ソレを愛する者達に告ぐ-6
その恐ろしく早い拳は鋭い風切り音を生み出していた。
練り上げられた僧帽筋と広背筋、そして大胸筋により支えられた巨腕から繰り出される顔面への拳は……恐怖を感じざるを得ないほどの迫力があった。
その力強き蹴りは人間とはとても思えない威力を秘めていた。
全身の筋肉を躍動されて放たれる蹴りは、きっと大木ですら受ければ真っ二つとなるだろう。
パンチで岩を砕き、蹴りで大木をへし折り、タックルで車を横転されられる。
それほどのパワーを持った存在は、もはや人ではなく全身凶器と呼ぶ方が正しいだろう。
その男こそが、ヴォーダンの対戦相手だった。
男の戦い方は単純明快で、威力の高い攻撃を相手に叩き込み、相手の攻撃を耐える。
ただそれだけ。
一撃一撃が必殺技とまでに練り込まれた攻撃に作戦や戦略と呼ばれるものは不要であるが故のシンプルな立ち回りでは男にとって最も噛み合った立ち回りだった。
強いから強い。
そんなわかりやすい実力者であるからこそ至高に近く、その筋肉は正しく芸術であった。
男の攻撃は確かに凄まじい。
並の怪人であるなら一撃で倒すほどの力を秘めたそれは一般人と呼ぶにふさわしくないほどの強さである。
単純な鍛錬だけでここまで強くなれる者はそうそういないだろう。
しかし……同じような強さを持つ者は、決して少なくない。
男の戦闘力を正義と悪の世界でのランクで表すならば……戦闘力CプラスからBマイナスといった辺りとなる。
その素晴らしいと呼べるほど磨き上げられたものであっても、ヴォーダンのいる世界では良くある程度の戦力でしかなかった。
最終種目の『ビューティー・ラストバウト』が開始された。
内容は事前報告通りのタイマン。
一対一を二度繰り返し、たった一人だけの最も美しい者を厳選する。
勝負内容は単純でただの戦闘である。
フィールドを出てはならない、当事者以外が戦いに加わってはいけないなど当然のルールを除けば特に制限は加えられていない。
そんなヴォーダンの戦いの対戦相手のマッスルネームは『レード』。
非常に評判の良いプロレスラーである。
それと副業と趣味と啓蒙の為、動画投稿サイトなどでわかりやすい筋肉の育て方を解説しているそうだ。
ちなみにその動画は本当にわかりやすい上に本業副業問わずファンサービスがやたら旺盛な為、小学生と中年主婦いうレスラーにしては稀有な客層から受けていた。
そんな彼との戦いは、ヴォーダンにとって罪悪感に苛まれるだけのものだった。
試合が始まってからもう数分経過しているが、ヴォーダンは一歩も動けず、殴られ、蹴られ続けていた。
レスラーとして本当に評判が良いらしく延々となり続ける『レード』コール。
そんな大人の歓声に『ティーチャー』という子供達のレードへの声援が混ざっていく。
完全なるアウェーな環境だが、その事にヴォーダンは一切気にしていなかった。
むしろ悪の怪人としてはアウェーである方が適切で丁度良い位である。
そんな事よりもヴォーダンにとって重要な事……。
それはレードのその肉体と技術の成熟具合だった。
レードの攻撃が美しい事がヴォーダンの罪悪感を刺激し続けていた。
莫大な筋肉を一切無駄なく使い、流れるような筋肉の動きから繰り返し放たれるその技は、美しい以外の言葉が出ていないほど綺麗で、まるて攻撃のお手本のようでさえあった。
一体どれほど時間をかけて練り込まれ、磨き上げられたかヴォーダンには想像する事すら出来ない。
だからこそ……目の前の芸術のような男の攻撃を全て喰らい、全くダメージを食らっていない事にヴォーダンは強い罪悪感を覚えずにはいられなかった。
この肉体、この力を恥だと思った事は今の今まで一度もない。
だが、これが父と母からの贈り物で、借り物であるのは確かである。
そんな借り物の肉体は、美しいとしか表現出来ないほど磨き抜かれた攻撃を全て完全なまでに無効化していた。
ノーガードで顔面全力パンチを食らっても、鼻が折れる気配すらない。
それほどまでに、ヴォーダンとレードには実力差が出来てしまっている。
借り物の肉体で圧倒する事、それをヴォーダンは恥だと感じてしまった。
そして……この男を借り物でしか戦えない自分が倒す資格なんてあるわけがない。
ヴォーダンはそう思っていた。
そんなヴォーダンに手を差し伸べたのは、その対戦相手であるレード自身だった。
「ヘイホープ。何を悩んでいるんだ?」
組みつき、誰にも聞こえないようにレードはそう尋ねた。
「俺は……」
「いや、言わなくてもわかってるぞ。わかっているからこそこう言おうじゃないか。俺を信じろ」
その言葉に、ヴォーダンは同意出来なかった。
「俺には貴方を倒すような資格なんて……」
「……はぁ。ホープ。一つだけ注文を付けるぞ。同情心というくだらない色眼鏡で俺を見るな。もっと俺を感じろ」
そう言った後、レードは一旦離れ、再度ヴォーダンに攻撃を繰り出した。
ワンツーとリズミカルなパンチと上下、中段を狙い分ける器用な連続キック。
観客からは盛大は歓声が上がるが、依然その攻撃によるダメージは全くなかった。
「……色眼鏡。同情……」
そう呟き、ヴォーダンは本日初めて、レードをまっすぐに見つめる。
その顔は――笑っていた。
挑発的でも、挑戦的でも、皮肉ぽくもなく、ただ楽しいから笑っているというその素直な笑顔は、恐ろしく純粋なものだった。
例えヴォーダンが色眼鏡を外しても、レードの攻撃がヴォーダンに通用しない事に代わりはなかった。
何か変わった程度で覆せる戦力差では決してなく、今でもレードの攻撃はヴォーダンに傷一つ付けていない。
ただし……ヴォーダンが攻撃から感じたものはさきほどまでとは何かが違っていた。
感じ方が変わったのはレードの攻撃が変わったわけではない。
変わったのはヴォーダンの方で、ただ、レードをまっすぐ見つめただけ。
それでも、それは大きな違いだった。
レードは全力で振りかぶり、パンチを繰り出す。
その魂を乗せたような一撃を受けたヴォーダンは、まるで胸に火が付いたような何かを感じた。
殴られ、蹴られ、タックルされ……。
攻撃を受ける度に、ヴォーダンは己の体が焼けているような錯覚に陥る。
火傷のような痛みは感じないが、体の内側から自分自身が焼かれているような、そんな気分だった。
生まれたての弊害の為本人の責任ではないが、ヴォーダンの感情はチグハグである。
尊敬と家族愛という感情は生まれて時から強く持っておりその感情は恐ろしく強い。
その反面、他者に対する関心や家族愛を除く愛の感情は酷く弱かった。
そんな感情が未成熟なヴォーダンである為、その今まで受けた事もなければ感じた事もない燃えるようなこの気持ちが何なのか、さっぱり理解出来なかった。
ただ一つ、もしこの気持ちを言葉にするならば……。
「……熱い」
ヴォーダンは己の胸に灯った小さな火を感じ、ぽつりとそう呟いた。
「ああそうだ! 筋肉とは、男とは、人生とは熱いもんなんだ! だがまだだ! まだ伝わっていない。俺という存在がお前にはまだ伝わっていないんだ! 受けてみよ! これが……俺のフェイバリットだ!」
レードは茫然とするヴォーダンに向かって走り、そのままジャンプして横方向に回転しながら蹴りを放った。
その、プロレス技でのローリングソバットという蹴り技は見事に決まり、ヴォーダンの顔面にぶち込まれ鈍い音を立てる。
それと同時に、ヴォーダンはその一撃でレードの気持ちを理解した。
感情に鈍いヴォーダンにすら伝わるほど、その気持ちは力強かった。
『俺は全力で攻撃する。何故ならば、俺はお前を信じているからだ。そして、俺はお前に全力で攻撃して欲しい。お俺を信じて欲しいからだ』
そんな重たい信念のこもった一撃を受け――ヴォーダンは笑った。
己の未熟を恥じ、相手を過小評価していた事を恥じ、そして目の前の対戦相手はその磨き上げられた肉体と技術は自分の想像よりも何倍も美しく、そしておまけに心も美しいのだと理解した。
「悪かった……。見下したつもりはなかったがどうもそうなっていたらしい。この場では我の方が下だというのにな」
ヴォーダンが楽しそうに笑いながらそう答えるとレードは苦笑いを浮かべた。
「上とか下とか、それを決めるのは俺達じゃなくて美皇帝だけさ。そして美皇帝が決断を下すまでは、俺達は競い合う平等な仲間だ」
「そうか……。筋肉が何なのかわからない俺には難しい世界だ」
「何時かわかるさ。それで、そろそろ魅せてくれよ。お前という輝きを」
レードがくいっくいっと手で挑発するのを見てヴォーダンはしっかりと頷いた。
「ああ。筋肉とかはわからないが、我が身体能力だけでない事を見せよう。それと……お前の輝き、勝手な事だが受け継がせてもらう」
そう言って心から笑うヴォーダンを見て、レードはぞくっとした何かを感じた。
「まいったな。龍を呼び起こしてしまった気分だ。だが……逃げるわけにはいかんからな。さあ来い!」
レードがしっかりと構えを取ったのを確認し、ヴォーダンはにやっと笑い、そっと足を一歩分、前に出した。
たった一歩……。
ただし、全身を極限まで弛緩させ重力に逆らわずかつ膝を極限まで使った、その無拍子なる一歩は、まるで跳躍したかのように十メートルという距離を一瞬で縮めた。
その一歩にレードが反応するより早く、ヴォーダンは最速なる次の一手を放つ。
それにレードが気づいたのは、視界がぐるぐると高速回転し、平衡感覚が狂った後だった。
傷みが恐ろしく少なく、また酔ったような気持ち悪さからそれが脳震盪であると理解したレードは一瞬で脳を元の状態に戻そうと意識し、同時に何をされたのか思い出すように確認する。
顎に若干程度の弱い痛みがあり、握られていないヴォーダンの手の甲が視界隅に見える。
どうやら顎に掌底を叩きつけられたようだ。
それにレードが気づいた時には、ヴォーダンは次の攻撃を放っていた。
顎に掌底を当て押し込むにして脳を揺らす一打目。
押し込んだ時の勢いをそのまま生かし、揺れた脳とこめかみに叩き込む二打目。
そして、一打目より更に加速した事により生まれたエネルギーを回転に変換し、ジャンプしつつの回転蹴り――ローリングソバットを追撃で顔側面に叩き込む三打目。
それが、レードから輝きを受け取ったヴォーダンの、今の全力攻撃だった。
脳を揺らされ、人体急所であるこめかみに打撃を受け、蹴り飛ばされ場外にレードが吹き飛び観客達から悲鳴があがる。
ただの人なら確実に死亡し、怪人クラスの耐久であっても重症となるほどの威力のある攻撃。
本来ならば、絶対人に放ってはいけないような攻撃だが……ヴォーダンは信じていた。
自分の全力を、レードならば受け止め立ち上がってくれると――。
実際その通りで、吹き飛んだレードは自分の力で立ち上がった。
ただし、足は小鹿のように震え、肩で息をし大量に汗を放出している。
どう見ても戦う事はできないような状態だった。
それでも、レードはよたよたとした動きでヴォーダンの待つフィールドに戻ろうとする。
自分を信じて待っているヴォーダンの元に……。
戦闘不能レベルの一撃を受け場外にまで飛ばされた為美皇帝はヴォーダンの勝利を宣言しても良かった。
だが、それをする気はなかった。
一歩ずつだが、確かにフィールドに向かうレード。
その姿は敗者のものでは決してなく、なにより美しかった。
ボロボロの姿のまま、たった数メートルの距離を三十分以上もかけてレードは歩いた。
三十分を超える長い時間の間、観客含め誰一人退屈そうにはしていなかった。
なり叫ぶレードコールと共にリズムに合わせての手拍子が響き続ける。
ヴォーダンもその手拍子を行い、自分の信じた男が戻って来るのをその場で立ったまま待ち続けた。
そして……フィールドにレードが入った瞬間、盛大な拍手が響く。
「……どうだ? 受けてやったぞ?」
レードがそう言ってニヤリと笑った瞬間、ヴォーダンはレードを抱きしめた。
「ああ。流石だ。信じていたが……それでも言わせて欲しい。良く受け止めてくれた」
「はっ。信じる子供を裏切った事がないのが俺の自慢でね」
レードはヴォーダンの頭をぽんぽんと叩きニヤリと笑った。
「……最初は、負けを認めて辞退するつもりだった。俺という存在は借り物でしかないからか、レードを攻撃する事に罪悪感を抱いていたから……」
「だろうな。んで、今はどうだ?」
「俺は借り物を受けた脆弱な存在である事に代わりはない。この大会に出た誰よりも心が弱い。だから……だからこそ、俺は強者であるこれまでの友の様々なものを受け継ぎここまでやってこれた。レード、お前の意思も、俺に受け継がせてくれ」
「……ああ。俺のこの筋肉も持って行ってくれ。。誰かの為の筋肉を作り続ける俺という存在を刻み、そして……その先に進み続けろ」
レードは力を振り絞り、勝利者であるヴォーダンの腕を高く掲げる。
その瞬間に、観客からの一糸乱れぬ声援が鳴り響いた。
その歓声は間違いなくヴォーダンにではなくレードに向けられたものである。
それでも、ヴォーダンはその声援をレードの代わりに受け、次の戦いに対し気合を入れ直した。
背中の荷物がどんどん重くなり、地に足が付くような感覚をヴォーダンは覚えた。
それは非常に重く、心がざわざわと不安になる重さだが……決して嫌なものではなかった。
「では、休憩ののちに第二試合を行う」
美皇帝のそんな言葉に、ヴォーダンは首を横に振った。
「このまま続行してくれないか。この胸に灯った炎を強く感じている内に、俺はこれを確かめるために戦いたい」
その言葉に美皇帝は笑った。
その笑みは、悪意こそ込められていないが決して好ましいとは言えないような嘲笑を感じる笑みだった。
「……己の体調すらわからぬようでは美を示す事など不可能ぞ?」
そう言って美皇帝はヴォーダンの口元をワイングラスで示した。
その瞬間、ヴォーダンの口の中に鉄臭い味が広がり、つーっと口の端から血が零れる。
「……これは」
「アリであっても、ゾウに一矢報いる事がある。それもまた美だ。それは究極の一つであると言っても過言ではないだろう。レードにマッスルポイントを三十ポイント贈らせてもらおう」
美皇帝は満足げにそう言葉にした。
いつ、どうしてこうなったかわからないが、一つだけ確かな事がある。
それはこれがレードの攻撃によってなったものだという事だ。
ヴォーダンは折れた奥歯を吐き出した。
同時に口の中に痛みを覚える。
それがとても嬉しくて……ヴォーダンは笑いを我慢する事が出来なかった。
その美しさに、その心の強さには意味があったのだ。
確かに戦闘力は良くてB程度だが、それでは図り切れない何があったのだ。
もし、自分が相手を侮っていたら負けていた可能性すらあるだろう。
自分が戦った誇り高き強者の強さを再確認出来、ヴォーダンは嬉して笑う事しか出来なかった。
「……良いからはよ治療してこい」
そんな誇り高き強者であるレードは、口から血を流し高笑いし続けるヴォーダンの頭を小突き溜息を吐いた。
更新が遅くなり申し訳ありませんでした。
そして読んで下さりありがとうございました。
自分が一体今何を書いているのか良くわからなくなります。
ただ……おそろしく筆が進みやすいのは確かです。
これが一体何のジャンルでどんな内容なのかはわかりませんが……。