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前を向く難しさ


 エイレーンをクアンとユキに任せ、テイルは一人出かけた。

 目的の場所は宝が山商店街、その学業地区である。


 小中高だけでなく大学まで近くにあり、その上それら学校とバスや電車で直接通う事が出来る為、この地区は学生達のたまり場となっている。

 ただし、たまり場と言ってもガラの悪い存在ではない。

 ゲーセンは常に警官が待機し、本屋も受験絡みががっつりと、不良達にとっては楽しくない、正しい意味で勉学にいそしむ学生を客層の中心と捉えているからだ。

 その学業地区にて現在工事中の喫茶店、テイルがオーナーであるその喫茶店にテイルは向かっていた。


 工事中と言っても、内装は完璧に、外観も九十九パーセント完成している。

 まだ終わっていないのは店のどこにも名前が書かれていない事くらいである。

 そう、ここは新入社員である店長の周藤柳之助と副店長であり店長の妻である七瀬によって間もなくオープン予定の喫茶店。

 ちなみに、七瀬の本名は七瀬茜というのだが、もろもろの事情と響きが可愛いからという理由で七瀬という苗字を敢えて名前に変えた。

 だから現在七瀬の本名は周藤七瀬となっていた。


 そんな何処にも店の名前がない準備と新人教育中でオープン前の喫茶店だが、日に三人くらいは勘違いして客が入ってくる。

 その理由は二つあった。

 一つは、新人に対して指導を兼ねた練習を行っている為、声と店の雰囲気は開店しているようにしか見えない事。

 そしてもう一つは、同じ人がいつも決まった時間に店に入り、客席で何等かの飲み物や食べ物を楽しんでいるからだ。

 その様子は完全に客にしか見えない為、店が開いていると勘違いしても間違いではないだろう。


 その決まった時間に必ず訪れる珍客が、今回テイルが会いに来た人物である。

 男の名前は桐山宗太。

 本業の傍らこの喫茶店の手伝いをし、お礼として喫茶店から食事をご馳走になっている人物である。


「邪魔をする。桐山君はいるか?」

 喫茶店に入ってテイルはそう言葉にすると、エプロン姿の女性がパタパタとテイルの方に駆け寄って来た。

「テイル様……ではなくオーナー。こんにちは。桐山さんに御用でしたか?」

 家庭に入ってからか、喫茶店という職業が向いているからか、または両方か。

 やけにキラキラした様子の七瀬はテイルにそう声をかけた。

「ナナ……じゃなくて、七瀬君か。ああ。この時間はこっちにいると聞いたが……今日はいない感じか?」

 テイルは店の中をきょろきょろと見回し桐山の姿を探すが、周囲にいるのは接客の練習をしているウェイター、ウェイトレスと客席について指導する私服の店員のみである。


「はい。今日はファーフちゃんが料理を作ったからこっちには寄らないと連絡がありました」

 ニコニコ顔で七瀬がそう言うと、テイルは目を丸くした。

「……あのファーフが料理……だと……。ああ全く、七瀬君といいファーフといい……。結婚すると本当変わるもんだ。全く羨ましい」

「あら。オーナーも結婚したいんですか?」

「そうだな。家族が増えるってのは好ましい事だが……如何せん相手がいないとどうにもならんな」

 そういって両手を広げ溜息を吐くテイルに七瀬は苦笑いを浮かべた。

「その様子では……先は長そうですねぇ」

「全くだ。いつか結婚出来たら良いんだがなぁ」

 明らかに七瀬は違う事について話しているのだが、テイルはそれすらも気づいていなかった。


「んじゃあっちに居るか。邪魔をしたくないのだが……仕事の依頼だからなぁ。ぱぱっと済ませて帰ろう」

「はい。それではまたいらしてくださいね」

「ああ。何か困った事があればすぐに言ってくれ。じゃ、また」

 丁寧に頭を下げる七瀬に見送られながら、テイルは喫茶店を後にした。




 喫茶店のすぐ隣にあるビル、そこの二階部分が桐山達の住まう場所であり本業の仕事場でもあった。

 ビルの外にある二階行きの階段を上り、その先には扉が二つ見える。

 一つは、桐山宗太と桐山ファーフと書かれた表札が置かれた扉。

 もう一つは『桐山探偵事務所』と書かれた看板がかけられた扉である。

 テイルは後者の扉の前に立ち、そっとチャイムを押した。


「開いています。どうぞ」

 テイルは桐山の声を聞いて、扉を開け放った。


「すまん。邪魔するぞ」

「テイルさん! どうしましたこんな場所に。あ、ファーフちゃんならちょっと出かけていきましたよ?」

「おや? さっき喫茶店の方で食事を作ったと聞いたが……」

「ええ。美味しかったです。それでファーフちゃんですが、どうも料理が思ったよりも楽しかったらしく、さっき飛び出すように夕飯の材料を買いに行きました」

 そう言って微笑む桐山の姿を見て、テイルはうんうんと頷いた。

「うむ。上手い事言っているようで何よりだ。桐山君。ファーフは君にしか制御出来ない。だから後は頼むぞ」

「あはは。最善を尽くします。それで、ファーフちゃんに何か用です?」

「いや、今日は君の方にだ」

「俺という事は……仕事の依頼ですか?」

「ああ。結構まずい事態でな。手を借りたい」

「――詳しく聞きましょう。とりあえずお茶を用意しますからソファの方に座っていてください」

 真剣な、仕事をする表情に変わった桐山はテイルにそう指示を出した後、お茶を入れにその場を後にした。

「……人って変わるものだなぁ」

 テイルは小さく微笑みながら言われるがままソファに腰を下ろした。




 桐山は幼い時、他の子供達が特撮やアニメ、玩具にハマっている中少々変わった趣味に走っていた。

 桐山が最も恰好良いと思ってハマった趣味――それは桐山の父親が好んでいた、外国の探偵ドラマだった。

 かなり古い作品で、主人公は小男の中年と恰好いいわけではないのだが、礼儀正しく非常に紳士的である。

 それでいて非常に鋭い観察眼を持ち、一度灰色の脳細胞が働くと事件をあっという間に解決していく。

 何故かわからないが……桐山は子供の頃それがとても恰好良いと思い、子供の頃はそのドラマをきっかけに映画や漫画など、とにかく探偵物にのめり込んでいた。


 その趣味を止めたのは非常にシンプルな理由である。

 探偵になろうと本気で想う位には憧れていた桐山だが、本気で想っていたが故に、現実とドラマの世界の違いを強く理解してしまったからだ。

 仕事のほとんどは浮気や子供の恋人の人物調査。

 それ以外であっても、決して華やかではない仕事ばかりである。

 それだけならまだ良かったのだが、残念な事に依頼する人が善人である可能性の方が低く、ドラマよりも更に嫌な話になる事が多い。

 そういう事を理解した桐山は探偵になるという夢を捨て、同時に趣味として見ていた探偵物を一切見なくなった。


 ではどうして今更探偵になったのかと言えば、はっきり言ってファーフの影響である。

 ファーフの為に理想の自分になりたい。

 そう考えると、やはり幼少の頃考えた探偵像こそが、桐山にとって最も恰好良い自分であった。

 それで現実と理想のギャップに悩み、ファーフに相談した結果ファーフはさらっと当たり前のように無茶を言い放った。

『じゃ、やりたい仕事だけやればいんじゃない?』

 わがままで無茶苦茶で、それでいて真理である答えを聞き、桐山は再び探偵となる道を志す事となった。

 理想の探偵がいないなら、自分でなるしかないと理解して――。



 大学で、社会で周囲に嘲笑われ抑え込まれて生きていた為桐山本人ですら気づいていなかったが、桐山は本当の意味でユキと同類の存在である。

 一を聞けば十を知り、人の得意分野をスキップ気分で軽々と身に着ける事が出来る。

 そういう類の、どんな事でも早熟な、所謂天才と呼ばれる人種だった。


 その彼が、本気でファーフの誇る己の為に探偵になろうとしたのだ。

 全ての準備を終え、彼が探偵を名乗る事が出来るのに一月もかかるわけがなかった。


 また、人々から押さえつけられた経験、特に会社内で仕事を奪われ飼い殺しにされ馬鹿にされた経験が、桐山にとって非常に良い経験となっていた。

『絶対に、自分と同じように会社や学校内で不遇の人生を送っている人がいるはずだ。その人を助けよう』

 ファーフの大好きな自分でいる為に、誰かの不幸を消す事が出来る探偵になろう。

 それが桐山探偵事務所のスタンスだった。




「粗茶ですが……」

 そう言いながらテーブルの前にお茶を用意した後、テイルは頭を下げカップを手に取った。

「ありがとう。……桐山君、探偵業を初めて数か月経過したが、どう? うまくやれてるかい?」

「ええ。まあボチボチですね。全く人が来ない月もあればそこそこ人が来て半年分の生活費をぽんと稼ぐ事も。安定はしませんけど……喫茶店でのお手伝いでも給与が出ますから問題なく生活出来ています。そういう意味では俺もテイルさんの部下ですね」

 そう言って桐山は小さく微笑んだ。

「ま、どんな方法でもうまくいってるようで良かったよ。それで、仕事の話をして良いか?」

「ええ。でも、テイルさんならわかっていると思いますが……」

 その言葉にテイルは頷いた。


 桐山は誰かが不幸になる依頼は絶対に受けない。

 探偵という業務では絶対にありえない仕事を選ぶのというのもまた桐山探偵事務所の特徴だった。


「大丈夫だと思う。むしろ逆で、相手は間違いなく誰かを苦しめる悪なのだが……組織がでかすぎてやばいかもしれん。まだ全貌は掴めていないが」

「そういう事でしたら喜んでお受けします。俺が動けば、誰かの涙が減るんですよね?」

「それは間違いなくな」

「それなら話を聞きましょう」


 そう言ってから足を組み、聞きの姿勢に入るその姿がまぎれもなく探偵だった。


「……ほんと、男にしろ女にしろ……人ってのはパートナーが出来るとこうも違うもんなのか……羨ましい」

 そう言って苦笑いを浮かべた後、テイルは事情を話し出した。


 ARバレットに侵入して来た人体実験の跡がある外国人女性の子供。

 調べてみると警察にしろ移民局にしろ不法入国の難民と記述されている。

 それ以外でも、警察や移民局の記録と彼女の記憶では大きな、それこそ正反対な程の隔たりがあった。

 これで彼女がただの人なら彼女が嘘つきである事に違いないのだが、彼女はただの人ではなく、改造されて望まぬままに怪人とされていた。

 しかも、それが人体実験の為であると他の誰でもない怪人製造第一人者のテイルが判断できるほどに酷い状況だった。

 そうなると、警察側の記録が間違っているか、故意に嘘を付いている事になる。

 その為可能性は低いが、最悪の場合警察や政府が敵となる可能性すら出ていた。


「という事だ」

「なるほど。わかりました。それで、具体的に何をすれば良いでしょうか?」

「組織の特定が第一。黒幕がわかればこっちでも動きようがあるからな。出来たら犯罪の証拠や他被害者の確保もして欲しいが、無理はしないでほしい。何が出て来るかさっぱりわからん。あ、これユキの調べた今回の資料な。役立ててくれ」

 そう言ってテイルは桐山にクリアファイルに入れた資料を手渡した。

「ありがとうございます。では、丁度今受け持っている仕事は一切ありませんし……さっそく調査を開始しましょう」

 スーツ姿の桐山は立ち上がった後ハンガーにかけてあった帽子を掴んで被った。


「あ。依頼報酬の方は――」

 テイルが言いかけた時、桐山は微笑んだ。

「ではテイルさんに報酬代わりに依頼を出します。テイルさんが保護したその外国の子。その子の涙を止めてあげてください」

 それだけ言い残し、桐山はスマホを取り出しながら颯爽とその場を離れていった。


「……かっけぇ」

 その姿は、文句なしにドラマの世界に存在する正義の探偵で、テイルはそう小さく呟いた。

 ただの演技で、そう気取っているだけの為ドラマの世界の偽者ではあるのだが、それでも人を救いたいというその意思は紛れもなく本物であった。




 数日後、夜テイルの部屋に控えめなノックの音が響いた。

 ユキだったらそんなノックはせず勝手に開けるし、鍵がかかっていたらドンドンと強いノックをして早く開けるよう催促をかけてくるはずだ。

 テイルは誰だろうかと首を傾げながら扉を開ける。

 そこには、エイレーンの姿があった。


「どうした? そろそろ寝ないと体に悪いぞ」

 その言葉にエイレーンはくすっと笑った。

「まだ十時よ?」

「もう十時だ。子供は寝る時間だろう」

「テイルは私くらいの歳の時寝てた?」

 痛い部分を突かれたテイルはそっと目を反らした。


「それでどうした?」

 エイレーンはもじもじとしながら、恥ずかしそうに呟いた。

「えっとね……私ね、全部終わった後にやりたい事、見つかったよ」

「――そうか。とりあえず中に入れ」

 テイルはエイレーンを部屋に入れた後ソファに座らせて、麦茶のグラスをその前に置いた。


「じゃあ、エイレーンがしたい事、聞かせてもらえるか?」

 エイレーンはこくりと頷き、恥ずかしそうにぽつぽつと呟いた。

「うん……。あのね、私、学校に行ってみたい」

「ほぅ」

「学校なんて行った事もないし、そもそも学校という存在すら国に居た時は知らなかった。だからね当然、学校にも行った事がないの」

「良いじゃないか。でも、どうしてそう思ったんだ?」

「子供の頃、いつも思っていたの。もっと知識があれば、どの草が食べられて、どうやって罠をしかけたら動物がかかるか。それを知っていたら、私は当然として他の人も飢えずに済んだかなと。沢山の人が飢えて死に、原因で突然死に、そうでなくとも殺されて……。私の国はそんな誰もが疑心暗鬼に囚われていた。そして私は実験材料にはされたけどそこで知識は身に付けられた。こうしてこの国の言葉も理解出来た。だから……ううん。そんな難しい理屈よりも、もっと簡単な理由があるの」

「それは?」

「ただ、学びたいの。色々な事を知るのってとっても楽しいから。施設の中では私も、アイリお姉ちゃんも。何かを調べて知る事が大好きだったんだ」

「……ああ。素敵な事じゃないか。全面的に協力しよう」

 テイルがそう答えるが、エイレーンは俯いて小さく、怯えるように震えていた。


「良いのかな? 私がそんな事望んで」

「良いに決まっているだろう」

 ぽたっ、ぽたっと雫の零れる音を聞きながら、テイルは優しくそう返した。


「本当に……本当に良いのかな? 私、お姉ちゃんの分まで生きて良いのかな?」

 その言葉に応える声の代わりに、テイルはエイレーンの頭を優しく撫でた。


ありがとうございました。

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