始まる陰謀『悪い事』
翌朝、クアンは用意された自分の部屋で目を覚ました。
生まれて初めての朝である。
電気毛布完備の布団に後ろ髪を惹かれながら抜け出し、カーテンを勢いよく開け朝日を拝む。
眩いほどの白い光がクアンの目を覚醒させてくれた。
と言っても、ここは地下第二階層の為本物の朝日を拝んでいるわけではない。
この仮初とも言うべき人口朝日は、テイルの用意した謎技術により実際の天気と連動している。
本当に真に迫る出来だが、決して本物ではない。
テイルは『地下暮らしが長く時間間隔が狂う可能性を避ける為』に作ったらしい。
こんこんこん。
「おはようございまーす。起きていますかー?」
ドアノックの音と共に、聞き覚えのない女性の声が響いた。
「あ、はい! 起きてます」
クアンは慌てながらそう答えた。
「はーい。では失礼します」
そう言いながら声の主はドアを開け部屋に入った。
「えっと、あなたは?」
クアンの言葉に女性は笑みを浮かべた。
「戦闘員兼従業員の一人です。ほら、悪の組織おなじみのあのわらわら出て来る奴ら」
「ああ……」
その一言でクアンは納得出来てしまった。
「それとDr.テイル様より本日のお世話を頼まれました。ですので、本日はどうかよろしくお願いします」
女性がぺこりと頭を下げると、クアンも慌てて頭を下げ返した。
「ところで……何とお呼びしたら良いでしょうか?」
クアンに言われ、女性は人差し指を自分の口元に当てた後首を傾げ考え込んだ。
「んー。そうですね。本名は……組織的にあんまりよろしくないんですよねー、でも私達戦闘員が個別名を持つのも……。ではナナとお呼びください」
「ああ。戦闘員の七番目なんですね」
クアンの言葉にナナは微笑み頷いた。
「というわけでして、御着替えをお持ちしました。朝の支度と着替えが終われば朝食になりますが、何分後くらいに来ましょうか?」
「あーっ。あの……もし良かったらシャワー浴びたいなと……一時間くらい大丈夫でしょうか? 急いだ方が良ければ急ぎますが」
クアンが申し訳なさそうに呟くと、ナナは微笑み頷いた。
「はいわかりました。今日は問題ないですが、普段は七時半に朝食となってますので明日からはそのようにお願いしますね」
「はい。すいません……」
「ああ。謝らないでくださいクアン様。気にしてませんし伝え忘れていたこっち側の落ち度ですから。ではではごゆるりと」
ナナはそう言い残し、そっと静かに部屋を退出した。
クアンは壁掛けの時計を見てみた、時刻は七時ちょうどを差している。
今から急いで支度をして十分、そこからシャワーで十五分。
そこからどう頑張っても、髪を乾かす時間で三十分はかかる。
腰近くまである長く綺麗な青い髪。
水色に近い透き通った色の髪をクアンは自分でも綺麗だと思い気に入っていた。
だからこそ、綺麗な状態を維持したくて、それと朝シャワーに入る習慣が自分にある気がしてあんなわがままを頼んでしまった。
「悪い事したなぁ」
そう呟きながら、クアンは洗面台に向かい朝の準備を始めた。
こんこんこん。
一時間前と同じノックが響き、着替え終わったクアンはドアを開けた。
「ごめんなさいお待たせして」
ドア前でそんな風に謝るクアンに、ナナは軽く見惚れていた。
「……わぁー! 凄い綺麗。サラサラして軽くて……鮮やかな色」
そう言いながらナナはクアンの髪をじっと見ていた。
深い青に若干の緑が入ったエメラルドブルーのような髪の色は、まるで海のように美しかった。
「ふふ。ありがとうございます。私も自分の髪はお気に入りですので、褒めて貰えてちょっと嬉しいです」
本当はとても嬉しいが、クアンは恥ずかしいからそう答えた。
「だって本当に綺麗ですもん。朝シャワー浴びたいって言った理由ちょっとわかっちゃった」
そう呟くナナに、クアンは恥ずかしそうに頬を染めた。
「それじゃあ朝食の席にご案内しますね?」
ナナはそう言ってクアンの案内を始めた。
廊下を移動中、数人とすれ違い、深々と頭を下げられたクアンはナナに尋ねた。
「あの、どうして会う人皆、私にだけ丁寧にあいさつをするのですか?」
その質問を聞き、ナナは微笑んだ。
「簡単ですよ。私達は戦闘員。立場で言えば『イー!』しかしゃべっちゃいけないような立ち位置となります。そしてクアン様は怪人。つまり私達の上司に匹敵しますから」
「……昨日赴任した……というか昨日生まれた若輩者としましては申し訳なさが凄まじいのですが」
そう言いながら眉をひそめるクアンに、ナナはにっこりと笑って無慈悲な一言を返した。
「慣れましょう」
「ふぁい」
しょんぼりするクアンを見て、ナナは微笑み優しく頭を撫でた。
「というわけでこちらが食堂です。どうぞ」
そう言って部屋の扉をクアンに開けさせ様とするナナ。
「あれ? ナナさんは一緒ではないのですか?」
「ああ。はい。この先は怪人以上の方限定ですので。詳しくはDr.テイル様に尋ねてください」
そう言い残し、ナナは優しく微笑みながら去っていった。
クアンは首を傾げながら、食堂と言われた場所の扉を四回ノックする。
「すまんが手が離せない。空いてるから勝手に入ってくれ」
そんなテイルの声を聴き、クアンはおずおずと食堂に入った。
食堂には長方形のテーブルに側面四つと二つの椅子が置かれ、計十の椅子が置かれていた。
その奥には台所があり、テイルが鍋の様子を見ていた。
「おはよう。さっそくだが朝食は和食で良いか? 洋食がいいなら急いで用意するが適当になるぞ?」
「おはようございますハカセ。和食で大丈夫です。というよりも、ハカセが作るのですね」
「ああ。出来る事は自分でやらないとな」
そう呟きながら、テイルは卵を片手で割りボウルに入れてかき混ぜ、卵焼き用のフライパンに溶き卵を入れだした。
「随分……慣れてらっしゃいますね」
「ああ。まあな」
「失礼な言い方ですが、従業員の方にお願いしなかったのですか?」
悪の組織にとってテイルは最頂点に位置する存在である。
そんな人物が自ら料理をして、クアンに振舞うというのは少々違和感がぬぐえない。
「ん? 従業員に俺達の生活を任せるってのはちょっとなぁ……。いや頼めばしてくれるだろうけど。あっちにはあっちの生活があるし……」
「あっちって。他の怪人や戦闘員の方々はどういった生活をしているのでしょうか?」
「ああ。他の怪人は皆出払って副業……いや……あっちが本業か。まあ自分の道を進んでいる。偶に作戦で必要になれば呼ぶ形だな」
「そうなんですか!?」
他の怪人も皆ここにいると思い込んでいたクアンは驚きの声をあげた。
「ああ。クアンも生活になれて自分でしたい仕事があればそっちに行くと良い」
そう言いながら、テイルは綺麗な卵焼きを皿に乗せテーブルに運び出した。
「あ、手伝います」
クアンの言葉にテイルは頷き、二人でテーブルに料理を運んでいった。
本日のメニューは味噌汁とご飯に卵焼き、ひじきと豆の煮物にしらすのふりかけ、白菜と豆腐のみの湯豆腐に味海苔である。
「……ずいぶん豪勢ですね」
量自体は十分食べきれる範囲だが、その品数の多さと手間にクアンはそう呟いた。
「そうか。多ければ無理せず残してくれ」
「いえ。量はたぶん食べられますが……朝からこれだけの品数を用意するのは大変ではないですか?」
そうクアンが尋ねるとテイルは小さく微笑んだ。
「大した事はない。さっと食べてしまおう」
そう言いながら、テイルは両手を合わせてクアンの方を見つめた。
慌ててクアンは両手を合わせる。
「いただきます」
「い、いただきます!」
そして二人は箸を取り、食事を始めた。
「さっきの話だがな、従業員には別の生活がある。まあ事情がある場合は偶に一緒の食事を取る事もある、だが基本的に別だ」
「なるほど。悪の組織的な意味ではなく、正しい意味での従業員みたいですね」
「そうだな。寮を用意してるから寮生活してる人もいれば自宅から通ってる人もいる。ついでに言えば有給もあるし危険手当も出してるから本当に会社と変わらん」
普通の会社と違うのは収入が全くない為別の場所から引っ張ってこないといけない事くらいだろう。
「はえー。なるほど。それとですねハカセ。ハカセが作った怪人、つまり私のお仲間はどうして外部に」
そうクアンが呟くと、テイルは気まずそうにそっと顔をそらした。
「ああ……皆良い子だよ……うん」
そう言いながらテイルは何とも複雑な表情を浮かべていた。
申し訳ないような嬉しいような切ないような寂しいような。
そんな不思議な表情である。
「もしかして、仲違いとかですか?」
その言葉にテイルは迷わず否定した。
「いや。誰とも問題は起きていないし、全員偶に遊びに帰ってくるくらいの仲はあるぞ」
そう何故か誇らしそうにテイルは言った。
「んー。ではどうしてここにいないんですか?」
そんな鋭い質問に、テイルは苦虫をかみしめたような表情を浮かべた。
「まずな、うちは貧乏というわけではない。それなりに良い生活が出来ると思う」
「は、はあ……」
そんな事を言われると思ってなかったクアンは首を傾げた。
「悪の組織運営は商売ではないが、うちは色々と副業を抱えているし最悪俺が技術を売り払えるしな。だけど……」
「だけど?」
「だけど怪人製作を賄うほどの予算はうちにない。莫大な予算がかかるのだよ。それには貧乏ではないが特別裕福というわけではないウチでは怪人製造の予算捻出は、正直厳しい」
「……つまり?」
「七人のお前の兄達は、己のしたい事を見つけそれで生計を立てながら怪人製造予算を仕送りしてくれているのだよ。七人全員な……」
テイルは心の底から、申し訳なさそうにそう呟いた。
「……ああ。出稼ぎという事でしたか」
クアンは何とも言えない表情でそう呟いた。
「別にやりたい事をすれば良いし食っていけるなら稼ぐ必要もない。そしてうちに仕送りしろなんて一言も言っていない。だけど、何故かあいつら話を聞かずに勝手に仕送りして……。しかも返金したらもうウチに来ないって言うから……」
テイルはそう言った後、大きく溜息を吐いた。
「愛されてますねぇ」
クアンが微笑みながらそう呟くと、テイルは急に真顔になった。
「愛されてるのは確かだ。そして、愛されてるのは俺だけではない。お前の誕生を皆心待ちにしていた。怪人の一人――いや、お前の兄の一人なんかはお前の為に八桁くらいの額を持ってきたくらいだ」
そう言われ、クアンは渋い表情を浮かべた。
「……愛が重いですね」
「……嬉しいんだけどな」
そう言い合った後、二人は無言で食事を進めた。
軽々と完食できるほどには、朝食は美味しくて、クアンは少しだけ、テイルの技術に嫉妬を覚えこんな食事が作りたいと考えた。
「そうそう。お前がナナさんと呼んだ従業員だけどな、近いうちに抜けるかもしれん」
二人で朝食の跡片付けの皿洗いをしている時、テイルは突然そんな事を口走った。
「えっ!? どうしてですか!?」
皿を落としそうなほど驚くクアンにテイルは微笑んだ。
「まあ寂しくなるが悪い理由ではない。しかも確定ではないからあんまり言えない事だしな」
とても嬉しそうな表情のテイルから、クアンはその辞める理由に気が付いた。
「……結婚ですか?」
「――どうしてわかったんだ?」
「なんとなくです」
そう言ってクアンは微笑んだ。
本当はテイルが嬉しそうだから気が付いた、などと言えばテイルは恥ずかしがるだろうからクアンは心の中にとどめておいた。
「まあ本人はわからないって言ってるが、そろそろ秒読みな段階らしい。旦那側の職業次第だが、十中八九止めるだろう。悪の組織だし」
「そうですね。悪の組織ですから……。正直寂しくなりますけど、良い事ですし笑顔で送りましょう」
会って早々でも別れは辛い。
そう思う程度にはナナの事を気にいっていたのでクアンは力なく微笑んだ。
「あ、ハカセ。即金のバイトとかお金借りたりとか出来ません? ナナさんに何か贈り物がしたいんですが」
「んー。そうだな。少し早いが悪の組織らしい事をしてみようか。それとも普通の仕事が良いか? 嫌なら正直に言ってくれ」
テイルの言葉にクアンは少し悩む、そして確認の為に質問を投げた。
「本当に一般人は犠牲にならず、不幸になる人はいないのですね?」
その言葉にテイルは泡塗れの手のまま大きく頷いた。
「もちろんだ。強いて言えば正義の味方陣営か悪の組織陣営は不幸になるかもしれん。勝敗以外にも色々事情が出たりしてな。だけど一般人の犠牲だけは起きない。当然、うちも巻き込むつもりはない」
何度目かの質問で、何度も同じ答えを聞き、クアンは安心して頷いた。
「わかりました。じゃあ思い切って……『悪い事』しちゃいましょう! あ、でもでもボンテージとか悪の女幹部みたいな恰好はしませんよ?」
その言葉に少しだけテイルはショックを受け、手を洗ってパタパタとスリッパの音を響かせてからスケッチブックを持って戻ってきた。
「この中にある衣装から好きな物を選ぶと良い。ちなみに俺のオススメは……」
そう言いながらトゲトゲしい恰好を勧めようとするテイルにクアンは溜息を吐いた。
「ハカセ。センスがないとは言いませんが、私はそれを着るのに抵抗が……」
「そうか……衣装はこの中で好きなの選ぶと良い。俺のセンスが全滅だった場合は好きにデザインしてくれていいし、何なら他の戦闘員に尋ねてくれ」
テイルはしょんぼりした様子でスケッチブックを隅に置き、皿洗いに戻った。
ありがとうございました。