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003

 エマたちは帝国の輸送船に乗り、安全な海域から帝国に入った。

 街道を進み、沿岸都市であり帝国の首都〈アインフェルト〉に到着する。

 そこでエマを待っていたのは、前に来たときとは全く異なる光景だった。


 海は獣のように荒れ狂い、空も心なしか灰色に感じられる。

 岸辺には砕けた船材や網が散乱しており、漁港は閑散としていた。

 街を行き交う人々の目には生気がなく、頻繁にため息を漏らしている。


「これは……」


 馬車から外を眺めているエマは、惨状とさえ言える帝都の様相に絶句した。


「酷いものだろう? だが、これこそが帝国の現状なんだ。今はバルガニア王国を含む従属国との貿易を取り仕切ることで辛うじて耐えているが、我が国自体の経済活動は完全に滞っており、民は疲弊している」


 レイヴンがどうしてエマを頼ったのか、エマ自身にも理解できた。


「私に何ができるか分かりませんが、海辺で祈らせてください。王国ではここ何年も豊漁が続いているので、今も効果があるかは分からないのですが、昔は私が祈るといくらか海が穏やかになっていたんです」


 レイヴンは「もちろんだ」と頷き、馬車を海辺へ向かわせた。


 ◇


 荒れ狂う波から数メートルの砂浜に、エマはいた。

 近くには皇太子のレイヴンと彼の近衛騎士アルフォンス、さらに侍女のナディーネが立っている。

 そこから少し離れたところで、無数の帝国騎士や帝国民が見守っていた。


「エマ、何か儀式に必要なものなどはあるか?」


「大丈夫です、レイヴン殿下。儀式ではなく、ただお祈りをするだけですから」


 エマは体を海に向けると、その場に両膝をついた。

 瞳を閉じ、波の音に耳を澄ませる。


『壊してやる! 何もかも! 全てを壊してやる!』


 海の声が、エマの脳内に響く。

 厳密には、海ではなく、海に棲む魔獣の声だ。


(こんなにはっきりと聞こえるなんて……。昔だったら考えられない……。それほどまでに魔獣が怒っているってこと?)


 表情は変えないものの、エマは心の中で驚いていた。


 実際のところ、エマは思い違いをしている。

 昔よりも正確に魔獣の声を聞き取れるのは、彼女が成長したからなのだ。

 彼女の〈海と心を通わす力〉は、彼女自身の成長に合わせて進化していた。


「怒らないで……。大丈夫だから……」


 エマは呟きながら、海洋魔獣に向かって祈りを捧げる。


『………………』


 魔獣の声が聞こえなくなる。


「おい! 見ろ! 海が穏やかになっていくぞ!」


 レイヴンの声が聞こえてきて、エマは目を開けた。

 暴れ回っていた海面が、目に見える速度で落ち着き始めている。

 海面の色も明るさを取り戻しているように感じた。


「すげぇ……」


 帝国民たちが感嘆している。


「信じられん……!」


「これが、エマ様の力……!」


 アルフォンスとナディーネも目を見開いていた。


「エマ……君の力は本物だったんだな」


 レイヴンがそっとエマの名を呼ぶ。


「まだ確信はありませんが……今回はお役に立つことができました」


 エマも安堵して笑みを浮かべる。


 しかし、これで問題が完全に解決したわけではない。

 帝都の海には平穏が訪れたが、未だに危険な海域は多く存在している。

 実際、遠方の海から巨大な魔獣の鳴き声が聞こえてきたのだ。


「殿下、海洋魔獣の被害は他の地域でも見られます。エマ様のお力がどこまで及んでいるのかを確認する意味でも、改めて状況の調査をされたほうがよろしいかもしれません」


 アルフォンスが険しい顔つきで進言する。

 レイヴンは厳かな声でうなずき、兵士たちへ指示を飛ばした。


「海を鎮めてくださったのですね。ありがとうございます、ありがとうございます」


 エマのもとに、一人の老婦人が近づいてきた。

 杖で体を支えながら、エマに向かって深々と頭を下げる。


「い、いえ……」


 エマは対応の仕方が分からず、照れ笑いを浮かべた。


「エマ様は〈海の巫女〉だ!」


 遠くにいた若い男が叫んだ。


「海の巫女?」


 首を傾げるエマに、レイヴンが解説する。


「古くから帝国に伝わる神話の登場人物さ。この広大な海を操り、帝国に安寧と繁栄をもたらしたとされている。たしかに今の君にはぴったりの愛称だ」


「なるほど。でも、私は〈海の巫女〉と呼ばれるほどの器じゃ……」


「巫女様、バンザーイ!」


「バンザーイ!」


「エマ様! ありがとー!」


「海の巫女が現代に現れたぞー!」


 民たちはお祭り騒ぎだった。

 気の早い漁師にいたっては既に漁の準備を始めている。


(私のしたことで、皆が喜んでくれている……!)


 エマは胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 これまでの人生において、ここまで喜ばれることなどなかった。


 両親に褒められたことは一度しかない。

 クライスが政略結婚の申し出を受け入れた時だけだ。


「海だけでなく、君の顔色もよくなったな」


 レイヴンが微笑みかける。


「え? あ、はい……」


 エマは頬を赤らめ「えへへ」と頭を掻いた。


「夕食までには時間がある。エマ、君の体調が問題なければ、隣町の海でも今と同じように祈ってもらえないか?」


「もちろんです! 私、祈って祈って祈りまくります!」


 エマが自分の胸を叩いた。

 すっかり自信を取り戻しており、声にも力がこもっている。

 そんな彼女の様子を見て、レイヴンとナディーネが笑みを浮かべた。


「ありがとう。では、行こうか」


「はい!」


 エマとレイヴンが並んで馬車に向かう。

 その後ろにアルフォンスとナディーネが続く。


「エマ、道中では君の話を聞かせてもらえるかい?」


「私の話ですか?」


「離縁されたと言っていただろ?」


「はい……」


「相手は誰で、どうして離縁に至った? 私が見たところ、君は非常に素晴らしい女性だ。家柄だっていいし、とても離縁されるとは思いにくい。だから気になっていたんだ」


「それは……」


「ああ、今は話さなくていい。立ち話で済ませるような内容ではないから、馬車でゆっくり聞かせてもらうよ。それよりも、今は彼らに手を振ってあげてくれ」


 レイヴンが遠くにいる街のほうに手を向けた。

 多くの民たちが「巫女様!」と叫びながらエマに手を振っている。


「は、はい!」


 エマは笑みを浮かべて、皆に向かって手を振り返す。

 すると、場がどっと沸いて盛り上がった。


「エマの力があれば、海洋魔獣の脅威も大幅に減らせるだろう。だが、いつまでも彼女に頼りっぱなしでは帝国の名が廃る。我々も頑張るぞ!」


 レイヴンが声を掛けると、兵士たちが「おー!」と拳を突き上げた。


「エマ様、どうぞ」


「ありがとうございます、ナディーネさん」


 エマはナディーネの手を借りて馬車に乗る。

 その姿を眺めながら、レイヴンは妙な感覚に陥っていた。


(この得も言えぬ気持ちは何なんだ……)


 エマを見ていると、レイヴンは不思議な感情が込み上げてきた。

 帝国の利益云々ではなく、一人の女性としての魅力を感じているのだ。

 もちろん、会って間もないため、強烈に惹かれているわけではない。

 ただ、何となく気になっている。

 これまでに経験したことのない感情だった。


「殿下、どうされました?」


 アルフォンスが声を掛けたことで、レイヴンはハッとした。


「いや、何でもない。ボーッとしていたことだ」


 レイヴンは口元を引き締めると、エマと同じ馬車に乗り込んだ。


 こうして、エマの到着後、すぐに魔獣の被害は減少し始めた。

 帝都アインフェルトだけではなく、他の街でも海が落ち着きを取り戻す。

 瞬く間に漁が再開されて、帝国に活気が戻り始めた。


「なぁ、知ってるか? バルガニア王国の伯爵令嬢の話」


「もちろん! 〈海の巫女〉だろ? 帝国の救世主だ!」


「でも、巫女様って王国では酷い目に遭っていたらしいな」


「信じられないぜ! 王国の奴らは見る目がねーよ!」


 エマの名は、瞬く間に帝国中で語られるようになった。

お読みいただきありがとうございます。


本作をお楽しみいただけている方は、

下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にして

応援してもらえないでしょうか。


多くの方に作品を読んでいただけることが

執筆活動のモチベーションに繋がっていますので、

協力してもらえると大変助かります。


長々と恐縮ですが、

引き続き何卒よろしくお願いいたします。

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