した。

 彼は被害妄想が強く、何かと帝国の仕業ではないかと邪推していた。

 近年になって、王国と帝国の国力差が縮まっているからだ。

 そのことに帝国が危機感を抱いていると考えている。


「海洋魔獣をけしかけるには、海賊が好む足の速い船が必要です。また、我が国と帝国の関係は悪くありません。わざわざ従属国に嫌がらせをするとは思えませんが……」


 チャールズが恐る恐る言った。

 これに諸侯が頷いて同意の意を示す。

 そんな時だった。


「失礼します! イザベラ様……!」


 兵士の一人が入ってきて、イザベラに耳打ちする。

 報告を受けるイザベラの表情が、驚きの色に染まっていく。


「そうですか、分かりました。下がりなさい」


「ハッ!」


 兵士が下がると、エドヴァールが尋ねた。


「何の報告だ?」


 イザベラは少し悩んだあと、口を開いた。


「あなたに言うと角が立つと思い、密かにエマの力が本物かどうか探らせていました。今のはその報告です」


「そうか。それで、結果は?」


 エドヴァールは声を荒らげることなく続きを促した。

 国の被害が深刻なので、いちいち怒るだけの余裕がなかったのだ。


「本物でした。エマは帝国で〈海の巫女〉と呼ばれ、崇拝されています」


「なんじゃと!?」


「なにぃ!?」


「なんだってぇ!?」


 エドヴァールだけでなく、チャールズとクライスも驚愕した。

 エドヴァールは驚きのあまり立ち上がり、チャールズは卒倒しそうになる。

 クライスにいたっては口をポカンと開けて固まってしまった。


「じゃ、じゃあ、我が国の問題はエマが去ったからということか?」


「それは分かりません。ただ、我が国の長年に及ぶ平和には、エマの力が関係しているということです――あなたたち、とんでもないことをしてくれましたね」


 イザベラの厳しい目がクライスとチャールズに及ぶ。

 二人は生きた心地がしなかった。

お読みいただきありがとうございます。


本作をお楽しみいただけている方は、

下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にして

応援してもらえないでしょうか。


多くの方に作品を読んでいただけることが

執筆活動のモチベーションに繋がっていますので、

協力してもらえると大変助かります。


長々と恐縮ですが、

引き続き何卒よろしくお願いいたします。

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