蛇足
ぶっちゃけ、まだあんまり納得してないです。
けど、これ以上捏ね回しても埒が明かないので、諦めることにしました。
これで、あやちゃんは僕のものになった。
そう思うと、欠けていた部分が埋まっていく気がした。
目の前には赤黒い暗闇が広がり、感覚の鈍り始めた左手を握る力の強さだけが、僕をその場に繋ぎ止めようとしている。
喧騒が酷いはずなのに、愛しい彼女の慟哭がやけに鮮明だった。
初めて飢えを自覚したのは、母がはにかみながら、
「良かったね。和正、もうすぐお兄ちゃんになるんだよ」
と言ってきた時。
まだ小さい頃だったから、具体的な事はほとんど覚えていない。
けれど、その時確かに、僕の中の何かが変わった。
後に母は、
「和正って、ちっちゃい頃から大人びた子だったけど、『妹ができたよ』って教えてから臨月に入るくらいまでの間、私にべったりだったんだよ?
独り占めできなくなるの、寂しいって思ってくれてるんだなって、嬉しかったのよね。
……まあ、子供だから加減がわかんないらしくて、激しい運動に付き合わされた事もあったけどね」
と、その時の感情を僕に話して聞かせた。
母からすれば可愛らしいワガママだったらしいそれは、僕からすれば、底なしの独占欲の発露だった。
僕の愛情を受け取る器は、いつもどこか穴が空いていて、満タンにならなかった。どんな時も物足りなかった。満たされなかった。
今までの中に、こぼれ落ちるそれに気づかなかったり、補充が間に合わなかったりで、気持ちのズレが生じて別れることになった交際相手がいた。
僕と同じように満たされない苦しみに悩む人もいて、満たされない分を他所に求めて僕の元を去って行った。
そして、最後に出会ったのがあやちゃんだった。
きっかけは、僕がよく行く店で、彼女がアルバイトを始めた事。
広く見ればよくあるものでも、僕に比べればよっぽど複雑な家庭環境で育った彼女は、今までの交際相手よりは『愛が重い』と形容されるタイプの人だった。
束縛がキツイ訳では無いけれど、過剰に尽くす事で安定した愛を受け取ろうとする。数少ない束縛と言えば、飲み会に行くことを禁止にはしないけど、無理の無い範囲で詳細を聞きたがる。その程度だった。
職場の女子の話をすれば、数日以内に少し豪華な夕食や、ちょっとしたプレゼントがあった。
控えめなそれが心地よくて、わざと、
「今日、同僚の××さんがミスをしてしまったらしくて、落ち込んでたんだよね」
なんて事を話題に出したこともあった。
話している間、ずっと少しだけズレた視線と、トーンの落ちた声が、たまらなく愛おしかった。
「……私、死ぬなら、かずくんより先が良いな」
レンタルショップで借りた、悲恋をテーマにした映画を見た彼女が言った。
理由を問うと、
「ほら、私の両親、死んじゃってるじゃない?
……その時にね、思ったの。もう二度と置いていかれたくない、って。だから、この映画見て、嫌だなって思ってたこと思い出しちゃったから」
と、暗くなりすぎないようにか、わざとらしくトーンの上がった声で答えてくれた。
その時の僕は、彼女をただ抱きしめるだけで、これといって言葉を返したりはしなかった。
それでも彼女は、僕の腕の中で幸せそうに笑っていた。
僕の心の中では、器からこぼれ落ちる愛の音が、少しだけ大きくなった気がした。
彼女の飲み会が終わる頃に迎えに行った時。
「あ、綾香さんの彼氏さんですよね?いつも、綾香さんを迎えに来てる。
今日、綾香さんが仲良くしてた○○さんが寿退社するんで、そのお祝いだったんですよ。毎日のようには会えなくなるのが寂しいらしくって、いつもの倍くらい飲んでて、ご覧の通り千鳥足になっちゃったみたいです」
という説明を添えて、俺の知らない男に支えられたあやちゃんを任された。
その時の僕の心情は、だいたい察してもらえると思う。
しばらく連絡を控えて、不安定になったあやちゃんがとても可愛かった。
仲直りのデートでは、身勝手な愛情表現が目立つ男の出てくる映画を見た。
過去の交際相手なら気持ち悪がる様なそれも、彼女にとっては憧れに近い感情の対象のようだった。
それから僕は、俗に言うヤンデレがテーマの作品に目を通す機会を増やした。やろうとまでは思わなくても、少しだけ共感できるような行動がいくつかあって、創作もバカにできないと改めて思わされた。
その中でも、好意を寄せる相手の目の前で死んでみせた男の登場する作品が、僕の心に強く焼き付いていた。
そして、今。
様々な記憶が頭の中を駆け巡り、その大半を占めている彼女への愛がまた少し大きくなる。
穴の埋まった器では入り切らなかった愛が、体から流れ出る血のように溢れてしまう。
それを止めることも出来ずに、満たされた器とあやちゃんへの愛おしさ、仄暗い達成感を抱えて、僕の意識は闇に飲まれた。
ありがとうございました。
結局、全員自分勝手だったね、ってお話でした。