始まりの前夜
テイルに付着していた土の所在が判明した。
思ったよりも近かった――というよりも、場所はここARバレット基地である。
ARバレット基地内にある自然環境地区、そこの土がテイルに付着していたものだと断定された。
自然環境地区なんていかにもな名前をテイルは付けているが……擬似的な太陽に晒されたベンチと噴水しかない土地であり、ぶっちゃけた話ただの公園である。
一応地下環境によるストレスの緩和という目的はあるのだが、いつでも地上に出られる上に基地内も相当広く明るく作っている為対してストレスをため込まず、職場環境も超絶ホワイトな為、本来の意味はあまり成してはいない。
だからここに来るのはポカポカした擬似太陽でお昼寝をしたい人や、自然植物の観察、育成が趣味の人位だった。
土の正体が判明したと同時に、調査データにより付着していた土は一週間から一月ほど未来の物でもあると確定された。
つまり、テイルの見ているものはそう遠くない未来に来るという事である。
この自然環境地区がその場所だとわかったのだが、ARバレット基地から逃げようという話にはならなかった。
防衛設備が揃っているここよりも安全な場所に心当たりがないからだ。
そうなると……更に防衛能力を上げる位しか現状打てる手はなかった。
「……これで電磁ターレット六機目と。後は何だ……七号! そっちのパイプ取ってくれー」
図面を見ながらテイルがそう叫ぶと若い男性が返事をし、言われた通りの物を持ちテイルの傍に駆け寄った。
「はいどうぞ」
「うん。ありがとう。……すまんな。入って早々こんな事に巻き込んで」
そうテイルは新入りであるニュー七号に声をかけると七号は微笑みながら首を横に振った。
「いえ。むしろこういう時に役立てて……本心で嬉しいです」
「そうか。いやすまんな。これが無事終わったら何か褒美を――」
「ではこう、御寵愛的な何かを……」
「物理的な褒美をこっちで用意しておくな!」
テイルは有無を言わさずそう声を荒げた。
「はい。楽しみにしていますね!」
そう言って満面の笑みを浮かべながら七号は去っていった。
「……やべぇ。目がマジだった……」
テイルは今回の騒動は全く関係ない場所で貞操的な意味だが脅威を感じ背筋が冷たくなっていた。
「……な、七号の事は忘れよう。きっと気のせいだったんだ」
そう呟き、テイルはユキと共同で作った図面を見、公園改造を再開した。
現在、組織員命名ぽかぽか公園の改修を始めて一週間――。
その間事態に何一つ変化はなく、風のない海の様に穏やかな日常を過ごせていた。
「テイルさーん。資材持って来ましたよー。この後ホームセンターに買い出し行きますけど何か欲しい物ありますか?」
そう言いながら大量の段ボールを持ち、赤羽が公園に入って来た。
「すまんな手伝わせて。助かる。そうだな……チョコレートでも頼むわ。一口チョコの大袋の奴」
「了解しました。では行ってきます」
「ああ。あ、傍にいないと不安だろうしクアン連れて行っても良いぞ」
「ありがとうございます。では――」
「待った。その前に……越朗君、今クアンの危機はどうなってる?」
「……小さくなったり大きくなったりしてますね。たぶんこうやって備える事は間違いではないはずです。ただ……それでも足りないかもしれません」
「わかった。ありがとう」
「いえ。失礼します」
それだけ言った後頭を下げ、赤羽は公園を去っていった。
「……これでもまだ足りないのか……」
一週間ずっと防衛設備を作り続けているテイルは眉を顰めそう呟いた。
「……助けを……いや、止めておこう」
一番頼れる人に助けを求める為スマホを取りメールを送ろうとした後、その手を止め、テイルはスマホをポケットにしまった。
「……ユキは今頃何をしているんだろうかねぇ」
現在テイルの傍にはファントムとヴォーダンがいる。
この様に最低でも三人、出来るならそれ以上で一緒に行動をしている。
基地内では当然だし基地を出る時も出来るだけ多人数で行動する様心がけていた。
だが、ユキだけは別で常に単独行動を取っている。
そしてその理由も、誰にも明かしていない。
『言っても別に良いけどたぶん言わない方が上手く事が運ぶ確立上がるよ』
そうユキに言われ、テイルは何も尋ねず自由にしてもらう事にした。
ユキが失敗するなら誰がしても失敗するだろう。
それ位テイルはユキを信頼していたからだ。
「ハカセ。寂しくはないんです? 最近ほとんど会えていないでしょう」
ファントムがそう尋ねるとテイルは苦笑いを浮かべた。
「そうだな。少々寂しいが、まあ仕方ない事だ」
「おやハカセ。僕は誰と会えなくてとは言っていませんよ」
ファントムはニヤニヤしながらそうテイルをからかおうとするが、テイルはそれにすら気づかず平然と受け答えを始めた。
「まあ、今あんま会えないのってユキ位だからな。他に寂しいと思う対象はいないさ」
そんなテイルの返事にファントムは何も言えず、少しだけ残念がった。
――あんまり会えないとは……いえ、父上のいう事に間違いないでしょうし何も言わなくて良いですね。
こんな状況でも二人は毎晩一、二時間は一緒にいて何かしらの動画を視聴している事をヴォーダンは知っていたが、空気を呼んでとりあえず黙っておいた。
「やっぱり、私が何とかします」
夕食時、ユキ以外の全員が揃った場でラナは皆にそう宣言した。
ラナの外見は十六、七歳位まで成長し、そしてそこで止まっている。
現在彼女の外見はどこからどう見ても輝夜姫のそれであり、その彼女が悲しそうに表情を曇らせているというのはどことなく舞台の様な雰囲気が醸し出されていた。
「どうした唐突に」
「だって……テイルさん。ちゃんと夜寝れていますか? 赤羽さん。恐怖で塗りつぶされそうになっていませんか? ――この事態を、本当にいますぐ解消出来ます。元通りの生活に戻れるんですよ?」
今にも消え入りそうな声でラナはそう言葉にした。
「それで、ラナはその後俺達と一緒に居られるのか?」
テイルの言葉にラナは苦笑いを浮かべた。
「言わなくてもわかるでしょう。そもそも、私はこの時の為に生まれたんです。仕事を終え、消えるまでがセットなんですから。というよりも、わずか九日しか一緒にいないんですから私なんていてもいなくても構わないでしょ」
そう言ってラナは微笑んだ。
自分を切り捨てて欲しくて。
「……ファントム。俺達の付き合いってどの位だったか?」
「三年記念日までは半年以上ありますよハカセ」
「お前は乙女か。雅人は?」
「さあ? ただ、三年は経っているじゃねぇか?」
そう雅人が答えた後、テイルはラナの方を見た。
「そう。俺達はどれだけ長くてもたかだか五年程度の付き合いだ。だが、それでも俺達は確かに家族なんだ。誰が何と言おうとな」
テイルの言いたい事をラナは痛いほどわかっていた。
既に、そこに自分も入っていると――。
自分でこの絆を断ち切れないからこそ、切り捨てて欲しいと思いこんな事を口に出したからだ。
ラナは何も言う事が出来なかった。
ただ、瞳を濡らして微笑む事しか出来なかった。
「……五つの宝がいるかなぁ」
ファントムは誰にも聞こえない様、口の中で小さくそう呟いた。
「お待たせテイル、それとヴォーダン。……何してるの?」
夜九時、ユキがテイルの部屋に遊びに行くとテイルはヴォーダンと共にパソコン画面を見ていた。
ユキが来たのを確認するとヴォーダンは頭を下げそっと自然な姿でお茶を用意しだした。
そしてお茶の用意を終えたらヴォーダンはいつも通り、静かに音を立てず部屋の外に出て行き見張りとなった。
「ああ。お疲れユキ。これだ」
そう言ってテイルはユキにモニターを見せる。
そこにはラナの身体データと学力調査の結果が出ていた。
「……ふむ。なるほどなるほど。凄いわねあの子」
ユキの言葉にテイルは頷いた。
運動神経も学力もラナは非常に優れていた。
もし部活でも始めようものならあらゆる場面でスカウトが来るのではないかと思う位だ。
「ああ。凄いな。ただ……それだけでしかない」
テイルはそう言葉にした。
確かに誇らしい程高いのだが、ラナの身体能力が高いのは一般的な高校生と比べての話である。
身体能力は一般戦闘員に遥か及ばす、知能も天才と言われるほどでもなく高校の頃のテイルと同等位である。
つまり、そこはラナにとってのスペシャルな部分ではないという事だった。
「んで、テイルはこれを見て何を考えていたの?」
「……やっぱり、ラナの能力を使えばラナは死ぬんだろうなって」
テイルは申し訳なさそうにそう呟いた。
基礎スペックがスペシャルでないとすれば、備えられているものは一度きりの切り札なのだろう。
そしてその代償は……考える間でもなかった。
テイルは毎晩息子達が死ぬ夢を見ていた。
流石に初日の様に爪が剥がれ、掻きむしり、流血するような事にはなっていないが、それでも苦しい事に変わりはない。
起きる度に顔が涙と汗でぐしゃぐしゃになり、目覚めてもしばらくは頭の中で悪い夢がリフレインする。
テイルは自分の大切な物が壊れる現実を毎晩付け付けられて平気で居られるほど精神強度は強くない。
むしろ心の傷という意味だけならテイルは一般的な人よりも弱い位である。
だから……泣き言を言いたくなる。
ラナに助けてと言いたくなる。
だが、それでもテイルは最後の一線だけは守り通していた。
「……私はラナちゃんに頼ってもテイルを責めないわよ?」
「馬鹿な事を言うな。娘を生贄にして生きてしまえば俺はこれから一生息子、娘に合わせる顔がないじゃないか」
テイルははっきりと、そう言葉にした。
「……そういうとこだけ両親にそっくりね」
そう言ってユキは苦笑いを浮かべた。
「……ラナには頼れない。だからさ、ユキ……ちょっと。頼っても良いか?」
「何? 出来る事なら手伝うわよ?」
「……睡眠導入剤を飲んでも、睡眠薬を飲んでも、麻酔を使っても……夢が消えないんだ」
そう言ってテイルは俯き、唇を噛んでユキの手を握った。
その手を、ユキは両手で握り返した。
「……すまん。俺が寝るまでで良いから、手を握っていてくれないか? ……寝るのが……本当に怖いんだ」
その言葉に、ユキは優しく微笑んだ。
「ええ。それ位しか出来ないけど、それ位なら良いわよ。何なら一緒に寝る?」
「こんな願いを言っておいて今更だが、嫁入り前の娘がそんな事を言うな。流石に俺だってそれ位は弁えてるぞ」
「苦しい時位は弁えなくても良いのに……。まあ良いわ。今はそれどこじゃないし。とりあえず布団に行きましょうか。ぶっちゃけもう限界でしょ?」
眠たいのに寝れないテイルを見てユキはそう言葉にした。
「……すまん。頼む」
ユキはテイルの肩を抱き、布団に寝かせてから優しく手を握った。
当然、テイルが寝付くまでではなく、テイルが目を覚ます直前までずっと――。
ありがとうございました。