好きすぎて 〜バッドエンド〜
超閲覧注意。
「………っ、え」
驚きで思わず涙が引っ込む。
北野くんが、私のことを好き?
「な、何で」
「何でって……別に、好きになる理由って何でもいいだろ?強いて言うなら、高校の時からお前の笑顔が良いなぁって思ってた。その為に頑張ってお前と同じ大学に入ったのに、アイツに取られるなんて、俺も馬鹿だよな」
北野くんは自嘲する様に笑う。その表情は、いつも飄々としている彼らしくない。
彼が、こんな想いを隠していただなんて、知らなかった。
「もしかして、北野くんが私に優しくしてくれてたのって……」
「ああ、そうだよ。好きな奴に優しくしないわけねーだろ。お前以外の女を、わざわざ慰めたりなんてしない。
落ち込んでいる時に励ましたいなとか、力になりたいなとか思うのは、お前だからだよ」
「……っ」
真摯に向けられる言葉がどうしようもなく嬉しい。心から私のことを想ってくれていることが分かる北野くんの言葉は、晴翔に対して疑心暗鬼になっている私の心に深く刺さった。
「……っ、急に顔赤くして照れるなよ。勘違いするだろ」
「あ…ごめんね。でも、凄く嬉しくて……」
「あ、そう…」
お互いに気まずい空気が流れる。
心臓がバクバクと鳴って、煩い。この音が北野くんに聞こえてしまっていたらどうしよう、なんて浮いたことを考えるくらい、私の気持ちは北野くんの告白で揺らいでいる。
まるで、浮気しているみたいだ。
こんなの晴翔に申し訳なさすぎる。……だけど。
このまま北野くんの胸に飛び込めたら、どんなに楽だろう。そう考えてしまう自分がいる。それだけ、この一週間は辛くて、苦しくて。私は自分勝手だ。だけど。
私が晴翔に抱いていた恋心は、もう――
「あの……さ、もし、アイツがお前のことを好きじゃないなら、俺のところに来いよ」
俺はいつでも待ってるから。
そう耳元で囁いて、北野くんは私から離れていく。
心臓の音は、まだ鳴り止んでいなかった。
☆☆☆☆☆
どこか夢見心地のまま帰宅する。玄関の扉を開ければ、カレーの匂いがした。
確か、北野くんもカレーが好きって言ってたっけ。
そこまで考えて頭を振る。
晴翔という優しくて完璧な彼氏がいるのに、北野くんのことを考えるなんて。何となく申し訳なくて、晴翔と目が合わせられない。
「た、ただいま……」
「ああ、おかえり。佳奈」
台所を除けば、晴翔が笑顔で出迎えてくれた。その笑みに違和感を感じるが、北野くんの告白が脳裏を占めているせいで、違和感の正体には気づかない。
昨日まで晴翔はずっと不機嫌だった。だが今の晴翔はとてもそんな風には見えない。
「カレー、出来てるよ。早く食べよ?」
「あ、うん」
手を洗い、席につく。手を合わせ、晴翔と揃えて食事の挨拶を口にする。スプーンで掬い、カレーに口をつけた。
「美味しい……」
「でしょ?今日は隠し味、入れたからね」
晴翔はにっこりと笑った。今までは気づかなかったけど、冷静になった今なら分かる。
晴翔が見せる笑顔は、心からのものではない。顔の上から笑顔という仮面を貼り付けた様な、そんな笑み。
やはり、私たちは恋人などという甘い関係じゃなかったのだ。それを改めて思い知らされる。
「ねぇ、晴翔……私たち、別れた方がいいのかな」
そこまで言って、ハッと口を押さえる。
私、なんてことを。
恐る恐る晴翔の顔を見上げれば、晴翔は変わらず朗らかに笑っていた。
「……っはは、別れた方がいいだなんて。冗談はやめてよ、佳奈。心臓に悪いでしょ?」
「……あ、えっと」
冗談じゃ、ない。そう言おうとしたけれど、それを晴翔に伝えるのは憚られた。何となく気まずくなって、晴翔から目を逸らす。
「それともさ」
晴翔らしくない、酷く低い冷淡な声に思わず肩がびくりと揺れた。恐る恐る晴翔の顔を除けば、私の目を覗き込む晴翔の瞳には一切の光がない。
その暗く翳った瞳に射抜かれ、体に悪寒が走る。
この嫌な感じは、なんだろう。
「今日、北野に告白されて、揺らいじゃったかなぁ?」
「……なんで、知って」
「そりゃ、君の彼氏なんだから。君の事なら出来る限り知ろうとするのは当たり前じゃない?」
「……そうじゃなくて」
「ああ、知った経緯のこと?それは知らない方がいいと思うよ。君が知ったらびっくりしちゃうと思うから」
秘密だよ。
そう言って晴翔は形の良い唇を三日月型に歪め、くすっと笑った。その仕草が、ただひたすらに、怖い。
晴翔はこんな人だっただろうか。そういえば、小さい頃の晴翔と今の晴翔は、少し雰囲気や性格が違うような気がする。そう思うと、背筋が冷たくなり、嫌な予感が私を襲った。一刻も早く、ここから離れたい衝動に駆られる。
「ごめん、私食欲ないから――」
立ち上がり、自室に戻ろうと踵を返したその時。
「……っ、あ」
ぐらりと、世界が歪んだ。立っていられずに体が傾き、床に倒れ込む。起きあがろうと思っても、強烈な睡魔に抗えない。ゆっくりと、瞼が閉じていく。
「やっと薬が効いてきたね……ふふ、僕が君のことを手放す訳ないでしょ」
「……はる、と……」
「晴翔、ねぇ……その名前で呼んでほしくなかったなぁ。まぁ君は僕が晴翔だと疑いもせずにずっと信じてたから、仕方のない事だったんだけど」
―――これからは、ずっと一緒だよ?
意識が途切れる寸前、そう言って笑う晴翔の顔は、今まで見たことがないくらい幸せそうで。
どろりと溶けた瞳は底なし沼のように真っ黒だった。
☆☆☆☆☆
幼い頃。3歳くらいだっただろうか。佳奈が隣に越して来た。佳奈は両親の手を握り、幸せそうに微笑みながら僕たち双子に挨拶をした。佳奈の両親は屈託なく笑う佳奈の顔を見て頬を緩めていた。
――嫌だな。
佳奈を見て、最初に抱いた感情は嫌悪だった。今考えると、そこには多少の嫉妬も含まれていたと思う。
仲の良い両親から惜しみなく注がれる愛情。絵に描いたような、幸せな家族。
僕らには、なかった。
両親は音楽家で、朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくる。子供には全く関心を寄せず、家政婦に任せっきり。時々注がれる、邪魔ものを見るかの様な両親からの視線。
僕らは、愛を知らなかった。
そんな半壊した家庭環境の中で、信頼できるのは一緒に生まれた自分の片割れだけ。
お互いを支えにして生きていた。最早それは依存に近い。佳奈がくるまでは、僕らの世界は僕ら2人だけで完結していた。
しかし、そんな2人だけの世界に、佳奈が入ってきた。
佳奈は僕らを誘って一緒に遊んでくれた。みるみるうちに晴翔は佳奈に惹かれて行ったし、佳奈も明るくて社交的な晴翔を好きになっていくのが手に取るように分かった。
じゃあ、僕は?
晴翔は僕と繋いでいた手を振り解いて、佳奈と手を繋いでしまった。
2人きりだった世界に、僕だけが取り残された。
とても寂しかった。孤独だった。
今考えれば、佳奈の事が好きだったのかもしれない。でも、その頃の僕は自分の気持ちに整理がついていなかった。僕から晴翔を取った佳奈も、勝手に佳奈の方へ行った晴翔にも言いようのない暗い感情を抱いていた。
転機が訪れたのは、小学2年生の時。
あの日の夜、僕は次の日に提出しなければいけない課題のプリントを束にしてストーブの横に置いてしまった。ストーブは何らかの拍子で倒れ、紙を燃やし、みるみるうちに僕ら2人が寝ていた寝室のものを燃やしていった。
燃やされなかったのは、僕、柊斗だけだった。
熱気を感じ、汗をかきながら飛び起きた時の衝撃を今でもはっきりと覚えている。炎が、晴翔を舐める様に包んでいた。前日の夜、紙をストーブの横に置いていた僕のせいで、晴翔が燃えているのを瞬時に悟った。
ーー嬉しかった。
僕が、晴翔を殺した。佳奈に惹かれ、僕から離れていこうとしていた晴翔を、また僕の手で戻し、永遠に出来た。
晴翔の最期を貰ったのは、僕。晴翔はまた僕のものになったのだと、そう思った。
熱い熱いと、苦しそうに枯れるような叫び声をあげる晴翔をうっとりと見つめた。事切れるまで見ていたかったけど、そんなことをしたら僕も一緒に死んでしまう。それは嫌だったので、後ろ髪を引かれる思いで寝室の扉を閉めた。階段を降り、一階で寝ていた両親を起こして家から出た。
両親は子供に関心など無かったから、煌々と燃えている家の中に取り残されている子供と、今家の外で立つ子供どちらが晴翔で、どちらが柊斗なのか区別がついていない様子だった。
両親は困ったように眉を寄せながら、僕を晴翔と呼んだ。
だから、僕は柊斗を捨てた。
その時は晴翔をこの手で永遠にできた嬉しさでいっぱいだったから、両親が僕を晴翔と間違えることなどひどく些細な事に思えた。
でも、後から考えれば、明るくて社交的な「晴翔」として生きることで、少しでも両親の関心を寄せられると、まだ自分は愛されると、そう思ったのかもしれない。
家が燃えたので引っ越すことになり、お別れの挨拶をしに佳奈の家へ向かった。僕が「晴翔」のふりをすれば、佳奈は簡単に騙されてくれた。佳奈が泣きながら僕に抱きついてきた時、言いようのない幸福感に包まれた。
晴翔として生きていけば、佳奈も手に入る。佳奈に抱く暗い感情などどこかに吹き飛んでいた。
そこで僕はやっと、佳奈の事が好きだという事に気がついた。大きくなったら迎えに行こうと、そう心に決めて佳奈と「ゆびきりげんまん」をした。
引っ越した先で、「晴翔」を演じれば、友達は自然と集まってきた。それ以降の学校生活、交友関係には特に困らなかった。
だが、僕の年齢が上がるにつれて、両親の関心は薄れるばかりだった。相変わらず育児と家事は家政婦に任せっきりで、親子らしい会話は一切ない。高校に進学すれば、2人とも家に帰ってすら来ない日々が続いた。
幾ら両親が音楽家でも、家に何日も帰ってこないのは違和感を感じた。僕は学校を何日か休み、両親のことを徹底的に調べ上げた。
すると、とんでもない事実が分かった。
母親と父親2人とも、別に愛人がいた。父親なんかは、僕以外にも愛する家族がいた。それを知った時、酷い吐き気と虚無感に襲われた。
両親の為に、両親の望む様に聞き分けの良い「晴翔」を演じていたのに。ただ両親が「愛」というものに関心がないだけならまだ良かった。だが、2人とも、僕以外に愛している人がいた。それがどうしても許せなかった。
だから――
両親を、僕の手で殺した。
両親は音楽家だったので家に防音設備の効いた地下室があったのは好都合だった。
両親をそこに閉じ込め、気の済むまで詰れば、2人は僕に畏怖と憎悪の目を向けた。たとえ負の感情であっても、両親の頭の中は僕でいっぱいになっている。両親の関心が得られていると思ったら、嬉しさと喜びで胸が震えた。
そして、両親の最期は僕が貰った。晴翔と同様、僕の手で永遠にしてあげた。その後は、ひどく満ち足りた、幸せな気分になる事が出来た。胸が一杯になり、思わず僕は動かなくなった両親を抱きしめた。
高校を卒業した後、佳奈のいる大学に進学した。偶然を装って近づけば、すぐに佳奈と恋人になれた。
幸せだった。
だけど、佳奈は僕を通して晴翔を見ていた。晴翔として佳奈と同棲していながらも、晴翔と呼ばれるのは無性に腹が立った。それが自分の選んだ道だと分かっていても、辛かった。
女子大生から「晴翔って彼女いるの?」と聞かれても、どうしても自分のことだと認識できず、「いない」と答えてしまった時もあったっけ。
そんな日々の矢先、北野が佳奈に告白しているのを佳奈の鞄にこっそり付けた盗聴器で拾った。
早く断ればいいのに、佳奈は北野の告白で揺らいでいる様だった。今まで佳奈のために「晴翔」を演じてきたのに。このままだと、佳奈を北野に奪われてしまう。
僕は佳奈の事を愛してるのに、佳奈は北野を愛すなんて、絶対に許せない。僕が愛しているものからは、同じだけ愛を返してくれないと。
こんなに愛してるのに、佳奈はどうして僕を愛してくれないの。そんなの酷いじゃないか。なんで皆僕から離れていくの?晴翔も、両親も、そして、佳奈も!
――ああ、そっか。
また、同じようにすれば。
「最期」を貰えば良いんだーー
☆☆☆☆☆
「はぁ、疲れた…」
汗をかき、濡れた髪を右手で無造作に掻き上げる。やはり、3度目でも慣れない。人の首を絞めて殺すのは、中々体力がいる。
地下室には腐敗しかかっている2つの人だったものが転がっている。そのまま放っておいたのが悪かったのだろう。
酷い悪臭がする。しょうがない、家の庭にでも埋めるしかないだろう。晴翔の様にちゃんと墓参りをしてあげなければ。でも、家の庭に埋めたなら毎日手を合わせることができる。
…ああ、なんて幸せなんだろう。
「冷蔵庫でも買おうかな……いや、ホルマリンとかかな?」
そう僕は呟く。どちらがいいのだろう。保存する質はホルマリンの方が良さそうだが、薬品だから高いのだろう。全身を保存するとなると、一介の大学生である自分ではとてもお金が足りない。
まぁ、バラバラに解体して頭部だけ保存するという手もあるが、どうせなら全身を残しておきたい。
仕方ない、冷蔵庫を買うしか手立てはなさそうだ。
「ふふ、最期に柊斗って呼んでもらえてとっても嬉しかったよ、佳奈」
僕は目を開けたまま動かなくなった佳奈の髪を梳く。
全てを打ち明ければ、佳奈は泣き叫び、暴れた。大人しくなるまで何度も睡眠薬を飲ませ、意識を失わせるのは流石に心が痛んだが、仕方ない。
1ヶ月程時が経ってやっと佳奈は大人しくなった。
精神がおかしくなったのだろうか、僕を見て酷く慈愛に満ちた目で「晴翔」と呼んだ。晴翔と呼ばれるのは癪に触ったので、柊斗と呼ばせようとしたが、佳奈は中々呼んでくれなかった。
柊斗と呼んでくれたのは、この地下室に監禁してから1年経ったつい先ほど。僕に愛を囁いてくれたことが嬉しくて、僕はその佳奈を永遠の状態にしたいと強く思った。
僕を好いてくれた佳奈の時を止めれば、佳奈が最期に好きになった男は僕だ。
やはり、佳奈は可愛い。元々可愛かったけれど、僕のものになった佳奈は世界中のどんなものよりも可愛い。
佳奈の首元を見れば、薄らと手形が残っていた。首を絞められ、さぞ苦しかっただろう。でも、苦しいという感情を与えたのは、僕。
こんなに嬉しいことはない。
「ね、佳奈。これからは、ずーーっと一緒だよ」
……大好き。
僕はすっかり冷たくなった佳奈を抱きしめて、耳元でそっと囁いたのだった。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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