過去の亡霊
その者は狼に別れを告げると、宴の会場へは出向かずにこの城に隣している海に向かった。
しばらくは、月明かりに照らされ波の音に耳を澄ませながら、砂浜に足跡をつけてみた。
何を思ったかその者は砂浜に印された自分の足跡を見つめる。
その者が一陣の風に沿って振り返ると、遠くに座り込む白い影を見る。
「誰ですか?」
『お前こそ誰だ』
白い影は立ち上がってこちらを睨む。驚いたことにそれはまだ小さな、白い少年だった。
「あなたも全身白ですね」
『不気味な奴だ』
「幽霊に言われたくはないですね」
驚いたことに、白い少年の体の向こうにある灯台がぼやけて見えた。
透けている、幽霊だ。
「飽き飽きした顔をしているのですね」
『……そうでもない』
「そんな訳ありません。だって、あなたの顔、私の顔に似ています」
『は?』
「表情が」
幽霊がその言葉に目を瞬かせたとたん、急に焦りだした。
すると、幽霊の体は段々と薄くなっていった。
『 』
幽霊は何事かを言ったが、それは音にならず、消えかけの唇だけが動いた。
だがその者はその、音の無い言葉に返事を返す。
「そうでもありませんよ」
その者は、微笑しながらその場を抜けた。
【引用:『暇人の物語』二ページ目より】
生命の光を宿さない森を走る。必死で駆ける。頬を尖った枝が引っ掻いても、冷たい風が手足を凍らせようと迫っても、駆けることをやめなかった。
皆が、楽しそうに騒いで生きている音を必死で探していた。
ガチャガチャと、剣と鎧の擦れる音が、背後で俺を追う。途中で何匹か動物には遭遇したが、人間は俺と追いかけてくるひとりしか居なかった。その現れた鹿やら猪やら鳥は、俺たちの気迫に驚いて逃げていく。乾いた土と、尖った石が靴裏を削り、使い慣れた靴を破る。足の裏には血が流れているはずだが、痛みも感じないほど必死に走った。
何故あいつがここ居る。何故あんな奴が今更のこのこと現れた!
「待て!パーシヴァル」
そいつは俺の名前を呼びながら、俺の背中を決して見逃さないように追いかける。
何故お前がここに居る。
忌々しい。
それは楽しい楽しい火祭の最中に起こった思わぬ不運。
ドンちゃんドンちゃん。太鼓や囃子を叩く音。ワイワイがやがや。人々が楽しそうに騒ぐ音。
あたしは、この時間の他にこんな楽しい時間があるとは知らない。
「よお、ノラ。楽しんでるか?」
「?。ああ。勿論!」
「そうか」
皆の様子を見て周っていると、あまり話さない知り合いにもたくさん声をかけられる。笑顔を向けながら話されるそれにあたしも笑顔を返す。
「あ?ノラか?」
今度は誰だ?随分と無粋な語感だけれど。こういう口調の人はひとり心当たりが居る。
「アドルフ!」
あ、やっぱり。当たってた。
「今年も帰ってきたんだね。久しぶり。具合はどう?」
彼は私の従兄弟に当たる人物だ。やけに背が高く、体格も大きくてがっちりしてるし、筋肉質だし、皆より多少肌が黒いしでこの人ごみでも良く目立つ。髪は男にしても短い方で、いかにも重労働が得意で鉱山で働いてそうな兄さんだ。だけど実際には鉱山で働いているわけでもなく、『流民』として生きている。そもそも、私たちのような移住民族は鉱山でなんか滅多に働かない。
ここの集落の人々の働き方や稼ぎ方は結構絞られてしまう。
一つは集落の一員として集落の仕事の内一つを専門として選ぶこと。だけれでこれは、別にたくさんの金が稼げる訳でもなく低収入で集落が自給自足するための仕事であり、集落の中で共生するための方法だ。
二つ目は集落を一時離れて出稼ぎに行くこと。これは主に妻子持ちの父親がよくやる。
三つ目は、『流民』になること。
流民は、一時的に集落を離れるのではなく完璧に村を離れる。そのまま外の国に安住の地を見つけ定住してしまう者もいるし、旅人になって世界を彷徨うものも居る。だから、リスクが高く為ろうとするものも少ない。故郷を離れたがるものも少ない。だから流民はよほどの変わり者しかならない。人は周りの行動に会わせる物だし、流民のイメージは正直良くない。だから誰もなろうとしない。
流民のイメージが悪い。そういったが、その理由は流民になるということは追放されると言うことと同等の意味があるからだ。まあ、これも集落のみんなの下らない信仰心からくるものなんだけれど。みんなは流民になることを島流しにされるみたいに感じているらしい。別に集落に出入り禁止された訳でも無いのに。
アドルフはそんななか流民になろうとした変わり者だ。
「上々だ。だがなぁ、最近はどこ行っても戦争に革命、お国争いばっかだ。上の連中は俺らみたいな流れ者のことは考えてくれないから。それに魔物がどうとかうるさいったらありゃしない」
「流民も大変だ」
「そーだな。さて、今年は風の儀式で流民になってやろうと言う大馬鹿者は出てくるかね。お前さんなんかどうだ?なかなか素質あると思うぜ」
冗談を。あたしがこの集落を離れるなんて考えたことも無い。
「まさか。あたしはこの集落でお年寄りまで過ごすんだから」
「……ふーん。ご苦労なこって。まさかお前もあんな馬鹿らしい話信じてるとか言ってくれるなよ?」
「何であんなの信じなくちゃならないんだよ」
それを聞くとアドルフは満足そうな顔をして頷いた。
「それでいい。あ、そういえばこの集落料理のレパートリー増えたなまたどっかで……」
しばらくあたしはアドルフと一緒に祭りの喧騒の中を歩きながら、自分たちの近況を話し合っていた。アドルフの話す外のことは面白い。あたしはここ以外のとこ行くなんて考えたことも無いけど、アドルフを見ていると生き生きしてて少しだけうらやましい。
リューシュもこんな顔してあたしに話をしてくれてたな。
「ん、そうだ。俺村長に呼ばれてたんだ。確か櫓の上に居るって言ってたよな。ちょっくら行ってくる。じゃあ、またなノラ」
「ん。またね」
アドルフは別れの言葉も早々に走り去っていってしまった。人ごみにまぎれて大きな背中が消える。あたしより五歳は年上だろうけど、あたしより落ち着きが無い。多分、また来年にならないと会えないだろうに。相変わらずそこら辺ことには無頓着だ。ま、あたしがいえたことでも無いが。
おしゃべりなアドルフも居なくなり、少し暇になったあたしはあたりをぐるりと見渡した。
毎夜必ず燈されるはずの松明は今日は全て片付けられ、人々の明るい顔を照らす光は、櫓の燃え盛る炎と月の光だけ。人々の顔は炎の赤で染まる。楽しそうに、踊りの輪の中に入る若者に、普段静かな老人達も大声で笑っていた。親に、踊りを教わる小さな子供たちの微笑ましい姿も目に映る。陽気なものはいつにも増して面白おかしい冗談を言い合い、普段静かなものも満面の笑顔を浮かべて友人と語り合う。小食なものでさえ、この日のために用意されたご馳走に喉を鳴らした。
あたしは、この時間の他にこんな楽しい時間があるとは知らない。
自然と笑みが零れ落ちる。
「………どうしよう」
そんな皆が笑う時間に戸惑いの声が混じる。
誰だろう?こんなときにどうしたんだろう?
「どうしよう。どうしよう」
「パティオ?」
「!」
誰かと思って辺りを見たら、その声の主はパティオだった。普段ボーっとしている彼女が、思いっきり不安を顔に出していた。珍しい。なんか、そんなわけないのに彼女が泣き出しそうに見えてあたしはその姿を放っておけなかった。
「あ………あのね、長に向けての伝言頼まれたんだけど、どこに居るかわかんなくて急いで探してたの」
先ほどのあわてた声と打って変わり、驚きが収まると淡々とした言葉が返ってくる。
「そうなの?それならあっちの、物見櫓の上に居るらしいよ。アドルフが言ってた」
「ありがとうっ」
パティオはそれを聞くとすぐさま物見櫓へ走って向かう。どうしたのだろう、そんな大事な内容なのかな?なんかそれだけじゃあないような…。
そういえば、パティオは祭りにパーシヴァルを連れ回すって楽しそうに言ってたけど、パーシヴァルの姿が見えないな。あいつ、この祭りすっごい楽しみにしてたから一番五月蠅く騒いでると思ったんだけど。どこにいったんだろう。
「あれ?そういや、パーシヴァルのやつどこに行ってるんだ?」
「ん?パティオさんに連れまわされてるんじゃ」
「あーそれない。パティオさんさっき一人で歩いてた」
「珍しいなぁ、物見櫓にでも居るんじゃね?あいつやけに高いとこ好むから。前も、でっかい木に登って落っこちてただろう!」
「あははっ。また落っこちてたりしてな、物見櫓上からダーイブッ!って」
「いや、次は崖とかじゃね!」
「それ、有り得る!多分それでも難なく着地してケロリとしてるんだぜ。パーシヴァルだから」
思考に耽りながら、そのまま歩いていくと、パーシヴァルといつもつるんでる連中に出くわす。その中にもパーシヴァルの姿は見えなかった。
変だな。ってか、お前らいつの間にパーシヴァルを怪物扱いしていたんだ!?崖からおちて平気な人間なんて魔術師ぐらいだろうに。それも熟練した魔術師じゃないと無理だ。
と、心の中で突っ込みながら、あたしは祭の喧騒を抜け出し森の中に入った。
何故か、途端にリューシュに会いたくなった。彼女の歌を聴きたい。そしてあの『暇人の物語』の続きを聞いてみたい。こんな夜遅くにでもリューシュはあの切り株に居るだろうか。
火祭の火を背中に、暗い森を照らす月を正面にあたしはゆっくりとした調子で歩き出す。
暖かい祭りの中と違い、冷たい森の中はあたしの思考をはっきりとさせる。騒いで少し浮かれていた心が少しずつ落ち着いていく。それは決して嫌な感覚ではなかったが、少し惜しい気もした。やはり火祭の広場に戻ろうか。
一人で森の中に居るのは寂しい。
ああ、それならリューシュは寂しい思いをしているのかもしれない。あの子には一緒に居る人が居なかった。いつもあの切り株に一人で居るじゃないか。
あたしの足は急に止まった。
あれ?そうじゃない。リューシュには家族か誰か一緒に居るんじゃないか。まさか、あの年で一人旅なんて……。あったことは無くても見つかりにくいところで仲間が野営しているに違いない。ここら辺は土地の形が不思議で、まるで迷路みたいで隠れやすいから、リューシュの連れを集落の皆もあたしも見たこと無くても頷ける。それで、朝にはあたしに会いに切り株のところにきてくれる。そうだと思う。本人だって『言っては行けないと言われているから』といって祭りの誘いを断ったんだ。他に誰か付き添いの人が居るはず。この時間にあの場所に留まっているはずは無い。いつもずっとそこに居たような佇まいで居るものだから、この時間でもそこで同じように居ると勘違いしていた。行っても居るはず無いのに、何であたしは切り株向かってるんだろ。
彼女はいつも、あたしが来るときには切り株に腰掛けている。
それが、あたしの心に小さな違和感を作り出す。
「と……まっ……ヴァル!!」
「……るせぇ!く…な!」
あたししか居ないはずの火祭の森の中、不意に言い争いの声を耳が拾う。そのただならぬ雰囲気にあたしの体は硬直する。しかも、その声が聞こえてくるのは広場とは反対の方向にある崖の方。まさかと思いそっちの方向へ駆け出す。最悪の状況が頭を占領する。誰かが突き落とされそうに為ってるんじゃないだろうな?
この声は、誰だ?聞いたことのある。
「来るな泥人形!気味の悪い面しやがって!」
「パーシヴァル!?」
あたしの驚きの声が崖の上に響いた。
だって、あたしがその場に着いたときとき丁度…
パーシヴァルが、隣国の兵士によって崖から突き落とされる瞬間だったから。
その一瞬、彼の驚きの目があたしに向けられるのがわかった。そのことを、頭が理解するときにはもう彼の姿は崖の下に消えていた。