誰がために歌うのか
ユキのアイドルレッスンが始まってから一月が経過した。
その間ほぼ毎日トレーナーの人は来てくれて、そしてユキはそのレッスン全てを途中で投げ出し逃げた。
そんな自分が、ユキは心底嫌いになっていた。
トレーナーの人に問題はない。
わざわざ配慮してくれたのか女性であり、能力に問題ないどころかユキの目から見ても特別有能である事がわかる。
むしろ、脱走癖の付いた負け犬の自分には勿体ないくらいだった。
しかも毎日逃げてもトレーナーは文句を一つも言わない。
言わないのだが、その所為で疲れている事、困っている事は目に見えていた。
本当に最悪である。
他の誰でもなく……自分自身が……。
理由は幾つかある。
だが、その全てが言語化し辛い理由であり、そしてなによりも自分勝手な理由である。
「普通の人と大差ない? ……はは。ただの凡人以下じゃない……」
ユキは知らない土地で一人三角座りをして、空を見ながらそう呟いた。
空はこんなに青いのに、気分は落ち込む一方だった。
例えば、単純に人が怖かった。
嫌いや苦手ではない。
人が怖いのだ。
弱くなり、はっきりと自覚した自分の欠点。
人の目が、異質な物を見る様なその目が沢山あると、まるで自分が世界で一人だけになった様な気になってしまう。
どうしようもない孤独だけでなく、その全てが自分に対しいつ牙を剥くかもしれないという恐怖。
友達が、テイルが、ARバレットの皆が傍にいるとそんなに気にならない。
それは自分が強くなったからではなく、護られているからに他ならない。
だが、ライブ会場はどうだ?
自分は独りで、沢山の奇異な目に見られる。
考えるだけでも、恐ろしかった。
ただ……まだ我慢出来た。
怖いだけならば、ユキは我慢する事が出来る。
我慢出来ないのは別に理由があり……それは自分の醜さを直視する事に外ならなかった。
「はぁ……」
溜息しか付けない。
情けない。
ネガティブな感情が自分の中に渦巻いているのがわかる。
これは良くない事だとわかるのだが……どうしようも出来なかった。
今だけは、テイルに会いたくなかった。
「……ま、流石にここまでは来れないよね……」
毎日脱走したユキを、毎日テイルは見に来てくれた。
時に優しく、時に楽しそうに、そして本当にしんどい時は強引に気分を変える様。
本当に何でもしてくれた。
だからこそ、ずっとおんぶにだっこだと自覚しているからこそ今だけは独りでいたかった。
だから……ユキは自分でも知らない場所に移動し、独りとなった。
「……ん? あれ? いや、おかしくない?」
そこまで思考を巡らせている時、ユキは何やらとんでもない違和感に気が付き、首を傾げた。
毎日……来てくれた?
あれ?
「こんな場所があったんだな」
そう言って当然の様にテイルが姿を見せ、ユキは盛大に咽て咳込んだ。
「ちょ!? テイル。なんでここに……」
「何でって言われても……ほれ」
そう言ってテイルは何時もの様にユキに差し入れをした。
今日は暖かいココアの缶飲料だった。
「あ、ありがと」
混乱しながらもユキは差し出しを受け取り、そして唐突に今までの違和感を察した。
「ねぇテイル。一つ良い?」
「あん? 何だ?」
「あのさ……どうして私のいる場所がわかったの?」
ユキが感じた違和感、それはそこだった。
ユキは訓練後必ず脱走した。
つまり逃げ出したのだ。
誰にも行先を知られず、悲しく恥ずかしいから隠して。
じゃあ……どうしてテイルはその場所がわかったのか。
これが偶になら探し回ったのだと理解出来る。
テイルはそういう優しい人だからだ。
だが……それが毎回というのは絶対にあり得ない。
三十日毎度隠れた自分を探してすぐに見つけるなんて行動、物理的に不可能としか言えない。
しかも、今回はユキ自身が行った事のない場所である。
わかるわけがなかった。
目的地に到着し、三十分以内に必ずテイルはユキに合流しているのだからどこぞの漫画やアニメの様に、見つかるまでずっと探していたとかそういうわけでもない。
もし探して三十分以内に常に見つけていたのだとしたら、宅配ピザが喉から手が出るほど欲しがる特別優秀な能力としか言い様がなかった。
「あー。そうだな……何となく?」
テイルはそう言って首を傾げた。
「いやいやいやいや! 何となくってどういう事?」
「と言ってもなぁ。別に何か特別な事をしているとかじゃないぞ。当然探知やGBS等プライバシーにかかわる事は何もしていないと誓うぞ」
「いや。それはわかってるわ」
というよりも、逃げ出す時にその類の物は全て使用不能にしている為機械的な方面からはユキを見つける事は絶対に出来ない。
唯一在りそうなのは第二怪人の予知能力だが、その可能性も今テイルの口から否定された。
「という事は……結局どうやったの?」
「何もしてないぞ。ただ、何となくユキはここにいるだろうなって思う場所に移動していただけだ」
「……テイル。何かの能力に目覚めた?」
そう考えたが、その可能性は限りなく低い。
それはわかっているのだが、ユキはこの現象に理解出来ずにいた。
「はは。そうかもしれんが、もし目覚めたとしたらユキの方じゃないか?」
「……私?」
「ああ。たぶんだが、誰かに探して欲しかったんだろ。んで、そこそこ仲が良くてあまり気兼ねがない俺に白羽の矢が立ったと」
そう言われても、ユキはピンと来なかった。
今日だけは、テイルにも来てほしくないと思っていた位だからだ。
ただ、やはり来てくれたら来てくれたで嬉しい。
そんな現金な自分は、嫌いじゃなかった。
「……んー。ねぇテイル。もしさ、私が探して欲しいって言って隠れたら、見つけてくれる?」
「ああ。そうだな。見つかるかはわからないが、今日みたいに見つかるまで探し続けるよ」
「……ねぇテイル。もし私がさ……フェスの参加止めたいって言ったら、悲しむ?」
怒る事はないだろう。
だが、がっかりはきっとするだろう。
イベント事が好きで、きっちり終わらせたらこれから何の遠慮もなくARバレットが続けられる。
それを途中で止めるのだから、がっかりしないわけがない。
だが、テイルは首を横に振った。
「いいや。悲しみもがっかりもしないぞ。むしろ、今日まで良く頑張ったって言うだけだ」
その言葉には、一切の嘘や誇張が混じっていなかった。
「どうして? ねぇ……テイルは私の一体何を見てそう言ってくれてるの?」
何もわからない。
何が聞きたいかすら分からないなんて、生まれて初めてである。
ほとんどヒステリーに近い状態でユキはそう尋ねた。
そんなユキを、テイルは優しく微笑みだけだった。
「何もわからんさ。ただ、嫌な事は嫌なのは誰でも一緒だ。だからさ、好きな事だけをしていて欲しいんだ。せっかくの人生なんだからさ。楽しまないと」
そう言って、テイルは微笑んだ。
事実、テイルは別にユキの心情を理解しているわけでも深く考えているわけでもない。
ただ、ユキが隠していた嫌という気持ちを本人以上に敏感に察していたというだけであり、それ以上の事情は一切存在していなかった。
「楽しむ……か……。ねぇテイル。今からとってもわがままで、最低な事言うけどさ、嫌いにならないでくれる?」
「ああ。約束しよう。わがままで幼稚な事ならいつもしている俺だ。その程度気にもせん」
そう言って微笑みテイルを見て、ユキはどうしても我慢の出来ない事を言葉にした。
「別にね、トレーニングをするのは好きなの。自分の知らない事を吸収するのはとても楽しい。でもね……私、人が苦手で……ううん。人が嫌いで、怖いの」
「ああ。知ってるよ」
「うん。いつもそれから守ってくれてるもんね。でもね、それだけじゃあないの。私が本当に我慢出来ない事。テイル。アイドルってさ、皆に笑顔を、元気を分けてあげる人の事だよね?」
「ああ。そうらしいな。俺も良くわからないが、前行ったライブの時は楽しいという気持ちを分けて貰ったな」
「うん。私ね、それがとても嫌なの。どうして……どうして私がそんな知らない奴らを楽しませないとって……そう思っちゃうの」
今は楽しい。
それは間違いないが、昔のユキは真っ当に楽しいと感じる事など全くなかった。
見下し嘲笑する者、利用しようと媚を売る者、そして、迫害する者。
そんな集団の中で孤立していたユキの青春時代は最悪としか言い様がなかった。
だからこそ、それが醜い感情だとわかっていても、ユキはそう思わずにはいられなかった。
『私はあんなに辛い思いをしたのに、なんで私はそんな私を助けてくれなかった人達に幸せを分けないといけないのか。そんなのズルい』
ただの八つ当たりで、ただただ汚らしくも醜い幼稚な感情だと理解出来ている。
だが、わかっていてもそう思う事を止める事が出来なかった。
自分の為の罰則で、ちょいと媚を売れば良いだけの、今までと比べたらずっとイージーなミッション。
にも関わらず、ユキには出来る気がしなかった。
笑える気がしなかった。
「……ああ。そうか。良くわかった。辛かったな」
そう言ってテイルはユキの頭をぽんぽんと優しく叩き、そっと撫でた。
頭が振動し、それに釣られ目元が熱くなり泣きそうになる。
だが、泣く事は許されない。
自分の醜い感情で振り回しているのに、泣いて良い訳がないからだ。
「ねぇテイル。テイルもさ、過去に嫌な事が沢山遭ったよね?」
「ああ。遭ったな」
「なのにさ、テイルは知らない人も楽しませようって良く考えてるよね?」
「んー。まあ、概ねそうと捉えて貰っても良いぞ」
事実、そう考える事が根本にあるからこそARバレットは多くの人に善良な組織と認めらており、同時にテイルの作った企業は市民間での評判が高かった。
「……どうして? どうやってそんな大らかで優しい心が持てるの?」
自分なら、辛い事があったのに知らない奴らに得をさせる事が許せない。
それはとても悔しいからだ。
そうユキは考えていた。
「いや。これは優しいという事じゃあなくてな……ただ、俺が馬鹿だからだ」
「……どういう事?」
「馬鹿で考えなしだから、シンプルなんだよ。皆で笑ったら楽しい。過去とか、未来とかそんな事考えてないんだ」
当然身内は優先だが、そうでなくても皆が笑った方が楽しいだろう。
たったそれだけ。
だが、ユキには絶対に考える事の出来ないシンプルが故に不変の真実だった。
「……私にはどうやっても無理な考え方だね」
「別に良いと思うぞ。俺も、ユキも決して間違っていない。だから無理に頑張る必要はないさ」
「うん。……そうだね、出来ない事を無理にして本番で爆発するよりは良いよね……」
最悪の場合はヒステリーで会場を破壊しかねない。
それほどユキは暗い感情を溜め込んでいた。
「……頑張ってみたいのか?」
テイルの言葉にユキは少しだけ考え、そして頷いた。
本当は頑張りたいからこそ、今日まで途中で逃げてでも毎日レッスンを重ねていたからだ。
だけど、頑張れる気がしなかった。
「だったらさ、その感情をまず否定しない事から始めよう」
「……それって、アイドルという存在全否定じゃない?」
「良いんだよそんな事どうでも。その代わり、こう考えるんだ。一部の知り合いにだけ聞かせる。後の奴は興味ないけど排除しない。ありがたく美しい歌声を聞きやがれってな」
そう言ってテイルが意地悪そうな笑みのまま言うと、ユキは少しだけ考え込んだ。
ずっと知らない人の為って考えていた為……そう言われるまで知り合いが参加するなんて考えた事がなかったからだ。
「ねぇ。誰が来るの?」
「ん? まずは……フェス参加者としてトゥイリーズの二人が来るぞ」
「え!? あの二人参加者なの?」
「ああ。ユキの応援をするついでに参加するってさ。裏側でも一人じゃないぞ」
「……ああでも、あの二人なら何とかなりそうね。カラオケとか普通に上手かったし」
「元々プリキ〇ア枠だからな。歌って踊れるから強いぞフェスでは。強力なライバルだな」
「いや、別に競ってないし勝ち負けには興味ないから。後は誰か来る?」
「え? ARバレットの暇な奴全員」
「へー。……え? 全員?」
「ああ。誰が来るかまではまだ決まってないが、とりあえず千人は超えると思うぞ」
「ちょ!? それARバレットの構成員じゃなくて企業側とか都市運営も混ぜての方じゃん!?」
「おう。ちなみにヴァルセトとヴォーダンは横断幕とかオタ芸とかの練習もしてるぞ今」
「ちょ!? 止めてもテイル。どうしてそんな恥ずかしい事……ああ、テイルが止めるわけがなかったわね」
「おう。むしろ俺もやる側だ」
ドヤ顔でそう言葉にするテイルにユキは苦笑いを浮かべた。
「はぁ……。恥ずかしい事になりそう。でも……そうね、うん。その人達に歌うのは……嫌じゃないかもね」
むしろ、聞きにきて欲しいと思う位は嬉しい。
――とは言え……それもそれで何か違う様な……。
ユキはそんな気がしていた。
「そうそう。知らない奴に歌うのが嫌なら歌いたい奴に歌えば良いんだよ。ユキ、お前はもう独りじゃないんだから」
そう言って微笑むテイルに、ユキは自分でも理解出来ないほどに熱い、良くわからない感情を覚えた。
理解出来ない音が、自分の中だけで鳴り響く。
昔は分からない事なんてなかったのに、わからない事が沢山見えてくる。
それが普通なんだと思うと、少しだけ寂しくなり、そしてとても嬉しくなる。
そして、この良くわからない気持ちが何なのかはわからなくても、状況から察する事が出来る。
これは、誰にでも鳴りえる、ずっと自分が患っている一種の病であると。
「……歌いたい人に……か。テイル。テイルは私が歌う事とか、興味ある? アイドルみたいな恰好で、舞台の上で」
その言葉にテイルは少しだけ困った顔をして、そして頬を掻きながら呟いた。
「あーうん。その手の話題は俺が言うと揉めるからあんまり言わない様にしているが……正直言うと、ちょっと見たいかな。うん」
その曖昧な言い方が照れくさいからだとすぐにユキは気づき、そして微笑んだ。
嫌な事は変わっていない。
自分の醜さなどきっと一生変わらないだろう。
だけど……それ以上に、ユキにはやりたい事が出来ていた。
有象無象にでも、わざわざ来てくれる千人でも、友達の二人でもなく……ユキが本当に歌を伝えたい相手は……。
「うん。……決めた。頑張ってみるよ。だから、ちゃんと見ててね?」
その言葉にテイルは微笑み、しっかりと頷いた。
翌日、何時ものレッスンの時間、いつもの状況、ただし、いつもの少しだけ異なっていた。
ユキの目の色が明らかに変わっている事にトレーナーは気が付いた。
今までも真剣であったが、その目は真剣とはまた少々違い、目的を成し遂げようとする目だった。
「先生。一つ質問が」
珍しくユキからの言葉にトレーナーは手を止め、ユキの方をまっすぐに見た。
「何かしら?」
「……たった一人の為に、フェスに参加したいって言ったら、やっぱりアイドル失格ですかね?」
その言葉にトレーナーは驚き、目を丸くした。
そう言う答えをした人を何人か見て来た。
だから言いたい事をトレーナーは良く理解している。
しかし、それをユキが言うとは思ってもみなかった。
「……ええそうね。アイドルってのは皆の為にこそある存在、世界の為に歌う人よ。たかだか恋の為に歌うのは偶像失格としか言い様がないわ」
その言葉に、ユキは落ち込んだ表情を見せた。
ただし、トレーナーは楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。
「でもね、私はそれでも良いと思うの」
「……どうしてです?」
「私はね、ぶっちゃけアイドルを育てないわけじゃあないのよ。どうして私がトレーナーをやってると思う? 自分でいうのも何だけど、私歌って踊れてそこそこの容姿で、アイドルとしてやっても成功すると思わない?」
ドヤ顔でのトレーナーにユキは曖昧に笑いながらも頷いた。
実際そう言うだけの能力をこのトレーナーは持っているからだ。
「それでも、私がトレーナーをしているのはね、輝かせたいからよ。私はアイドルを生み出したいんじゃない。女の子をより輝かせたいの」
そう言った後、トレーナーはユキの両肩をがっしりと掴んだ。
「貴方は昨日よりも輝いているわ。でもね、もっと輝きたいんでしょ? その人だけの為に」
「……うん」
どうしようもない鈍感な人で、幼稚で、自由な人。
だけど、愛しい人。
その人の為の歌なら、誰にも負けたくない。
ユキはそう思っていた。
トレーナーは満面の笑みで頷いた。
「良いわよ。今から残り一週間、私の用いる全ての技術、能力を伝えるわ。それと同時に歌う曲も振りつけも衣装も全て変更しましょう。たった一人の為だけに。だからこれから休みなんて一切ないし、ついでに言えば脱走する時間もなければ今まで見たいに甘くもないわ。良いわね?」
ユキはしっかりと頷いた。
今まで散々逃げてきたユキだが、今だけは逃げる気がしなかった。
あの人の事を考えるならば、逃げる訳にはいかなかった。
ありがとうございました。