息を止めた瞬間
「先日は申し訳ございませんでした……」
スーツ姿の青年は菓子折りの入った紙袋をクアンに手渡した後、深々と頭を下げる。
「は、はぁ……」
一体何事でどうしてこんな事になっているのかわからずクアンは混乱した。
ちらっと紙袋の中を覗くと、一本一樋口さんはするであろう老舗の高級羊羹が二本入っている。
正直ここまで良い物を貰うというのは、例えこちらが悪かったとしてもなんとなくバツが悪い気がした――。
「あ、遅れました。強装甲ダーツの中の人、赤羽牙こと本名赤羽越朗と申します。適当に赤羽とでも呼んでください」
「あはい……」
「今回は本当にご迷惑おかけしました。しかも聞くところによると貴方にとっては初めての現場経験だったようで……。そんな状況なのにぐちゃぐちゃにしてしまい――」
ぺこぺこと何度も頭を下げながら今にも泣きそうな顔をしている赤羽。
そんな彼を見ると、先日の狼男と彼が同一人物だとはとても思えなくなってくる。
確かに顔を見た時、一瞬だけではるがあの時の恐怖が蘇った。
暴力の化身とも思えるような、ただただ恐ろしい最凶のケダモノ。
だが、オロオロとして申し訳なさそうにする今の赤羽は気弱な青年にしか見えず、クアンの中にあった恐怖は一切合切消え去った。
むしろこの小動物のような怯えた男性をどう慰めたら良いのか、その方がクアンにとっては頭の痛い案件だった。
「んー。そろそろかな」
テイルは灰汁を丁寧に何度も繰り返し掬い睨むように鍋を見た。
大きな寸胴鍋に入った大量の野菜と肉から出た灰汁を出来る限り極限まで掬うテイルは鬼気迫る様子であり、見る者全てを呆れさせるほどには真剣だった。
テイルは満足そうに頷くと鍋の蓋を閉じてから弱火で煮込みはじめ、エプロンを外してゆったりとした足取りで外に向かった。
来客の要件はわかりきっている。
間違いなく、先日の謝罪だ。
ライカンスロープという稀有でかつ最高クラスの悪役的特徴を持ってしまった……にもかかわらず正義の味方に憧れを抱く赤羽。
彼は多くの人からサポートを受け、特注の制御スーツ兼ヒーロースーツを手に入れ、強装甲ダーツとしてヒーローになることが出来た。
だが、スーツの性能は赤羽の野生を抑えるにはまだまだ足りず、制御面に重点を置きすぎて耐久面もまだ十分とは言えない状態の為、赤羽は望んだ理想のヒーローになれていない。
赤羽はしょっちゅう暴走してライカンスロープ状態となって破壊の限りを尽くし、その後は必ずこうして悪の組織陣営に謝罪の為に足を運ぶ。
テイルの元に来たのも今回で既に四度目だった。
赤羽の理想は爽やかでかつ活人系のヒーローである。
だからこそ、テイルは赤羽に同情していた。
罪を憎んで人を憎まずという暴力を否定するスタイルを目指す彼が、誰よりも強力な暴力を内蔵しそれを周囲に発揮している現状は不幸としか言いようがないからだ。
しかも赤羽にとって致命的なのは、暴走した時の方が視聴率も、評価も高いのだ。
故に、付いた異名は【凶津牙】
その狂暴性は野生の獣の如くであり、それでいて獣ではとうていでき得ない圧倒的な暴力を見せつけ町を紙細工のように破壊しつくす。
巨大怪獣が来た時でもここまで壊さないという位には、彼は町を更地に出来てしまう。
そんな赤羽はBクラスヒーローでは本来あり得ない異名、二つ名を授かった。
ただ、本人はその二つ名を嫌がっている為テイルはその名前を口にすることはない。
どうせ時間がかかるだろうと考えていたテイルは調理を区切りの良いところまで済ましてから二人の元にゆっくりと向かった。
クアンには悪いが、多少は時間をつぶしてからでないと赤羽の謝罪終わらず、むしろテイルが参加するした瞬間に罪悪感が刺激されるらしく悪化していく。
最悪、店前で土下座でもされようものなら――喫茶店に性質の悪い悪評が付いてしまう。
それはお互い望むところでない為、テイルはクアンに先行され時間を消費したのだ。
――さて、どうやって謝罪を受け取って話を終わらせようか。
そんな事を考えながら喫茶店に到着したテイルが目撃したのは、驚くべき光景だった。
喫茶店の中に入り談笑する黒い髪の青年と青い髪の女性によるカップル。
それは紛れもなく赤羽とクアンだった。
ショートケーキと紅茶を楽しみながらクアンと談笑する赤羽。
それはテイルにとって信じられない光景に値した。
『お世話になるのも悪いですし、謝罪にきて食事をご馳走になるなんて申し訳が――』
過去に赤羽はそう言って、喫茶店の中に入った事は一度もなかった。
テイルはもう一度、厨房の裏からそっと一組のテーブルを確認する。
それは確かに、赤羽とクアンだった。
別にショートケーキを頼んだ事に文句を言うつもりもなければ、クアンとカップルっぽくなってる事にも一切の文句はない。
ただ単純に、テイルは驚いていた。
石よりも頑固な赤羽が素直に店についてきて、しかも言われるままに注文して、楽しそうにおしゃべりをしているという現実に、ただ驚愕を受けているだけだった。
これはクアンがうまーく誘導して赤羽をコントロールした――などと考えるほどテイルは親馬鹿ではなくクアンの能力を過信していない。
クアンは戦闘能力こそあれど人生経験に至っては未だ一月も経っていない。
そんな上手に人をコントロールできるような能力あるわけがなかった。
クアンの人心掌握能力ではなく、単純にクアンその者が原因なのだろう。
つまり赤羽は――。
そんな事実に気づいたテイルは、からかいがいのある玩具を見つけたようなにたっとした厭らしい笑顔を浮かべた。
「すまんな遅くなって。この空気だと謝罪の時間は終わったようだな」
テイルは裏から現れた後片手をあげて挨拶し、二人とは違う隣のテーブルの椅子に腰を下ろした。
そんなテイルが現れた瞬間赤羽は立ち上がり深く頭を下げようとして――テイルは手の平を赤羽に向けて赤羽の動きを静止した。
「やめようか。謝罪はクアンが十分受けただろうし、クアンが納得したなら俺がとやかく言う事はない。クアンは謝罪を受け入れたのだろう?」
その言葉にクアンはしっかりと首を縦に動かした。
「ならば問題ない。だからもう謝罪せず今回の事は気にするな」
そんなテイルの言葉を聞いた後赤羽は椅子に座り直し、小さくぼそっと呟いた。
「そっか……クアンさんって名前なんですね」
そう呟いた後赤羽はクアンの方に優しい瞳を向けた。
「あれ、名乗ってませんでしたか。すいません」
そう言って微笑み返すクアンに赤羽は少しだけ頬を赤らめ微笑み返す。
――確定か。
テイルはニヤリとした笑みを浮かべ赤羽の方を見た。
「いやー。にしても越朗君。どうしたんだね今日は。いつもは店の中に入らず店先で子犬のようなせつない目をしていたというのに。いや今もある意味子犬のような目ではあるな。じゃれてる子犬のような目だがな。どんな心境の変化があったのかなー」
そんなニヤついたテイルの言葉にクアンは首を傾げ、赤羽は頬を赤らめながらあたふたしながら必死に弁明を始めた。
「いえ違うんですよ! その……そう! 店の前だと他のお客様の邪魔になる事に気が付きまして」
「そうかそうか。そして今までは一度たりとも頼まなかったのにケーキセットを頼んでくれてありがとう。美味しいかい?」
「……美味しいですはい。ごめんなさい」
俯いてそう呟く赤羽に、テイルは邪悪な笑みを浮かべた。
「いや謝罪は良いし責めるつもりは微塵もない。美味しく食べてくれたら十分だ。ただどうしてそんな事になったのかなーと思ってねー」
チラチラとクアンを見ながらのテイルに赤羽は赤面しつつ首を横に振った。
「いえ別にクアンさんの事がどうかとかそういう事では――」
「俺は別にクアンの事など一言も言っていないのだが。んー?」
テイルの言葉に赤羽は再度顔を下に向けた。
いじめられた子犬のような表情とは違い、今は真っ赤になっている。
例え下を向いて隠していても、わかりやすすぎてテイルは見ているかのように読み取れた。
「くくっ。君がわかりやすい男で良かったよ」
テイルの言葉を聞いてか赤羽は羞恥からかぷるぷると小刻みに震えだした。
その様子はまるで携帯のマナーモードである。
「はー。ハカセと赤羽さんってなんだか仲良いですね。お互い敵なのに」
クアンはそう呟き、軽く微笑みつつ二人を見ていた。
「ん? いいや越朗君とこんなに話したのは初めてだぞ。今まではぺこぺこと何度も謝罪だけして帰ってたもんなぁ」
「そうですね。俺もDr.テイルがこんな性格だったなんて初めて知りましたよ……」
「まあそんなもんだ。ただなクアン。正義と悪がみんな仲違いしているわけではないぞ? むしろ仲が良いかは正義か悪よりもスタンスに依存する」
テイルの言葉にクアンは首を傾げる。
「スタンス? 陣営ですか?」
「陣営の立ち位置だな。例えばダーツ一派、越朗君の陣営はダーツをヒーローとして活躍させ子供の人気者にするのが目標だ。その中には悪の組織の壊滅が含まれていない」
「そうですね。罪を憎んで人を憎まず。そういうヒーローになれたらなとずっと思っています」
そんな二人の言葉を聞き、クアンはぽんと手を叩いた。
「あー。だから私達ともそこまでもめないで済むんですね」
テイルは頷いて見せた。
「うむ。最悪なのは『悪の組織にかかわった者を皆殺し』にするようなスタンスの場合だ。宗教系だと偶にある。どっちがヒールかわからないような事になるぞ」
テイルの言葉に赤羽はははと乾いた笑いを見せた。
「そうですね。正義の陣営にも『他の正義は偽者で我が陣営だけが本当の正義』というスタンスの陣営もいますからね」
赤羽の言葉にクアンは信じられない物を見るような表情を浮かべた。
「だからー。仲良くなっても問題ないよ越朗君」
テイルは酷く良い笑顔で赤羽の肩を叩きながらそう言い放った。
「な、何の話ですか一体」
「ん? 言って良いのかね?」
「……すいません勘弁してください」
そう切り返して慌てる赤羽と、ソレを邪悪な笑みで楽しそうに見るテイル。
そしてそんな二人を微笑ましい目で見ながら、クアンは紅茶を口に運んだ。
「おや? クアンはお茶だけか?」
テイルの言葉にクアンは頬を赤らめ困惑した表情を浮かべた。
「実は――どれにするか悩みすぎて決められなかったんですね。はは」
そう言いながら照れ隠しにお茶を飲むクアンにテイルは優しく微笑み、邪悪な笑みを赤羽に向けた。
「ちなみに越朗君! ウチのプリンはかなり人気でね。数あるケーキを差し置いて女性客の評価ナンバーワンに輝いているのだよ」
その言葉を聞いた瞬間、赤羽は手を挙げてウェイターの足を止めた。
「すいません。プリン一つ下さい。あ、ここの会計は全部自分が持ちます。お詫びに来てるのに奢って貰うわけにはいきませんし」
赤羽の言葉に「えっ。えっ?」と慌てるクアン。
それを見てテイルは微笑んだ。
「ああ。そうだな。クアンの分も支払いを頼むよ」
――男の見得を潰すほど俺は器量狭くないさ。
そんな事を思いながらテイルは必死に笑うを堪えた。
まるで事前に準備されたかのような速度で用意されたプリンを、赤羽はそっとクアンの方に差し出した。
「そんな……悪いですよ」
慌てるクアンに赤羽は微笑を浮かべた。
「大丈夫です。俺、これでもそれなりに稼いでいるので」
「……ま、実際に越朗君は稼げているよね。階級がBのヒーローとは思えない額をな」
そんなテイルの言葉に赤羽は頷いた後苦笑いを浮かべ、ばさっと大量の書類をテーブルに置いて見せた。
「……これは?」
クアンの質問に赤羽は忌々しそうに苦々しい表情で答えた。
「俺へのスカウトです。ただし、全て悪の組織側のですけど」
赤羽は、盛大に溜息を吐いた。
「はー。大人気なんですねぇ」
クアンの呟きにテイルは頷いた。
「ああ。今度教えるが階級という物があってだな。正義と悪の両陣営で階級分けがされているが査定方法は全く異なる。そしてどうしてこんなにスカウトが来るのかと言うとな、現在評価B階級のダーツだがもし悪の陣営側として評価したならば、即座にAプラス階級……場合によってはその上に分類される」
評価の差は単純で、暴走状態を評価するかしないかである。
「――俺はそんな物望んでないんですけどね」
赤羽は吐き捨てるように呟いた。
そんな赤羽の姿が、クアンには泣いているように見えて……気づいたらクアンは赤羽の手を両手で強く握っていた。
唖然としつつも、真っ赤になりオタオタする赤羽に対し、クアンは優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。諦めなければいつか……貴方のなりたい貴方になれますよ」
赤羽はクアンにじっと見つめられ――息を止めた。
テイルは見て居られなくなりそっと二人から目を反らして後ろを向く。
――我が娘ながら何ともまあ……全く。
そう小さく呟き苦笑を浮かべる。
男が恋に落ちる瞬間など見たくないテイルは溜息を吐きながら天井を見上げた。
「それでは……失礼しますね」
まるで夢の中にいるかのようにぽやっとした様子のまま、赤羽は喫茶店を立ち去ろうとする。
それをテイルは引き留め、赤羽に向かって内緒話のように小声で話しかける。
「……………」
それを聞いた赤羽は赤面したりうろたえたりしながらも、真剣な表情で頷きその場を立ち去った。
「ハカセ。赤羽さんに何を言ったんです?」
ニコニコして赤羽に手を振りながらクアンはそう尋ねた。
「んー。『自分を完全に制御出来ないと認めてやらん』って言った」
「はぁー。苦労してるって知ってるのにハカセは厳しいですねぇ。ライバル的なアレですか?」
言葉の意味を勘違いして受け取ったクアンはそう言って微笑み、テイルはソレに苦笑いを浮かべる。
――越朗君。先は長そうだががんばってくれ。俺は応援してるぞ。
怪人が幸せならそれで良いと考えるテイルはそんな事を考えながら、空を見上げる。
夕焼けの空は妙に眩しくて……少しだけ静寂としていた。
ありがとうございました。