子供の未来を考える、かっこ悪い大人二人
「ママ―。あそこに怪しい人がいるよー」
そう言いながら小さな女の子は、街中で白衣を着たテイルとその背後にいる何時もの外出用不審者スタイルとなったファントムを指差した。
「ふふ。そうね。怪しい人ね」
母親はそう言いながら子供に微笑んだ後、テイルに軽く笑顔で会釈をし去っていった。
「……ハカセ。知り合いでした?」
そんなファントムの言葉にテイルは首を横に振る。
ヒーロースーツを着た存在や全身黒タイツが平然と街を歩いている為、ボロ布に身を包んだ不審者スタイルのファントムですら、子供達からちょっと変と言われるくらいで済んでいる。
街によっては戦闘時の姿を一切禁止している場所もあるがここではそんな事なく、むしろヒーローは積極的にサイン攻めに会い、悪の組織は積極的に怯えた演技をしてもらえるという非常にノリの良い人達の街だった。
「にしてもすまんな。わざわざ買い物を、しかもこんな遠方まで付き合わせて」
「いえいえ。ハカセとの買い物ならいつでも喜んで」
「全く。出来た息子だよ」
その言葉に顔を隠したファントムからぱーっと何やら明るい雰囲気が流れる。
顔は見えないが、間違いなく邪気のない子犬のような表情をしているだろう。
「まあ、普段は遠慮するのですが……今日はお一人ですと聞いたので。……ユキさんはどうしたんです?」
「ああ。勉強だよ。エイレーンの」
「なるほど」
ファントムは最近良く見る光景を思い出し、一人納得した。
最近ユキはエイレーンの勉強を見るのに忙しい。
その理由は、エイレーンの夢を現実にする為である。
当然の事だが、学校に行くためには最低限の知識が必要だ。
それは常識という意味でもそうなのだが、それ以外でもある程度の学力も必要という意味でもある。
エイレーンの学んだ知識は人体実験施設にいた時、生きていた時の姉との勉強会と、適当に転がっていた実験時に使う資料の本。
それと実験体が幼い場合エサとして使う為の絵本から学んだもののみだった。
その為、エイレーンの知識には異常なほどの偏りがある。
言葉は多少ぎこちないが流暢で語彙も多く、文章を読み取る力は大学レベルをはるかに超えている。
半面、文章を書く力は小学校低学年程度だった。
生物や化学といった分野は大学レベルを超えるほど強いのに比べて、その根本となる数学は壊滅的で算数すら出来ていない。
演算用の高度な科学式は理解出来るのに、二桁の掛け算で躓くという非常に珍しい現象が起きていた。
最大の問題は常識で、あまりにも普通の人と常識に齟齬があり、子供達の集団に向かわせるわけにはいかなかった。
最悪の人格形成時に姉という理解者で同士がいて、その上でエイレーンは根が善良であるからこそ今は良い子となっている。
もしそれがなけれな、エイレーンはきっと己が欲望の為にテロリストかマフィアになっていただろう。
それくらいは酷かった。
具体的に言えば……。
『食べ物を他人から取ると他人が苦しむから駄目。だから自分の体を売って譲ってもらおう。ほら? お互いの条件が噛み合うでしょ?』
『悪い事をしたらいけないのはそう書かれているから。だから悪い事をするときはその刑法にひっかかる覚悟を持たないとね』
と、良心を持っているのに他人に良心に対してはないものとして考え、同時に人に対しては働く罪悪感が集団に対しては働ないていない。
これがまだ、エイレーンの行きたい学校が何でも良いというのなら何とかなっただろう。
性根を鍛える事も内包した正義の味方養成所など、エイレーンの事情を判断してくれるであろう学校はいくらでも探せば出て来る。
何なら外国の、同様の事情を抱えた学校に送っても良い。
だが、エイレーンはこの国の、普通の学校に通いたいとはっきり言葉にした。
わがままなのはわかっているけど、普通の学生になって、普通に学校生活を送りたい。
それがエイレーンの復讐を除いた今の全てだった。
そう言われると、ARバレットとしては全力で支援せざるを得ない。
だからこそ、ユキはエイレーンに勉強を教える事と決めた――超絶スパルタに。
エイレーンが足りていない部分は異常なほど多い。
そしてユキは基本的に完璧主義者で、他者の出来るラインと出来ないラインの見極めを本当の意味でギリギリでしか見れない。
故に、その勉強会は地獄という言葉すら生ぬるいほどの惨劇と化し、先生ユキと生徒エイレーン、ついでに一緒に勉強をしたいから参加したエイレーン逃走防止要因の生徒クアンの三人は最近いつも一緒に行動するようになっていた。
「それでハカセ。一体何を買いに来たんです?」
「え? エイレーンに壊された部屋の修理用品」
「ああ……そう言えばまだ修理終わってませんでしたね」
「うむ。ユキのおかげで最低限稼働はしている為緊急時に何とかなるが……やはり最低限ではなくきっちりと修理しておきたいからな」
「そう言えば、培養カプセルも壊れたって聞きましたがそれはどうやって修理したんです? 流石に放置って事はないと思いますが……」
「ああ、液体培養式に変更したりと低コストの応急処置を施したが、一番凄まじかったのはあれだな。カプセル自体はユキがアルミホイルで補強した」
「えぇ……。……それで動くんです?」
「完璧に動いた。流石に空気式培養は無理でも液体培養だと全然問題なく動いた。何かめちゃくちゃ高い装置を買ってがんばっていたのが馬鹿みたいな気持ちになった瞬間だった。応急処置だけでうん億かかるのをユキはアルミホイル百円分で終えたからな。ちなみに今日はその液体培養から空気培養に戻す為の材料を買いに来た……ホームセンターに」
「ホームセンターに……」
「天才って……発想が斜め上だよな……」
「ですね……」
ARバレットの基地総額と変わらないくらい高価な培養カプセルとその周囲を、ホームセンターとキッチン用品で修理していくユキの姿は頼もしくもあるが、同時に天才とは理解出来ない存在であるという事を直にに示していた。
「ちなみに報酬は映画館に連れていく事だった。なにもかもが安上がりでありがたくはあるが申し訳がないな。もっと高価な物要求してくれたら良いのに」
そう言って苦笑いを浮かべるテイルに、ファントムは盛大なまでに、露骨に大きな溜息を吐いた。
「はーあ。僕ハカセの事尊敬していますけど、そういう時のハカセは本当に阿呆だと思っています」
「まじか! また俺何か知らず知らずの内にやらかしてたか……」
「はい。とりあえずその映画館に行く約束は、絶対他の人呼ばないようにしてくださいね」
「お、おう。良くわからないがわかった」
テイルはクアンを誘う予定だった事を黙ったままファントムの言葉に頷いた。
ホームセンターに行ったあと機械類のジャンクショップに向かい、最後に足りない部品を正規の店で買いそろえた後二人は基地に戻りユキしか出来ない修理を除いて二人で修理を始めた。
機械をばらして壊れた部品を確認して取り換え、一旦作動させて問題なければケーブルに繋いでいく。
それらを繰り返し、応急修理状態から徐々に以前の形に近づけていく。
そして修理が一区切りついた後、テイルは怪人達の体調データをチェック調べていく。
リアルタイムでリンクしたデータは本人以上に本人の状態を詳しく示していた。
まず、ここにいない怪人含めて家族八人全員をじっくりと調べて問題個所を洗いだしていく。
問題がない事はありえない。
人の体と類似する存在であるからこそ、ちょっとした異変、ちょっとしたトラブルは体の中で常に置き続けているからだ。
具体的に言えば、怪人第二号は常に胃が悪く、第七号は寝不足になりがちなど……こういった大した事のない問題もチェックにひっかかるからだ。
その為、完璧な健常体である状態と比べ……その体調異常が放置出来る問題かどうかを調べるのがテイルのやり方である。
流石に基地内で生活しているならともかく、寝不足や栄養不足をいちいち指摘するほどテイルも口煩くするつもりはなかった。
よほど悪化した場合を除いてだが。
「……雅人は幸せそうにしてるな」
「そうなんですか?」
「ほれ。比べてみ」
そう言いながらテイルは今の雅人のデータと数か月前、結婚する前のデータを比べさせた。
どっちも問題ないのだが、幸福を感じる指数のデータが一割ほど安定して上昇し不幸指数は三割も軽減している。
時々不安からか不幸指数が上昇しているが、それは誤差と呼んで良い程度だった。
「あー。凄いですね。やっぱり結婚って良い物ですよねぇ」
そう言いながらファントムはテイルの方をチラチラ見ると、テイルはニヤニヤと笑い出した。
「お? お前も良い相手がいるのか? いるなら紹介してくれよ」
ファントムは再度溜息を吐いた。
八人全員放置して問題が起きるほどのトラブルがない事を確認したテイルは、最後にエイレーンのデータを調べだした。
「んー。女性の事だしユキに任せたいんだが……まだこの辺りの細かな調整は俺の方が得意だからなぁ。と言っても、そのうち抜かされそうだけどなー」
「ユキさんのその辺りの……怪人についての知識とか技術ってどんな感じなんです? 機械関連が天才なのは身を持って知っていますが」
「あーそうだな。かなり早い速度で成長しているから……遅くても二年以内には俺に匹敵するか追い越すだろう」
「遅くても……ですか」
「ああ。遅くてもだ」
テイルは苦笑いを浮かべながら頷いた。
現在は趣味と実益も兼ねたデータ収集……という名目での特撮鑑賞をテイルとユキは行っている。
ただ動画を見ているだけでもあるのだが、実際に稼働する他者製の怪人を見るというのはデータ収集と言う意味では非常に効率的である。
と言っても、怪人が出てこない作品の方が見ている頻度多いが……。
それに加えてユキは毎日の調整の手伝いをし、更にテイルから直接指導を受けている為その吸収速度はテイルが驚くほどに早い。
最近では、今ファントムが持っている道具のような怪人の能力と連動し最大限に発揮できる、そんなオリジナル武具をユキは模索していた。
「あー。ハカセ。エイレーンさんのストレス指数、やけに高くないですか? 不幸指数は増えてないですけど……」
「ああ。勉強が上手くいっていないらしく七転八倒する勢いで苦しんでるんだろう」
そう呟いてテイルは苦笑した。
「なるほど。……でも、止めてとは言えませんねぇ」
「言えないねぇ。本人がどうしてもってやる気になってるとこだし。応援する事くらいしか出来ないな」
「……何かしてあげられる事ありませんかねぇ」
それは、家族以外には大した関心を示さないファントムにしては珍しい他人への関心だった。
「ふむ。とりあえず疲れを癒す為にも夕飯を豪勢にしようって思っていたが……そういう事なら手伝ってくれるか?」
「ええ是非。特に今、クアンもユキさんも忙しいですしね。大した事は出来ませんが僕でよければ」
そう言って微笑みファントムにテイルは微笑み返した。
ちなみに、テイルとファントムの関係はごく一部の従業員、戦闘員あたりの女性の方々から、絶大なまでに人気を誇っていた――掛け算的な意味で。
翌日、テイルはとある人物と会う為、ファミレスでホットケーキを食べながら待機をしていた。
ホットケーキを食べている理由は特になく、強いていえば待ち合わせに来たファミレス内でメープルの香りが強く充満していたからである。
溶けたバターに絡むメープルシロップの味に舌鼓を打ち、待っている事すら忘れて楽しんでいる時に、その目的の人物は訪れた。
「おっすおっす。待たせた……って事はなさそうだな」
軽薄そうな態度で、胸元に『虚乳万歳』と書かれた変なジャージを身にまとった男が現れた。
「おう。……今日もまたすこぶる変な服装で来たな」
ホットケーキを食べながらテイルがそう言うと、男は首を傾げた。
「そうか? このくらい普通だろ?」
「普通という文字を一旦辞書で聞いてくれ」
そうテイルが苦笑すると、男もまたつられたように笑った。
男の名前はサバンナ太郎。
ユキの妹であるユキヒを預かっている悪の組織、符李蛇鵡の代表である。
「すいませーん。ホット一つ。後オススメのデザートも」
サバンナ太郎は手を挙げてウェイトレスにそう声をかけ、テイルの方をじっと見つめた。
「それでテイル。組織トップとしての俺に会いたいって事は、何かあったのか? ……もしかしてユキヒちゃんの事かい?」
サバンナ太郎がそう尋ね、テイルは首を横に振った。
「いや違うぞ。……何かあったのか?」
「いやいや。あの子も姉といたいだろうしこんなおっさんと一緒にい続けるのも嫌だろうと思ってね。んでそっち(ARバレット)に移籍したいって話していたのかなと」
「いや。あの子とはあれから一度も会っていないし不満があるような事をユキからも聞いていないぞ」
「そか。んじゃテイル。俺に用事って何だい?」
「ああ……実はな、もう少ししたら預かってほしい子がいるんだ」
その言葉に、サバンナ太郎の目は鋭くなった。
「うちに来るほどの子か?」
符李蛇鵡は家族から逃げたい者、社会に適合出来ず苦しむ者が集まる最後の逃げ場という機能を持っている。
逆に言えば、符李蛇鵡で預かっている子は身内から離れて暮らさなければならないほどやむを得ない事情を持った子しかいない。
その為、入れるのはよほどの事情持ちのみである。
「ああ。子供の苦しみを強い弱いで判断したくないが、事態の重さだけで言えばおそらくそっちにいる誰よりもきつい過去を持った子だ」
「……クアンちゃんじゃないよね?」
「うちの子は独立するまで俺が育てるしそんな不幸な気持ちにはさせん」
「だよな。んで、それは誰だい?」
サバンナ太郎の当然の質問に、テイルは答えず難しい表情を見せた。
「すまん。色々とマズくてどこから話がもれるかわからんからまだ言えない。ただ、少なくとも一年以内にはそっちに送りたいと思ってる」
「んー。事情を言えるだけ教えてくれ。預かる身としての判断材料が欲しい」
「学校に今まで一度も行った事がない子がな、普通の学校に行きたいんだってさ」
「――ああもう十分だ。それだけで俺が動くべき子供だってわかったわ」
「すまん。助かる」
テイルが深く頭を下げるとサバンナ太郎は苦笑いを浮かべた。
「おいおい俺達悪の組織だろう。やりたい事やってるだけなんだから気にすんな」
「……んじゃ、とりあえずここは俺が奢ろう。俺がやりたいからな」
「おっ。助かるわ。小遣い少なくてな俺」
そう言ってサバンナ太郎はケラケラ笑った。
話せる最低限の事情を話し、どこのどういった学校に行かせるべきか、どこに済ませるべきかなどの相談をしながら食事を楽しみ、二人共食べ終わってそろそろ解散しようと時に、女の子が走って来た。
青白く綺麗な髪をして、ユキによく似た容姿。
ただしユキよりもはるかに背やスタイルは良く、きりっとして大人びた印象の少女。
彼女の名前は立花雪陽。
符李蛇鵡に所属しているユキの妹である。
ユキヒは額の汗を拭い、息を切らせながら二人の方を見た。
「もしかして……お姉ちゃん……いない……?」
「え、うん。ごめん」
テイルは姉を探して走って来たと思われるユキヒに、連れて来ていない申し訳なさから謝罪した。
「いえ……良いです。私が勝手に……走っただけですから」
ユキヒはそう言いながら、サバンナ太郎の横に座り、温くなった水を奪い取って飲んだ。
「ユキヒちゃんどした? 今日は用事があるって聞いてたけど」
「終わらせて走ってきたのよ。お姉ちゃんが来るかもしれないし、後あんたが何か失礼な事しないように見張る意味も込めてね」
「そ、そか……。ああそうそう。せっかく来たんだし何か注文していけよ。今ならテイルが奢ってくれるぜ?」
「部外者なのにそんな失礼な事言わないわよ馬鹿」
そう答えるユキヒに、テイルは首を横に振った。
「いやいや。ユキを連れてこれずに申し訳ないし……せっかくだから食べたい物あるなら好きに頼んでよ。年長者を立てると思ってさ」
そう言われ、ユキヒは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すいません。では遠慮なく注文しますねテイルおにいさん」
その言葉に、男二人は首を傾げた。
「お兄さん?」
テイルは自分を指差して首を傾げる。
「俺も似たようなもんなのにお兄さんじゃないの?」
サバンナ太郎がそう言い、ユキヒははっと見下した目でサバンナ太郎を鼻で笑った。
「おにいさんはおにいさんですから」
そう言った後、ユキヒはメニューを楽しそうな顔で見始めた。
――ああ……義兄さんか……。
サバンナ太郎はユキヒの真意を理解したが、空気を呼んで黙っておいた。
「……その察しの良さだけは、義兄さんよりあんたの方がマシ……いや、五十歩百歩か」
ユキヒはぽつりとそう呟き、テーブルに置かれたボタンを押して店員を呼んだ。
ありがとうございました。