荒ぶる子
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、どこかで誰かがリコーダーの練習をしているな、こりゃ。
リコーダーてなかなか不思議な楽器だと思わねえか? 義務教育を受ける中で、リコーダーを演奏する経験はおそらく誰にでもあることだろう。
けれども、リコーダーを専門にする大人の音楽家などは、どれほどいるだろうか?
金を稼ぐという意味なら、いま流行りの一角である動画配信者などもあるだろうが、オーケストラなどにリコーダーが混じるような景色は、観たことない人がほとんどじゃないか?
扱いやすく、持ち運びが容易なリコーダーは子供に持たせやすい一本。
だが、実はこのリコーダー、かつては鳥をはじめとする動物に音色を仕込むのに使われた、という話を以前に聞いたことがある。
蛇使いとかが、笛の音で自在に蛇を操るモチーフは、お前もよく知っているだろう? 似たようなケースは、思ったより俺たちのそばにあるかもしれないぜ?
俺の昔の話なんだが、聞いてみないか?
あれは草いきれのする、7月ごろの話だったか。
リコーダーのテストを間近に備えて、生徒たちの中にはリコーダーを家へ持って帰る者がちらほらいた。
俺も練習のためにランドセルの端へ差し込んでいたが、誰かに聞かせるのは苦手なタチでね。家に帰っても家族が誰もいない場所とタイミングで、奏でるつもりでいた。
下校途中なんて、なおさらできない。平気でリコーダーくわえて、演奏しながら帰る友達をしげしげ眺めながら足を運んでいたところ。
家の並びが途切れ、現れる田園地帯。
数枚ある田んぼの外周部分は、いまやしっかり舗装された車道となっている。一方の内側には、昔ながらのあぜ道が何本も上下に走っていた。トラクターなどが立ち入ることも考えて、道幅もそれなりにある。
俺たちが歩いているのは外周の一角だったが、あぜ道もショートカットになると、利用する生徒もそれなりにいた。
そのときはたまたま一人だけ。外周部からもかろうじて誰か判別できる距離にいたが、ちょっと様子がおかしい。
その男の子は道の途中でかがんでいた。片足をいまだ水の張る田んぼの中へ入れ、踏ん張る体勢にも見える。
手で押しているものがある。あぜ道の脇に植わっている岩のようだった。
一抱えほどもあるそれの根元に近いあたりを、ぐいぐいと揺さぶっていく。
かなり体重をかけているらしく、手と一緒に自分の頭までこすりつけるんじゃないかという前傾姿勢。こちらからはほぼ背中を見せているような角度で、その奇妙なかっこうが目に付いた。
おかしいところは、もう一点。
その動きは、リコーダーの音が響いているときだけ見られる。
下校際でもリコーダーを吹く、物好きな子。彼らの音色が耳に届くあたりに来たときのみ、そいつは動いた。
聞こえないうちは直立不動。左右を不思議そうに見やりながら動かず、次の音色が聞こえるまでそのままなんだ。
あれも遊びの一種なんだろうか。
元より知らない子だし、声をかける筋合いもない。俺たちはしばしの好奇心に足を止めたのち、まためいめいの家路へ着いていく。
俺の家は、みんなの中でも学校にほど近い。ちょっと買い物に行くときなど、あの田んぼの外周に差し掛かるんだ。
その時も帰宅から数時間後。やや空も暗くなりかけのときに、必要なものを思い出してコンビニへ行こうとしたんだよ。
すっかり人通りは少なくなった。車もちらほらライトをつけ始めたころ合いで、てくてく歩道を進む俺だが、ふと耳にリコーダーの音色を聞く。
ここからだと、音はまだ小さい。学校のあたりだろうか。
すでに下校時刻は過ぎている。学校周辺も先生たちが見回っているから、相当運がよくない限りは、先生に追い払われているはずだ。
そしてリコーダーといえば、生徒が使うもの……という先入観が俺の中にある。
こうも熱心に路上で吹くのは誰なのか。疑問のままに、俺は音の源へ歩いていく。
それは昼間に足を止めた、あの田んぼの近く。
いま、その田んぼと道路を隔てるガードレール前。ちょうど俺たちが様子を見やっていたのと同じ位置に立ち、リコーダーをくわえた者がいる。
見間違いでなければ、学校の音楽の先生だ。授業でも来ていたスーツ姿のまま、田んぼに向かって立っている。
奏でているのも、俺たちがこれからテストされる予定の曲だ。さすが先生だけあって、その音にはかすかな震えもない。
だが、その見ている方向が問題だ。
視線の向けるあぜ道。その途中には昼間も見たあの子供が、同じような姿勢で岩を揺さぶっていたのだから。
背格好からして、同一人物なのは間違いない。
それがどうして何時間も経つのに、同じ場所にいるのか。
なぜリコーダーの音が響く中で、岩をどんどん押していくのか。
先生は何を企んで、リコーダーを吹いているのか。
ちょっとの怖さと、それ以上の好奇心に誘われて、ついふらふらと両者を見据えながら近づいていったところで。
あぜ道の男の子に動きがあった。
格闘を続けていた岩をぐいっと持ち上げ、向こう側へごろりと転がしきったんだ。
意味合いは測りかねるが、ひと仕事終えたことには違いないだろう。先生もぴたりと演奏を止めてしまったが、ことの終わりじゃなかった。
その男の子は、「宙へ持ち上がり」始めたんだ。
ジャンプしたとかじゃない。地面に立ったその姿勢のまま、足元から現れてきた水色の結晶のようなものに持ち上げられていくんだ。
その下から出てきた、子供の体躯の数倍はあろうかという頭を見て、俺は「あ」と思う。
サイズこそ大きいが、頭のつくりは夏場によく見かけるカブトムシのそれにそっくりだったんだ。
頭は先ほど岩が立っていたあたりの土にかぶさると、そこにあるものを味わうように、何度も上下する。
それに合わせ、角の先にくっつくあの男の子も不動の姿勢のまま、上下に揺すられる。
……いや、男の子ではないのだろう。
あれはこの大きい水色をしたカブトムシもどきの、「角」にあたるんだ。
外敵を排し、邪魔なものをどける。このカブトムシもどきが生来持つものの先っぽが、人によく似た形をしているに過ぎないんだ。
土を漁っていたのも、ほんの数秒か。
カブトムシはかすかに顔をあおむけると、出てきたときと逆回しになるような動きで、田んぼの水とあぜ道の境目あたりに、潜っていってしまったんだ。
先生はというと、リコーダーを手に持ち、大きくため息をついていたよ。
先生の話によると、あの巨大カブトムシらしきものは地域を問わず、学校の近くなどへふとした時に現れるらしい。
人の形によく似た角を地面の上に出し、様子をうかがいながら自分の獲物となるものを探す。
非常に気分屋であり、ご機嫌がななめの時は広く大きな地震を起こすこともあるようだが古来、笛の音を好む性質を持つとのこと。
ゆえにリコーダーを定期的に吹く、現在の学校の環境を気に入って姿を見せるのではないかと考えられているのだとか。
こいつが現れたときは気分よく去ってもらうために、積極的に笛の音を奏でてご機嫌をとってもらうのが肝要になると先生が話してくれたんだよ。