出来る事、出来ない事
ユキがフェスに参加する事が決まった瞬間に、KOHOの対応は気まずい物から好意的な物にがらっと変わった。
KOHOとしても何等かの罰則をユキが受けたという事情が欲しいだけで、昔ならともかく今の変わったユキに対して思うところなど一切なかったからだ。
罰則をフェスにしたのも嫌がらせという意味ではなく、ARバレットの事を想ってである。
フェスに参加した正義、悪の組織は大体評判が上がる。
そして最近外見、内面共に評価が高く何でもこなせるユキならきっと評判うなぎ登りに違いない。
更に言えばこれまでユキが行って来たのグレーゾーン行為やルール違反をたった一日で全て帳消しに出来るのだ。
これなら問題ないだろう。
皆が損をしない様必死に考えたKOHO会心の策である。
「……何か凄そうなトレーナーの人も来ましたし、歌う曲とか歌詞とかもプロの人がユキさんに合わせて作るんですよね?」
ユキの事が心配になってわざわざ様子を見に来たクアンがテイルにそう尋ねた。
「ああ。そうだな」
「んで、今トレーナーの女性の方とマンツーマンでダンスレッスンを受けていると」
「ああ。そうだな」
「じゃあ……何の心配もいりませんね」
そう言ってクアンは微笑んだ。
テイルはそれに対し、苦笑いを浮かべた。
「あれ? 博士何か心配事があるんですか?」
「……人という者は理解が難しい。その中でもクアン、お前は人の機敏に恐ろしく鋭く、特に心に傷付いた人を見つけるのは世界一巧いと言っても良いだろう」
「そうですかね?」
「ああ。お前は本当に凄い自慢の娘だよ。だが……ユキに関してはお前より俺の方がわかっているらしいな」
「……どういう事です?」
そうクアンが尋ねたと同時にドアがノックと同時に開かれた。
「すいません。立花さんがどこに行ったかご存知ないでしょうか?」
そう言葉を紡いだのは今回の為に雇った専属トレーナーだった。
その顔は焦りを含んだ困り顔となっていた。
「ああ。すいません。たぶん逃げました。それと、ユキの調子はどうですか?
テイルは当たり前の様にそう対応にトレーナーは首を傾げた。
「え!? あ、は、はぁ。やはり天才というのは伊達ではないなと。正直今日一日で素人から練習生と呼べるだけの成長は果たしましたね。ただ……だからこそ調子も良かったですし関係も悪くなかったはずなのに……どうして逃げたのか……」
「すいません。それは天才故の副作用というか心の在り方というか……」
「いえ。それは良いのですが……私はどうしたら……」
「クアン。トレーナーさんにお茶とお茶菓子の用意を。すいません。これに懲りずまた明日来てもらえたらと思います。……最悪当日キャンセルになりますが」
そう言ってテイルは上着を羽織ってドアに手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいハカセ。一体どういう事でどうして……。それにキャンセルって……」
「ま、その辺りは後に相談しよう。とりあえず、俺はユキの所に言ってくる」
そう言ってテイルはそのまま振り返りもせずに部屋を飛び出した。
「……と、とりあえずお疲れ様でした。何かすいません。お茶を用意しますので少々お待ちください」
「あ、はい。よろしくお願いします」
クアンとトレーナーの二人は目を丸くし、事情がわからず首を傾げながらティータイムに移った。
楽し気な空間。
誰もを笑顔にして幸せにしようとする場所。
愛し愛された土地、宝が山商店街。
そんな本来ならば楽しさが約束された場所のはずなのに、ユキは笑えずにいた。
「……はぁ」
溜息を吐かずにはいられない。
他の誰に対してではなく、自分の情けなさに足して……。
驚くほどに、心が弱くなった。
辛いと思う事が増えた。
こんな下らない事で逃げるほど、自分は弱くなかった。
過去の自分ならばどんな状況でも笑顔という仮面を張りつけ軽々とこなす事が出来たのに。
そんな後悔だけが何度もリフレインしていた。
「はぁ……」
繰り返される溜息だけが、後悔と同時に溢れてくる。
そんな落ち込みきった自分の横っ面に、何か暖かい空気の様な物を感じた。
……タイヤキだった。
「ほれ」
何の脈略もなくその男、テイルは現れて、どういうわけかタイヤキをユキに手渡していた。
何も聞かず、何も言わず、何も責めずに。
「あ、テイル……。ごめんね。次は――」
「――ユキ」
唐突に、真面目な表情で名を呼ばれ、ユキは怒られると思いを身をすぼめた。
「ユキ。今回のフェス関連に、俺は一切何も言わん。ユキが何をしようと、俺はユキを絶対に叱らないしその結果で俺が迷惑を被っても一向に構わん」
「……え? なんで? どうして?」
尋ねるというよりも、混乱の意味合いで質問を投げたユキに、テイルは何も答えないというそぶりで首を横に振った。
「どうしてもだ。だから俺に悪いからという理由では頑張らなくても良いぞ。……しんどいだろ?」
その言葉に、ユキは胸が痛くなった。
見捨てられたという訳でもない。
諦められたという訳でもない。
テイルは自分の意思で、ユキという存在とその行動を保証しただけである。
だからこそ、ユキの胸には締め付けられる様に痛くなった。
「……何で? 一体私の何がテイルにわかるの?」
嫌味やヒステリーではなく、テイルが一体何を見ているのかわからずユキは純粋たる好奇心でそう呟いていた。
「そうだな……。ユキが天才で俺らと考えが違うとか、ユキの苦手な事とか……いいや、そうじゃないな。ユキはもう頑張ってるって知ってる。だから無理をしなくても良いんだ」
そう言ってテイルはユキに無理やりタイヤキを手渡した。
「だからご褒美。頑張ってるユキにな」
そう言ってテイルは自分のタイヤキにかじりついた。
「……そか。うん。ありがとねテイル。うん……。難しいけど、自分で考えて自分で決めるわ」
そう言って白黒つけようと決意をし、ユキはタイヤキを、やる気を出す意味も込めて一気に口に頬張った。
中には何も入っていなかった。
「……あの、テイルさん。これ……」
「新発売のタイヤキ型カステラらしいぞ。パリッパリの端にふんわりした中身がウリの」
その言葉にユキは少しだけ無言となり、そして笑った。
無理に白黒つけようなんて考えていた自分が無駄なんだと、まるで揶揄している様だったからだ。
「お。ようやく笑えたか。それで良いと思うぞ」
そう言ってテイルはもう一口、自分のタイヤキっぽい何かをかじった。
「……そうね。うん。ちょっと私らしくなかったかもね。でさ、テイル。一つ良いかしら?」
「うむ。何かねユキよ」
「……何でさ、テイルの方にはクリームが入っているのかな?」
「タイヤキ風カステラはクリーム入りにも出来るからだよ」
「ほうほう。……美味しい?」
「割と」
その言葉を聞き、ユキはにっこりと満面の笑みを浮かべた後、ぴょんと跳びテイルの手にあったタイヤキに大きな口でかじりついた。
「あー! 俺のタイヤキが!」
いたずらネコの様な動きから繰り出された一口はとても女性の一口とは思えないほど大きく、テイルの持つタイヤキのどてっぱらがごっそりとなくなっていた。
「……うん。確かに美味しいわね。でもクリームなしも美味しいわよ」
「……そう言うなら一口分返してくだしあ」
しょんぼりしてそう言葉にするテイルにユキは微笑み、自分の持っているタイヤキをテイルの口元に上げた。
「はいあーん」
「おや。珍しく素直に差し出したな。だが貰われた分の恨みがあるから遠慮なく貰おう」
そう言ってテイルは大口を開けてユキのタイヤキにかぶりついた。
「……うめぇ。シンプルだが完成してる味だな」
「でしょ? どっちも美味しいよねー」
「そう……だな。ただ……」
「ただ何? やっぱりクリームの方が美味しかった? それならお詫びに買ってくるけど」
「いや。そうじゃないけど。ちょっとあーんは恥ずかしかったかなと」
そう言ってテイルが照れくさそうにするのを見て、ユキは微笑んだ。
「……言われると私も恥ずかしいわね。ま、嫌な気分じゃないけど」
そう言葉にすると、二人は少しぎこちなく微笑み合った。
周囲から、舌打ちが聞こえた様な気がした。
「さてと……せっかく遠出したんだしちょいと寄り道してから帰るか。ユキ、トレーニングに何したかわからないが……疲れは残ってないか?」
「んー。身体的な意味なら全然余裕だけど精神的な疲労は感じてるわ」
「あー。だったらちょいと今からどっかに行くってのはしんどいか?」
「いや。問題ないわ。流石に徹夜って事はないでしょ?」
「ああ。夜には帰るぞ」
「んじゃおーけーおーけー。どこに行きたいの?」
その言葉に、テイルはいたずらっ子の様な笑みを浮かべた。
「ま、見てからのお楽しみって事で」
その言葉の後に、二人はとりとめのない会話を続けながら商店街を出た。
商店街を抜け、テイルの車にして数時間ほど移動した先の小さなバーにある地下。
そこが目的の場所だった。
「……ここは……コンサート……いえ、ライブハウス?」
ユキの言葉にテイルは頷いた。
「ああ。今が夜の……八時半。ギリギリだな。急ごう」
そう言ってテイルはチケットを二枚出し、ユキの手を引っ張り階段に走った。
「大人二人!」
そうテイルが慌てた様子で地下入り口にいる男にチケットを渡すと、その男、サングラスをかけた一目でガラの悪いとわかる様な容姿をした男はチケットを見て訝し気な表情を浮かべた。
「……そっちの嬢ちゃんはどう見ても歳が足りんだろ。うちは未成年おこと――」
ユキは少し困った顔をして、カバンに用意していた様々な身分証明書を提示した。
「薬学、医術の博士号に機械工学の免許、危険物甲乙、その他もろもろありますが、後何示せばいいかしら?」
「……オーライ。悪かったよレディ。でだ、どうしてそれだけあって免許証という選択肢はなかったのかね?」
ユキはそっと目を反らした。
男の苦笑いとほぼ同時に、会場奥から掻き馴らされる様なギターサウンドと同時に叫び声にも似た歓声が響きだした。
「おっといけねぇ。せっかく来てくださった客の足を止めちまった。さあ急いで行きな。詫びはライブの後にでも」
そう言って男は追い払う様に二人を奥に行くよう指示を出した。
「ああ。行こうユキ」
テイルはユキの手を引っ張り、奥に走った。
楽しみを我慢出来ない、少年の様な笑顔で。
奥は小さなライブ会場は騒音と熱狂を掻きまわした様な混沌の極地となっていた。
はっきり言えば、騒音でしかない。
だが、それでもその騒音は何故か胸に響く様な音だった。
舞台の上にいるのは男性三人、女性二人。
ボーカルが男性、ギターが男女一人ずつ、ベースが女性、ドラムが男性パートとなっていた。
その横に予備のマイクやピアノ、キーボードが無人で用意されていた。
ダン!
横にいたギターの女性が地面を強く蹴る様にスタンプする。
その様子はまるで女王様である。
その女王の命令に従う民衆の様に、観客の歓声は一旦ストップし、さっきとは打って変わって静まり返った様子を見せた。
その直後、女性はギターを愛しそうに抱え――暴れ始めた。
それは暴れるという表現以外に適した言葉にが見つからなかった。
目で追う事すら出来ない事の荒々しい高速ピック。
そこから繰り出されるかき鳴らしたという表現が最も似合うイカれた音が叫びだされる。
極端なヘッドバンキングと同時に唸る高速リフは、ロックすらわからないユキの心すら引き込む様な出来だった。
そのハイスピードな演奏にギターが並走し、ドラムが混じり、ベースが搔き乱し、ボーカルが声を張り上げる事で、曲が完成した。
恐ろしく早いその曲に合わせて、観客達は一丸となり腕を振り乱した。
「……すっご。テイル。このバンド名は誰でどんなジャンルの人なの?」
テイルは満面の笑みで楽しそうに答えた。
「知らん」
「……え?」
「ネットで見てかっけーと思って、ライブがあるって聞いたからその足で来た。名前もジャンルも知らないぜ」
きりっとした決め顔でテイルはそう言葉にし、ユキは苦笑いを浮かべた。
「今のはスラッシュメタルってジャンルだ」
観客の一人、スキンヘッドにピアスをした威圧的な男性が二人の方に視線を向けそう答えた。
「……スラッシュメタル?」
ユキがそう尋ねると男は頷いた。
「ああ。ヘヴィメタってなら聞いた事あるだろ?」
「あ、うん。名前くらいは、凄い騒がしいイメージの」
「あながち間違っちゃいないな。あれのハイスピードバージョンがスラッシュメタルだ」
「へー」
「とは言え、このバンドはスラッシュメタルのバンドじゃないけどな。ハイスピードな曲がウリだから気分次第ではロックじゃない曲すらやる」
「へーへー」
「ちなみにバンド名は『ジョン・リリー』だ」
「……ああ。宗教か」
その言葉に、男はほぉと感心を混ぜた様な笑みを浮かべた。
「ロックすら知らないのにそこですぐにそれが出てくるあんたすげぇな」
男は満足そうな顔でそう呟いた。
「すまんな。俺達は何も知らないで来たからそういう話は本当に助かる」
テイルがそう言葉にすると男はテイルの肩に手を回した。
「別に良いけどよ……代わりに今から言う事を覚えて貰おうかね?」
「……何だ?」
「自分の心に従い、叫び、誰かにぶつからない程度に腕を振って楽しむ。それがこのライブハウスのルールだ」
「……オーライ。作法は大切だもんな」
「そう言う事だぜブラザー。じゃ、楽しんでくれ」
そう言って男は笑顔のまま、自分の言葉にした事をそのまま実行に移った。
曲は偏重しどことなく幻想的なロック調の曲が流れ、女性が綺麗な声で歌っていた。
そんな綺麗な歌なのに、観客は荒々しく腕を振り乱し叫んでいる。
だが、不思議とその様子はマッチしていた。
「……何か、怖いイメージがあったけど良い人達だね」
「……だな。俺も少し驚いている。ま……話は後にして、とりあえず楽しそうか」
その言葉に頷き、ライブハウスに最も似合わない二人なりに叫び、熱狂を楽しんだ。
ありがとうございました。