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アイデンティティ 2


 水を強引に裂きながら、一歩ずつ足を進めていく――。

 容易く人の命を奪っていく圧倒的な暴威である濁流をねじ伏せ、クアンはゆっくりと前にだけ進んでいた。

 防波堤となっているヒーロー達は盾を構えながらも、幼子の背をまっすぐ見つめていた。

 水を割りながら進むその姿はまるで神話のようであり、その無鉄砲で後先考えない姿自分の昔の姿のようで――。

 忘れていたあの時を思い出しながらヒーロー達はクアンの背中を見守り、無事に戻ってくる事を祈った。


 一歩ずつ、牛の方がマシなのではないかという速度で歩を進めるクアン。

 別に何か深い理由があるわけではなく、ただ前に進みにくいだけである。

 単純に水の勢いが恐ろしいほどに強く速く、それを受け流すだけで精いっぱいになっていた。

 自分の右腕を前に差し出し能力の起点とし、水を鋭く裂きながら穴を広げ……強引に先に進んでいく。


「――どんな能力か知らんが無理だ。戻って休め。お前が凄いのはわかったから一旦戻ろう。まだ十メートルも移動していないのにかなりきついだろう……というよりも、とうに限界を越えているのだろ?」

 後ろの男がそんな優しい言葉をかける。

 本心の心配だとわかるからこそ、クアンは困っていた。

 後ろ髪が惹かれ、楽な道に逃げそうな自分に苦笑いを浮かべつつ、クアンは首を横に振った。


「――まだ、いけます」

「その腕でか?」

 男に言われ、クアンは前に差し出した腕を見つめた。

 腕からは血管が気持ち悪いほど浮き出ている。

 ピキピキと不快な音を立て気持ち悪い姿となった腕は他人の腕のように見え、クアンは嫌悪感に吐き気を覚える。

 それでもクアンは出来るだけ気にしないようにして、踏ん張るように歯を食いしばり前に進んだ。

「顔色もだが、目も酷い事になっている。青く綺麗な目だったのに……今は真っ赤だ」

 その言葉をクアンは無視した。


 水の音で他のヒーロー達の声や活動音が一切聞こえなくなった。

 聞こえるのは、後ろにいる男の呼吸音と自分の心音のみ。

 その心音が張り裂けそうなほど吼えているのは、きっときのせいではないだろう。


 四割ほど進んだ辺りで、足が上にあげられなくなった。

 疲労なのか負荷からなのかはわからない。

 だからクアンは、足を引きずりながら前に進んだ。

 幸か不幸か、元から進行速度が遅かったので速度自体に影響はなかった。


 さらに進むとぷちんと音がして右腕から血がだくだくと流れだした。

 それでも、血管が脈打つのは収まらずむしろ悪化しているようにも見える。

 ただ、さっきまであった右腕の痛みが消えてむしろ進みやすくなっていた。


 突然、視界が真っ赤に染まった。

 瞼の下や口の両脇辺りに何か涙のようなものが流れる。

 頭痛や耳鳴りも聞こえてくるが……それでも、クアンは気にせず足を前に動かし続けた。


 後ろの男は、もう辞めろなんて軽い言葉を言えなくなっていた。

 目の前の少女は後ろにいる自分の方を優先して水から守り、苦しみを重ねて前に進んでいる。

 しかも、どうやら失敗した場合は自分だけでも逃がせるようにしているフシすらある。

 確かに性格は幼稚で、まるで幼子のような目の前の少女だが……その理不尽に立ち向かう背中は誰もが認めるヒーローそのものだった。




 どのくらいダムに水が貯えられるか、どの程度今の水量があるか、今現在どれだけダムに負荷がかかっているか。

 ダムに接近しつつあるクアンはその全てを完璧に把握出来ていた。

 それはクアンの特殊能力によるものではない。

 テイルが事前に、クアンが生まれる前にインプットした知識を利用して計算したものである。

 これにより、クアンは一つ理解した事あった。

 確証はないが……テイルはこういった水害対策をさせる為にクアンを製造したという事である。

 でないと、ダムの位置から構造といった明らかに偏った知識まで用意する理由がないからだ。

 何が言いたいのかと言うと……今の行動は全てテイルの掌の上という事になる。

 だが、クアンはそれに文句を言うつもりも、ましてや怨むつもりもない。

 むしろ感謝していた。

 体の内からあふれ出ててくる強い感情。

 誰かの為に何かをしたい、見知らぬ人であっても守り抜きたい、幸せにしたい。

 それが機械のようにプログラミングした何かで合ったとしても、今の行動に一片たりとも悔いを持っていなかった。




 まるで奉仕機械のようだと自分の事を思っていたとしても、当然クアンは機械ではない。

 右腕と目は能力負荷と単純な水の圧によりボロボロ。

 内臓にもダメージを残し脳は疲労と酸欠状態。

 そんな状態にもかかわらずたどり……ダムまでたどり着けたのは十二分に奇跡と呼んでも良い。

 しかし、限界なのはクアンだけではなかった。

 既に、ダムの方も限りなく限界が近づいていた。


 クアンの目の前で、ダムの亀裂が大きく広がり、コンクリートの壁が砕け――。

 クアンは左腕を前に突き出し、崩壊しかかった壁を抑え込んだ。

 亀裂部付近に来る水の衝撃を全て受け止め、ダムの機能を一部肩代わりするクアン。

 ただし……それはクアンが受け止め切れる能力使用の幅をはるかに超えてしまっていた。

 衝撃はそのまま壁から腕に移動し、腕を突き抜け、左肩の後ろ辺りまで伝わると――パンと小気味良い音を鳴らし左肩後ろ辺りから血を吹き出した。


 痛みはない――痛みすら感じる瞬間もなく肩が空洞になったかのような違和感が残っただけだった。

 そして時間差で肩の内側に焼けた鉄を押し付けたような暴虐的な痛みが広がり、クアンは目を固く閉じ腹の底からの叫び声をあげた。

 背中に粘り気のある熱い血が流れ、脳がかき混ぜられるような不快感が体を支配する。

 もはやまともに目すら開けられない状況だが、それでもクアンは膝を折らず能力を止めなかった。


「おい、どのくらい支えられる?」

 後ろの男の問いに、クアンは痛みに堪え涙を流しながら答えた。

「あなたが……完全に作業を終えるまで……」

「まったく根性入ったルーキーだな。五分持たせろ。英雄ヒーロー

 そう言った後男は背中に背負ったリュックから工具を取り出しクアンの前に移動した。




 和らぐ気配のない激痛を抱えつつ、クアンは永劫とも言えるような時間の中に取り残された。

 気を抜くと意識が落ちそうになるので必死に堪えて食いしばる。

 少しでも楽にならないか、痛みが和らがないか考え試しに口内を噛んでみたが全く効果がなくて……ただ口の中に鉄の味が広がるだけだった。

 早く時間が過ぎて欲しい。

 そう願うだけの時間は恐ろしいほどにゆっくりとしか体感出来なかった。








「終わったぞ。帰るだけの体力は残っているか?」

 クアンは赤く染まる瞳を開き、目の前の壁を見つめる。

 さっきまであったひび割れはそこに見られず、文字通り完璧な仕上がりとなっているダムを見てクアンは安堵の息を漏らし、自分と男を球体状の膜に閉じ込めた。


 そのまま水の膜は濁流の流れに適当に従い適当に逆らいながら上に移動し、水上をどんぶらこと緩やかに移動していく。


「あと、お願いします」

 水上でぷかぷかと浮かびつつある膜の中でクアンがそう呟くと、男はぽんとクアンの頭を優しく叩いた。

「お疲れさん。後は休んでな」

 そう言うと男はクアンをお姫様抱っこで抱きかかえ、水球から飛び出し地上に着地した。

 この時クアンは疲れと痛みに酸欠と最悪な体調で深く物事を考える能力がなくなっていた。

 そんな中クアンが思った事はたった一つ……。

 ――お姫様抱っこされてるのにときめかないのは、私が幼稚だから? それとも相手の年齢が上すぎるから? ……たぶん後者かな。

 緊張感の消え去ったクアンはそんな頭の悪い事を考えていた。


ありがとうございました。

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