痛み
今まで、私は好き放題好き勝手をして生きて来た。
自由で、気まぐれで、それが私にとっては当たり前の事で……当然だと思っていた。
だから知らなかった……傷つくとこんなに痛いなんて……私は知らなかった。
血が湧き上がるように溢れ、服が汚れ息が苦しくなってくる
私はこんなに痛いなんて……苦しいなんて知らなかったんだ。
視界がぼやけてきて前が見えなくなる。
それでも、私はゆっくりでも足を動かすしかなかった。
止まってしまうと、全てが終わってしまうからだ。
血は止まらない……止まるわけがなかった。
穴が開いているんだから止まるわけがなかった。
こんなの知りたくなかった……一生知らないで行きたかった。
こんな痛みを知ってしまったら……自由で、気まぐれで、そんな風に生きる事など出来るわけがないじゃない!
私は今まで、幸運な事に知らなかったんだ……。
大切な人が傷つく事が、どれほど苦しくて、痛くて、恐ろしいかを……。
真夜中一時という時間、唐突に鳴り響く玄関チャイムの音と叫び声でユキヒは目を覚ました。
寝ぼけていた脳は一瞬で覚醒する。
夜中に人が来る。
それは符李蛇鵡にとってはあり得ないほどの緊急事態だからだ。
符李蛇鵡は子供達の逃げ場という側面もある為その防犯は恐ろしいほどに徹底していた。
赤外線センサーや重力センサーなどだけでなく、警備会社によるリアル監視。
そんな銀行に匹敵するほど状態にもかかわらず、玄関まで一切の防犯装置を稼働させずに人が来る。
それはあり得ない事であり、今までそんな事一度たりともなかった。
ただ……聞こえてくる叫び声は怒声などと違い、女性の金切り声で悲鳴に近い。
場合によってはサバンナ太郎が緊急避難として符李蛇鵡に人を招きこんだ可能性も残っていた。
明らかに異常事態だが、叫び声は救助を求めている。
どうすべきか必死に考えた末、ユキヒはその辺りに転がっていた野球用の帽子とバットを手に持ち、とりあえずその場に向かう事を選択した。
恐れを隠し、何かあれば自分がここの人達を守ると決め――決死の覚悟で玄関を開けたユキヒの前に見えたのは、土下座する女性の姿だった。
「お願いします。助けてください。大切な人が今にも死んじゃいそうなの……」
頭に猫の耳を生やした女性が、一切頭を上げず震えながらそう言葉にしている。
そして、その背後にはおびただしい量の血を流す男性の姿があった。
「――!? わ、わかった。すぐ救急車呼ぶから待ってて! 他に誰か呼んで欲しい人いる!?」
そう言いながらユキヒは携帯でサバンナ太郎に連絡を入れ、同時に符李蛇鵡備え付けの電話から救急車に連絡を入れる。
救急車の手配とサバンナ太郎に事情を話した後、ユキヒは倒れている男性に応急処理を始めた。
「そこの人聞いてる! 他に呼んで欲しい人はいるか!?」
ユキヒの怒声にファーフはびくっと反応し、そして考え答えた。
「テイルとユキ! あの人達なら助けて……」
「――そっちの関係者か。わかった。すぐ連絡する」
ユキヒは携帯の履歴一番上にある姉に電話を入れた。
「謝って済む問題ではないが……すまない。巻き込んでしまった」
そんなテイルの言葉に、手術を無事終え眠っている桐山を見ながらファーフは首を横に振った。
「ううん。仕事を引き受けたのはこの人だよ。それに……私が依頼人の所為したらこの人が起きた時怒られちゃう。……でもね……とても怖かった」
ファーフは手を震わせながら擦れた声でそう呟いた。
「本当に怖かった……。血がだくだく出て……もう起きないんじゃないかと……。ううん。今でも怖いの。お医者さんは大丈夫だって言ってくれたけど……もしかしたらもう眼が覚めないかもって思っちゃって……」
麻酔の影響で眠っていると聞かされても、あれから一度も起きていない桐山を見るとやはりファーフはそう考えてしまっていた。
「……すまん」
「謝らないで。この人が選んだ道だから」
その言葉にテイルは唇を噛み、そして申し訳なさそうに尋ねる。
「……思い出させて悪いが、何があったか聞いて良いか?」
「……ごめんね。私も良くわからないの。電話で呼ばれただけだから……」
そう言った後、ファーフは自分の経験した事をぽつり、ぽつりとに話しだした。
桐山からいくつかの道具を用意してすぐに来てほしいと電話で言われ、ファーフが首を傾げながら移動した先には血を流していた桐山の姿があった。
それに驚き怯えるファーフに対し桐山は優しく笑い、ファーフの持って来た道具を使って出血を中心に最低限の応急処置を自分に施した。
ただ、桐山が思ったよりも痛みと出血のダメージが大きかったらしく、応急処置半ばで桐山は意識を失い倒れてしまう。
それを見てパニックになったファーフは、抱きかかえてテイルの匂いが残っている一番近場の施設、符李蛇鵡に向かい助けを求めた。
それを聞いたテイルは、間違いなく自分の出した依頼、エイレーン絡みであると確信した。
刃物による裂傷と人体断裂程度ならただ犯罪に巻き込まれたや恨みを買った可能性もあるが、銃創が体に残されているのだ。
それが普通の事態ではなく、強烈な厄介ごとである事は間違いなかった。
何といえば良いかわからず無言となっていたテイルとファーフ。
そんな時、ノックの音が響き白衣を羽織ったユキが部屋に入って来た。
「ただいま。テイル、はいこれ資料。左足首の外側靭帯……ああいや。大きな刃物による数か所の切り傷と胴体含む銃の貫通した後。普通なら手遅れだったけど、応急処置が素晴らしかったのとファーフちゃんが頑張ってくれたから後遺症も残らないわ。……良く頑張ったわね」
そう言いながらユキはファーフの頭を撫でる。
ファームは涙ぐむが、無言で反応しないようにして桐山の方をじっと見つめていた。
彼が起きた時、真っ先に彼の目に映る為に。
「ユキもありがとうな。すまんな本職でもないのに医者の手伝いさせて」
その言葉にユキは微笑む。
「良いのよ。その判断は正解だから」
最初こそ、医者達は素人が混じる事に抵抗があったものの、ユキの手際とその知識量を見れば文句の声はあっという間に小さくなり、最終的にユキは手術執刀医のサポートを任せられるほどとなっていた。
ちなみに、さっきまで術後の経過と薬についての相談という建前で、多くの医者達がユキの知識を吸収しようと質問責めにしていたところだった。
その扱いはまるで某漫画の天才無免許医のようで、貪欲な者達に餌を求める鯉の如く群がられていたユキだが、その扱いは決して嫌なものではなかった。
昔みたいに自分を利用しようとする奴らと違い、医術の発展の為、多くの人を救う為にその知識を貪欲なまでに吸収しようとする彼らに教えるのを、ユキはむしろ楽しくさえ感じていた。
「……私、暇になったら教師になろうかした」
そんな冗談事をぽつりと『自分こそ至高凡人は死ね』というスタンスだったユキが呟いたのを聞き、驚愕の余り目をビー玉のように丸くさせた。
「……おはよ」
ぽつりと、ファーフがそう呟いたのを聞きテイルとユキは桐山の方を慌てて見た。
桐山の目はかすかだが確かに開いており、ファーフに向かって微笑を浮かべている。
「……邪魔しないように立ち去るか」
桐山の手を握りぽろぽろ泣くファーフを横目にテイルはそう呟き、それにユキも同意しそっと病室を抜け出した。
「……どう償えば良いだろうなぁ」
病室の外でそう呟くテイルに、ユキは何もいう事が出来なかった。
ありがとうございました。




