トラフザメの彼女
浅海雄二は生まれてこの方水族館を好んで来ることがなかった。
興味がなかったとか、魚が嫌いとかいうわけではないが遊園地やゲームセンターなどに比べると優先する理由はなかった。
唯一行った記憶があるのが中学2年生の校外学習だった。
その日は雨が降っていて本来行く所の代わりだった。
薄暗い水族館は確かに美しいとは感じたがただそれだけで、興味はなかった。
ただそこにいる魚が泳いでいるとしか思わなかった。
こうして水族館に来て色々感銘を受けたのは僕の心の成長かそれとも彼女、鰈崎椿のおかげか・・・。
「どうしたんだい、私の顔を見て?」
彼女はにやにやしながら僕を見てくる。
深い海のような暗い彼女の瞳に吸い寄せられるような錯覚に襲われる。
「いえ、ただ水族館に本格的に来たのは初めてだなと思って」
「どうだい?結構面白いだろ」
「・・・・そうですね」
僕らは水族館内にあるカフェテリアに来ていた。
カフェテリアからはさっきの大型水槽が別角度で見えていた。
「こうやって別角度で見るとだいぶ印象が変わりますね」
さきほどは大きな海の一部に一人放り出されたような感じだったのに対し、こちら側は岩のオブジェクトの間から水槽を見る形になっていてまるで遠くの景色を見ているようだ。
水槽の近くには大きなサメのような魚ではなく岩の間を好む小型から中型の魚がとどまっている。
ドテッと体を動かさず鰓のみがフワンフワンと揺れていた。
魚は薄い黄色のような姿に黒い斑点が無数についている。
つぶらな瞳は眠そうでどこか可愛げがあった。
「彼女はトラフザメ、可愛いだろ?」
「ええ、確かに可愛いですね・・・・・彼女?」
なぜ鰈崎さんはトラフザメのことを彼女だと言ったのだろうか?
彼女は紅茶を少し飲むと話し出した。
「サメ類の性別の見分け方は他の海洋性別に比べてわかりやすいんだ、簡単にいえばち〇こがあるかないかだな」
「ブフォア!!」
口に含んでいたお茶を吹き出してしまった。
「汚いぞ雄二君、口の中にどれだけの菌がいると思っているんだい」
「いや鰈崎さんこそ公共の場所で何言っているんですか!?」
「なにって男性器の簡略化された名称だが・・・?」
「そんな首をかしげないで下さい、男性器の簡略化された名称を公共の場所でいうのは恥ずかしいことなんですよ」
彼女はポカンとしたがどうやら理解したようだ。
「そうだね、今のは私が悪かったな思春期の君には刺激が強すぎたらしい」
いつものように彼女はケタケタと笑っていた。
「話を戻そう、サメ類は腹びれ付近にオスは交尾器がついている。彼女はついていないんだ」
確かにトラフザメには交尾器はついていなった。
「サメの交尾器はクラスパーと呼ばれていてね、腹びれの一部が変化して大人になるほど長くなっていくんだ。だからサメには精器が二つ付いているんだ。
なるほど、そういうことだったのか。
「トラフザメは人類に無害だからちゃんとした施設があれば個人でも飼育できるぞ」
「へー・・・食事とか何を食べるんですか?」
「そうだね、岩場に住む魚や貝、甲殻類・・・あとは海をとかかな」
「・・・意外と食欲旺盛なんですね」
「でも彼女たちは絶滅危惧種なんだ」
鰈崎さんの顔は少し悲しそうな顔をしていた。
「絶滅危惧種・・・ですか」
「そう、聞いたことがあるだろう絶滅危惧種には大きく分けて7つの段階に区切られていてトラフザメはちょうど真ん中の絶滅危惧IB類に属しているんだ」
「理由は何ですか?」
「主な理由と考えられるのは肉やフカヒレ、肝油などを求めた漁業が原因とされているんだ、彼女たちは最大3メートルにもなるからね、とくに彼女たちの主な生息域は浅瀬だから局地的な漁業の影響を受けやすいんだ」
僕は水槽のトラフザメを見た。
トラフザメはゆったりと水槽の奥に向けて泳ぎだしていた。
長い尾ひれを左右に振りながらゆったりと泳ぐその後ろ姿はどこか寂しさを感じた。
「少ししんみりしてしまったね・・・そろそろ私たちも移動しようか、長居していたら悪いしね」
唐崎さんは席を立つと会計を済ませ歩き出す。
カツカツと進む彼女に僕はトラフザメと反対の印象を受けた。
まっすぐ進む彼女はどこか勇ましく、可憐であった。
僕も急いで席を立ち彼女を追いかける。
コーヒーの苦さと紅茶の香りがまだ微かに残っているように感じた。