新たなる参謀-兵器開発局長ユキ-1
翌日、ユキは一旦自宅に行き、こちらに引っ越す荷造りの為の準備をしてARバレット拠点に戻って来た。
ユキの兵器開発局長という立ち位置は科学者Dr.テイルと怪人の境目のポジションとなる。
だからこそ、幹部扱いであるユキに『良かったらこっちで暮らしてみないか』と提案したテイルの言葉を聞き、ユキは『し、しょうがないわね!』と言いながらそそくさと荷造りを開始した。
テイルの下心一切ない言葉だが、それでもユキは必要とされているように感じて嬉しかった。
そしてユキがARバレットに戻ると戦闘員十号こと十和子が出迎えた。
「ユキ様、おはようございます。本日のお世話係をいたします戦闘員十号です」
そう言いながら十和子は深く頭を下げた。
「確か、十和子……さんでしたっけ」
「覚えていて下さりありがとうございます。ですが十和子と呼び捨てにしてください。私にも立場というものがございますので」
「わかったわ。今日はお願いね。それにしても、貴方その恰好は私服?」
ユキはそう言いながら十和子の恰好をじっと見つめた。
「ええ。仕事中以外は自由ですのでこの恰好に」
そう言いながら十和子はユキの前でその服が見えやすいようにゆっくりと回って見せた。
十和子の服は薄いピンクが下地となった桜模様の可愛らしい着物だった。
「……本当良く似合ってるわ。お人形さんみたい。貴方正直戦闘員以外の仕事をした方が良いんじゃない?」
艶の出ている黒く長い髪に精巧な人形のように目鼻の整った綺麗な顔立ち。
着物姿である事も合わさりまるで大昔のお姫様のようだった。
そんな綺麗な姿に二十過ぎた今でも中学生に間違えられるユキは心の底から羨ましいと感じた。
「私も戦うという事が得意というわけではございませんが、残念ながら仕事が見つからなくて……」
そう言って十和子は曖昧な笑みを浮かべた。
その言葉が嘘だと、ユキはすぐに気が付いた。
何故なら本当に向いていない場合や、本人がやりたくない事をテイルがさせるわけがないとユキは知っているからだ。
ユキは空気を読むという行為が苦手である。
孤独である事が多かったというだけではなく、考え方自体が常人のそれではないからだ。
本人は普通のつもりでも普通ではない為周囲から浮いて行く。
それは誰にもどうすることも出来ない事実である。
だが、そんなユキですら十和子の事情に踏み入らない方が良い事くらいは理解出来た。
残念な事と言うべき、当然というべきか。
戦闘員を含め、ARバレットには特別な事情を持っていない存在など一人もいないという事をユキは知っていた。
むしろその考え方は逆で、テイルが特別な事情持ちを集めたと見る方が正しいだろう。
例えば昨日の歓迎会で出会ったナナと呼ばれる女性。
それは普通に見れば誰も理解出来ないほどで、ユキでないと気づく事すらない領域の話だが、ナナには歩行に少々問題があった。
馴染んだ歩き方で、身体能力は確かに戦闘員として十分な領域に至っている。
それでも、まるで手足が自分の物ではないような違和感がどうしても拭いきれず残ったままになっていた。
それに気づくのはモデルなど歩きを魅せる事に特化した職業の人か、天才くらいだろう。
そして、テイルは怪人製造のスペシャリストで、本物同然のギミックを積んだ肉体を作る事にも長けている。
そう考えると……何となくだがナナがどうして戦闘員に所属しているのか、どうしてテイルの元にいるのか理解することが出来るだろう。
だからこそ、ユキは十和子の嘘に触れようともしなかった。
「そう。その容姿を隠すのは本当にもったいないわね。それで、お世話係って何をしてくれるの?」
「はい。まずはこれからユキ様が暮らすお部屋に案内致します。それから、拠点内施設の紹介や生活での諸注意などを――」
「施設の紹介はカットして良いわ。その代わり拠点マップを見せて、十秒で暗記するから。あ、機密を見せろって意味じゃなくて案内図みたいな物があるでしょ?」
そうユキが言葉にすると十和子は微笑んだ。
「ふふ。せっかちさんなのですねユキ様は。はいどうぞ」
そう言われる事を予想していたのか、十和子は出入口を含めた拠点内全てと周辺のちょっとした施設を紹介した情報に加え、生活での諸注意を纏めた資料をユキに手渡した。
「あら。事前に私がこう言うって予想していたの?」
そう言いながらユキは貰った資料を読み漁った。
「いえ。一度の説明で覚えきれないと思いまして。念のため用意しておいたものです。明日から私はお世話できませんので」
「なるほど。明日からお世話出来ないってのは?」
パラパラと資料の束を頭に叩き込みながら、ユキは興味本位でそう尋ねた。
「はい。だってユキ様のお邪魔になりたくありませんから」
「邪魔って? 別に私は貴方達を邪魔だなんて思ってないわよ」
「いえいえ。これ以上激甘コーヒーを量産するわけにはいきませんので。という事で明日からはテイル様が貴方のお世話係になる事に決まっておりますので」
その言葉に驚き、ユキは資料を落としながら地面に向かって何度も咽た。
「あら、大丈夫ですか? お茶でもどうぞ」
そう言いながらユキはコップに注いだ麦茶を手渡した。
それを一気に飲み、ユキは大きく息を吐いた。
「あの……どうしてそんな事に、というか別に私はテイルの事をそういう目で見ているわけでもないし……そんなつもりがあるわけでもないし」
そう言いながらもじもじとしているユキを見て、十和子は渋い表情を浮かべた。
「あと私の胃を糖分で埋めない為ですね。既にちょっと砂糖が口から出そうな程ですが」
そう呟く十和子にユキは落ち込んだような表情を見せた。
ちなみにテイルがユキに付くのはとても簡単な理由があり、毒物や機械、まては遺伝子情報や疑似AI回路等取り扱っている技術事に部屋は完全に区別されている。
そしてそれぞれの部屋に入る為にはそれに見合った知識と資格が求められる。
つまり、全ての部屋に入れるのはテイルとユキだけであり、ユキは新入りで単独行動させるには不安な為、必然的に二人が共に行動しなければならなくなる。
「……でも、私本当にわからないのよ。どうしたら良いのか。私が何を望んでいるのか。一日のうちに三人以上と楽しくお話する。それだけで私は十分幸せで、これ以上はどうしたら良いのか……何を求めているのかすら……自分の事なのにわからないの」
『天才だから私は何でもわかる』
そう思っていたはずなのに、いつからか自分の事がユキは全くわからなくなっていた。
そんなユキを見て、十和子は満面の笑みを向けて顔の位置を下げてユキに合わせ、ユキの頭を撫でた。
「大丈夫ですよ。難しい事は何も考えなくても、ゆっくりゆっくりと……楽しいとをしていけば良いんです」
「……でも、皆と違う私がいると皆の迷惑になるから……私が役に立つところを見せないと、捨てられ――」
「大丈夫ですよ。テイル様はそんな事絶対にしませんから。それに、ユキ様程度で『人と違う』など、正直方腹が痛いです。ところで話が変わりますが、今クアン様とテイル様は一緒になって『正義の味方の知能指数を著しく低下させる』という複数の意味で頭の悪い兵器を開発しようとしていらっしゃいます。その斜め上な考え方に比べたらユキ様なんて……』
その言葉にユキは感動やありがたみより先に、本当に自分の迷惑度数が組織内では低いのではないかという現状に恐怖を覚えた。
それと同時に、ずっと撫でている十和子の手がとても暖かい事にユキは気づいた。
こんな風に優しい気持ちを持って撫でられるのは生まれて初めてだった。
「ん。ありがとう。悪いわねみっともないトコ見せちゃって」
ユキが不遜な態度でそう言葉にすると十和子は微笑み、落とした資料を手渡した。
「いえいえ。元気が出て何よりです」
「まね。十和子も困った事があったら私に言いなさい。これでも一応天才だから、大体の事は出来るわよ?」
そんな自信満々なユキに十和子は嬉しそうに微笑んだ。
「ではテイル様一同がおかしな行動に出た時はストッパー役として期待をいたしますね」
「ごめん。それは私の管轄外よ」
「……天才なら何でも出来るんじゃないんですか」
「……天才でも出来ない事くらいあるわ」
そう言ってユキはそっと十和子から顔を反らした。
常識人には強い自信があるユキだが、奇行や予測不能な事態に弱い。
だからこそ、ARバレットはユキの天敵揃いだった。
んなユキの言葉に十和子は少しだけしゅーんとした表情を浮かべる。
軽い冗談かと思ったが……期待していたのは事実らしい。
「さて、私の出番はこれだけとなってしまいましたがこちらがユキ様の私室となります」
そう言って十和子はユキを扉の前に案内した。
「ありがと。開けて良い?」
「はい。どうぞ」
十和子の言葉を聞き中を開けると、思った以上……というか思った十倍くらい良い部屋でユキは絶句した。
「……何ここ何人で住むの?」
「ユキ様一人ですね。少し羨ましいです」
少しという言葉では済まない。
そんな恐ろしく感じるほどの豪勢な部屋だった。
「そうよね。当然戦闘員の人達ってこんな良い部屋じゃないわよね」
「ですね。でも、私達戦闘員の寮もかなり質は高いですよ。バストイレキッチン別でのワンフロアですし、共同部屋としてテレビルームにゲームルーム、図書室にパソコン部屋、アスレチックルームにトレーニングルーム、果てには大型プールまでありますし」
「……福祉構成どうなってんのここ」
ユキは呆れたような口調でそう呟いた。
ユキの部屋はルームと呼ぶよりフロアと呼ぶ方が正しいだろう。
小さな玄関をまっすぐ歩くと、最初にソファと壁掛けの大型テレビが付けられた大部屋があった。
どう考えても三十人は入るだろうその部屋はシアタールームと呼んでも差し支えないレベルである。
バストイレキッチンは当然のように存在し、他の部屋として洋室一つに和室二つ、更に寝室が一つと倉庫が一つ。
キッチンルームは二十人ほどが座れるほどのスペースとテーブルが置かれコンロが八つある大型のキッチンが内蔵されている。
この部屋で唯一普通なのはバストイレくらいのものである。
「……ここで寝るのって正直落ち着かないんだけど。というか私普通の部屋を一つ埋めるほどの家具すら持ってないんだけど」
隙間だらけの部屋は豪華と感じる以前に寂しいと感じてしまう。
「まあ使わない部屋はともかく、寝室や大部屋くらいはもう少し家具や丁度品を置きたいですよね。というわけでこれをどうぞ」
そう言いながら封筒を渡されたユキは首を傾げながら受け取り、中身を見た。
中には諭吉さんが束で入っていた。
「……なにこれ?」
「これで日用品を買ってくださいというテイル様からのお祝い金でございますが」
「……わかった。テイルって馬鹿なのね」
ユキは確信を持って言い切った。
「ちなみに我が子である怪人の方々には日用品を揃える予算として更に一桁プラスして手渡したりブラックカードをそのまま手渡したりしております」
「ははーん。なるほど。大馬鹿者なのね」
その言葉に十和子はしっかりと頷いた。
ユキが持ってきていた私物を幾つか部屋に仕舞っていると、十和子は何とも言えない味わい深い表情を浮かべていた。
「あの……ユキ様。その服装は一体」
ハンガーに掛けられていく服装を見て呟いた十和子の言葉にユキは首を傾げる。
「え? 普段着ですが……何か変?」
「いえ……変ではないです。変ではなく……とても合理的ですが……」
十和子は何というべきか悩み非常に言いよどんでいた。
決して変ではない。
変ではないのだが……年頃の女性にしてはもう少し気をつけても良いのではないだろうかと思われるような服装。
しかも同じデザインで色違いが五着くらい入っている。
それは合理的と呼ぶ事すら微妙にずれているだろう。
「……まあ普段着はもう少し気をつけた方が良いかもしれないわね。それでも過ごしやすさを重視した格好だし部屋着には良いでしょ。この部屋周囲は女性しか通らないし」
ユキはそう口にした。
テイルが気を使いユキの部屋は女性側が良く通る通路の奥側に設置していた。
男子禁制ではないのだがが、よほどの事情がない限り男はユキの部屋前を通らない。
「では考えてみてくださいユキ様。まず、この恰好で部屋にいたとしましょう」
そう言いながら十和子はまだハンガーに掛けておらず、バッグの中に入ったままになっているダサくはないけどユキが着ると学生っぽくて似合いすぎてしまう黒のジャージを指差した。
「うん。寝間着兼用の部屋着にしてるけど楽よね。ついでに洗うのも楽だし」
「はい。そこで突然の緊急呼び出し。着替える暇もないほどのエマージェンシー。そこで颯爽と登場するジャージ姿のユキ様。どうです?」
「……まあ、私そんな見た目に頓着しないし」
「ですが、テイル様も見ますよ?」
その事実を何故か忘れていたユキはぴたっと言葉を止めた。
「更に言わせていただきますと、テイル様が突然部屋に来た時その恰好で出るのですか?」
「……ちょっとネット使わせて。何着か寝間着頼んでおくわ」
「資料二十枚目の五行目以降」
十和子はニコニコとしながらそう呟いた。
二十枚目は、電車でいけるオススメスポットであり、五行目は日用品や服の品揃えが良い場所のピックアップである。
「……十和子は今日なら私のお付きだよね?」
不安そうに尋ねるユキに十和子は頷いた。
「はい。服屋でもデパートでも家具屋さんでも、私は付いてまいりますよ」
そう答える十和子の表情は今までで一番の笑顔だった。
ありがとうございました。