ソレを愛する者達に告ぐ-1
世界に常識などという物は存在していない。
万人が納得出来る法則など、この世界には存在するわけがなく、もしそれがあるとすれば神話に存在するバベルの塔崩壊前の共通言語くらいであろう。
故に、この世界で絶対の決まり事など存在せずいつだって常識というのは自分の中にしか存在していない。
そうであるからこそ、常識という物はを抱えた我々は、いつか、どこかでこの世界に存在し続ける己の常識を超えた何かと巡り合ってしまう。
想像出来ないほどの天才。
誰も思いつかなかった事を行う鬼才。
努力もなしに一流となる秀才。
自分では決して届かないそれを成し遂げる、そんな恵まれた者達。
理不尽な格差としか言えないような存在なのだが、彼らはまだ自分よりも凄いという尺度で見る事が出来る。
だから、まだ常識からは逸脱していないとも言っても良い。
真の常識外とは、こちらが推し量る事すら出来ないほど理不尽で、そして本当の意味でわけがわからない存在である。
そしてそいつらは、上や下といった比較的わかりやすい基準すら通用せず、文字通り何が出て来るのかわからない。
常識という物の大切さを教えてくれるのは、いつだってそんな非常識な奴らだった。
ぶっちゃけてしまうと、ヴォーダンの設計コンセプトはただのバッテリーである。
機械融合生命体という新種の生命体を創り出したしまったのはただの偶然であり、それは目的ではない。
二人が考えた設計目的は、人並み外れた電気の能力をただの電力として使用し、万能かつ汎用性のある戦いを行うというものである。
ヴォーダンの能力使用用途は大きくわけて二つ。
機械生命体という機械混じり己の体に電力を送って活発化させ身体能力を大きく向上させる事と、電力を使用し体内に内蔵したユキの発明品を装備し使用する事。
この二種の能力を使い分け浪漫あるクレバーな戦いをするのがテイルとユキの考えたヴォーダンの初期コンセプトだった。
そう、ヴォーダンの能力は電気に限らず、電力さえ使えば何でも使える。
そしてその内蔵武装はユキが作りさえすればいくらでも変更出来る為汎用性という意味では他の追随を許さないほどとなっていた。
とは言え……ユキであっても、いや天才であるユキだからこそ、新しい兵器開発には非常に慎重となっている。
それは完全と言えるまでに完成し、安全であるとわかっていても、試験使用を必ず行うほどだった。
現在、ユキがヴォーダンに頼んでいる実験兵器は大規模フィールド支配装置である。
もしもの為に怪人に詳しいテイルにも来てもらい、トラブル対策の為に兵器使用は最小限、半径一メートル程度での使用……。
ただし……その実験要請は全てユキの建前で、本音は全く別の場所にあった。
「……やべぇなこれ。まじで凄すぎる。一般販売すれば売れるんじゃないか?」
炎天下の中、テイルは汗を一切掻かず快適そうな笑みを浮かべそう呟いた。
「ふむ。流石ユキハカセ。俺みたいな凡人とは発想が一歩以上違いますね」
父と母に挟まれ、仄かに嬉しそうな笑みを浮かべつつヴォーダンはそう答えた。
それに対してユキは、周囲に漂い涼しい風を受けながら首を横に振った。
「二つの理由で無理よ」
「ほぅ。ユキ、それはどんな理由だ?」
「一つは、これはヴォーダン専用として作ったから市販する事なんて想定していない事よ。予算という面でも重量という面でもね、電力という面でも他人には使えないわ。ワンチャンクアンなら使えるかも。水流発電装置とセットでなら」
「なるほど。まあ元々はフィールド制圧兵器だしそう簡単にはいかんか。んでもう一つは?」
「だってこれ……野外にあるだけでただのクーラーじゃん。売れるわけないわよ」
その一言に、テイルとヴォーダンはぽんと手鼓を打った。
現在ヴォーダンが使用している最新の技術と知識をつぎ込んだフィールド支配装置は、ヴォーダンの半径一メートルをクーラーガンガンの快適な室内のような空間に変化させるただの冷却装置と化していた。
その為テイルとユキはヴォーダンから離れられず肩が触れ合いそうな距離にいた。
涼しくてテイルも満足で、テイルと家族デートが出来てユキも満足で、両親の鎹になれてヴォーダンも満足で。
三人共に嬉しい兵器となっていた。
「んでユキよ。この兵器は炎天下の日中でも快適に出来るほどのスペックがあるのはわかったが……本来ならどの位の事が出来るんだ?」
テイルの質問にユキは満足そうにふふんと微笑み、嬉しそうに説明を始めた。
「そうね。まず、最大距離は電光回路の使用状況次第だけど……。そうね、今のヴォーダンでも百メートルくらいならいけると思うわ」
「ほぅ。百メートルもこんなに涼しく出来るのか」
「当然その分電力は消費するけどね。んで、これは温度を変更するのではなくフィールドを制御、支配する装置だから温度を変える範囲も凄いけどそれ以外も変更出来るわ。例えば……局地的に雨を振らせたり炎や氷を周囲に漂わせたり……重力を軽くさせるとも出来るわね」
「ほぅほぅ。んで、欠点は」
「何度も言うけど、その莫大な消費電力そのものよ。……百メートル範囲全てを氷結世界に変えたら間違いなく気絶するわ。そうでなくとも負担が多きいから他に電力を割きながらは使用出来ないわね」
「……電力効率を上げる事は?」
「既存の技術では無理ね。魔法側の技術を取り入れられないか研究しているけどすぐに成果は出そうにないし……この兵器は没案ね」
そこまで言葉にした後、急にヴォーダンが話に割り込んできた。
「すまない。使用者として言いたい事がある。これを没にするのはいささか勿体ないと思う」
「そう? 正直貴方の戦闘スタイルとも合わないし」
「うむ。戦闘には向かないだろう。だが……ちょっとした外出時に周囲の人を快適に出来、なおかつ電力消費の細かな訓練が出来るこの装置は、俺的には本当にありがたく……。何より両親に快適な時間を過ごしてもらいたいから俺はこれを使いたい」
「……じゃあこれはお出かけ用の装備という事で」
テイルがそう言葉にすると、二人はこくんと頷いた。
こうして、大規模範囲の環境を好きに変更出来る一種のテラフォーミング装置は、ただの外出用クーラーとして使われる事に決定した。
「ねぇヴォーダン。最近はどう? 辛い事はない?」
ユキは自分の息子にそう尋ねた。
ここ数日のストレス指数に問題はないが、数日前までは本当に酷かった。
テイルと二人で出かけてから安定してきた為、やはりテイルに任せて良かったという誇らしい気持ちと、どうして私が解消してあげられなかったのかという親心から来る嫉妬をユキは抱えた。
それ以来、親というものを知らないながらユキは親になろうとヴォーダンに気を配っていた。
「悩みは未だ解消出来ないが……上手く向き合えている。そしておそらくそう遠くない内に解消出来るだろう」
「そか。……うん。まあ困った事があったら何でも聞いてね。これでも天才で……ううん。それは関係ないわ。貴方の親だからね私は」
そう言ってユキはヴォーダンに微笑んで見せ、ヴォーダンはしっかりと頷いた。
「うむ。何かあったら必ず頼りにさせてもらいます」
それはヴォーダンの心からの言葉だった。
ヴォーダンは性格的な意味でけでなく、あらゆる意味で器用であり、困った事は数えるほどしかない。
それは間違いなく、天才であるユキの影響であると言えた。
だからヴォーダンは父と同じように母を尊敬しているのだが、逆に一人で何でもこなせてしまう為に頼られる事が少なく、ユキは少しばかり寂しい思いをしていた。
テイルは既に精神年齢抜かれている事に何となく気づいているがあまり気にしていなかった。
「ではユキハカセ。さっそくで悪いのだが……一つ尋ねても良いだろうか?」
「うん! 何でも聞いて」
ぱーっと明るい笑顔を見せながら嬉しそうにユキははしゃいだ。
「うむ。では尋ねよう。筋肉とはそんなに素晴らしいものなのか?」
ユキの明るい笑顔は一瞬で消え去り、そこには困惑した表情だけが残っていた。
「え、えぇ……。て、ているさん? どうなの? 筋肉って素晴らしいものなの?」
「知らんな。俺の知り合いに一人筋肉大好き人間がいるが……俺はそこまで興味がない。ユキはどうなんだ? 女性から見て男性の筋肉ってどう見えるんだ?」
「うーん。正直私は全く興味がないわ。筋肉があってもなくてもあまり関係ないわね。ヴォーダン。どうしてそんな質問したの?」
その質問に、ヴォーダンは遠くの空を指差した。
「……ごめん。何も見えないわ」
「ふむ……五分ほど待ってくれ。すぐにわかる」
そう言葉にするヴォーダンに従い、テイルとユキはヴォーダンの示した方角を見ながらそこらへんにあったベンチに座りゆっくり五分という時を待った。
五分という時の中で、周囲の雰囲気はゆるやかだが変化していた。
炎天下の中で人々がいそいそと忙しそうにしているという雰囲気に、徐々に不可解な雑音が混じっていく。
不安や不信、怯えを感じる者が増えだし、一部の人達はヴォーダンの示した方角から信じられない物を見たという目で逃げていき、逆にスマホやカメラを構えながらその方角に走って行く者も現れだした。
何かあまり好ましくなくかつ物珍しいイベント事が起きたような雰囲気が漂いだしたその直後に……空から歌が聞こえてきた。
『きんにくー(まっそー)。きーんにくー(まっそー)それが我らの生き様ー(いきざまー)』
謎の合いの手を交えた野太い声は、ヴォーダンの指差した方角の方から聞こえてくる。
そしてヴォーダンの示した五分後、どう表現したら良いのかわからないくらい困惑した人々の波の中で、その正体を二人は見た。
謎の歌が流れるその正体、それは飛行船だった。
ただし、良くあるミサイルやフランスパンにも似た形状ではなく、その形状は筋肉質な男性の上半身裸姿だった。
上半身だけの存在となった巨大な筋肉男型飛行船は両腕を上げ、フロント・ダブル・バイセップスというポージングを取っている姿となっていた。
割とリアルと気味が悪かった。
「あれほどの情熱をかけて筋肉ついて語っているという事は筋肉というものが素晴らしいという事なのだろうが……俺には良くわからぬ」
「安心しなさい。私にもさっぱりわからないしわかりたくもないわ」
ユキは己の想定する状況をはるかに超えた自体に困惑しながらそう呟いた。
『筋肉は、良いぞ!』
唐突に、マッスルボディ型の飛行船からそのような声が響いた。
おそろしく爽やかで、そして暑苦しい声だった。
『筋肉は全ての問題を解消できる! 筋肉さえあれば何でも出来る! なぜならば……世界は筋肉で出来ているからだ!』
その直後にまた音楽が鳴りだし、さきほどの良くわからない筋肉賛美の歌が流れだした。
ただし今度は、叫んでいた人の生歌だった。
「……これ、あれだな。KOHO案件だ」
テイルがぽつりと呟いた。
「どゆこと?」
「明らかに常識外の能力……いや今回は能力以外も常識外だが。そんな能力を使って平穏を脅かす者はKOHOにとっての処罰対象となる。そして、ここは今戦闘区域に設定されていない。そんな状況でこんな騒ぐと警察だけでなくKOHOも動くだろうさ」
「ほーん。悪い事してないけど……ああいや、目と耳には確かに毒と言えるほど悪いけど」
やけに筋肉推しする歌詞とリアルマッスル形状の飛行船を見ながら、ユキはそう呟いた。
あまりに常識外で、それでいて阿呆すぎてユキは頭痛が起きそうになっていた。
「…………おかしいな」
歌が二番に差しかったくらいでテイルはぽつりと呟いた。
「どうしたテイルハカセ?」
「いや、KOHOにしては行動が遅い……」
そう言ってテイルはスマホを取り出し、KOHOの動きを調べた。
「……うむ。やはりサイトの方にも何も告知はないし――は?」
唐突にKOHOのサイトが更新され、とんでもない表示を見たテイルは言葉を失った。
「え? 何があったの?」
ユキとヴォーダンはそんなテイルが気になりテイルのスマホ画面を横から覗く。
そこには……この周辺が『特別活動許可区域』に指定されたと書かれていた。
しかも、許可対象は『筋肉を愛する者全て』と書かれている。
戦闘でもないのに活動許可が出る事もあり得ない事であれば、その許可対象がこんな曖昧かつ幅広いというのもまたあり得ない事だった。
『活動許可……オール、マッスル、コンプリート! これより我が周囲は、原初の時へと回帰する。そう、原初の時、全ての源……つまり、筋肉である』
そう言葉にした瞬間、気持ち悪い飛行船の中から一人の男が自由落下していった。
その男は飛行船と同じ顔をしており、しかも同じ恰好、同じポーズをしながら地面に落ちていく。
そして男は高所からにもかかわらず音もなく着地し、何度もポーズを変更して己の筋肉を誇示しだした。
「……逃げ損ねたわ」
完全に巻き込まれる流れとなった事を察したユキはそう呟き、溜息を吐き、頭を抑えた。
ありがとうございました。