番外編-桐山のその後-
桐山宗太は自宅で眉をひそめながら雑誌を見ていた。
悩める表情のまま桐山が見ている雑誌は求人専門誌。
そう、彼は次の仕事について悩んでいた。
前の仕事は、綺麗きっちり片を付けて辞めた。
顔だけは良い部長が自分の功績を横取りしてきた事を暴露し、ついでと言わんばかりに女性社員と不倫関係にある事もばらしてきた。
社員だけでなく社長も集う朝礼の時間にだ。
自分らしくない壮絶な復讐と憂さ晴らし。
だが、それはそれで正直楽しかった。
人生に二番目にドキドキした瞬間だった。
ちなみに一番は、ファーフが自分の事を本気で愛してくれていると自覚した時である。
そんな事があって会社がゴタゴタした為か、ちょっと以上に額面より多い退職金を頂く事となった為しばらくは働く必要ないのだが……それでも桐山はやはり働くべきだと考えていた。
「はいどうぞ」
ことっと音を立て、桐山の前にあるテーブルに液体の注がれたグラスが置かれた。
「うん。ありがとうファーフちゃん」
微笑みながら桐山はグラスを持って傾け、中に入っているお茶を飲む。
その様子を、ファーフは嬉しそうに見ていた。
ただ冷蔵庫の中にあるペットボトルのお茶を注いだだけ。
それでも、今まで他人の為に何かをした事がないファーフから見たら大きな変化と言えるだろう。
「……無理に働かなくても良いんだよ? 私が働いても良いんだし」
そう心配そうに微笑むファーフの頭を桐山は優しく撫でた。
「大丈夫だよ。馬鹿にされるようなところにはもう就職しないから。ファーフちゃんが好きって言ってくれた私――いや、俺をもっと大切にしようって決めたからさ」
ファーフは嬉しそうに撫でられながら、こくんと頷いた。
人と感性の違うファーフが働くのはつらいだそうし、何よりファーフの誇れる自分となる為にはやはり就職はしておきたい。
桐山はそう考えていた。
一方ファーフはストレスで体重が増加するような環境は桐山の体にも心にも優しくない。
それなら自分で働きたい。
テイルに言えばきっと職場の一つや二つは見つけてくれるだろう。
そう考えていた。
「……何の仕事をしようかね」
ぽつりと桐山が呟くと、ファーフは部屋の隅を指差した。
「あんな感じの事は?」
「……あれは外国の話だしドラマの世界の話だから」
ファーフが指したのは、部屋の隅に積まれたDVDである。
それは桐山が子供の頃父と一緒に見た番組をわざわざVHSからDVDに焼き直した物だった。
皆がアニメや特撮を見てる中で、子供の頃の桐山は少々大人びて残酷で、よして時々やけに難解でわからなくて。
そうであっても、桐山はそんな話がとてもカッコいいと子供の時はずっと思っていた。
ただし、それはドラマの話で、現実は全然かっこ良くなかったが……。
「……飽きた」
ファーフは部屋の中をごろごろと転がり、じたんだを踏みだした。
我慢が効かないというよりは、大人しくしているのが苦手な為ファーフは何かあるとすぐ桐山にそうやってアピールをする。
それはいつもの事でもあった。
桐山は優しく微笑み、求人雑誌を閉じる。
そしてすぐに出られる準備をしておいたカバンを持ち、ファーフに手を伸ばした。
「それじゃ、どこか行こうか」
ファーフはその手を掴み、そのまま腕にぎゅっと巻き付くように抱き着いて満面の笑みを浮かべる。
「えへへー。お出かけお出かけ―」
ファーフがくっ付いて歩くのは最初は恥ずかしかったが、今では腕に重しがないと落ち着かなくなっていた。
「んで、今日はどこに行きたい?」
桐山の言葉にファーフは少し考え、そしていつも通りの言葉を残した。
「適当に行ってない所に行きたい!」
後先考えずの行動。
慎重な桐山では絶対に出てこない発想だが、だからこそ桐山はファーフといるといつも新鮮な気持ちとなる事が出来ていた。
「わかった。じゃあ今日は南側に歩いてみようか」
ファーフは満面の笑みのまま頷き、桐山を強引に引っ張るようにして我が家の外に移動した。
「ふんふふーん。ふんふーん」
鼻歌を歌いながらご機嫌にくるくる回りながら公園を歩くファーフ。
お日様はぽかぽかで、周囲には子供達の声が響き、奥様が集まって楽しそうにおしゃべりをし、老人はニコニコと犬の散歩をする。
遊具もなく、噴水とベンチくらいしかない公園だが、それでも老若男女皆が皆楽しそうにしていた。
「……私も子供欲しいなぁ」
サッカーをして遊んでいる子供達を見てぽつりとファーフが呟く言葉に、桐山は苦笑いを浮かべた。
「……すぐに出来るよ……このペースだと」
最近はご飯のお代わりをしないと体が保たない桐山はそう呟く事しか出来なかった。
「でも……私人じゃないからもしかしたら」
「大丈夫。テイルさんから問題なしのお墨付き貰ってる」
「あ、そなの?」
「うん。書類も全部終わってるし何の問題もないよ。後は、俺が就職して立派なお父さんになればね」
全部終わっているという文字通り、結婚関連の書類提出から子供が通うであろう学校と病院のリストアップ、そしていざという時の積み立てや緊急用のベビーシッターの手配すら、桐山は完全に終わらせていた。
それが桐山にとっての責任を取るという行為だからだ。
後終わってないのは両親にファーフを紹介する事だが……正直怖かった。
両親にファーフが拒絶される事ではない。
むしろきっと気に入るという確信もあった。
怖いのは、自分がからかわれる事である。
『私は一生涯結婚出来ない存在だと思ってます。こんな駄目な息子で申し訳ありません』
そんな事を去年口走った事を、桐山は死ぬほど後悔していた。
「そか……。じゃあ子供とすぐ会えるね!」
ぱーっと太陽のような笑顔でファーフは桐山に笑いかけた。
「……ファーフちゃん。悪いけどちょっと歩き疲れちゃった。どこか座るとこ行かない?」
桐山がファーフと共にいる為に最初に覚えた事は、遠慮せずにしっかりと要求を言う事だった。
受け身で自分から何も言わないと相手も困るし自分も良い事がない。
ただ一方的に我慢するのは美徳では決してなく、むしろ対等であるはずの相手に対する失礼と言ってもいいほどだ。
だからこそ、桐山はファーフに最近疲れやすくなってるから休む事を提案した。
なお、疲れているのは九割方ファーフが原因である。
桐山の言葉にファーフは頷いた。
「うん良いよ! 私甘い物食べたい!」
「じゃあ近場でお店を探そうか」
桐山はファーフの手を握りながらそう言葉にする。
ファーフも嬉しそうに手を握り返し、桐山と同じ方に足を進めた。
「あの……ちょっと良いですか?」
歩き出してすぐに突然話しかけられ、桐山は足を止めた。
「はい。何でしょう?」
知らない人から話しかけられ、すらっと言葉が出て来る。
そう自分が成れるなんて思わなかった桐山はファーフに内心で深い感謝を送った。
「いえ。甘い物が食べられて休む場所という事ですので、近場に良い喫茶店があるとお伝えしたくて……」
若い主婦らしき女性はおずおずとそう言葉にした。
「ああ。それは良いですね。どの当たりでしょうか?」
「えっと。公園を南から道路に出て、二つ目の十字路左手に看板が見えます。あ、これクーポンです」
女性から丁寧に名刺のように手渡されたそれを桐山は受け取り、深く頭を下げる。
「これはどうもどうも。ありがたく受け取らせていただきます」
「いえいえ。それでは失礼します。新婚さんのお邪魔をしてはいけないので」
そう言って女性は微笑みながらその場を後にした。
「……私達新婚さんなの?」
「うん。一応書類上では結婚してるから新婚だよ」
「……結婚式とかは?」
「したい?」
「別に」
「そか」
「それより、喫茶店行こうよ」
「うん。そうだね」
そのまま二人は手を繋ぎ、言われたように足を進めた。
「ありゃ」
「ありゃ」
カランカランと心地よい鈴の音と共に入店したファーフと、そこでウェイトレスをしていた七瀬はぽかーんとした顔でお互いを見つめ合った。
「……ナナどしたの?」
「えっと……研修中です」
「……ARバレット辞めたの?」
「いえ、戦闘員は止めましたがそれは辞めていません。ここARバレットの系列店ですので」
「……でもここ基地と繋がってないよ?」
「繋がってないお店もテイル様――オーナーは沢山持ってますので」
「へー。そか。邪魔してごめん。頑張ってね」
「はい。ありがとうございます。では改めまして――いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか?」
営業スマイルを浮かべる七瀬に二人は頷いた。
「申し訳ありませんが全席禁煙となっていますがよろしかったでしょうか?」
「はい」
「かしこまりました。ではこちらのテーブル席にどうぞ」
七瀬の案内に従い、二人は後ろを付いて歩いた。
「……タバコかぁ。パイプとかタバコとか憧れてたなぁ」
桐山がぽつりと呟くと、ファーフは首を傾げた。
「吸いたいの?」
「ううん。あんまり。でも恰好良いと思う」
「そか。私は煙たいから嫌だけど吸いたいなら吸って良いんじゃない?」
「……俺も煙たいの苦手だから」
過去に一度吸おうとして盛大に咽た事を思い出しながら、桐山は苦笑いを浮かべた。
「ではこちらにどうぞ。注文がお決まりになられましたら――」
「コーヒー二つとミルクレープとシュークリーム!」
即座に応えるファーフに驚きながら七瀬は桐山の顔を伺い、桐山が頷いたのを見て伝票に記入を始めた。
桐山はファーフに何も伝えていない。
だが、ファーフは桐山が欲しいと思う物を本人以上に言い当てて来る。
実際、今もそこまでボリュームが多くないけど甘い物が欲しいなと思っていた。
これは怪人の能力等特別な能力ではなく、ファーフが桐山の今の気分を把握しているからに他ならない。
だからこそ、桐山はこういう時嬉しくあるが、同時にそのファーフからの愛を感じ気恥ずかしくもなっていた。
「……では注文を確認します。コーヒー二つ、ホットでよろしかったでしょうか?」
「あ、ごめんナナ。ホット一つとアイス一つ」
「はい。ホット一つアイス一つにミルクレープとシュークリーム一つずつ、でよろしかったでしょうか?」
「うん。よろしく!」
「はい。ただいまお持ち致します」
営業スマイルのまま七瀬は深く頭を下げて厨房の方に注文を伝えに向かう。
確かに営業スマイルなのだが、その様子がファーフには妙に楽しそうに映っていた。
「ご注文の品をお持ちしました。それと、奥で顔見知りにあったのならついでに休憩取れと言われまして……お邪魔でなければご一緒してよろしいでしょうか?」
「良いよ良いよ! 色々聞かせて!」
戻って来た七瀬の言葉にファーフは了承し、七瀬はコーヒーとケーキ類を二人の前に置いた後反対側の席に座った。
用意されたホットコーヒーを口に運び、シュークリームはファーフが足りなかった時用に少し待ちつつ桐山はファーフと七瀬の会話に耳を傾けた。
「……正直驚きました」
「んー。何が?」
ファーフはアイスコーヒーに山ほど砂糖を入れながら首を傾げると七瀬は何とも言えない苦笑いのような表情を浮かべる。
「いえ、その……失礼ですが随分常識的になったなと……。以前のファーフ様からでは考えられなくて」
「にゃははは。……そんな変わったかな? 私的には何も変わってないつもりだけど」
「以前のファーフ様でしたら大人しくお店で食事なんてしませんでしたね」
少なくとも、コーヒーを頼むくらいなら外の自販機に走って持ってくるくらいはしてのけた。
「待つのって退屈だったからね。でも今は前より退屈じゃないから!」
ふんすと胸を張るファーフに七瀬は優しい笑みを浮かべた。
「むしろ私はナナがテイルの元を離れた事の方が驚きだけど。ずっとテイルの元にいると思ってたよ」
「いえ……その……ちょっと自慢話になりますが……私りゅー君と……今厨房にいる人と結婚する事になりまして……」
そう言って恥ずかしそうに微笑む七瀬に、ファーフは満面の笑みを浮かべた。
「へーそうなんだ! ああ私も結婚したみたい。だよね?」
横にいた桐山は苦笑いを浮かべながら頷き、七瀬は目を丸くした。
そして情報処理が追い付いたのか今度は口をぱくぱく動かし二人を見比べた。
「……お、おめでとうございます」
「ありがと! そっちもおめでとう!」
よくわからない七瀬と、結婚という制度が良くわかっていないファーフ。
その会話は噛み合っているような噛み合っていないような事になっていた。
そこからしばらく会話が続き、桐山が仕事を辞めて新しい仕事を探していると言う話になった時に七瀬が桐山に相談を持ち掛けた。
「では桐山様、私達のお店で働くのはどうでしょうか?」
「……へ?」
「今私とりゅー君――お、夫が研修をしているのは今度喫茶店を任される事となりまして……。こほん。まだ店も建っていませんし、人員も何も決まっておりません。ですので、優秀な人材を探しているところです」
「……ですが私のような無職で何も出来ない見た目も微妙な存在を雇っても……」
その言葉に七瀬は首を傾げた。
芸能人みたい、というほどではないが、桐山は十分恰好良い部類であるように見えるからだ。
少なくとも、客観的に見れば夫である周藤柳之助の方が格は落ちるだろう。
あくまで客観的な意見であり、個人的な意見では逆転するが。
「……失礼ですがファーフ様に付き合えていられるだけで根気はクリアしていると言えます」
その言葉にファーフは自慢げにドヤ顔を見せ、桐山は苦笑いを浮かべる。
「ファーフちゃんの事をよくご存じですね」
「ええ。戦闘員でしたので。という訳でして……それだけで雇うに値すると私は考えています。それと……差し支えなければ、前職は何をしてましたがお聞きしても?」
「ええ。主に情報処理ですね。データを纏めてそれを纏めるような仕事をしてました」
「……もしかして簿記検定とかお持ちでないですか?」
「えと……経理のヘルプに向かう都合で二級なら取らされましたね」
「それなら問題ないですね。事務員も募集しようと考えていたところですので。そちらがよろしければですが是非ウチに来ていただけたらと。ファーフ様との時間が大切でしたらお手伝いという形の非正規でも構いませんよ? 近場に引っ越していただけたら在宅でも構いませんし」
「……私もお店お手伝いしたい。無理かな?」
ファーフがそう言葉にすると七瀬は目を丸くして、そして満面の笑みで頷いた。
「無理じゃないですよ。教えますからやってみましょう」
「うん! じゃ、これからはナナは先生だから私に様は付けなくて良いよ。というか最初から様いらないよ?」
「ごめんなさい。怪人には様を付けるっていう戦闘員の癖が……。良く考えたらARバレットに所属してないのに……。では改めてファーフちゃん。今から私の事は副店長と呼んでくださいね」
「はいふくてんちょー!」
「ふふ。と言っても、ここは私の店じゃないからここで教えるのは出来ません。ですので、また暇な時ARバレットの基地で教えてあげますね」
「うん! よろしく!」
そんな会話をする二人に、桐山は苦笑いを浮かべた。
「ああ。これは俺が断るという選択肢はなくなったかな……」
もうすっかりその気になったファーフを見て、今更駄目ですと言う勇気は桐山にはなかった。
「すいません。そのつもりはなかったのですが馬を落としてしまったようで……」
あんまり悪そうじゃない七瀬の言葉に桐山は顔を横に振った。
「いえ。このご時世にスカウトされるなんて幸運な事ありませんし元々受けるつもりでしたので。ファーフちゃんも七瀬さんと一緒の職場の方がきっと嬉しいでしょうし」
そんな桐山の言葉にファーフはこくこくと何度も頷いた。
「まあ、詳しい話はまたその内、まだ時間は沢山ありますから。では私はこの辺りで失礼します」
そう言って七瀬は立ち上がり、立ち去ろうとして――。
「待ってください」
それを桐山は止めた。
「えと、どうしました?」
「いえ……どうして伝票持ってるのでしょうか?」
「邪魔を致しましたし、払いはこちらで持とうと」
「いえいえ。それは流石に悪いですよ」
「いえ。仕事のお話をさせていただいたのでむしろ払わせて貰った方が都合が良いんです。これからの上司を立てると思って。ね?」
そう言って七瀬がウィンクするのを見てから桐山は少し考え、そして頷いた。
「ファーフちゃん。七瀬さんにご馳走様しようか」
「はーい。ふくてんちょーごちになります!」
そんな二人を見て七瀬は優しく微笑み、今度こそ二人の元を去っていった。
「……仕事、決まったなぁ」
「……駄目だった?」
不安げなファーフに桐山は首を横に振った。
「ううん。喫茶店の事、調べないとって思っただけだよ」
「そか」
「うん。とりあえず、お店を出てデートの続きをしよっか?」
そう呟くと、ファーフは少しだけ頬を赤らめた。
「これ、デートだったの?」
「うん。俺はそのつもりだったけど?」
「……そか。えへへ」
そう言いながら微笑み、ファーフは桐山を立たせて外を指差した。
「じゃ、デートの続きしよ?」
満面の笑みのまま物凄い力でひっぱるファーフはデートを楽しむ女性というよりは、散歩を楽しむ大型犬のようだった。
ありがとうございました。