Alice in the Mad Scales(イカれた天秤のアリス)
「んで今更だが、何があったんだ?」
テイルは走って階段を登りながら隣にいるユキにそう尋ねた。
「あー。そうね……。何話しましょうか。あんま時間はないし」
「とりあえそのとんでも能力を持つに至った理由が知りたいかな」
「あー。トゥイリーズとかのアレと同じ感じ。ちょっと色々あって、ある女の子の為に正義の味方になろうかなと思ってちょっと無茶して。……まあ蓋を開けた結果正義の味方どころかコズミックなホラーだったわけだけど」
ユキは物悲しそうにそう呟いた。
「まあ心掛けが大切って奴だ。という訳なら今はARバレットではなく正義の味方のユキとして会話をしようか」
「良いわよどっちでも。後はあのこわーい女社長に対してだけ正義の味方でいられたら」
「ふむ。あまり情報は得られなかったが……まあ何とかなるだろう。俺とお前なら」
「私の方も質問あるんだけど……テイルの方は何かしたの? 明らかに普通じゃない体力してるけど」
階段を全力で走りつつ一切息切れしていないテイルにユキは今更気が付きそう尋ねた。
ユキの体力と能力ならそれくらい可能だが、テイルでは絶対に不可能な事である。
「ん? ああ」
そう言いながらテイルはどこからか黒いマントを取り出して羽織り、ついでに自分の鋭くなった犬歯と目を指差した。
その目は寝不足で充血しているからとはまた違う紅さをしていた。
「……んー。ああ、吸血鬼化か。それはどうしたの?」
「ヴァルセト……第七怪人な。彼に眷属化してもらっている。つーわけで一時的にだが俺も戦えるぞ。……と言っても戦闘員に毛が生えた程度で気休めくらいの戦闘力しかないが」
「ほーん。……デメリットは?」
「俺の方には全くない。ただヴァルセトは……元々ヴァルセトの能力は吸血鬼っぽい事が出来るだけで吸血鬼そのものではないからな。ちょっと大きめのリスクが生まれて来る。ぶっちゃけると一人眷属にする度に四割ほど戦闘力がダウンする」
一人眷属にするだけで半分程度戦闘力を失い、二人眷属にするとヴァルセトの戦闘力は八割ダウンしてまともに戦う事すら出来なくなる。
そして当然、三人以上の眷属化は不可能。
一体の強化比率を下げて分散化し、弱い眷属を量産する事も可能だがその場合ヴァルセトは血と体力を限界まで失い意識が辛うじて残る程度まで弱体化する。
しかも眷属に出来るのは一部の戦闘能力が限りなく低い相手のみで、強化幅もそれほど多くない。
どの様な使い方をしたとしても、リスクとリターンが全くかみ合っていない能力だった。
それでも今回テイルが強化されているのは決して戦闘力を補助する為ではなく、ユキの探索に栄養ドリンクと点滴投与で不眠不休で居続け体に悪い事を繰り返していたテイルを見かねたヴァルセトからの判断によるものである。
「とまあ、そんなわけで体力面では足を引っ張る事はない。対して役に立たないけどな」
「ううん。それは良いの。それにしても――」
ユキはテイルの目と牙をじーっと見つめ……あらぬ妄想を始めた。
夜の個室に忍び寄る吸血鬼。
乙女の目が覚めた時既に彼の顔は目の前にあり、恐怖とその顔の美しさに声が出せなくなる。
そのまま彼から目が離せぬまま――首筋に牙を……。
そんな妄想に思いを寄せユキは頬を染めた。
「うん。悪くないわね。……むしろ良い」
「……おーい。ユキさーん。あのー」
全く反応のなくなったユキにテイルはただただ困惑するだけだった。
そして、ようやく反応したユキが最初に発した言葉は……。
「テイル。血を吸うと体力が回復するとか強くなるとかない?」
「ないぞ。本家のヴァルセトすらそんな能力はない」
「じゃあ吸血衝動に苦しむとか」
「ない。だから急に襲うとかもないから心配するな」
その言葉に、ユキはとてもつまらなさそうな表情を浮かべた。
恐ろしく長い螺旋階段を上り、目の前のドアをテイルが蹴破った瞬間――爆音が鳴り響いた。
サングラスをかけた大柄の男達は全員が長い棒状の物、ショットガンを携え壁も人も気にせず乱射する。
ただしその銃弾は全て……卵のような化け物のパンプティダンプティが受け止めていた。
「なあ……この卵の子ぷるぷるしてて何だか可哀想なんだけど……」
「割れそうな上に痛くて震えてるだけよ」
「いやそれ十分可哀想案件だって! 助けてくれた事は嬉しいけど罪悪感が……」
そうテイルが言葉を残すと、パンプティダンプティはテイルの方を見てにこっと微笑み……パリンとその場で割れた。
「ハ……ハンプティ……。ありがとう、他に言葉も出ないよ……」
そう言いながらテイルはハンプティの割れた残骸にそっと手を合わせた。
「……テイル。私帰ったら卵焼きが食べたいわ」
「ん? ああ良いぞ。俺は目玉焼きが食べたくなってきた」
「……あんまり気にしてないじゃない」
「そりゃそうだ。卵だし」
二人は割れた残骸を見ながらそうぽつりと言い合った。
その頃大男達は、どこからともなく現れたチェスの駒と馬の顔をした騎士に囲まれボコボコにされていた。
「ハンプティダンプティが割れたら突如として現れて暴れまわるチェスの駒って、微妙に見えて相当使い勝手良い能力よね」
「……優秀な盾に全体処理能力が付くからな。まるでカードゲームの高額レアみたいな能力だ」
「その例えは良くわからないわ。まあここはもう放置で良いわね。行きましょうか」
ユキの言葉にテイルは頷き、二人は屋上の奥に向かって駆けだした。
数分ほど走った先に、二人はヘリコプターの姿を発見した。
空中で滑空し発進準備の終えたヘリははしごを下ろしており、そのはしごに目的の女社長が足をかけたところだった。
「……ああもうしつこい!」
社長は愚痴るようにそう叫び、テイルとユキを強く睨みつける。
理屈も理由もない。
ただ恐ろしいだけの人を支配する目。
何とか必死に歯を食いしばり立ち向かえて入るが、それでも自分の芯が冷たい恐怖にかじかむのを感じるユキ。
負けられない、負けてはならない。
そう思って震えながらも立ち向かっているユキの手を、テイルはそっと掴んだ。
「大丈夫か?」
平然とした口調でテイルがそう言葉をかけてきた。
「うん。何とか。テイルは平気?」
手をぎゅっと握り返し、少しだけ活力を取り戻したユキはそうテイルに尋ねる。
テイルは何となく申し訳なさそうに呟いた。
「ユキの様子からたぶん目の能力だと思う。だからだろうな。普段の俺なら駄目だろうが……今の俺は目の能力一切効かないから」
「……ああ。吸血鬼化だからか」
吸血鬼は人を魅了にかける能力があると言われている。
テイル自体にそのような能力はないが、それでもその能力のおかげで人から支配をうけるという事はなくなっていた。
社長は強く醜く舌打ちをしながらそのままはしごを登っていく。
それと同時に全身黒い金属の鎧で固め銃をもった者達が現れテイル達に襲い掛かってきた。
「ほぅ。悪くないデザインだな。さっきのスライムとは大違いだ」
「言ってる場合じゃないでしょ。ほら私の後ろに来て」
ユキはテイルを自分の背に回し、ジャバウォックを召喚する。
紫色の異形の化け物は煙のような息を吐きながら、ドシンドシンと鎧に向かって足を進めていった。
「ほらテイル。いつもの貴方は指揮官役でしょ。何かアドバイスとかない?」
「参謀にそう言われると辛いものがあるが……そうだな。特にないが……遠距離で攻撃出来る奴呼べないか?」
「呼べるけど……ジャバウォックと仲の良い存在がいないならちょっと面倒な事に……良くて争いだす」
「悪いと?」
「共食い」
「…………」
「ああ。一人? だけいたわ。呼べる奴」
「お。誰だ?」
「ハンプティダンプティ。割れても良い奴。ただし後から来る白の軍勢とは普通に争うジャバウォック」
「……ちょっと様子見しようか」
その言葉にユキはこくりと頷いた。
やけに近代的な黒い鎧に身を纏った者達の数は合計三人。
一人は腰にショットガンを携えたまま化け物に向けて構えており、残り二人はアサルトライフルを単発で狙いを付けながらテイルとユキを一人ずつ狙って発砲している。
ただし、その全ての弾丸は化け物ことジャバウォックが止めていた。
手で、尻尾で、髭で銃弾を楽々打ち落としながら、どしんどしんと一歩ずつ近づくその姿は、味方ながらに恐ろしいものだった。
「……某狩りの出来るゲームにこんな奴いたら。あれよりも醜悪だが」
「これでも私の呼ぶ奴よりはマシな部類だから」
ユキは何ともいえない苦い顔でそう悲しそうに呟いた。
結論で言えば、勝負にすらならなかった。
おそらくあのスライムが最大戦力だったのだろう。
鎧姿の物達は持っている銃で、斧で、爆弾で攻撃するのだがジャバウォックは当然のように無傷。
そんな状態な上に鎧が毒で溶けていく為、三人のうち二人は怯えを見せる。
残った一人はどうやら機械だったらしく一切怯えを見せないが……その代わりジャバウォックが玩具のように手足をもぎ口に頬張り溶かして遊んだ。
最終的にスクラップになり捨てられた機械の仲間を見て二人は一気に戦意喪失を起こし、武器を捨てて両手を挙げて降参を示した。
一つだけ、たった一つだけ失敗を上げるとすれば……既にヘリが飛び立ってしまった事くらいだろう。
「……ユキ。追いつく方法何かないか?」
「あるにはあるけど……ちょっと取りたくない」
「どんな方法だ?」
「このジャバウォックの背に乗る。まず皮膚が硬くて尖ってるから若干痛い。続いて触れてると若干溶ける。あと……地面に溶解液兼毒液がぽたぽたと垂れ流されるから未曾有の大災害になるわ」
「あー。そりゃあかん」
「一応一個……保険は掛けてるけど発動する可能性低いのよね……。相手が特定のキーワード言わないと発動しない系の能力だから」
「ほーん。ま、もうそれは良い。難しい事は明日考えよう。とりあえず俺は疲れた。だからさ……その……帰ろうか?」
そう言って手を差し伸べるテイルにユキは微笑みながら頷いた。
「うん。帰ろ」
その微笑みをテイルはまっすぐ見る事が出来ずそっぽを向いて返事をした。
ただ、握り返されたその手は暖かかった。
ヘリの中、女社長は悔しそうにトランクケースの中を確認していた。
「……これしか持ってこれなかったか……。再起するのは時間がかかりそうね」
人材を含めた道具は台無しにされ、それ以外の資材や重要な研究成果の大多数も回収も失敗した。
これは彼女にとって数年を無駄にしたに匹敵するほどのダメージだった。
「……ま。最悪これさえあれば何とかなるけど」
そう言いながら、彼女は一枚のアクセスカードを手に持った。
それは彼女にとって切り札で、彼女が悪事を働く理由。
それは銀行口座へのアクセスカードだった。
別に大層な事があったわけでも深い理由があるわけでもない。
ただ、人よりも優れている自負のある彼女は人よりも優れた方法で金を稼いでいた。
それだけの事でしかなかった。
悪事に手を染めているのは、その方が儲かるから。
逆に正義を成した方が儲かるのであれば彼女は正義を目指すだろう。
現に、彼女は数年ほど正義の味方のスポンサーだった事すらあった。
善人でも、悪人でもない。
彼女を一言で例えるなら、商人であり、二言なら手段を選ばない商人となるだろう。
そんな金銭を至上と信奉する彼女だからこそ、一つ決めた事があった。
「とりあえず近場の私設空港に飛んで。後は流れで適当に外国に行くから」
彼女はそうヘリのパイロットに言い残し、トランクの確認に入った。
確かに彼女は酷い目にあい、悔しい思いをした。
復讐をしたいという気持ちも残っている。
だが、そんな自分の感情を彼女はあっさりと切り捨てた。
金にならないからだ。
そんな一銭にもならない事に手を出すより一銭でも多く稼ぎたい。
それが彼女の考え方の根本である。
ただ、それはそれとして立花雪来をこれから気にしないというわけにはいかない。
こっちから手を出した問題の為相手がこちらを忘れるとは思えず、場合によってはあちらが復讐の為に動くだろう。
だが、排除しようとすればこちらも出費と言う意味で相当手痛いダメージを受ける事になる。
彼女は立花雪来を見下す事なく、正しく脅威であると判断していた。
無視するわけにもいかず、排除も金がかかる。
そうなると最も効率のいい手段は、『逃げる』だ。
そして彼女は、決して相手を甘く見る事はなく、更にやるからには徹底的にやるタイプの人種だ。
だからこそ、国外逃亡で外国でか金稼ぎをする事に決めた。
「だからさよなら。安心して。次に会うなんて事は、ありえないから」
見下すように地面を見ながら、彼女はそう口に出した。
悔しい思いを誤魔化す為と、文字通り住み着いた場所を離れる事への寂しさからの言葉だろう。
それが、彼女唯一の失敗だった。
ありえないなんてありえない!
そんな声がどこからか彼女の耳に届いた。
「ねえ貴方。何か言った?」
彼女はパイロットにそう尋ね、パイロットは首を横に振ってみせた。
「そう。じゃあ一体……」
そう言いながら彼女は、そっと窓の方を目を向けた。
そこには豚がいた。
窓越しに羽の生えた豚がヘリに並走して飛んでいた。
「ありえないなんてありえないよ! この世にありえないなんてことはありえない。ありえないなんてことがありえないなんてこもありえないなんてありえない! あれ? どっちだっけ?」
そう言いながら笑う豚の顔は、人のソレと全く同じだった。
「ひっ!」
パイロットもそれに気づいてか怯えた声で短く叫んだ。
「運転に集中して。オートパイロットは信用してないんだから。にしても……不思議の国のアリスに豚っていたかしら?」
彼女は平然としながらそう呟き首を傾げた。
「――社長メンタル強いっすね……」
パイロットは怯えながらそう言葉にした。
「別に気にしなければ良いだけじゃない。みたとこそんな強そうに見えないし。ま、見なければ良いでしょう」
そう言いながら彼女は反対側の窓を見た。
そこにも豚がいて、微笑んでいた。
「……社長。まずいです」
「何が――」
そう言いながら、彼女は前方に視界を向けた。
そこには大量の羽を生やした人面豚がこちらを笑いながら見ていた。
「避けれない!?」
「どこにですか!?」
気づけば大量の人面豚に包囲されパイロットはそう叫び事しか出来なかった。
そのままヘリは前に進み……人面豚と接触する。
ザクリザクリと上空のローターブレードが音を鳴らせ大量の鮮血がフロントガラスに注がれる。
それでも豚が巻き込まれる事は止まらず、ごとりごとりと豚が周囲に飛び散っていく。
「バラ」
「モツ」
「ロース」
「豚トロ」
「モモ」
「ミノ」
「カルビ」
そんな風にバラバラになった豚は一頭ずつ違う言葉を残し地面に落ちていく。
「……ちょっと待って牛の部位混じらなかった?」
彼女はそう冷静にどうでも良い言葉を口にしたとほぼ同時に、バキッと音を立てメインローターブレードがへし折れた。
「安心して。死ぬなんてありえないから。でも、ありえないなんてありえないし……一体どっちだろうね」
豚はそう言葉にし、ヘリの上にあぐらをかいて座りだした。
「あー。運よく発動したんだー」
ユキは大量の豚が壊れて煙を出すヘリをこちらに運んでくるのを見てそう呟いた。
「それはどんな能力だったんだ?」
「私がかけた能力は二つで、どっちもキーワード発動型」
一つは『ありえない』という言葉で発動し空飛ぶ豚を召喚する能力。
戦闘力はないが死なず、数が増え続ける為面倒な事この上ない能力である。
もう一つは、『まるで夢のようだ』という類の言葉に発動する能力で、こちらは発動すれば特定の行動が全てなかった事になる。
今回の場合で発動すれば、社長が逃げたという事実がなくなりあの場所の社長室に強制的に戻されただろう。
「って感じの能力。豚が発動したって事はありえないって言っちゃったんだね」
「ほーん。やっかいな能力だな」
「欠点多いけどね」
そう言葉にすると同時に、豚はずどんと二人の目の前にヘリを投げその姿を消した。
「一体あんたは何なのよ!?」
ヒステリックにも似た社長の声に、ユキは苦笑いを浮かべた。
「正義の味方。……名乗るタイミング逃したからさ、ここで名前を名乗ろうと思ったけど……正義の味方って死体蹴りの最中に名前は名乗らないよね?」
「いやー名乗る人もいるだろうけどな……。まあ気になるなら貴様らに名乗る名前はないってでも言っておけば良いんじゃないかな?」
「じゃ、そんな感じで」
そう言いながらユキは社長とパイロットをシャボン玉の中に閉じ込めた。
「さ。さっさと帰りましょう。今日のおゆはん何?」
「決めてないな。何が食べたい?」
「んー。テイルの作ったご飯なら何でも。ああ。高い物は割と食べ飽きたから庶民的な感じが良いかな」
「鯖とかどうだ? 竜田揚げとかで」
「良いわね。大量のキャベツもお願いね。私刻むから」
「んじゃスーパー寄って帰ろうか」
そのまま二人はヘリの方を振り返りもせず、スーパーマーケット目指して歩いた。
手を繋いだまま――。
ありがとうございました。
ユキの考えたヒーローネームが今回のタイトルです。
ちょっとした言葉遊びを交えつつ本家らしい名前にした結果がこれでした。