来訪者
ブラックアウトしていたクアンの意識がゆるやかに覚醒していく。
目が覚めたこの場所は最初に目覚めた場所――自分が生まれた筒らしき形状の機械の中で、筒は既に開いていた。
ダメージに加えて肉体的、精神的疲労から今まで気を失っており、今しがた目覚めたと思って間違いはないだろう。
「おはようございますクアン様。お加減はどうでしょうか?」
クアンは話しかけられた事に気が付き目を開いて――心の底から驚いた。
そこにいたのは戦闘員兼従業員の一人で『ナナ』と名乗っていた女性だったからだ。
自分の覚えてる状態とは違い、ナナは五体満足な上何事もなかったかのように優しい笑みを浮かべている。
言いたい事はたくさんあった。
ありがとう、ごめんなさい、どうして――。
だけど、そんな言葉を交わすよりも先に、クアンはナナを強く抱きしめていた。
「良かった……ナナさんが無事で……本当に良かった」
そんな風に心の底から安堵した声を出すクアンにナナは嬉しそうに、それでいて苦笑するように微笑んだ。
「心配したのはこっちの方ですよ。クアン様の方が怪我の度合い酷かったんですよ? それで調子はどうです? 違和感があったり痛みが走ったりしません?」
そう言われて、自分も相当酷い怪我を負っていた事を思い出した。
呼吸をする度に響く胸や背中の痛み、切り傷が全身に付けられ特に両足はズタズタな上血まみれで痛みどころか感覚すら消失していた。
そのくらい酷い怪我だったはずなのに、今現在体の調子は一切問題なく、完全に健康体と言って良い状態だった。
「……何日くらい経ちました?」
怪我が完治している事から、いったい自分はどのくらい眠っていたのだろうか心配になり、クアンは怯えながらそう尋ねた。
ナナは抱き着いていたクアンをそっと剥がし、指を四つ立てて見せる。
「四時間です」
「――ふぇ?」
「ですからまだ四時間しか経っておりません。ちなみに私の治療は十五分、クアン様の治療は三時間かかりました」
そう言いながらナナは、切断された手をぐーぱーと動かして見せ、無事である事を証明した。
「治療は一体誰が?」
「そりゃテイル様ですよ」
「……凄すぎませんハカセ?」
「凄すぎますよテイル様は」
ナナは何故か自慢げに胸を張ってそう答えた。
「お医者様か何か……いえ、にしても早すぎる。これではまるで――」
クアンはあまりの治療速度にそんな事を呟き、ナナはそれにそっと頷いた。
「ぶっちゃけ正解ですね。怪人であるクアン様はバイオテクノロジーのうんぬんによる急速治療が可能でして。私達戦闘員は怪人製造のノウハウのおかげもっと単純で……んーそうですねープラモデルとかわかります? あんな感じで直せちゃうんです」
平然と言い放つナナの言葉に、クアンは大きな衝撃と、そしてテイルに対しての怒りを覚えた。
怪人である自分は構わない、最悪使い捨てにされても文句はない。
それくらいの気持ちはあるが、普通の人の体を平然と改造することは許せない。
そんな人ではないと思っていただけにその怒りの中には落胆が多分に含まれていた。
「それって人体じっけ――」
「はいストップ」
怒りに任せて言葉を紡ごうとしたクアンをナナは遮り、笑顔を止めて真剣な表情をクアンに向けた。
「何を言いたくて何を考えたのか大体わかります。だからこそ、その先は言わないで下さいまし。言ってしまえば、私はクアン様を怒らないといけなくなりますので」
そう言った後に微笑んだナナの表情は今までと違い、非常に昏く、そしておぞましかった。
そんなナナの様子を見て、クアンは黙った――圧倒され黙る事しか出来なかった。
怯えた様子のクアンに気づき、ナナは慌ててぱーっと明るい笑顔に切り替え、軽い口調で続きを話始めた。
「私達戦闘員は全員、望んでこの体になったのです! そしてそれには皆事情がございまして……。ちなみに私達戦闘員は誰一人後悔してません。むしろ私含め皆心から感謝してるんですよ」
柔らかい口調で満面の笑みで紡いだ言葉だが、言葉の節々に強い意思と深いテイルへの感謝を感じたクアンは、ナナにとってとても大切なものなのだという事を理解した。
何となくだが、何があったのか理解した。
要するに、そうしなければならない理由があったのだ。
それはきっと言いたくない部類の話であり、部外者の自分が聞いて良い話ではないだろう。
「すいません。安易に口出しして。――とにかく! ナナさんも私も無事で良かったです。それでハカセはどこに?」
少し大げさな態度で話を切り替えるクアン。
そんなクアンのへたくそな心配りをナナは微笑みながら受け取り、本題を話し始めた。
「実はテイル様から言伝を受け取っていまして」
「ん? 直接伝えないという事は、今どこかに出かけているのですか?」
「いえいえ。テイル様はクアン様に自身で直接お話すると断りにくい雰囲気になるとお思いですので、私を間に挟んだんです」
「……難しい話ですか?」
「いいえ。単純な話ですよ。『まだ続ける気はあるか』ただそれだけの話です」
「……あー。そういう事ですか」
「はい。そういう事です。ぶっちゃけ今回くらいの怪我はしょっちゅうです。今のところウチで死者は出ていませんがそれでも出ないとは言い切れませんので」
少し遠慮しがちに伝えるナナの言いたい事をクアンは頷いて同意した。
「それで、私がもう戦いたくないって言ったらどうなるのですか?」
「どうもなりませんよ? テイル様がクアン様がやりがいを感じる仕事を探して、自立して生きられるようかいがいしくお世話するだけで、今までと何も変わりません」
それを聞き、クアンは小さく微笑んだ。
「すいませんナナさん。ハカセの居場所教えていただけませんか? こういう意思表示はちゃんと伝えないと」
そう言って優しい笑みを浮かべるクアンに、恐れは見えずむしろやる気に満ちているように見えたナナは微笑みテイルの元に案内することにした。
次の作戦はもっと準備をしよう。
クアンはそう心に誓った。
あの日から一週間、クアンの日常はほんの少し変化しただけで、概ねいつも通りだった。
騒動の元となったナナが結婚して辞めるという話は一切出てこない。
ただ、当の本人であるナナの表情が非常に柔らかい事から、そろそろだろうと周囲は思っていた。
その為ナナ本人が言い出すまでは皆、微笑ましい目で見守る事に決めた。
クアンの変わった点は一点だけ。
別にあの時の被害でトラウマが――とか、決意を新たに訓練を――とかそういう事ではない。
変わって点、それは単純にテイルが作る食事の手伝いをするようになっただけだ。
親変わりであり組織のトップでもあるテイルに食事を作らせ自分は何もしないというのは、地味に良心を咎める。
その為クアンはいずれ料理の当番を受けもとうと考え手伝いを申し出た。
テイルの方も。料理も興味を持ったクアンの心境の変化を良しとして、熱心に料理の指導を始めた。
なのでここ最近は、二人仲良く厨房に立ち並んで料理をする微笑ましい光景が繰り広げられ、従業員達はこっそり微笑ましい目で覗いたりしていた。
そんなある日、急に凝った物を作りたくなったテイルは手伝いにクアンを呼び、十五時という時間帯から夕食作りを開始した。
「……これ、お金大丈夫ですか?」
所せましと並べられている妙に高い値札の書かれた肉や野菜を見て、クアンはそう呟く。
「ああ。前もちらっと言ったかもしれんが、経済的にはウチはかなり裕福だ。いくつかの事業が成功してるからな」
「あー。上の喫茶店とかですか?」
この基地の複数ある出口の一つは喫茶店の内部と繋がっている。
そんな秘密基地と繋がった喫茶店は当然、テイルの組織ARバレットと密接した関係にあった。
というよりも、喫茶店含む表の商売で金を稼ぎ悪の組織を維持しているので上が本体で下の悪の組織は道楽であると言っても良いかもしれない。
「ちなみにあの規模の喫茶店を複数店舗維持してるぞ。今度四店舗目をどこかに建てようか考えてるくらいだ。そして、ウチは喫茶店だけじゃなく色々手広くやってる。飲食から販売、サービス業と何でもござれだ」
「はえー。なるほど」
酷く感心したような表情でクアンはそう呟いた。
そんな感じで何を作っているのかもわからないまま料理を手伝うクアンと、妙に楽しそうに料理をするテイルの元にナナが現れた。
「お二人でお楽しみのところ申し訳ありませんが、お客様がお見えです」
それを聞き、テイルが何やら難しい表情をした。
例えるとしたら、嫌いじゃないけど面倒な人が現れて悪い人じゃないけど気を使わないといけない。
そんなニュアンスを含んだ表情っぽいとクアンは感じた。
「そうか。だが見ての通り忙しく、今は手が離せない」
そう言いながらスープのような物から灰汁を取り除くテイル。
ただの灰汁取りなのだが、その表情と態度からは邪魔をする者を殺しそうなほど真剣な様子が伺えた。
「クアン。悪いが先に言って客と話をしていてくれ。喫茶店の入り口で待ってるはずだから」
テイルの言葉にクアンは頷いた。
「了解です。お引止めしたらいいんですか?」
「ああ。適当に話を付き合いつつ喫茶店の中に入るように言って、断ったらその場でちょっと待ってくれ。あと十分くらいだ」
その位なら大丈夫だろうと思い、クアンは再度頷きナナに案内されて地上に向かった。
ナナに案内されて迷い込みそうな道を進み、喫茶店の中に通じる秘密の出入り口を移動して喫茶店に入り、テイルの客を探すクアン。
入り口付近の人影は一つだけだったので探すのは難しくなく、そのまま応対する為にクアンはその人物に話しかけた。
「すいません。お待たせしましたか?」
そう話しかけ……クアンは気が付いた。
来客は自分も知っている人物――というか戦った間柄の人物だった。
ダーツと名乗っていた正義の味方。
その好青年らしい爽やかな印象を持った彼は、びしっとスーツを決め、手に菓子折りを持ってしょんぼりした表情でその場に佇んでいた。
ありがとうございました。