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026

 その日、帝国の皇宮では小宴が開かれていた。

 大広間には艶やかな装飾がほどこされ、円卓に並ぶ料理からは湯気と芳しい香りが立ち上る。

 その中心で、エマは緊張した面持ちでレイヴンの隣に立ち、周囲の貴族たちに挨拶を返していた。

 この宴は、エマの回復を祝してのものだ。


「ただ勝手に倒れただけなのに……申し訳ない気持ちでいっぱいです……!」


 エマは「うぅぅ」と恥ずかしそうに唸る。


「私や父上は、あまりパーティーを好まない。必然的に他の貴族たちも、王国に比べてこういう場は設けなくてね。だから、私も含めて皆、適当な理由をつけて騒ぎたいという気持ちもあったのさ」


 レイヴンが優しくフォローする。


「その通りじゃ。おかげでこうして楽しませてもらっておるよ」


「わたくしもですよ、エマ」


 ヴァルタリオ皇帝とメリエンヌ皇妃が笑みを浮かべる。

 エマはペコペコと頭を下げて恐縮していた。


「さて……」


 全員に挨拶をし終えると、レイヴンは声を張り上げた。


「皆、よく聞いてくれ! この祝宴は我らが『海の巫女』であるエマの回復を祝うものだ。そして、この場ではっきりと明言しておきたい。彼女は帝国にとってだけでなく、私個人にとってもかけがえのない存在であると!」


 会場がざわめき、次の瞬間には大きな拍手喝采が響いた。

 こうした場で、レイヴンが特定の女性を「かけがえのない存在」と称することには大きな意味がある。

 もちろん、エマにもそれがどういう意味かは理解できていた。


「エマ様、おめでとうございます……!」


「殿下がそこまでおっしゃるとは。これは近々、おめでたい話が聞けそうですな」


 ナディーネとアルフォンスも拍手している。

 一方、エマは頬をほんのりと赤らめていた。


(レイヴン殿下が私のことをそんな風に思ってくださっているなんて……)


 彼の好意に気づいていなかった、と言えば嘘になる。

 しかし、確信していたわけではないし、期待もしていなかった。

 自分は王国で離縁された伯爵令嬢であり、相手は帝国の皇太子である。

 常識的に考えると、皇太子の相手として相応しいとは思えない。


「おめでとうございます、レイヴン殿下! エマ様!」


 貴族の一人が言うと、他の貴族も口々に「おめでとうございます」と叫ぶ。

 レイヴンが笑顔で「ありがとう」と応じ、エマは恥ずかしがって俯く。

 事件が起きたのは、まさにそんな時だった。


「し、失礼します! ヴァルタリオ陛下!」


 兵士の一人が血相を変えて大広間に駆けつけてきたのだ。

 その手には一枚の紙が握りしめられていた。


「どうした?」


 ヴァルタリオ皇帝が険しい顔で返す。

 レイヴンや他の貴族たちの顔からも笑みが消えていた。


「帝都をはじめ、複数の街でこのような紙がばら撒かれています!」


 兵士が手に持っている紙をヴァルタリオ皇帝に渡す。


「これは……!」


 紙を読んだヴァルタリオ皇帝の表情が歪んでいく。


「父上、何が書かれてあるのです?」


 レイヴンが尋ねる。


「かつて帝国を混乱に陥れた海洋魔獣の件についてだ。あれを仕組んだ張本人がエマである――そう書いてあるのだ」


「なんだって!?」


 誰もが衝撃を受ける。

 レイヴンはヴァルタリオ皇帝から紙を受け取り、内容を読み上げた。

 それには、皇帝が言ったセリフ以外に、こうも書いてあった。


「エマは〈海の巫女〉などではない。その本性は〈海の魔女〉なのだ。騙されてはいけない。帝国はエマに救われたのではない。全てはエマの自作自演である」


 読み終えると、レイヴンは紙を破り捨てた。


「馬鹿げたことを! あり得るか! そんなこと!」


 ヴァルタリオ皇帝も「うむ」と同意する。

 しかし、他に目を向けると――。


「エマ様が我が国を……」


「あり得る話だ……。エマ様を虐げた王国は、今なお海洋魔獣の執拗な攻撃によって壊滅的な被害を受けている……」


「あそこまで魔獣が寄りつくなど通常ではありえないこと……」


「エマ様が操っているのだとしたら辻褄が……」


 貴族たちは半信半疑に陥っていた。


「ち、違います! 私、海の魔女なんかじゃありません!」


 エマは今にも泣きそうな顔で訴える。


「それは……分かっていますが……」


「可能性として……エマ様であればできなくもないという話でして……」


 貴族たちは怯えた様子で答える。

 誰もエマのことを糾弾しようとは思っていない。

 ただ、怪文書に書かれていることを否定しきれないだけだ。


「そんな、そんな顔で私を見ないで……」


 エマは皆の目つきが変わるのを感じて悲しくなった。


「惑わされるな! たしかに皆の思っている通り、エマの力であれば帝国の海に魔獣をけしかけられるかもしれない! しかし、彼女がそんなことをする理由は何もないではないか! そもそも彼女は、私が頼んだから帝国に来てくれたのだぞ! その経緯を忘れるな!」


 レイヴンが一喝する。


「たしかに殿下の仰るとおりだ……」


「エマ様が自ら帝国に来たのならまだしも、そういうわけではない……」


 貴族たちはいくらか落ち着いた。

 とはいえ、それでも完全には信じ切れていない。

 心の奥底では「エマの仕業かも」という思いが燻っていた。


「レイヴン、小宴は日を改めたほうがよいだろう」


 ヴァルタリオ皇帝が提案し、レイヴンが「ですね」と同意する。


「ご足労いただいた中で申し訳ないが、本日の宴は中止とする!」


 貴族たちは一礼して、足早に皇宮を去っていく。


「おい、このふざけた紙切れをばら撒いているのはどこのどいつだ?」


 レイヴンは偽情報の紙を持ってきた兵士に尋ねた。


「分かりません……。自分は酒場のマスターからその紙を渡されて知ったのですが、マスターが言うには明け方には扉の隙間に入れられていたようで……」


「そうか……」


 レイヴンは舌打ちする。


(誰の仕業か知らないが、厄介な手を使ってきやがったな)


 キャサリンが考案したこの偽情報の流布は、極めて効果的だった。

 エマの実力が本物であるが故に、否定することができないのだ。


「私、本当に違います……」


 エマが目に涙を浮かべて訴える。


「分かっている。私や父上、その他の者たちも皆、帝国を悩ませていた海洋魔獣の問題に君が関係しているなどとは思っていない」


 レイヴンはエマを抱きしめた。


「このような紙切れ一枚で揺らぐほど、帝国民は愚かじゃない。放っておけばすぐに落ち着くさ。安心するんだ」


「それはどうかな」


 と、言ったのはヴァルタリオ皇帝だ。


「どうかな……とは、どういう意味ですか? 父上」


「たしかに紙切れ一枚では問題ないだろう。しかし、今後も同様の偽情報が出回るなど、エマの信用を貶めるような裏工作が続いた場合、信じる者が現れてもおかしくない」


「この手の裏工作は徐々に効いてきますからね……」


 アルフォンスが皇帝の意見に同意する。


「ならば、先に手を打っておかないとな。アルフォンス、調査を頼む」


「お任せ下さい、レイヴン殿下」


 アルフォンスは一礼すると、足早にその場を去った。


「この件が尾を引かないといいが……」


 エマを抱きしめながら、レイヴンは問題が深刻化しないように祈る。

 しかし、彼の期待を裏切るように、この問題は大きくなっていった。

お読みいただきありがとうございます。


本作をお楽しみいただけている方は、

下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にして

応援してもらえないでしょうか。


多くの方に作品を読んでいただけることが

執筆活動のモチベーションに繋がっていますので、

協力してもらえると大変助かります。


長々と恐縮ですが、

引き続き何卒よろしくお願いいたします。

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