月の人たち 2
美しい黒髪美人が、小鼻を膨らませて言う。
「断固反対、ありえないわ。こんな性悪男に付き合う意味なんてこれっぽっちもないわ、香」
ボサボサ髪のオオカミのような男が、鼻を鳴らす。
「その性悪男に告白してきたのは誰だっけなあ? 日の花ちゃん?」
「あれは人生の汚点よ」
火花を散らす男女の会話に、ショートヘアの女子が口をはさむ。
「十霧、告白ってなに? 私初耳なんだけど」
三者三様、好き勝手にしゃべる月の人たちは、もう俺と日永のことなんて見えてない。俺たち完全に蚊帳の外。
なんでこんなことになってんだっけ。俺は、彼ら三人が会話するにいたった経緯を思い返していた。
落ち着いてください。そう言って割って入ってきたのは、クラスメイトの三橋香だった。
油の切れた人形のようにぎこちなく日の花は振り返る。きっちり三秒静止していた日の花は、素早い動きで三橋のシャツの襟を掴んで引き寄せた。身長差があるせいか、三橋の頭がガクンと前にかたむく。眼鏡が軽く取って捨てられる。少し前にどっかで見た構図だ。
そして耳に届いたのは、ドスの効いた声だった。
「カグヤ? あなたこんなところまで男と逃避行だなんていい度胸してるのね?」
「お姉さん首痛いです」
「あら私の話聞いてるのかしら?」
「だってお姉さん、私に見合い押し付けたじゃないですか」
声に答えたのは三橋だった。つまり先の声は日の花のものっぽい。
あまりの声の変わりように、俺は目を剥いた。
というか、これはどういう状況か。クラスメイトの三橋香が日の花の捜してる妹だったのか。三橋のやつ、全然かぐや姫なんてタイプじゃないだろ。
混乱する俺に追い打ちをかけるように、右肩をめいっぱい掴む手があった。
「あー、どっこいしょ」
「うおお、びっくりさせないでくださいよ。つうかおっさんっぽいですね」
「ほっとけ」
「ちょ、いたいいたい」
さっきまで床に転がってた十霧は、俺の肩を支えに体勢を立て直していた。おもっきし体重かけてるのは絶対わざとだ。このお兄さんおっさん扱いしたの超気にしてやがる、大人気ない。
「おっさんはどうでもいい。ひとの顔面に刀投げつけてきた件については誠に遺憾である」
「そっちすか! ええ、俺今言葉に出しましたっけ?」
「やっぱわっかりやすいわー、ミヤノ少年」
口の端をちょっとだけ持ち上げる十霧は、やっぱりもう一発殴りたくなる顔だ。ご要望どおりもう一回ダーツの的にすんぞこのお兄さん。
痛む肩をおさえながら睨みつけると、十霧は表情を真剣なものに改めた。
「それよりミヤノ。いまのうちにあの女狐刺しとけよ」
「そのつもりだったんすけど、なんか勢い削がれちゃって」
「お前がやらないなら俺がやる。刀寄越せ」
苛立たし気に手の平を差し出す十霧だけど、どう見てもふらふらだ。今だって壁に張り付いてやっと立ってる状態なのに、どうやって刀なんて使うんだ。
「あいつが平常運転に戻る前に」
「あの、どういうこと? 日の花さんの捜してた妹さんって、香ちゃんなの?」
「日永」
そばに近づいてきた日永が、遠慮がちに尋ねてきた。さっきまでの変な表情じゃなくて、胸元でゆるく手を握っての困惑顔だ。張っていた肩の力が抜ける。
良かった、いつもの日永だ。
「いやいや俺もよくわかってなくてさ。十霧さん、どうなんすか?」
よくわからない会話をする女性二人を指さし、全部の事情を知ってそうな十霧に問いかける。面倒そうな表情を見せた十霧は、やっぱり面倒そうな声で答えてくれた。いやいや教えてくれるって約束でしたよね。
「そうだよ。三橋香が日の花の妹、本名はかぐや。名前は、あっちで香って呼んでたから」
「香ちゃん、宇宙人だったんだ」
「その認識で間違ってねえけど嫌な呼び方だな、それ」
「えぇ、ごめんなさい」
うん、月の連中って言うくらいだから宇宙人でいいんじゃないの。そう思ったけど、またややこしくなりそうなので黙っておいた。たぶんこのお兄さん、俺が言ったら日永の倍は冷たい返ししてきそう。
「それで、なんで誘拐してきたんですか? さっき三橋が見合いとかなんとか言ってましたけど」
「そのまんまだよ。あいつは」
「また、またあのクソ男なの! よりにもよって!」
十霧の言葉は途中で、日の花の叫びにかき消された。こっちの会話に集中してたせいで、二人が何を話していたのかわからない。しかし、クソ男だって。なにがあったか知らないけど、険悪ムードだよなこの二人。
いい加減体勢が辛そうな三橋から手を放して、日の花がこっちを睨みつけてきた。その目が鈍く輝くのが見えて、俺は動き出していた。
「きゃんっ」
「宮野?」
数メートルの距離を詰めて、刀の先を軽く日の花の脇腹に刺し込む。それだけで、ドクドクと心拍が早くなるのがわかる。落ち着け落ち着け、俺はまだここでぶっ倒れるわけにはいかない。日の花の体が揺れたところで刀を引いて、倒れそうになる自分の体を床に刀をつくことで支えた。やっべ、床傷つけたかもしんない。すんません店長さん。
「宮野くん! けがは? かたなが! たおれちゃう!」
駆け寄ってきた日永が、目を白黒させながらしゃべる。彼女のまとまりのない言葉に、思わず笑ってしまった。俺、けっこう日永に好かれてるよなあ。
安心させてあげたくて、胸の前でうろうろさせてた日永の手を触った。これくらいならセクハラになんないよな。チラリとうるさく言いそうな三橋を見れば、気絶してるっぽい日の花を椅子に座らせていた。よし、全然大丈夫。
「まだ大丈夫だから。なんか知らねーけど今日はピンピンしてるし」
だって後ろのお兄さんと日の花と二回使ったのに、意識ハッキリしてんだぜ。全然余裕じゃんか。どういうわけか知らないけど、これはラッキーだ。
それでも心配そうな日永のために、俺の表情筋をフル活用。大げさなくらいの笑顔をつくって、もの言いたげな日永に向けた。彼女の肩を軽い力でたたいて、言う。
「心配するほどじゃないよ。それより、キミになんかなくて良かった」
「なんか、死に際の台詞みたいだね?」
「あ、間違えたかも。いやいやでもこんな台詞そうそう言えないからなあ」
「なあにそれ。もう、宮野くんったら」
クスクス笑う日永を見て、俺の不自然な笑顔も解けていく。やっぱり、日永の笑ってる顔好きだなあ。なんかこう、優しいんだよな。
「仲良くなったのは良いんだけど、どういうことか説明してくれる?」
割って入った鋭い声によって、和やか空気は一瞬で吹き飛ばされたんだけど。ええ、もうちょっとくらい浸らせてくれてもいいんじゃないですか。俺今回の件ではかなり頑張ったと思うんだけどなあ。
というか、何から説明すればいいのか。俺たちだって巻き込まれただけだから詳しいことはわかんないわけだし。カウンターに背中を預けた俺は、店の裏に行こうとしているボサボサ髪を見つけてしまった。
ばっちりと目が合って、三秒。目を逸らした十霧はなにごとも無かったように移動しようとして、失敗した。
大股で近づいた三橋に膝裏を折られる長身の男を眺めながら思い返すのは小学校時代。はやってたよな、膝かっくん。
あっさり崩れた十霧の肩を音が聞こえるくらいの強さで叩いた三橋は、低い声で言う。
「十霧、事情知ってるよね? 全部話して」
「香、これは大人の事情というやつだ。十八歳未満は立ち入り禁止」
「お姉さんと友だちとクラスメイトが関わってるように見えるんだけど、下手な言い訳しないでくれる兄さん」
「おー、兄さん呼びが板についてきたじゃねえか香ちゃん」
「全部吐けって言ってんだけどクソ兄貴」
口論の末、三橋に肩を掴まれて揺さぶられる十霧。殴り合いして刀刺されてあげくにこの扱いの十霧はもう顔面蒼白だ。そろそろ説明じゃなくて胃の中身吐き出すんじゃないだろうかこのお兄さん。
吐かれんの困るしそろそろ止めようかなあ。タイミングをはかっていた俺の横から、柔らかいが代弁してくれた。日永だ。
「あの、香ちゃん? 本当に具合悪そうだからそのくらいで」
「どうせ自業自得じゃないの?」
「そ、そうなの?」
「そうかもしれない」
日永の問いかけに、俺は目を泳がせて答えた。殴り合いは俺が始めたし、刀投げつけたのも俺かもしれないけど。だいたい元をただせばあのお兄さんが悪いわけだし。
目をすがめた三橋だが、十霧を揺さぶるのはやめたらしい。良かったね、十霧お兄さん。ところでお兄さんってどういうこと。
「うえ、ミヤノてめえ後で覚えとけよ」
名指しで吐き出された恨めしい声に、あっけにとられる。あの状態で聞こえてるってどんだけだよ。地獄耳かよ。
「それで、なんでかぐと宮野くんが一緒なの? あの竹っぽい刀はなに?」
「人違いだ。心優しい月の連中が、日の花のためにかぐや姫を捕まえようとしたらしいぜ」
「人違い? まさか私とかぐを間違えたっていうの?」
三橋が顔を曇らせ、日永に視線を移した。日永は悪くもないのに肩を揺らし、なにか言おうと口を開閉させる。けど、うまい言葉が思いつかないようで、助けを求めるような目を俺に向けた。
いやいや、もうありのままを話すしかなくない?
片手を上げると、三人の視線が俺に集まった。
「えーと、たしかに月の連中は日永を三橋と間違えて、俺も日永と一緒に逃げまわりました。この刀はそのときに竹から出てきた、俺にもよくわからん刀」
指二本で摘まんだ刀を、顔の前で左右にゆらゆら揺らす。ほら見ろよ、こんな力で持ち上がるくらい軽いんだぜ。肉も骨も切れないし、不思議だよなあ。
十秒くらいそうして、刀の先を見えない鞘に収めた。三橋が目を丸くして、日永が感嘆の声を漏らした。なんかマジックショーしてるみたいで面白い。
一人だけ詰まらなそうな顔の観客に、声をかける。
「で、この刀は人を傷つけないで相手を無力化する刀っぽいよ。俺はなんにもわかんなかったから十霧さんに相談してたけど、俺たちは十霧さんに利用されてただけって感じだな」
「十霧、お姉さんのことでなにかあったら私に話すと言ってたよね?」
「お前に、話してなんになる?」
「あーそうだった。あなたはそういうやつだった」
苦虫を噛み潰したような顔で返す十霧に、三橋が片手で頭を押さえた。さっきも一人で逃げようとしてたくらいだし、このお兄さん三橋に話す気ゼロだったな。三橋に頼まれて月から逃がしたとか言ってたけど、最後まで面倒見る気あったのか怪しい。
一瞬だけど、三橋を横目で見た十霧の目元がゆるむのが見えた。次に三橋が顔を向けたときにはもう面倒そうな顔に戻ってる。なんか寒気してきた。うわ、十霧のあんな優しげな目初めて見たんだけど。
「わかった、それはもういいわ。私の友だちを囮にしたらしいことは怒ってるけど」
「連中が勝手に勘違いしてたんだ、俺は何もしてねえだろ」
「宮野くんで遊んでたんだよね? 地上の住人を、しかも学生を守るどころか巻き込ませるとかどれだけ人でなし?」
「そうですよね、ほんと人でなしだよ十霧さん」
「ミヤノてめえ黙ってろ」
心から同意したら即レスされた。くそ、相変わらず俺には当たりきっついなこのお兄さん。日の花のぞく女の子には態度甘いのに。
「香ちゃん? 十霧さんにもなにか考えがあったんじゃないかな」
「考えなしに行動するやつじゃないよ。特に悪だくみには長けてるから」
「だったら、それを聞いてみようよ。ねえ十霧さん?」
「かぐやちゃんは優しいなあ。じゃあかぐやちゃんだけに教えてやろうか?」
小さく片方の口端をつり上げた十霧に、俺は咄嗟に彼にもう一発入れるかどうか悩んだ。このお兄さん本当人の神経逆なでするの大好きだよな。
三橋に冷たい目を向けられる十霧は、喜んでるんじゃないかってくらい楽しそうだ。俺が顔殴ってなければ、いまごろ大笑いしてるんじゃないのか。
「そんな怒るなよ香。冗談だろ」
「知ってる。だから人でなしなのよ」
「ひでえな。俺は俺なりに頑張ってたのに」
「嘘くさいわ」
楽しげな十霧とは反対に、三橋の機嫌はかなり悪い。俺だってそろそろあの顔もう一発殴りたくなってきた。拳を握るか握らまいか迷っていた俺は、また十霧の目が優しくなるのを見た。視線の先には、十霧を見てない三橋香。
その瞬間浮かんだ考えに、俺は頬が思いきり持ち上がるのを抑えられなくなった。慌てて口を手で隠したけど、なにか感じ取ったらしい十霧と目が合う。
きっちり三秒、十霧が吐きそうな顔をした。月の連中が超能力を使えるくらいだ、テレパシーってあるのかもしれない。
「宮野くん、どうしたの?」
「いやっ、なんでもなっ、ぶふっ」
「え、宮野くん頭大丈夫?」
「てめえ何笑ってやがる」
だめだ、笑いが堪えられないんだが。腹を抱えて笑う俺を心配する日永と引き気味の三橋、そして威嚇する十霧。こっちは傷に響いて痛いのに笑いが収まらないんだけど、威嚇されても困るんですけど。
だって、十霧が俺や日永を利用してた理由が俺と同じだとか、笑うしかないだろ。青春劇場だのなんだの言ってたくせに、あんたの理由もじゅうぶん青くさいじゃないですか。
「はー、もう最初っからそれ言ってくださいよ。素直じゃないんだから十霧さん、ぶふっ」
「笑ってんじゃねえかいい度胸だな後で絞める」
「あはははは、受けて立ちますよ」
威嚇されようが今の十霧はまったく怖くない。よくよく考えたら、本当に頼まれただけならこっちで放り出しても良かったんじゃないの。そんなに近くにいたかったんですね、青春だなあ。
生暖かい目で見ていたら顔をしかめられた。いやいや、これからしばらくはこのネタでからかえるな。一人うなずいている俺に、優しい日永は近くにあった椅子を押してきてくれた。さらに、水差しから水を注いだコップを差し出してくる。
日永ってすごい気づかいできるんだよなあ。お姉ちゃんってみんなそういうもんなんだろうか。
「宮野くん、これ使って? あとお水飲む?」
「サンキュー」
ありがたく受け取って半分まで水を飲み干す。ああもう本当くたくただよ今日は。日永送ってから帰って風呂入って寝たいとこなんだけど。
「そもそも、三橋はなんでこっちに逃げてきたわけ?」
疑問をぶつけると、三橋は忌々しげに言う。
「お姉さんに結婚押し付けられそうになったから。あなたは嫁ぎ遅れそうだから、ちょうどいいからこの人と結婚しちゃいなさい、だって? 余計なお世話なんだけど」
姉妹だからか、三橋の口真似はよく似ていた。言ったら三橋が怒りそうだから口にはしないけど。
「ただ周りは皆お姉さんの味方しかしないし、話がトントン拍子に進んじゃって。それで十霧に相談したんだ」
「地上に降りちまえば連中もすぐには見つけられない。正規の手続きには細かい条件がいくつもあるんだ」
「正規のってことは、裏取引してきたんですね十霧さん」
「当然。いちいち細かい規定なんざ気にしてられるかよ」
わあ悪人がここにいる。思わず店の電話を探そうとして、そもそも彼が月の人ってことを思い出した。こっちの警察に話したところでどうにもなりやしない。
「事情はだいたいわかりましたけど、どうする気なんですか? もう日の花さんにバレちゃってるし」
「お姉さんが起きたら私が話すよ。巻き込んでごめんね、かぐや、宮野くん」
「話したって聞きやしねえよ。あのわがままお嬢様は」
やさぐれた口調の十霧に、三橋は最後まで言わせなかった。
「知ってる。でも話さなきゃ、あなたのそばにいられないから」
なんでもないことのように告げた三橋の隣で、十霧は盛大に咳こんでいた。
そこまで思い返した俺は、カップに残っていたコーヒーの最後の一口を飲み干した。
ここからはもう、俺たちの口出しできる場面じゃない。口出ししたところで被害しか飛んでこない気がする。日永をこれ以上巻き込むのだけはご勘弁。
俺は口論の絶えない三人組から視線を外し、なんとも言えないような表情でそれを眺めている日永に笑いかけた。
「日永、そろそろ俺たちは帰ろうぜ。送ってくよ」
「うん、そうだね」
二人で席を離れて、カウンターに行く。俺たちには親切な店長は、今日もお代はいいのだと首を横に振る。たぶん、十霧が全部支払うことになるんだろうな。
店長にお礼を言って、ドアを開けた。レディファースト、先に日永を送り出してから俺も外に出る。カラン、耳に心地よい鈴の音を最後にドアが閉まる。
空は、綺麗なオレンジ色に染まっていた。