エピローグ 白紙の契約
あれから一週間。
特に何事もなく、ARバレットでは平穏で穏やかな日々が繰り返された。
そんな、いつもと同じような日の朝。
いつものようにユキとクアンの手伝いの中朝食を作り、来れそうな怪人が適当に集まって皆で食事を取る。
最近では時々追加で赤羽が姿を見せるようになったが、それは些細な変化だろう。
テレビでは今度外国のお偉いさんが来るとかそういったあまり興味のない話をしているが、ユキは聞きながらいつものように美味しい朝食を取る。
ユキ以外の人達もテレビはbgm程度にしか聞いておらず、皆適当におしゃべりをしつつ食事をとっている。
話し声は少々賑やかだが、その様子が嫌いな人はここにいない。
良く言えばアットホーム、悪く言えば礼儀作法が緩い。
それがこの悪の組織ARバレットのやり方だった。
そんな日常が嬉しくて、ユキは小さく微笑んだ。
「ああそうそう。どうも今日までみたい」
ユキがそう言葉にすると、皆はユキの方に顔を一瞬だけ向け、気にせずすぐ元の談笑に戻った。
「そか。んで今日したい事とか何かあるか?」
テイルがそう尋ねるとユキは首を横に振る。
「んーん。なーんも。いつも通りで」
ユキにそう言われ、テイルは微笑みながら頷いた。
「よし。暇な奴この後デパート行こう。理由はないけどデパ地下行きたい」
そんなテイルの言葉に、その日の予定は決定した。
この一瞬間、まるで何事もなかったかのように穏やかな日々が過ごされていた。
他の誰でもなく、ユキがそう望んだ為――。
あの日から一週間、本来ならばあの騒動の後始末にわちゃわちゃとしているのだが、その辺りは全て投げ捨てKOHOがたに押し付けた。
あの女社長についての情報や、あの場所で何があり何人死亡したかなどの検分など調べる事、やるべき事はやまほどある。
ついでに言えば、関係者という事で事情聴取を受ける義務もあるのだが、それものらりくらいと回避した。
その理由はユキがそう望んだからである。
あの会社にいたユキの協力者一望は未だに目を覚まさない。
しかし、その肉体は死病を患っていたものとは程遠く、テイルによる怪人化を行う必要がないほど、極めて健康体に近い状態となっていた。
それはユキが体に宿した何等かの霊的上位存在の力によるものだ。
そしてその力は未だにユキに残ったままで、ユキの姿は紫の髪に金の目のままである。
一望の目を覚まさせる方法はそれほど難しくない。
ユキの中にある契約が切れたらそれと同時に治癒も終わり目覚めるだろう。
そう、一望の方は問題ないと言っても良い。
当の本人であるユキは……契約が切れた場合どうなるのかわからない。
場合によっては、ユキの肉体は全て食われてなくなる可能性すらあるし、その可能性は決して低くないとユキは考えていた。
その事をユキは帰ったその日にARバレットの人達――テイルに告げた。
怒る事も叱る事も出来ず困った顔のテイルは、ユキにこう尋ねた。
『何かして欲しい事はあるか?』
ユキの答えは決まっていた。
『いつも通りの日々を過ごしたい』
だからこそ、後始末を全て無視しユキの為の日常を送る事に皆一生懸命となった。
ユキを失うかもしれないという不安と悲しさを隠しつつ笑顔となり何時もの日々を過ごし、そして今日、最後の日であると宣言された。
今日を持ってユキと霊的存在との契約は終わりを迎え、ユキが白紙の契約を果たす番となる――。
午前午後をだらだら遊びまわり、夕飯を終えた夜。
テイルの部屋に控えめなノックが響いた。
そして返事もなく扉が開け放たれる。
「テイル。遊びに来たわよ」
ユキの言葉にテイルは微笑み頷いた。
「良く来た。今日はどうする?」
「何時通りで」
「あいよ」
そう言いながらテイルはディスクケースから未視聴の映画を適当に選んでいく。
その間にユキはソファに深く腰をかける。
隣に一人分席を開けて。
そしてテイルの準備が終わるとテイルはユキの横に座り、鑑賞に集中する。
それが二人の時間の過ごし方だった。
「実はねテイル。私そんなに映画好きじゃなかったのよね。興味なかったって言った方が良いかも」
そうユキが呟くと、テイルはにっこりと微笑んだ。
「そうか奇遇だな。実は俺もさほどだ」
「え?」
ユキは驚きテイルの顔を見つめた。
「俺の優先順位はゲームや玩具の方が上だったからな。映画はまあ……作業ゲーの合間とかに見てたくらいだ」
「へー。そうだったんだ」
「うむ。そうだったんだよ」
そして二人は会話を切り、映画に集中した。
それは恋愛要素の薄いヒューマンドラマだった。
病気になるわけでもない、事故に遭うわけでもない。
ただ、会社を首になった男が妻に逃げられ、子供と二人三脚で過ごすというもの。
結局男は元の業務に戻る事は出来なかったが、それでも男は子供と共に新しい人生のスタートを開始出来た。
そんな、ありきたりの話。
だけど……外国の話だったからだろうか、その映画の景色は涙が出そうなほど美しかった。
「……さて。一本終わったけどどうする?」
いつもはもう一本くらい連続で見るのだが、ユキは首を横に振った。
「ううん。今日は良いや。ちょっと眠たくなってきた」
その言葉にテイルは時計を見る。
時刻は十一時五十九分。
もうすぐ、今日が終わる。
「そうか」
「テイル。わがまま言って良い?」
「なんだ? 何でも言ってくれ」
無理やりではあるが笑いながらテイルはそう尋ねた。
「ん。……このまま、ここで寝て良い?」
「……ああ。良いとも」
「……ありがと。…………も一個、良い?」
「俺に出来る事なら」
「……起きるまで……ううん。朝まで手を握っててくれる?」
敢えて言い直した理由を察したテイルは、何も突っ込まず頷いた。
「……今日だけな」
テイルはそっと、寂しそうにしていたユキの手を握った。
「ありがと。……ごめんね」
「謝らんで良い。……また……また明日な」
そんなテイルの言葉にユキは少しだけ驚き、そして微笑んだ。
「うん。また明日。おやすみ」
そのままユキは目を閉じ、静かに寝息を立てはじめる。
その瞬間に時計の針がカチッと音を立て、ユキの髪の色が元の綺麗な色に戻った。
そこに何かがいる。
そしてその何かは、ずっと自分に話しかけて来ている。
良くわからないがユキはそう思えた。
その声は自分の意識が落ちるほどに近づいていき……そして自分の意識が闇に落ちたと同時に、その声ははっきりと聞き取れる程近くに感じた。
「あんさん聞いてるかー。おーい。聞いとんのかー?」
ぺしぺしと頬を叩く感触と、変な口調の女の子の可愛らしい声。
そのギャップに驚きユキは夢の中で目覚めた。
「何事!?」
がばっと起きるユキに目の前の女の子はケラケラと笑った。
「やーっと気づきおったわ。まったく。ほれ。正座。」
「はい?」
「正座せーゆーとんのや? あんた立場わかっとんのか!?」
まったく凄みの感じない声ではあるが、状況が呑み込めないユキは慌ててその子の言う通り正座をした。
「最初からさっさとせいっちゅーねんまったく……」
そう言いながらぶつくさと呟く女の子を、ユキはじっと観察する。
オレンジに近いショートカットで歳は十五歳くらい。
明るく活発な印象がありつつも可愛らしさも感じる。
笑顔がひまわりのような少女だが……口調がやけにチンピラくさい。
そして当然だが、ユキはこれまで彼女を見た事がなかった。
「それで、えっと、どちら様でしょうか?」
そんなユキの言葉に、少女は溜息を吐いた。
「はぁ。見てわからんか?」
「状況では予想出来ますが見てはわかりかねます」
「ああそうかい。じゃちゃんと言わんとな。こういう世界は礼儀た大切じゃけの」
そう言った後、少女は真顔となり、一言呟いた。
「わたしゃ神様じゃ」
「へへー」
ユキは深々と頭を下げた。
「おーいー。ノリ良いのあんさん。わーっとるやん」
少女はゲラゲラ笑いながらパチパチ拍手をした。
「ははは。……だって事実ですものね?」
「まーのー」
機嫌良さそうに少女は同意を示した。
とてもそうは見えないが、彼女こそが自分に手を貸してくれていた人。
自分を今まで助けてくれた大いなる存在である。
「……では、呼びかけに答えてくれた事と、それと手を貸してくれた事に感謝を。本当に、ありがとうございました」
ユキはそう言って深く頭を下げた。
「ええってええって。……それよりも、なんじゃあの契約は。電子契約なんてものも聞いた事がないけど、そんな事よりあの契約内容はなんじゃ一体!?」
少女は思い出したかのように叫びユキに説教を始めた。
「えと、何分強引かつ無茶苦茶だったもので……不手際が多く申し訳ない」
「そんな事はどうでも良いんじゃ。白紙の契約って舐めとんのか? 大切なもん持ってかれるぞ!」
「……他に方法がなかったもので」
その言葉に少女は顔をしかめ、わざとらしく舌打ちをした。
「それで、神様は私に何を要求するのでしょうか?」
「あん? あんたの肉体だよ。私ら神にゃ肉体がない。だから持ってないものを欲しがる。それが道理ってもんじゃろが」
それはユキにとってあまりよくはないが、想定内の要求だった。
確かに拒否したくはあるが、契約をしたのは自分であり、もうどうしようもうないという事くらい他の誰でもなく自分が良くわかっていた。
「……わかりました。出来れば、傍にいる人達に迷惑をかけぬよう願います」
そう言って、ユキは少女に深く頭を下げた。
それに対し、少女は盛大に、わざとらしく、それでいて厭味ったらしく溜息を吐いた。
「肉体を貰う――予定だったんじゃが……ええわ。なんもいらん」
そう言って酷く穏やかな笑顔を浮かべ、少女はユキの頭を撫でた。
「……え?」
「もう消えるしかない木っ端の神でもな、いや消えるからこそ、私は私の存在目的を汚せん。あんさんは私の存在目的そのものじゃからの」
「……存在、目的?」
「ああ。私の名前は――」
少女はそう言って名前を名乗ろうとするのだが、一向に名前は出てこなかった。
「……うん。ここならもしかしてと思ったが、無理か。私はな、忘れられてしまい自分の名前すら言う事が出来なくなった。そんな木っ端で末端の忘れられた神様じゃ」
そう言って笑うその笑顔は痛々しかった。
「んで私は何の神様だったかっていうとな……実はこう見えて縁結びの神様なんじゃ」
「ほほー。縁結びの神様」
「うむ。正しくは、恋する乙女が告白する勇気を持つ為に私に願いを捧げ、私は少女の背中を後押しする。そんな神様じゃ。直接は何もせん。ただ、女の子を肯定し励まし、元気づけて、そして成功したら一緒に祝い失恋したら慰める。そんな髪様じゃった。……近くに恋愛成就の神社が出来て廃れたけどの」
「……すいません何も言えません」
「ええさ。しゃあない事じゃ。そんなわけで、私は恋する乙女の味方なんじゃよ。うむ……。うむ……。うむうむ」
そう言いながらしたり顔でユキを見つめる少女。
何となくニヤニヤした雰囲気にユキは少し恥ずかしく思いそっと顔を反らした。
「……愛いのう愛いのう。ま、そんなわけで私が肉体を奪ったら一人の恋する乙女を消してしまうからの。私は私の存在理由の為に……素直に消えよう」
「……消えるしかないんですか?」
「ない」
少女は、はっきりと言い切った。
「ぶっちゃけな。あんさんの呼び出しに応えたのも消滅間近のただの暇つぶしじゃ」
「私が巫女になって盛り上げるとかそういう方向性では? 幸い協力してくれる人は沢山いますし」
「……うむ。そういう方向性であんさんがかっぽーになるのを見るのもきっと楽しかろうなぁ……。じゃがな……もう手遅れなんじゃ。名前が消えたってのは、人にとって心臓が消えたのと同じでの……とうにどうしようもない事となってしもーとる」
その唯一の例外が肉体と名前を奪う事なのだが、それをするつもりはない。
それなら、二人の今後を考えてニヤニヤしながら消えた方がまだ自分らしい。
そう少女は考えていた。
「じゃからの、恋愛の神様として私と一つだけ約束しろ。もう二度とあの手は使わないと。場合によっては力ある悪神が来たかもしれんのじゃ。そうなったら被害はあんさんだけですまん。あんさんの想い人をあんさんが殺し取ったかもしれんのじゃぞ?」
「……うん。わかりました。約束します」
「ん。ならよし。がんばりな」
そう言った後笑顔となり、少女はユキの頭をぽんぽんと軽く叩く。
次の瞬間には、少女の姿は煙のように消えてなくなっていた。
「はぁ。恩返し出来ない恩が出来ちゃったな」
ユキはそう呟き、何とも言えない後味の悪さを覚えつつそっと目を閉じた。
ユキが目を覚ますと、隣にテイルはいた。
じっとこちらを見ていたのか、目を覚ましたユキの方を見つめ、そして優しく微笑む。
「おはよう。ユキ」
「うん。おはよう。テイル」
そんな会話をすると、ユキは自分の中にあった何かが、満足そうに笑ったような気がした。
ありがとうございました。