二人だけの日常-平穏な午前編
それは二人にとってほぼ毎日の様に行われる事であり、ほとんど日課に等しいものだった。
夜、テイルの部屋ユキが向かい、二人で相談した後肩を並べて鑑賞会を行う。
どう考えても女性が夜に、わざわざ男性の部屋に訪れる時点で色々と覚悟を終えているのだが……テイルはそんなユキの覚悟に気づいた事は一度もなく、それどころか未だユキのそういった感情にも気づいてすらいなかった。
ユキの方も超ド級朴念仁相手にこの方面のアプローチは無理であると諦め、最近ではお洒落をしていくことすらなくなり基本ラフで動きやすい恰好、偶に受け狙いで着ぐるみを着て行くようになっていた。
テイルは未だユキの事をそういった目で見ていないしそうだと考えてもいない。
それでも、テイルの心にわずかばかりの変化は起きていた。
ユキが拉致されていた間はこういった二人だけの時間を過ごす事は出来ず、それによりいかに今、こすいてユキと過ごす時間が楽しく大切な物だったかを思い知った為である。
「なあ。ユキ。ちょい相談があるんだが良いか?」
映画が終わりエンディングクレジットが流れている最中にテイルはそう尋ねた。
ちなみに、映画はやたら頭の数が多い鮫の映画で、しかも鮫の出番がほとんどなく大半が人間ドラマだったという非常に評価の困る内容の映画だった。
「何? しばらく鮫系は拒否するわよ?」
「いや。俺も何かお腹いっぱいだし次は外国アニメ系映画にしようと思う。そうじゃなくて、明日暇か?」
「んー? 怪人調整用データの作成以外は特にする事ないわよ? 何か追加で仕事?」
「ああ。いや……仕事は仕事なんだが……楽しむ事の方が大切な気もするし暇つぶしでもある。だが……うん、一応仕事だな」
曖昧な反応に困りユキは首を傾げた。
「具体的に説明してくれない? 曖昧な事をこなすって私とても苦手なのよ」
「ああ。まず、これを見てくれ」
そう言ってテイルはエンディング画面を途中で切り替え、タブレットのモニターと連動させた。
その瞬間に、ユキも仕事モードに気持ちを切り替えた。
そこに映っていたのは上空からの町のデータで、マップ内にある幾つかの店舗には円グラフが表示されていた。
「これは……うちの喫茶店のデータ? しかも地理的にこの辺じゃないわね」
「ああ。隣県の売上のデータだな。何か変な事ないか?」
「んー。何か……いや、嫌味じゃないし収支的には十分利益は出てるけどさ……一地域だけちょっと売上少なくない?」
その言葉にテイルは頷いた。
おそよ半径五キロの喫茶店の売り上げが他の店舗と比べて明らかに落ちていた。
「うむ。いや、俺だって無敵だなんて己惚れていない。ライバル店やら交通事情やらで売り上げはそりゃ落ちる。ただな、この周辺の売り上げが下がっている理由は今までずっとわからなかったんだ」
「わからなかったって事はもう判明したの?」
「うむ。七瀬……いや、周藤夫人がこの前デートに行った時気づいて教えてくれた。少し予想外だったがな」
「ほー。どんな理由だったの?」
「単純な話だ。ライバル店があった。ただし……その店は喫茶店じゃなかったってだけだ。いや、ある意味で言えば似たようなものだったんだがな。ちょいと俺の頭が固くてその可能性を完全に見落としていた」
「良くわからないけど、その店が客を持って行ってたって事? ファストフード店とか?」
「いや。……まあそれで頼みたい事なんだけどさ、明日その店行ってみないか?」
「あー。スパイ行為……ってほどでもないか。敵情視察的な?」
「うむ。それに近いな。ついでに言えば相当良い店らしいから普通に楽しもうと思ってな。一人で行けない事もないんだがやはり味気ないからな」
「ふーん。もちろん良いわよ……あ、もしかしてデートのお誘い?」
ユキがいたずらっ子のような口調でそう尋ねると、テイルは慌てた様子で必死に否定した。
「い、いや。そういうのでは決してないから安心してくれ。もちろん嫌なら断って」
「良いって言ってるじゃん。んで、どうやって行くの?」
「ああ。時間がもったいないし新幹線でさくっと行こうとか」
「……んー。車で行かない? そんな遠くないでしょ」
「別に良いが……少々時間がかかるぞ?」
「別に良いわよ。朝早めに出れば十分夕飯に間に合うし」
「そうだな。せっかくだしそうしようか。車の中で流したい曲あればタブレットに入れといてくれ」
そう言ってテイルはタブレットをユキに渡した。
「オッケー。んじゃ、明日もあるし今日は戻るね。お休みテイル」
「ああ。お休み」
そう言ってユキは部屋を退出していった。
「……あれ?」
自分の部屋に戻った後、テイルの反応が今までと少しだけ違った事に気づきユキは違和感を覚えた。
今までのテイルなら
『もしかしてデート?』
何て尋ねても。
『そんなわけないから安心しろ』
と平然とした態度のまま真顔でかつ本気で否定していた。
だが、今回は少し慌てていたし見方によっては照れているようにも見えた。
それは今までとは明らかに違う反応だった。
「……少しは意識してもらえたのかな……なんて、己惚れかしら」
そう呟いた後ユキはそんな事を考えたら自分が恥ずかしくなりまくらに顔を埋め、忘れてさっさと楽しい明日の為に眠る事にした。
少々早く出過ぎて午前十時、二人は目的の場所に到着した。
そこは飲食関係の店ではあるが喫茶店と内容も客層もかかわらないはずなのに、たった一店舗でテイルのかかわる周囲の喫茶店全ての売り上げを三割近く落とした完全なるライバル店である。
だが、敵情視察という気持ちをテイルは全く持っておらず、そんなに美味しいのなら食べないと損だなくらいの気持ちでここに訪れていた。
「……はー。この店がその……確かに予想外ねぇこれは」
ユキはその独特の店構えを見ながら不思議そうに呟いた。
「うむ。ああ、今更だが嫌いじゃなかったよな? 連れて来ておいて本当今更だが」
「大丈夫よ。んじゃ、入ってみましょう」
そうユキは答え正面にある店、甘味処『小豆庵』の戸を開いた。
当初、テイルがこの店をライバル視していなかったのはこの店が強い拘りを持った甘味処だからである。
あんみつにしても生クリームは当然としてアイスやサクランボすら使わず、飲み物も複数種類あるもののお茶オンリーでカタカナの入った物は何一つ作られていない。
店内の雰囲気も時代劇の一シーンと感じるほど和風一色で、この本格的な甘味処に来る客とライトな喫茶店の客層が被るなんてテイルは考えた事すらなかった。
「……あー。こりゃ売り上げ落ちるわ。こんだけ人いるのか……」
テーブルに付いたテイルの呟きにユキは首を傾げた。
「どゆこと? そこまで多く人がいるようには見えないけど」
「いやー。普通は店を広く見せる為に色々と工夫をするもんなんだが……この店逆でな、どうも雰囲気を出す為にわざと狭く見せているらしい」
「……ああ。本当だ。上手く区切りを使って狭く見せてるだけじゃなくて消音装置を使って集団の賑やかさも消している。まるで錯覚みたい」
椅子から立ち上がって周囲をちらっと見た後ユキはそう呟いた。
「しかもあれだ。ちらっと見る限り予想以上に客層が幅広い。お年寄りの方は当然子連れの主婦の方も理解出来る。だが、学生、特に女子高生が非常に多い」
しかもその女子高生は髪の色を染めていたりピアスを開けていたりととてもこの店を気に入るようには見えない子達が多かった。
「あー。確かに。……テレビに紹介されたとか?」
「いや、そういう情報はなかったしそうだとしてもテレビでの紹介による人気は持続しにくい。むしろ落差で落ちる事すらあるからな」
「んー。じゃあ何が皆をここに引き付けているのかな?」
テイルはお品書きを手に取りユキにも見えるように広げた。
「……値段も手ごろ……いや、学生には少々高いくらいか。ほうほう。お土産もあるのか」
「磯部、きな粉に餡子餅。きび団子も何か三種類くらいあるし団子とか餅系が豊富ね。自信があるのかしら」
「ふむ……。たしかにそうだ。よし、俺はきび団子にしてみよう。普段食わないしな」
「んじゃ私はみたらし団子で」
「飲み物はほうじ茶で良いか?」
「うん」
「あいよ。すいませーん」
テイルは手を上げてそう声をあげるとぱたぱたと足音を立てて店員と思われる和装を着た幼い印象すら残るくらいの少年が現れた。
歳で言えば十五、六位だろうか。
「はい。ご注文ですか?」
「ああ。きび団子とみたらし団子一つずつにほうじ茶二つを頼む」
「あ、はい。かしこまりました」
その言葉に少年は頷いてメモを取り出して書き終わった後にテイルの方を見つめた。
「きび団子とみたらし団子、それにほうじ茶二つで宜しかったでしょうか?」
「ああ。間違いない」
「かしこまりました。少々お待ちください」
少年はそう答え愛想よく微笑んだ後奥に早足で移動していった。
「……今のところあらゆる意味で普通ね。普通に良いって意味の普通だけど」
「ああ。そうだな。良質ではあるが……喫茶店の客を食うほどとは思えないな。……つー事はめちゃくちゃ美味いのかな」
そうテイルが言うとユキは頬を緩めるのを必死でこらえながら頷いた。
「正直……めっちゃ楽しみ……」
「俺もだ」
二人は微笑みながらそわそわとした様子のまま時間が過ぎるのを待ち望んだ。
「はいお待たせ―! きび団子とみたらし団子お待ち!」
先程と異なり、テイルと同期位位の中年に差し掛かりそうな年代の青年が元気良く現れ、二人の前にきび団子、みたらし団子、ほうじ茶二つに大福を二つ置いていった。
「……この大福は?」
「喫茶店畑の人がわざわざ来てくれたからそのもてなしかね」
そう言って男はニヤリと笑った。
「あら。バレてましたか。邪魔しないよう静かに来たつもりでしたが」
テイルは少しだけ申し訳なさそうに呟いた。
「そりゃバレるさ。俺茜雲の常連だもん。何回かお兄さん見てるよ」
男な指で決めポーズを作りそう言葉にした。
そのポーズは少々以上にださかった。
「……えと、隣県の商店街の店での常連?」
「うぃ。ぶっちゃけ俺コーヒーの方が好きだからな」
「それはわざわざご贔屓に……」
「いえいえこちらこそ……。って食う邪魔をしに来たわけじゃないんだ。ささ、食ってくれ」
男はじっと待っているユキの様子を見て申し訳なさそうに呟いた。
「そうだな。すまんユキ待たせた。……いただきます」
「いただきまーす」
そう言って二人は自分の頼んだ物を一口食べた。
「……ほー」
テイルは感心するような声を出しながら表情を明るくさせ、次のきび団子を楊枝で差した。
「うん。確かに美味しいわね」
ユキも頷きながらそう呟いた。
「そうだろうそうだろう。ろこあんの餅は自慢の力餅だからな」
店員であるからか男はやけに嬉しそうな様子でそう答えた。
「……ろこあん?」
テイルが首を傾げると男は頷いた。
「甘味処のろに続けて小豆庵のこ、それとあんを取ってろこあん。若い女子がウチの店をそう呼んだから若い子からはそう呼ばれてるんだ」
「へー。あ、大福頂きます」
テイルは手元のきび団子がなくなったのに気づき大福を一つ手に取った。
「……うん。餡子も美味い」
「大昔この店は汁粉専門店だったから小豆系も強いぞ。それに餅屋の女が嫁に来てからこんな感じになったんだって。ま、何分大昔の事だから良くわからないけどな」
「へー。あ。ご馳走様」
「いえいえ。お粗末様でした」
テイルと男がお互い頭を下げ合っている中、ユキは両手で大福を持ち、幸せそうに口にくわえ大福を伸ばしながら味わっていた。
「……うん。確かに美味かったな」
「ええ。そうね……」
テイルとユキはお互い頷きながらそう語り合う。
ただし、その顔は納得したような顔ではなかった。
「どしたかねご両人。美味かったなら良かったじゃないか」
「いや。美味かった。美味かったんだけど……」
「だけど……」
「……いや。何でもない。土産も出来るみたいだから色々頼ませてもらおう」
テイルは言葉にするのが失礼だと思いそう区切って微笑んだ。
その様子を見て、男は嬉しそうに微笑んだ。
「美味かったけどただ美味いだけで、人を惹きつけるほどではない。そう思ったんだろ?」
その言葉が完全に事実だった為、テイルとユキは押し黙った。
確かに美味しかった。
隣町に来た甲斐もあったし家族達に山ほど土産を買って帰りたいと思う位は美味しかった。
だが、とても周辺地区にある喫茶店の売り上げを奪い続けるほどとはとても思えなかった。
「お二人はさ、団子を食った時何を思った?」
男の言葉に二人は顔を見合わせた。
「えと、美味しかったって普通にだよなユキ?」
「うん。何か美味しくて楽しいって感じだった」
その言葉に男は頷いた。
「なるほど。そっちの嬢ちゃんは少しだが感じたか」
男の意味深な言葉に理解出来ず、テイルは首を傾げた。
「どういう事だ?」
「うちの団子はさ、めちゃくちゃ愛情込めて作ってるんだ。食べてくれる人に幸せになって欲しい。楽しい気持ちで笑って帰って欲しい。そして明日を生きて欲しい。そう願って作られてる」
「ふむふむ。確かに相当な拘りを感じたな」
「だろう? だからな、愛情に飢えている人は愛情を感じ、孤独を抱えている人は孤独が少しだけ癒え、笑えない人でも笑顔になれる。そんな効果があるんだよ」
テイルは全く理解出来ず首を傾げるが、ユキは少しだけ理解出来た。
それは理論的なものではなく、数式で考えると絶対にありえないという答えになるだろう。
それでも、ユキは男の言った効果がこの団子にはあると魂で感じる事が出来ていた。
「……優しさに魂が震える。そんな感じかしら」
ユキの言葉に男はユキを指差し、嬉しそうに叫びだした。
「そう! うちの団子は魂に響くんだ!」
煩くてユキは耳を塞いだ。
「……ユキが言うのなら事実だろう。じゃあどうして俺は何も感じなかったんだ?」
その言葉に男は笑った。
「そりゃ簡単だ。栄養剤を栄養溢れた人にあげても何の意味もないだろ?」
男はテイルの肩をぽんぽんと叩きそう言葉にした。
「なるほど。毎日楽しいし孤独も感じていない。俺は既に幸せだから団子で幸せを感じなかったのか」
「そういう事だ。ついでに彼女さんもいて愛情もたくさ――」
そう男が言葉にしようとした瞬間、スパーンとハリセンの音が響き渡り、男は頭を押さえて蹲った。
「ヒデさん! お客さんに絡まないでって何回言えばわかるの!?」
そう叫ぶ女性の顔は鬼の様になっていた。
「っっっってー! 痛いなぁせっちゃん。加減してよぉ」
「ヒデさんがお客さんとのおしゃべりに夢中になって仕事放り出さなくなったらね! すいませんお客様。ご迷惑をおかけしました。あ、これお詫びですどうぞー。では失礼しましたー」
そう言った後せっちゃんと呼ばれた女性はヒデさんと呼んださきほどまでの男の腕を引っ張り、慌てた様子で店の奥に去っていった。
「……あの二人、仲良しさんね」
ユキがぽつりとそんな事を言い出した。
「まあ仲良さそうではあったな」
「いや……これ」
そう言ってユキはさきほどの女性が置いていったお詫びの品を指差した。
それはさきほど男が持って来た大福と全く同じ物だった。
「ああ。確かに仲良しさんだ」
そう言って微笑みながら二人は二個目の大福に手を伸ばした。
ありがとうございました。