名の意味
名前は?
ノラ……
くすっ。知ってた?ある国の言葉で『ノラ』って飼い主の居ない犬や猫を指すのよ。確か他にも野原とか、どらって意味もあったわね。面白いでしょ?例えば、『ローズ』って薔薇って意味よね。でも『馬』って意味だったりもするのよ。同じ音なのに他の国に行くと違う意味になったりするの。言葉には複数の意味がくっついてくるわ。名前って歌を吟じる上でとっても重要な意味にあるのよ?知ってた?その登場人物の人生を体現するものだもの。
じゃあ、あなたの名前は?
ラ・リューシュ 『蜂の巣』を意味するの。いい名前でしょ。
そういえばあなたの名前…またある他の国の言葉では、『小さな鈴』って意味もあったわね。
「リューシュ!」
名前を呼ぶと彼女は振り返り微笑む。たったそれだけのことで自然とあたしの頬は緩み、心が暖かくなる。
「ノラ、そんなあわててどうしたの、いいことでもあった?」
「明後日、祭りがあるんだ。祭りって言っても首都の方でやる露店ばっかのやつじゃないんだけどね。皆で歌って踊って、笛を吹いて。酒が振舞われたりするんだ!いつもはあたしぐらいの子供は飲んじゃいけないんだけど、この日だけは一杯だけ許されてるんだ。それが楽しみで!小さい祭りだけど、賑やかで皆楽しそうなんだ」
「良いわね。賑やかなのは好きよ」
「それでね、リューシュも一緒に行かない?」
ラ・リューシュと知り合ったのは三日前。その間にあたしはすっかり彼女に懐いてしまった。リューシュもそれを嫌がっていないみたいで、楽しい。彼女と会ってからいつも仕事が始まる前の早朝、ここにきて会話をしたり、歌を聴かせてもらったりしている。その時間ならここにいるとリューシュが言ったからだ。こことは勿論あの大きな切り株のこと。
「…ダメよ。言っては行けないと言われているから」
「そうなの…。でもなんで?」
そういえばあたしはリューシュのことを何も知らない。知っていることといえば吟遊詩人で毎朝ここにいるということだけだ。どこに住んでいるのかも、家族のことも、何でここにいるのかも。仲良くなったって言っても、まだたったの3日だ。知らなくても可笑しくは無いだろうが、逆に考えると3日もあって全然何もリューシュの事を聞いていなかったのだ。
リューシュは、首を振って分からない。と答える。なぜ、分からないのだろう?
「そっか。一緒に行きたかったのにな。集落の皆にもリューシュの歌を聞かせたいし」
「ごめんなさいね。御詫びに面白い話があるの。聞く?」
「聞く!でも、歌じゃないの?」
「これにメロディーは付いてないのよ。あの人の日記に書いてあった話だから」
退屈な毎日を過ごす者がいた。
飲み飽きた酒を飲み、偽りの友と偽りの友として会って笑い、夢を見れない者がいた。
その者は退屈すぎてあるものを作り始めた。
仮面。
その者は、せっかく作ったのでその仮面をつけて城で開かれる舞踏会に行くことにした。
「おいお前、何だその真っ白い質素な服に真っ白い仮面は。個性も何も無いじゃないか。そんな格好では、ここに来たって誰も相手にしないぞ」
「あなたのような、物好きの方々には話しかけられますよ」
その者はにっこりと笑って門番の前を通り過ぎる。
「あのう、隊長。あういう不審人物って捕まえるんですか?」
門番は何処かすっきりしない。だが、今日は楽しい舞踏会。招待客は町の皆。その者を入れぬ訳にもいかない。
「そこのお前。ちょっと待ってくれないか」
その者が城の庭を横切ろうとすると声がかかる。
「私のことですか?」
「そう、お前だお前。それにしても妙な格好をしているなぁ」
「そういうあなたこそ珍妙な姿をしているようで」
小さくともよく震える濁声の主は、茂みの中から這い出て鋭い双眼をそのものに向ける。その正体は荒々しい雰囲気を持った狼だった。
「人食い森を知っているか」
「ええ」
「そこに、気まぐれに入っていって帰って来る小鳥の噂を聞かないか」
「いいえ。聞いたことがありません。第一そんな小鳥がいるのですか?」
人食い森は入って着た者を、食い殺すことで有名だ。現にこんな歌がある。
可愛い蝶を追ってその森に入れば
家の明かりを身を焦がすほど求めても
たどり着くことは出来ない
その森に入った時に
あなたはもう食われてる
その木々はあなたを砕く歯
その雨はあなたを溶かす胃液
気を付けなさい
いくら可愛い蝶が誘っても
その森の口に踏み入ってはならない
それでも可愛い蝶を求めるのなら
光を捨てる覚悟をなさい
子供でも、誰もが知る周知のことだ。
「いる。人食い森は、気に入ったやつは食わないからな。嫌いなものだけ食べるんだ。いて欲しくない存在だけ食べるんだ。人間は皆が皆自分の事ばっか考えるから、森はすごく嫌っている。だからだ。俺らのような存在はあまり食べないんだぜ、だが食べられる可能性も高いからあそこは誰も近づかない、生物がいない森になったんだ」
「……面白い話が聞けました。私にも知らないことはたくさんあるのですね」
その者は、少しだけ自虐的に笑った。
「どう?」
「どうと言われても……」
いままでの話の流れをまとめるとこうだ。ある所に暇人がいて、自分の作った仮面をつけて舞踏会に行く途中、兵隊と狼に話しかけられる。どこに面白みを見出せというのだろう?
確かに人食い森のことは多少気になる。海を渡った遠くの国にそんな森があるという噂があるのは本当だ。ただの噂でしかないのだろうが、随分と細かい設定と歌があるのには驚いた。歌詩はもしかしたら日記の主が考え出したのかもしれない。人食い森になぞらえた歌があるのは知らなかったから。メロディーが無いのが残念だけれど、リューシュに頼べば、そのくらい朝飯前と付けてくれるかもしれない。よし、後で頼んでみよう。
「ノラは正直ね。いいことよ」
そういってリューシュは自分と同じぐらいの高さにあるあたしの頭をクシャと撫でてくる。それに少しあたしはむっとする。何だこの子ども扱いは。子供っぽいが、こう見えて後数年で大人になる年なんだぞ。リューシュのほうが大人びているのは確かだが。
「でもね、この話にはまだ続きがあるの。結構長い話だからまた後でね。もうそろそろ戻んなくちゃいけない時間でしょう?」
「あ」
「ノラ!おせーぞ!おかげでお前の仕事も押し付けられたんだからな」
集落に戻ったとたん、犬たちの世話をしているパーシヴァルに睨まれる。パーシヴァルは集落の少年の中であたしと年が近い。少しだけ緩やかなカーブを描いた髪は、ここの集落では珍しい父親譲りの黒髪。ついでに言っておくとあたしは皆と同じ霞んだ金髪に翆の瞳。だからすこしだけ、あの皆と違う髪色は羨ましい。
彼は正直苦手だ。剛直で、物怖じしなくて、嫌味っぽい。人のことをすぐにからかう。そのからかう内容が、的を得た非難のため言い返せないのが悔しい。集落の子供たちの中で一番大人しそうで害のなさそうな外見の癖に、イタズラ好きの悪ガキの分類に入るやつ。その穏やかな外見は今あたしを睨んでいるため多少怖い。そうだ、こいつは睨むと迫力あるからいっそう苦手になったんだった。口も悪い。
「……わかった。変わるよ」
「どっちにしろ、もう終ったぞ。遅い。申し訳ないと思うならあっちのやつら手伝いに行くぞ」
「あれ、そんな仕事熱心だったっけ?」
どちらかというとだらけたいタイプだったような。
するとパーシヴァルは急に、あたしに滅多に見せない純粋な笑顔になった。
「何言ってるんだ?今日は祭りだぜ!」
ノラは数度瞬きをした。こいつが、あたしに向けてこんな顔するなんて珍しい。その笑顔は小さい子みたいにすごいきらきらしていた。すごいな祭り効果。
「…お前、なんかしけた面してんなぁ。せっかく年に一度の火祭なのに。もっと楽しそうな顔しろよ」
「別にいいじゃん」
そう。あたしは今余り機嫌が良くない。せっかくリューシュを祭りに誘ったのに、なんだがよく分からない理由で断られたからだ。せめてちゃんとした理由があれば納得できるのだけど、気分はいつもどうり冷めてしまった。
「あれ?お前も、祭り好きだったよな?まあいいけどさ。俺に関係ねぇし」
そう良い残すとパーシヴァルは、櫓を用意している人たちに混じりに行った。
この、まあ別に良いけど?って感じの態度があたしの耳には嫌味っぽく聞こえてしまう。今回は本人にそのつもりは無かったのだろうが、日頃の行いのせいだ。
それよりもあたしも早く手伝いに行こう。リューシュは来てくれなくても、明後日は楽しい火祭だ。楽しまなくては損だ。
「よしっ」
頬をパンと叩いて気合を入れると、あたしも櫓に集まる人々に混じりに行った。
火祭、水祭、風祭、土祭。あたしの部族では一年に四回祭りをする。
火祭では中心に火を焚き、食って歌って踊って騒いで、とにかく賑やかな楽しい祭りだ。だから、子供たちは皆この祭りを楽しみにしている。
水祭りは集落の四墨に水盤を置き、楽を奏でて巫女が中心で舞を踊る。恒例行事のようなものだ。
風祭は子供の成長を祝う日。去年の風祭から今年の風祭の間に生まれた赤子を祝福し、名を与える。そしてもう一つ、子供から大人、つまり18才になったものを認め祝い集落の一員として正式に再確認するのだ。
土祭は死者を哀悼する。こう言っては何だが一番暗い祭りだ。
火の祭りは生命を祝福する祭り。水の祭りは神に捧げる祭り。風の祭りは始まりと躍動の祭り。土の祭りは終わりと労いの祭り。
「誰がこんなのを決めたか知らないけど、そんな決まりがこの集落にはあるんだ。集落というよりは遊牧民たちに、ね」
「へぇ」
「ノラ姉ちゃん物知り!」
今は、集落の娘たちに混じっておしゃべりをしながら作業(火祭で振舞われる料理の下準備)をしていた。そして何故、あたしは下の女の子たちに祭のことを詳しく教えているのだろうか?勿論聞かれたから答えただけなのだけれど、聞くならあっちでくすくす笑いながら眺めているあなたの姉たちに聞けば良いのでは?
「おい!お前ら。鹿獲ってきたけどどこ置いとけば良い?」
「ぎゃ!」
小さな女の子たちは悲鳴を上げ、何故かあたしの後ろに隠れる。そりゃ怖いだろうね鹿の死体担いだ血まみれの男が急に現れたらね。そこんところを考慮しないでのこのこと来たその男もデリカシーが無いが、その後ろでくすくす笑っているお姉様方!この子達あたしに任せないで慰めてあげて!早く!
下の子たちに頼られるのは気分が良いが度が過ぎれば疲れる。女の子たちの仕草がまた可愛いから良いのだけれど、怯えすぎやしないだろうか。少なくとも、担いでいる相手は小柄で、害が無さそうな外見のパーシヴァルなのだから。あ、そのギャップがまた怖いのかな…?
「お前らなぁ、鹿の血まみれ死体なんて見飽きれるぐらい見てるだろう?そろそろ慣れろ」
怯えられたパーシヴァルはちょっと傷ついたようにすねる。一方で呆れてて馬鹿にしている。
「あんたが急に現れるから驚いたんじゃないの?その格好結構怖いし」
「そーか?とにかく、これどうするよ。いわれた通り獲ってきたけど、ここに持ってけとしか言われなくてさ」
「そこに置いておいてくれれば勝手に解体するから。早くあっち行って血を洗ってきなよ。あんたが居るとこの子たち、落ち着いてられないから」
「ちぇ。わーったよ」
彼は丁寧に鹿を降ろすと言われたとおりに川の方へ走っていった。あれ、意外と素直。
「すごいわねぇ。パーシヴァル君もノラも」
「へ?」
「だって、こんな大きな鹿一人で捕ってきちゃうのよ。あの年で。騎士が父親だって噂本当なのかしら」
といいながら頬に手を当て、空を眺める集落のお姉さん。
「でもこれ、皆で捕ってきた可能性もあるよ」
「あら、でもこの鹿の傷は切傷だけよ。この集落の人たちは大体弓で獲物を狩るじゃない。ナイフで狩るのはパーシヴァルだけよ」
言われてみれば、確かに。この鹿はパーシヴァルが狩ったので間違いないようだ。あいつには父親がそばに居ないらしいから、自然と強くなったのかもしれない。でも、そういえば何でナイフなんか効率の悪い道具で狩りをしているのだろう?
「ノラもノラよね。まだ若いのにこういうのにも怯えないなんて。もう少し女の子らしく気取っても良いんじゃないかしら」
別のお姉さんが鹿の死体を突っついて遊びながら淡白そうに言う。そのお姉さんはパティオという名のパーシヴァルの姉だった。
「あ、パティオそんな所にいたの?急に現れないでよね、びっくりするから。この子の、関心のなさにはすっごい同感するんだけれど」
お姉さんがきゃらきゃらと笑う。って言うか、何でそんな風に遊んでるの?あなたも凄いよねパティオさん。
パティオさんは、表情の変化が少なくて、行動が淡白で不思議じみてるけれどとっても美人な人だ。パーシヴァルと違って綺麗な腰まで届く長い緩やかなカーブを描く金髪で、とても良い人だ。正直この人はすっごい好きだ。綺麗だし、雰囲気が可愛い。話しやすいし。そういえば何処かリューシュに似ている気がする。
彼女が立ち上がると綺麗な純白のスカートがふわっと持ち上がり、首にかかっている綺麗なネックレスの飾がシャランと鳴る。やっぱこういう格好が女の子らしいのだろうか?そんなものをあたしに求められても困るのだけれど。対してあたしは動きやすさ重視の麻のズボンをはいて簡単に肩にかかるくらいの髪を適当にまとめ、簡素なデザインのバンダナをしている。確かに女らしいとは程遠い外見だけれど、そこまで言わなくても良いのでは?お二方。
「ノラ。あの子に悪気はないんだからそんな不機嫌な顔しないであげて」
「え、別に不機嫌な顔した覚えはないんだけど……」
パティオはふわりと笑う。こうすると、今朝見たパーシヴァルとパティオの顔の雰囲気は良く似ている。
え?え?あの子って、お姉さんのこと?でもそれならあの子って呼ばないし、まさかパーシヴァルのこと?どっち?
相変わらず不思議な人だ。