鑑賞会
「事件が起きる前に脳を覚醒させる為だろうか、探偵の飲む朝のコーヒーは苦い。まるでその探偵の人生そのもののようである……」
「……あの……ファーフちゃん? 何してるの?」
喫茶店内でモーニングコーヒーを飲んでいた桐山は、自分の背後でナレーションを付けるファーフに困惑した笑みを浮かべながらそう尋ねた。
「えっとね、ハードボイルドごっこ」
「あはは。俺のコーヒーにはミルク入ってるしここお洒落でファンシーな感じお店じゃない。何より、俺にハードボイルドは似合わないかな」
そう言って桐山はコーヒーを口に運んだ。
「ミルク入っても砂糖入ってもコーヒーは苦いからセーフ!」
「そうかなぁ」
そんな二人の掛け合いを周囲の客は微笑ましい目で見ていた。
最近オープンした喫茶店『茜雲』には四人の名物店員がいる。
一人は店長で、もう一人は副店長。
客層が学生寄りとなっている為彼、彼女達は若い夫婦という関係がどうしても気になり、二人はよくよく質問責めにあっていた。
そして、残りの二人がこの喫茶店がオープンする前から入り浸っていた、まるで主のような彼ら。
何故か喫茶店内で無料相談を受けて、困ってる時は必ず助けてくれる正義の探偵桐山と、その助手であり喫茶店の従業員でもある、何故か猫耳を生やしておりいつもニコニコしているファーフ。
ちなみにこの二人は学生達に質問責めに合う事はないが、その代わり桐山の元には困ってる人が寄ってきて、ファーフは何故かお年寄り受けが非常に良く高齢の夫婦に可愛がられている。
わがままで自由で、それでいていつも楽しそうだから元気が分けてもらえるからだそうだ。
その扱いは完全に猫である。
「ファーフちゃんお待たせ。これで良かった?」
そう言いながら副店長である周藤七瀬はホットケーキを持って来た。
普段は茜色で出すメープルたっぷりバターたっぷりのボリューミーなホットケーキでなく、そのホットケーキにはほんの少しだけハチミツがかかっているだけのシンプルなものだった。
「うん! 偶には違う感じで食べたいなーって思ってね。ありがとねわがまま聞いてくれて」
そう言いながらも何故か毎日ホットケーキを頼むファーフに七瀬はにっこりと微笑んだ。
「良いのよこれくらい。ファーフちゃんの今日のお仕事は料理の下準備手伝いと、人が少ない時間帯に掃除だからよろしくね」
「はいはーい。時間になったら行きまーす」
その言葉に七瀬はくすくすと笑った後、ぺこりと頭を下げてその場を後にした。
それからしばらくして、ファーフがホットケーキを食べ終わる頃に少し困った顔の店長、周藤柳之助が二人の前に姿を現した。
「すいません。七瀬さん見ませんでしたか?」
「んー。さっき来たし仕事着だったからその辺にいるんじゃない?」
ファーフの言葉に周藤は首を横に振る。
「いえ。いないんですよ……。たぶん買い出しですねぇ。……困ったなぁ……」
頬をぽりぽりと掻きながら周藤はそう呟いた。
「何かあるならお手伝いしましょうか?」
桐山の言葉に周藤は少し考え、そして頷いた。
「ええ。桐山さんなら大丈夫でしょう。新商品の味見をお願い出来ますか? 七瀬さんに味見をしてもらおうと思ったんですがここにいなくて」
「良いですが……七瀬さんに食べさせる為に作った物ならちょっと食べにくいですね」
「ああ大丈夫です。七瀬さんが味見好きなだけで特別な意図はありませんよ。ただ、甘味なので辛い人には辛いかもしれませんが桐山さんは大丈夫な人ですよね?」
「ええ。ついでに言えば隣に甘い物大好きな人もいますし」
目を輝かせるファーフを見て、周藤は微笑んだ。
「ええ。二人で食べてください。すぐ持って来ますね」
そう言ってその場を後にした周藤は、大きめのパフェとスプーンを二つ持って現れた。
「……カップル用商品ですか?」
「いえ。その意図はなかったんですけど……一人では大きすぎますねこのパフェ容器。……そうした方が良いかもしれませんね。デザイン的にもボリューム的にも」
そう言われた周藤は、赤いソースがふんだんにかけられたそれがカップル用パフェにしか見えなくなっていた。
「じゃ、後で味の感想を……」
ファーフがそわそわしている事に気づいた周藤は、そそくさと早足で、まるで忍者かの如く気配を消してその場を後にした。
その直後でファーフは嬉しそうな顔で、桐山の口元にパフェを掬ったスプーンを差し出して来た。
「……後で思いっきり苦いブラックを頼もう」
思ったよりも色々な意味で甘くなりそうな状況に桐山はそう呟き、差し出されたスプーンを口に加えた。
「探偵の飲む朝のコーヒーは苦い……」
ファーフの言葉に桐山は苦笑いを浮かべた。
「その言葉気に入ったの?」
「というよりも、本当に苦いコーヒー飲んでるのが何か面白い」
桐山の持っているコーヒーはさっき食べたパフェに合わせてとびっきり濃くしたブラックコーヒーとなっていた。
ちなみに、好奇心から一口もらったファーフは即座に涙目となりジュースを取りに走った。
「んじゃ、私はお仕事行ってくるね。あなたの今日のお仕事は?」
「ん? 午後にはあれがあるしそれまでには戻って来るよ」
その言葉にファーフは微笑んだ。
「あ、鑑賞会参加出来るんだ。んじゃ私も見よ。一緒に見ようね?」
「うん良いよ」
そう言って桐山は優しく微笑んだ。
「うん。じゃ、行ってきます」
そう言ってファーフは桐山の頬に唇を当てた後、ぱたぱたと手を振って店の裏に走って行った。
「……もう夫婦のはずなんですが……慣れませんねぇ」
桐山は恥ずかしそうに唇を当てられた頬を掻いた。
喫茶店茜雲の経理関係を取り仕切っている上に探偵でもある桐山の日常は割と忙しい。
特に肉体を改造人間にされた事により体力が増し、多少の無茶もこなせるようになった為仕事量も相当増えた。
体力勝負である事が多い探偵業に、桐山の受けたスタミナに偏重を置いた改造は見事なまでに都合が良かった。
誰にも言えない事だが……この改造に置いて桐山が最も助かったと思っている事は探偵業の事ではなくなくむしろ夜の方だった。
一人になった桐山は喫茶店関連の仕事をさくっと終わらせた後、本来の業務を行う為車に乗り移動を開始した。
と言っても今日の仕事はそれほど難しいものではなく、交通時間を除けば二時間以内で終わる見通しの立つほどの軽い仕事である。
とある住宅街で、一月ほど前にストーカーが逮捕された。
そのストーカーの手口は巧妙で、そして被害者の被害意識が薄かった為警察が逮捕した時には被害者の部屋には二十のカメラと四十の盗聴器が仕込まれていた。
そこまで置く必要がないだろうと思うほど置かれた盗撮盗聴の類は、もう怒りを通り越して笑う事しか出来ない。
それは被害者への執着故だろう。
桐山は、これを愛とは決して呼びたくなかった。
このストーカー事件に桐山はかかわっていない。
桐山がかかわる事になったのはその後始末のような話である。
今回の騒動は逮捕された事により確かに終わったのだが、この事件の所為て住民達は『自分の家にも盗聴器があるんじゃないだろうか』という不安に襲われた。
大きな理由は主に二つ。
一つは、狭いアパートに二十のカメラと四十の盗聴器が置かれた事による不安。
そんな沢山を簡単に設置できるならもしかしてうちにも……と思うのは決して間違っていない。
そしてもう一つは、被害者の存在である。
被害者は女性ではなくて、男性だった。
三十歳後半の男性で、一人暮らし。
容姿も何とも形容しがたく、その為彼女はこれまで出来た事がない。
そんなモテない男性だからこそ、盗聴器が山ほど置かれても気づかなかった。
そして被害者がそんな男性だったからこそ、誰でもストーカーされる可能性があると理解し老若男女問わず近隣住民は皆不安になっていた。
彼らは何とか調査したいと思ったても実行に移せなかった。
どこに頼めば良いのか、どの位費用が掛かるのかわからなかったからだ。
あんまり予算はかけたくない。
だけど信頼できるところに頼みたい。
そもそもどこに頼めば良いのか、どの業者が信用出来るのか。
今までこの手の事にかかわっていなかった人達には、わからない事だらけだった。
そんな困った住宅街に住む高校生の子が、喫茶店で親が困っている事を桐山に相談した結果桐山がその近隣全てを調査する事となった。
対費用と他業者の仕事を奪わない為にそれなり以上に高価な料金を請求し、その代わり発見した後等何かトラブルがあった場合は格安、または無料で仕事を請け負うという契約を桐山は提案し、住宅街の皆はそれを了承した。
そんなわけでその住宅街に車で向かい、住宅街の調査を開始する桐山。
一時間ほどかけて近隣の住宅を巡り、目視と機械により盗撮、盗聴を調べていき、七割ほどの依頼された家を探り終えた。
幸か不幸か、その手の類の道具が発見される事はなかった――家の中では。
「……この情熱はもう少し他の場所に傾けたら……」
合わせて百近い盗撮カメラと盗聴器をビニール袋に突っ込んだ桐山は盛大に溜息を吐いた。
家の中にはなかったのだが、代わりに道路には山のようにそれらが設置してあった。
これらは先のストーカーが使っていた物と同系列であり、更にそのほとんどが被害者の通行路に設置している為犯人は逮捕されたストーカーと見て間違いないだろう。
ちなみに桐山がこれを発見しているのは警察が怠慢からではなく、犯人が警察の人海戦術では足りないほど設置しまくっただけだった。
「気に恐ろしきは人の執着なり……って事ですかね」
桐山はその執着故に面倒な事をしている自分に溜息を吐かずにはいられなかった。
そして更に三十分後、調査を依頼した家が後一軒に差し迫った頃には桐山の表情に疲れが見えていた。
それは体力ではなく、精神的な問題からだった。
新たな調査の結果、二件の家から盗撮、盗聴器の類が発見された。
ただしそれを設置したのはその家の持ち主である。
片方の理由は家の中からお金が抜かれたからで、もう片方は浮気の疑いがありだったからだ。
要するに、ただの家庭内のトラブルだ。
契約通り追加で調査した結果、家の金を抜いていたのは隣に住んでいる親戚で、浮気は黒と判明した。
どちらの家も、家中に怒声が響き渡った。
それに加えて道路でじゃんじゃん見つかる盗撮、盗聴器類。
桐山はせめて人前だけでは、溜息を吐きたくなる気持ちを必死に抑えた。
「……さて、ここで最後だ」
時計は午前の十時前を指している。
約束の時間は昼の二時からだからまだまだ余裕があった。
早く終わらせて、出来たら最愛の嫁に癒してもらおう。
そんな事を考えながら、桐山はその家のチャイムを鳴らした。
住宅街には似合わない豪勢で大きな家。
そこから出て来たのは艶めかしい妙齢の女性だった。
「桐山先生。良く来てくださいました」
そう言って女性はぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。美人な上に可愛い娘さんがいるのですから心配な気持ちもわかります。ですのでさっそく調査を開始しましょう。あらかじめここは入って欲しくないという場所があれば教えてください」
「あー。娘の部屋には娘の許可を取ってください。もう私のいう事を聞く歳ではなくて……」
そう申し訳なさそうに呟く婦人に、桐山は微笑んだ。
「どこも同じようなものですよ」
「そうでしょうか。私には……私が未熟だからあの子が私のいう事を聞かないのだと……」
「そんな事ありませんよ」
桐山は知っていた。
この女性の娘が桐山に相談してきた学生で、そしてその理由は未亡人である美人で自慢の母が心配だったからという事を。
自分も可愛らしい高校生であるのに、それよりも母を心配するその子を見るだけで母親が未熟なんてことはなく、立派は母親を出来ている事くらい桐山にも理解出来た。
この家にいるのは二人だけ。
未亡人である加山涼子とその娘の加山志保。
二人だけで暮らすには広すぎるこの巨大な家屋は、亡くなった旦那側が由緒正しき家柄だったからだ。
と言っても、今その縁は亡くなり残ったのはこの家だけだが。
二人だけで暮らすには寂しい場所だが、それでも亡き旦那の思い出が強い為、離れる事が出来ないらしい。
そんな状況だから、母である涼子を心配する志保の気持ちを桐山は痛いほどに理解出来た。
「どうでしょうか……何か出てきましたか?」
不安げな涼子に対し桐山は苦い笑みを見せた。
「まだ初めて十分しか経ってませんから……。と言っても、出て来る可能性は低いでしょうね」
「そうなんですか?」
「ええまあ。と言っても手を抜くつもりはないのでご安心を」
「頼りにしています」
そう言って涼子は妖艶な笑みを見せた。
桐山の予想通り、その家から何かが発見される事はなかった。
強いて言えば蔵から申請のされていない刀が出て来たくらいだが、故人の持ち物で、しかも芸術品扱いで何かを斬った痕跡すらない。
涼子の方から警察に連絡をさせておいたから問題はないだろう。
「……さて、ここで最後ですね」
そう言いながら桐山は『志保』とネームプレートの付いた部屋の前で立ち止まった。
このころには安心したのか涼子はニコニコ顔となって桐山の後ろを付いていた。
「すいませーん。桐山ですが、よろしいでしょうかー」
ノックをしながら声をかけると、がちゃっと戸が開かれた。
「はーい。探偵さん調べてに来てくれたんだね。ありがと。んじゃ後お願いしまーす」
中にいた高校生の志保はそう言葉にした後、桐山の背を追う涼子の背をニコニコ顔で付いて歩いた。
その様子はまるでカルガモ親子のようである。
「……と言っても、盗聴の類は機械に反応がないんで大丈夫ですし……たぶんここも問題がないかと……」
そう言いながら桐山は女の子らしいファンシーな部屋を無表情のまま隅から隅まで調べていった。
タンスの隙間からぬいぐるみ、 パソコンのネットワーク状態からスマホまで。
ありとあらゆる場所を調べていくが、盗撮、盗聴されているような跡は出てこなかった。
「……大丈夫そうですね」
桐山の言葉に志保は微笑み頷いた。
「私の部屋には付けるくらいなら母の部屋に付けるでしょ。私ならそうする。母のそのふしだらな体が夜どんあ事をしているのか余す事なく見つめる」
げへへと女子校生がしてはいけない笑みを浮かべながら志保はそう言葉を発し、涼子は恥ずかしそうに俯いた。
自分がネタに去れたことではなく、娘がそんな下品な事を言った事に対する羞恥である。
「あ、あはは……」
乾いた笑みを浮かべながらも、桐山は部屋の調査を続けた。
「最後に天井の方を調べたいのですがよろしいですか? たぶん埃がどさっと振ってきますが」
「えー。……でも仕方ないね。普段見ない場所だし何か変わった物が出てきたら教えてね」
興味本位満々で志保がそう言葉にすると、涼子が何かに気づいたらしく慌てた様子でその部屋から離れようとした。
「ちょっと待っててください。私脚立持って来ますから」
「ああ大丈夫ですよ」
その言葉に足を止めた涼子は首を傾げた。
「あれ? いりません?」
その後桐山は壁の済に両手の力だけでへばりつき、よじのぼって天井を外した。
それを見た涼子は無言で拍手をした。
「……やもりみたい」
志保がそう呟くのも仕方がないだろう。
「……あー」
桐山は何とも言えない……まるで諦めたような口調でそう呟き、対角線上にある部屋の隅に移動してそちらの天井を外した。
「お? 何? 何が出て来たの?」
志保がわくわくした口調でそう尋ねると、桐山はそっと天井から小さな機械をとり出した。
丸いレンズのついた、小さな機械。
どう見ても盗撮用カメラである。
しかも困った事に、これまで山ほど出て来た、逮捕されたストーカーが使っていた者と全く違う物だった。
「ちょっと下世話な事を聞きますが、他の家族がいらっしゃったり二人の間で何か問題を抱えてたりしませんか?」
桐山の言葉に二人は首を横に振った。
「この家に住んでいるのは私達二人で、私達の間で問題なんて……」
「……時間、間に合わないかもしれませんね」
桐山は我慢出来ず溜息を吐いた。
現在時刻は現在午後一時四十五分。
桐山は法定速度内ギリギリで車を飛ばしていた。
加山親子のかかわる不愉快かつ不思議な事件は何とか解決した。
まるで迷路のような狂った人間関係が表ざたになった頭の悪い事件を、タイムアタックかの如く解決し警察に丸投げしてきた桐山。
目的の場所は当然、喫茶店である。
間に合わないなら諦めるが、間に合いそうなら諦めたくない。
そう思い、桐山は車を走らせるが、ある事に気づいた。
「……これ、俺が走った方が早いのではないだろうか」
そう思い、桐山は近場にある有料駐車場に車を止め、喫茶店に向かって走り出した。
茜雲という看板が見えた桐山は、自動ドアが開くのを待つ時間も惜しいと考え店の裏側から入り、そのままファーフの待つ席に走った。
「ごめんお待たせ! 間に合った!?」
ファーフは笑顔のままグラスに入った麦茶を桐山に差し出した。
「何となく走って帰ってくると思って用意したよ。どうぞ」
「……ありがとう」
冷静になった桐山は麦茶を受け取り、喉に流し込む。
カランと音のなる氷が熱くなっていたからだも冷やしてくれた。
「……時間は……二時五分。少し遅刻ですね」
「ん。でも、今から良いとこだから。それと……皆が見ているからしーっだよ?」
ファーフが自分の口元に人差し指を動かした後、桐山は我に返り周囲を見回す。
従業員も含めて喫茶店は満員の状態となっており、立ったままの人すらいるほど店は混雑している。
全員が、喫茶店で鑑賞会をする為に集まった人である。
そして、その全ての人が桐山の方を微笑ましい目で見ていた。
「……騒がしくして申し訳ありません……」
桐山は静かに、ファーフの隣に座った。
そんな桐山を生暖かい視線で見た後、皆はテレビの方に視線を戻す。
桐山も皆と同じように、テレビに目を向けた。
そこに映っていたのは、この喫茶店の本体であり皆の恩人でもあるARバレット。
その怪人クアンの姿だった。
ありがとうございました。




