水にご注意? 3
分厚い雨雲の所為で薄暗い中、叩きつけるような豪雨は視覚だけではなく水がぶつかる音により聴覚すら阻害していた。
そんな本来なら一歩先すら見えない状況でも、水が原因である限りクアンは問題なく活動する事が出来た。
水の情報を処理する際に干渉を省く事で、視覚聴覚をほぼ正常に活動させる事が出来る。
昼間ほど、とまではいかなくても豪雨の影響は全く受けずにいられた。
そして水の操作が主能力であるクアンはその他の問題、足を滑らせるなどという事もなかった。
それでも、それだけ有利な状況であっても、目の前のライゾーの方がはるかに機敏に動き回っていた。
垂直で十メートルを越えるジャンプだけでなく、壁を利用した縦横無尽の高速移動。
見た目は黒子のような姿だが、その戦い方はまるで――空を駆ける天狗のようである。
目で追うのがやっとの移動速度に飽きれるほどの体力。
そして最悪なのが、攻撃を食らう直前ですら受け流す事が出来る動体視力と反射神経。
間違いなくはるか格上の存在である。
確かに遥か格上の実力者ではあるのだが、クアンが圧倒的に不利というわけでもなかった。
降り注ぐ雨全てが武器である贔屓しすぎというほどの状況は格上であっても十二分に戦う事が出来ている。
近距離操作ならば緻密かつ威力、強度の高い攻防が行え、遠距離操作ですらアバウトに能力を使用し妨害、牽制を行える。
更に、制御補助装置のおかげで水弾という優秀なサブウェポンもあり応用性が広い隙のない戦闘を行う事が出来ていた。
むしろ特殊能力がなく物理特化であるライゾーの方が不利だと言えるのだが、それでもライゾーには一手たりとも有効となる攻撃が決まっていなかった。
クアンは現在の状況は相手に有利で、このままだと絶対に負けると確信していた。
現在、自分でも驚くほどに集中力が高まり異常とも言える処理速度で脳が働いている。
これほどまでに自分の能力を振るえたなど一度たりとも事などなかったくらいだ。
逆に言えば……現在自分が使用しているエネルギーも多いという事になる。
能力利用によるエネルギー消費だけでなく、情報処理のしすぎて脳疲労状態になってしまう。
視覚聴覚補助という無意識レベルの能力使用も加えて考慮し今までの訓練から予測するに、あと十分もすれば疲れ果てて能力が使えなくなるだろう。
クアンの勝ち目は短期決戦のみとなり、ライゾーの隙を窺っているのだが……その高機動とは裏腹に恐ろしいほどに堅実な立ち回りをする為ライゾーの隙を穿つ事は困難だった。
――うーん、どうしよう……。
若干の疲れを感じながらクアンがそう考えている瞬間、突然ライゾーがぴたっと動きを止めクアンから注意を反らした。
それは疲れてや不意を突いてという感じではなく、完全に隙である。
今なら不意打ちでの一撃も絶対に当たると確信出来るほど、ライゾーは注意を反らし、あまりに突然すぎてクアンは攻撃する事ができなかった。
そしてその直後に、クアンの耳に付けられた受信機から声が響いた。
『クアン! 中止だ! 右を見ろ』
テイルの声を聴き、クアンはライゾーが見ているのと同じ方角に目を向ける。
そこには大きなオレンジ色の垂れ幕が掲げられていた。
『KOHOからの連絡で、オレンジ色は撮影中止に避難指示の発令合図だ。暴雨警報……ではないっぽいな。土砂崩れか何かあったのだろう』
「私はどうしたら良いですか?」
クアンがそう呟くと、ビルの隙間からドローンが現れた。
『この場合は二択だ。避難するか、一般人の救助をするか。どっちでも良いぞ。俺は救助しなければならないがな』
「しなければならない?」
『ああ。このドローンは悪天候でも活動出来る救助的な役割があるからそういう義務も生じる。と言っても、そんなものなくても手くらい貸すつもりだけどな』
「……だったら私も手を貸します。他の災害なら迷惑になるかもしれませんが、水関連でしたら何かお手伝いできるはずです」
「わかった。正直助かる。避難した住民の衣装乾かすだけでも生存率が跳ね上がるからな。ドローンに付いてきてくれ』
テイルの言葉にクアンが頷いた瞬間、横から黒い影がよぎった。
「待たれよ」
それはさきほどまで戦っていたライゾーだった。
「……ここは通さないとかそういう類ですか?」
そうクアンが尋ねるとふっ乾いた笑いを見せた。
「いや。見ての通り足と体力には自信がある。ワシもつれて行ってくれ。役に立つ自信はあるが、恥ずかしながら方向音痴でな、救助者が迷子になるなんて愚かな真似をしたくない」
さきほどまでと口調は変わらないのにいきなり崩れたキャラにクアンは少しだけ戸惑った。
「は、はあ。というよりも、普段からそのしゃべり方なんですね」
「ああ。舞台が本業なのもあって恰好を変えて役に入り込む性質でな。その辺りは勘弁してくれ。して、二人の会話から善良である事は理解出来た。手を貸したい」
その言葉にクアンは頷き、二人はドローンの誘導する方角に移動を開始した。
『……高振動を利用した傍聴対策済み受信機を新人が何の能力もハッキングもなしに突破するのか……』
テイルが愚痴るように呟くとサイゾーは申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「それで私はどうしたら?」
長い事移動した後ドローンが止まったのに合わせ、クアンはそう尋ねるた。
すると、ドローンはぴこんぴこんと鳴りながら赤く点滅した。
『ここを半径にして五十メートル以内に二人の要救助者がいる。探してくれ』
そうテイルが呟いた瞬間に、ライゾーは垂直跳びで斜め向かいビル五階に跳び子供を二人抱きかかえて戻ってきた。
五歳くらいの男の子二人は半泣きになりながら冷やした体をライゾーにくっつけて暖を取っていた。
「山育ちでな、耳には少しばかり自信があるのだ」
「……知ってる」
『知ってる』
二人がそう呟くと、ライゾーは微笑むように笑いながら二人の子供を抱きしめ、クアンは子供二人から水を払い、ライゾーの周囲に雨避けの水膜を作った。
そこから数分ほど移動した後、ライゾーは二人の子供をそっとクアンに託した。
「えっ? どうしました?」
「いや。もう避難所が近いだろう。ワシは中に入れんからな」
そう呟くライゾーにクアンは首を傾げながら二人の子供を受け取った。
子供は疲れたのかライゾーの腕の中が心地よかったのか気持ちよさそうに寝息を立てている。
『避難キャンプは原則対立組織の立ち入り禁止なんだ。トラブル防止の為にな』
テイルがつまらなさそうに呟いた。
「ワシは当然だと思うがの。方針も違う者が入り込むと指示系統がめちゃくちゃになるし……過激派がな……」
「あぁ……」
クアンはそれだけで理解した。
一般人を庇う善良さと受け入れられない存在を消す残酷さは共生することが出来るという実例をつい最近見たばかりだったからだ。
「というわけでこの辺りで待っているから何かあれば指示をくれ」
そう言った瞬間、ライゾーはふっと煙のように姿を消した。
「……凄く忍者っぽい」
『伊達や酔狂で鞍馬の名を名乗ってないってことだ。とりあえず急いで先に進め。ライゾーの言った通りキャンプはすぐ傍だ」
その言葉に頷き、クアンはドローン目掛けて走り出した。
学校らしき場所のグラウンドに大きなテントが一つぽつんと置かれ、そこにドクロマークの国旗のようなものが掲げられていた。
「ハカセ。あそこは?」
『総合受付だろうな、というか受付しかないな……避難指示の割にも規模が小さい。まあ良い。とりあえず中に入ってくれ』
その指示にそのまま従い、クアンは大きなテントに足を運んだ。
中に入ると受付が二人立っているだけだった。
その恰好は全身黒オンリー。
一目でわかるその圧倒的存在感、THE戦闘員というスタイルの二人は両手に子供を抱えるクアンを見て申し訳なさそうに呟いた。
「ご苦労様です」
「あ、普通にしゃべれるんですね」
「ええ。緊急時ですので。そしてせっかく連れてきていただいたのですが……別の場所への誘導をお願いできますか?」
その言葉に合わせ、もう一人の戦闘員がクアンに下敷きのような物を手渡した。
「そちらが防水済みのマップとなっておりまして、その指示通りに要救助者を運んでいただけますか? 緊急治療が必要でしたら体育館が利用できますが……大丈夫ですよね?」
その言葉にクアンは頷いた。
「大丈夫ですが……何があったのか情報がなくて。色々教えていただけたらと」
「了解です。想定の範囲を超えた降雨量と浸水にて土砂、崖崩れが起き、数時間後には交通機関停止の恐れもあります」
『クアン。もう少し詳しく聞け。この場から去るだけの何か事情があるはずだ』
テイルの言葉にクアンは頷いた。
「えと、他の救助者……というかココに救助者がいなくて移動する理由って何です?」
「あはい。……ちょっと詳しい情報はまだなのですが……どうやらダムが溢れたようでこの辺りも浸水する恐れがあるのと……」
「あるのと?」
「……あくまで噂なのですが……ダム決壊の恐れもあるとか……。浸水だけでもこの辺りが沈んで孤立する恐れもありますし、万が一結界ともなればこの場ではどうも出来ません。というわけで緊急というわけではないですが急いで避難を」
『……こっちの調査でも似たような結果が出た。クアン。急いで次の避難場所に子供をつれて行こう』
「――ありがとうございました……」
クアンは少しだけ考え込む仕草をした後、戦闘員二人に礼を言って深く頭を下げ、ライゾーの元に戻った。
「ライゾーさん。いらっしゃいます?」
クアンの呟きに合わせてライゾーは空からしゅたっと音を立て着地をした。
「……抱きかかえたままという事は……厄介ごとか?」
その言葉に否定も肯定も出来ず、クアンは首を傾げた。
「大変というほどでもないのですが……この辺りも浸水の恐れがあるという事でもう少し遠くて高い位置に避難することになりまして」
「なるほど。あいわかった。護衛程度しか役に立てないが付き合おう」
そうライゾーが言うと、クアンは首を横に振りライゾーに子供を手渡した。
『……ちっ。やっぱりか。お前らはそうするよな』
テイルは苦々しい口調でそう呟いた。
「ライゾーさん。これ受信機とマップです。そしてハカセ。ライゾーさんの避難誘導をお願いします」
「……それは良いが……おぬしは?」
「――ちょっとダムの方に行ってきます」
その言葉に合わせて、テイルは露骨なほどの溜息を吐いた。
「行くのは良いが、それなら地図がいるのではないか?」
ライゾーの言葉にクアンは首を振った。
「いえ。それなりに距離があるので地図外なんですよ」
「それならおぬしはどうやってそこに向かう?」
「私ちょっと変わってまして、生まれた時からダムの位置が頭に入ってるんです」
微笑みながらそう言った後、クアンは独りでその場を走り去った。
ありがとうございました。