024
心労で倒れたエマが回復に向かっている頃、帝国の監獄では――。
「私はエマの父だぞ! もう少し良い場所を用意してくれてもいいではないか? なぁ、おい!」
チャールズは鉄格子にしがみつき、看守に向かって吠えていた。
彼は王国貴族ということもあり、規模の小さい特殊な施設に収監されている。
他に囚人はおらず、その場にいるのは彼と看守を務める一人の兵士のみ。
故に――。
「…………」
「お願いだから何か答えてくれよぉ……」
看守に無視されると、人と話すことすらできなかった。
他の房が空いているため、「うるせぇ!」と怒声が飛んでくることもない。
「エマの……父なんだぞ……これでも……」
チャールズは房の中で、何度もそう繰り返していた。
◇
同じ頃、帝国に一人の女性が訪れていた。
バルガニア王国の伯爵夫人――キャサリンだ。
彼女の目的はただ一つ。
チャールズを釈放してもらうことである。
「あの、よろしくて? わたくしは〈海の巫女〉であるエマの実母・キャサリンと申します。こちらを皇帝陛下にご覧になっていただきたいのですが」
キャサリンは皇宮に着くと、門番に二通の書簡を渡した。
一通はチャールズとの〈面会許可願〉で、もう一通は彼の〈釈放嘆願書〉だ。
「しばらくお待ちください」
衛兵は書簡を受け取ると、皇宮内に入っていった。
その足でヴァルタリオ皇帝のもとへ向かい、速やかに書簡を渡す。
「追い払いなさい。今後は取り合わなくていい。相手がエマの母であることを強調したとしても、遠慮する必要はない」
それがヴァルタリオ皇帝の回答だった。
彼はレイヴンやエマに伝えることもなく、書状を破り捨てる。
「かしこまりました!」
衛兵はすぐさまキャサリンのもとへ戻って「お引き取りを」と伝える。
「そんな! わたくしはエマの実母ですわよ? この帝国を救った〈海の巫女〉はわたくしがいたからこそ誕生したのです! その人間を門前払いなどと、何かの間違いでしょう?」
案の定、キャサリンは「エマの実母」という点を強調した。
「……お引き取りを。それが陛下のお答えです」
「こんな扱いはあんまりですわ……」
キャサリンはトボトボと大通りへ消えていった。
◇
「顔色もいいですし、もう普段通りに過ごしても問題ありません」
ある朝、エマは自室で医者の診断を受けていた。
ナディーネやレイヴンも立ち会い、しっかりと話を聞いている。
「ありがとうございます、先生! さっそく海にお祈りを捧げます!」
嬉しそうに微笑むエマ。
しかし、医者は苦笑いで首を振った。
「あと数日は軽い散歩程度に留めておきましょう。精神的な疲労というのは、肉体的な疲労と違ってすぐに回復するものではありませんから」
「でしたら、レイヴン殿下とお二人でお散歩に出かけられてはいかがでしょうか! エマ様のご快復をお祝いするかのような快晴ですよ!」
ナディーネが声を弾ませる。
「それは名案だ。エマ、君はどう思う?」
「私も同意見です! 先生、お散歩なら問題ありませんよね!?」
医者が「はい」と微笑む。
こうして、エマは数日ぶりに皇宮の外へ出ることが決まった。
◇
数十分後。
身支度を済ませたエマとレイヴンは、皇宮を出た。
門番を務める衛兵たちが敬礼する中、華やかな門を抜けていく。
「エマ、どこに行きたい?」
「マーケットに行きたいです! 帝都のお店には海にちなんだ商品がたくさん並んでいるので大好きなんです!」
「分かった。だが、マーケットまでは距離があるぞ。馬車を手配するか?」
二人が楽しそうに話していると、一人の女性が現れた。
派手な装飾のドレスを着ていて、厚手のローブをまとっている。
見るからにお高い煌びやかな髪飾りを揺らすその女性は――。
「久しぶりね、エマ」
エマの母・キャサリンだった。
彼女は門前払いを受けたあとも帝国に残っていた。
エマに直訴するためである。
「お母様……」
エマは予想だにしなかった母の登場に動揺する。
すかさずレイヴンが前に出て、エマを守るように立った。
「キャサリン伯爵夫人、今さら何の用だ」
レイヴンの声には明らかな警戒が含まれていた。
しかし、キャサリンは一瞥するだけで無視し、エマに向けていう。
「エマ、チャールズの釈放に協力してくれないかしら?」
「え……」
「たしかにチャールズは酷いことをしました。ですが、もう一週間近くも牢屋に入れられています。もう十分でしょう?」
エマは答えられず、自らの胸元を手でぎゅっと握って固まってしまう。
「キャサリン伯爵夫人、エマはあなた方のせいで強い心労を受けている。発言には気をつけてもらいたい」
レイヴンは必死に怒りを抑えていた。
相手がキャサリンでなければ、既に相応の対処をしているだろう。
下手をすれば斬りかかっていたかもしれない。
しかし、相手はエマの実母なのだ。
腹立たしくても強気に出ることができなかった。
そんな彼の心境を察して、キャサリンは調子に乗ってしまう。
「エマ、どうして実の父にここまでの酷い仕打ちができるの? そんなことをして何も思わないの? 人として恥ずかしくないの?」
キャサリンは、エマの良心に付け入ろうとした。
しかし、これがかえって逆効果になってしまう。
「ここまでの酷い仕打ち……?」
エマの眉がぴくりと動く。
異変を察したのはレイヴンだ。
「エマ……?」
レイヴンは振り返り、エマの顔を見る。
そして、びっくりした。
エマがこれまでに見せたことのない表情をしていたのだ。
それは、憤怒――激しい怒りであった。
「一週間にも満たない期間を独居房で過ごすことが『酷い仕打ち』ですか」
エマは深呼吸すると、淡々とした口調で言った。
「なんですって!?」
キャサリンは声を荒らげるが、エマの口調は変わらない。
「私はお母様とお父様の言葉に従って生きてきました。そして、言われたとおりクライス公爵に嫁ぎ、ご迷惑をかけないよう必死に取り組みました。それでも、相手方に問題があったため離縁することになりました。そんな私に対して、お母様とお父様はどういう仕打ちをされましたか?」
「それとこれとは……」
キャサリンの語気が弱まる。
「私の話には耳を傾けず、一方的に責め立て、家を追い出しましたよね。そのうえ、誘拐計画にも加担していました。そのことに何の謝罪や反省の弁を述べることもなく、さも私が悪人であるかのように言う。そんな人間の言葉に応じるつもりはありません」
エマはレイヴンの脇を抜けて前に出た。
自らの足でキャサリンとの距離を詰め、睨みつけながら言う。
「今すぐ王国に帰りなさい。そして、二度と私の前には現れないで」
「母親に対してなんという口の利き方をするの!」
キャサリンが反射的にエマの頬を叩こうとする。
しかし、その手はレイヴンによって止められた。
「エマに手を上げることは何人たりとも許されない」
そう言うと、レイヴンは振り返って衛兵を呼んだ。
「キャサリン伯爵夫人は今この瞬間より帝国への出入りが禁止となった。直ちに王国へ送還しろ」
「はっ!」
二人の衛兵が両脇からキャサリンを抱え上げる。
「まだ話は終わっていませんわ! エマ! チャールズを解放しなさい! エマ! 絶対に許しませんからね!」
キャサリンの哀れな叫び声が遠のいていく。
「申し訳ありません、レイヴン殿下。せっかくの雰囲気を台無しにしてしまって」
「エマが謝ることではない。それにしても、先ほどは凄い剣幕だったな。人間だから当然ではあるが、君でも怒ることがあるとは思わなかったよ」
「あはは。私も人生で初めて怒った気がします。ただ、そのせいで疲れてしまいました……」
「散歩は中止にして、皇宮で休むとしよう」
「これまた申し訳ありません……」
二人は出たばかりの皇宮に戻り、屋内で楽しく過ごすのだった。
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