アリエナイ出来事
「あら、落ちましたよ」
「すいません、ありがとうございます」
落ちたメモ用紙を拾ってくれた女性は、軽く会釈して俺とは反対方向へ歩いていく。背中に流れる真っすぐな髪が揺れるのを、俺は彼女が角を曲がって消えるまで見つめていた。ついつい見てしまった、目の覚めるような美人だったなあ。
名前も知らない美人の姿が見えなくなった後、俺も止まっていた足を動かした。
二階建てのビルの一階に、こじんまりとした喫茶店はあった。どこかのパンダみたいな名前の書かれた看板と、渡されたメモ書きを交互に見る。喫茶店かんかん、間違いない。メモをジャケットのポケットに突っ込んで、木製の重いドアを押した。からん、ドアの端についた鈴が音を立てる。
「いらっしゃい」
カウンターに立つ中年の男性が迎えてくれる。黒いエプロンの似合う、優しそうな店員だ。
全体的に茶色い店内にはクラシックが流れてて、時間帯のせいなのかお客さんはいない。
「好きな席に座ってください。トキ、暇ならメニュー持ってけ」
「イチカワ、そいつ俺の待ち合わせ相手だ。えーと少年、こっちこっち」
どこかで聞いたようなだみ声がした。声を捜して首を動かせば、手招いているのは奥のテーブル席の男性だ。硬そうな髪はあちこちはねて、後ろで縛るくらい長い。奥まった場所だから、さっき見たときは気づかなかったみたいだ。
俺は店員に軽く会釈して、ボサボサ髪の男性の向いの席についた。
近くで見れば顔つきはどことなくオオカミっぽくて、本当に獣が擬人化したのかと思うほど。この人本当に人間か。
オオカミ男はテーブルに広げていた新聞紙を雑に折りたたむと、人の前だというのに大口開けてあくびした。俺一応待ち合わせ相手なんですけど。
「おはよう、お前名前なんつったっけ」
「宮野いつきです。トキさん、ですよね?」
「あーそう、ミヤノミヤノ。トキだ。よろしく」
テーブルにひじをついて手をひらひら揺らすトキに、会釈で返す。昨日は助けてもらったけど、なんか適当そうな人だなあ。大丈夫かな、この人にあんな奇妙な話して。ただのホラー記事にして売り出されないかなあ。
来てそうそう不安を感じ始めた俺の前に、湯気の立つコーヒーが置かれた。続いて白い皿に二枚の丸いクッキーがきて、さっきの店員が微笑む。
「当店自慢のブレンドコーヒーと、サービスのクッキーです。お代は連れ合いの方からいただきますので」
「俺が支払うの前提かよ店長」
「いいんですか? ありがとうございまーす!」
トキがなにか言ってたけど、ここは店長の好意に甘えることにする。さっそく、砂糖とミルクを投入。白と黒が混ざり合って優しい色になったのを一口飲み込んだ。おおう、濃いけどうまい。
同じタイミングでカップを置いたトキが、冷やかす。
「で、何があったんだよ? あんな時間に彼女と鬼ごっこか?」
「いやいや、あれが遊んでるように見えたんすかお兄さん」
「冗談だ。愛の逃避行なら面白そうだから手伝ってやるが」
「だから、そんなんじゃないですって」
話聞いてくれるって言うから来ちゃったけど、相談相手間違ったかもしんないな。そんな考えが頭をよぎったが、俺は昨日の非現実じみた出来事を話し始めた。
ことの始まりは日永かぐやとドーナツ屋デートした後のこと。二人で夜道を歩いていたときだった。曲がり角のミラーを見た俺は、映った人影に顔をひきつらせた。おい、どんだけ通る道一緒なんだよ。しかも一定の距離でついてくるっておかしいだろ。
「それでね。宮野くん?」
「え、うん?」
「宮野くん、どうかした?」
「いやー、ち、ちょっといい?」
歩調を遅くして、日永の耳に口を近づけた。人気の少ない静かな夜道、ついてくる男の耳に届かないよう、声をひそめる。
俺の思い過ごしなら全然いいんだけど、むしろ思い過ごしのほうがいいんだけど。
「ストーカーされてるかもしんない。ちょっと急ごう」
「ええっ、ストーカー?」
「わ、声大きい!」
繰り返すが静かな夜道だ、驚いた日永の声はよく響いた。あわてて口をおさえる日永だけど、そのときにはもう後ろから早くなった足音が聞こえてくる。やばい、本当にストーカーじゃないかよ。ぞっとして、一気に体温が下がってくるのがわかって、俺は日永の手をつかんでいた。
「走れ!」
「わ、わっ!」
そこからは無我夢中で全力疾走。よくも男の俺に日永の足がついてこれたものだと思う。
けれど走っても走っても後ろからの気配は消えてくれなくて、気が付けば竹藪なんて足場も視界も悪い場所を逃げていた。
急に後ろから引っ張られたせいで、俺の体が後ろへ傾く。とうとう日永が転んだのだ。
「ひながっ」
「へいき、いつっ」
「擦りむいた? 足?」
足をおさえているから足だと思うけど薄暗いせいでよく見えない。手当してあげたいけど何も持ってないし。くそっ、なんで絆創膏の一つも持ってないんだ俺は。
そのとき数メートル先に人影が見えた。計ったように雲が切れて月の光がハッキリとその姿を照らし出す。見覚えのある三十路は超えてそうな男の目は鈍く輝いている。
「鬼ごっこは終わりだよ。おとなしくかぐや姫を渡しな」
その手に握られたナイフを見て、俺の口からは乾いた笑いが漏れた。銀色に光るそれは鋭く、とてもオモチャのナイフには見えない。
「よ、よくできたナイフだなあ」
「あれ、偽物だと思うの? やだやだ、月からこんなとこにハリボテ持ち込んでどうすんだよ」
そいつが手を横に振ると、近くにあった竹が一本、派手な音を立てて倒れた。綺麗に切断された竹を見て、俺の声帯が役割を放棄する。手が、全身が震えている。なんなんだよ、俺は女の子とデートしてただけなのに、なんでこんな目に合わなくちゃならないんだよ。こんなん、夢かなんかだろ。
そう考えた瞬間、合点がいった。疲れとかナイフとかやけにリアルだけど、そうかこれは夢なんだ。だって目が金色に光る人間とか普通じゃない。ストーカーに追いかけられる夢を見てるだけなんじゃないのか。だったら、都合よくお助けアイテムとかお助けキャラとかが出てきてもいいんじゃないか。
「分かっただろ。かぐや姫をよこせば何もしないから」
なんとかぐや姫だって、やっぱり夢だよ。これは俺が主人公の夢なんだ。日永がかぐや姫で、ナイフの男が悪役の夢。じゃあ俺は、かぐや姫を守る勇者ってとこか。それなら俺には、この状況を改善するなにかがあるはずだ。
ぎこちなくあたりを見渡す俺に、男が小馬鹿にするように言った。
「逃げる算段か? そんなのあるわけ?」
真っ白な光があたりを照らして、ナイフの男がまぶしさに目を覆うのが見えた。
見えるって、どういうことだ。
「あの竹か?」
なんか、この光はあの男にだけ効いているみたいだった。よくよく観察すれば、光の発生源はさっき男が切った竹の中。その中に細い棒が見える。あれはもしかして、ドラマでよく見る剣の柄の部分か?
「よくわかんないけど、チャンスじゃね?」
俺は光り輝く竹に近づいて、中の棒をつかんだ。ひんやりした感触のそれは、たいして力をこめていないのにスルリと引き抜くことができた。
光をぜんぶ吸収したかのように、刀は淡く輝いている。暗がりを照らすそれは、とても幻想的に俺の目に映った。
片手で柄をつかんで、くるりと回してみる。軽くて日本刀に近い形をしてるそれは驚くほど軽くて、ますます現実味がない。
悪役を追い払うセオリーを考える。特別なアイテムを使えばだいたい追い払えるはずだ。しっかりと柄を両手で握りしめ、ゴクリと唾を飲み込む。刀なんて扱ったことないのに、不思議とどうすればいいかわかった。
目つぶしから復活したナイフ男が刀を凝視してなにやら言っている。
「まさか同じ、いいや関係ないな。かぐや姫を連れ帰るのは俺だ」
振り下ろされるナイフを横に避けて、刀を相手の胴に触れさせる。胴に入れば、後は思い切り振りきるだけ。
「あああああ!」
「ひ、あああっ」
男が倒れるのを見てわいてきたのは達成感だった。やった、倒したんだ。
喜んだのもつかの間、全身から力が抜けた。あ、これ倒れる。顔面から地面にダイブするのがわかっても、止める手段がない。そのまま前に倒れこんだ俺の体は、途中で静止する。
「おっと、危ねえな。お疲れさん」
誰かに受け止めてもらったらしく、最後に聞こえたのは男性のだみ声だった。
「そういうわけなんです。夢かと思ったのに夢じゃなかったし」
「わはは、いいじゃねえか勇者。実際、お前はかぐや姫を守ったんだろ?」
「いやー、笑いごとじゃないんですけどね」
本気で怖かったしやばかった。あの後ぶっ倒れて起きたら昼だし、この店の住所と名前と、電話番号の書かれたメモだけあるし。電話かけたら話聞いてやるから店に来いとか言われるし。
でも、信じてくれるのか。
「あの、信じてくれるんですか? こんなありえない話」
「信じてやるよ。こんな面白そうなネタ、そうそう無いし」
……信じてくれてるのか?
楽しげにコーヒーをすするトキの姿に不安を感じながらも、こんなことまともに聞いてくれる大人なんてそういないと思い直した。両親や教師に言ったところで、俺が頭の心配されるだけだ。
「それで、相手の素性はわかってんのか?」
「知らないっすよ。ドーナツ屋にいたおっさん、ってことくらいしか」
「そりゃそうか」
ドーナツ屋からたぶん日永をつけてきたストーカー、それ以外俺はまったく知らない。昨日はなんとか追い払ったけど、あいつわけわかんないこと言ってたんだよな。日永がかぐや姫だとか、連れて帰るだとか。考えこむ俺の前に、携帯の画面が突き付けられる。
「なんすかこれ? 山本邦夫三六歳、って個人情報!」
「カグヤちゃんに聞いたら何も知らないっつうから撮っておいた。ただしこの身分証とは別に、もう一枚別の身分証が出てきた」
「別の身分証?」
こっちだ。トキがスライドして見せた身分証は、たしかにまったく別の名前と住所が記されていた。邦光、住所は月界の三六九番二〇。顔写真だけが、まったく同じ男性のものだ。なんなんだこれ、意味がわからない。携帯をひっこめたトキを見つめると、彼は悪童のような笑みを見せた。
「面白いだろ。お前が聞いたかぐや姫とかいうのとなんか関係ありそうだな」
「そう言われると、そうかもしんないですね」
かぐや姫は、月の世界のお姫様だ。地上で竹から生まれたかぐや姫は美しく育ち、五人の貴公子に求婚されるけど、無理難題を押し付けて断ってしまう。そうして最後に、月からの使者が来て彼女は月へ帰ってしまうのだ。
二枚の身分証とかぐや姫を探しにきたという、目の光るおっさん。それに竹から出てきた謎の刀。フィクションだと笑い飛ばすにはちょっと重すぎる。
「そういえば、そのおっさんはどうしたんですか?」
「逃げられた。お前とかぐやちゃんを送ってから見にいったらもういなかったな。わりーわりー」
「は、はあ。まあ仕方ないっすよね」
「それより、刀見せろよミヤノ」
「しょーがないっすね」
わくわく、そんな擬音がつきそうな様子のトキに、刀を見せる。緑と黄緑の配色の刀は、見れば見るほど若い竹を連想させる。目を細くしたトキは、口元をゆがめて言った。
「本当に竹っぽいな。切れない刀なんだろ?」
「はい。胴体すり抜けましたし、軽いんすよ。持ってみます?」
「いや、いい。とりあえず見た目物騒だからしまっとけ」
「はーい」
もう少し自慢したい気もするけど、店長もいるので片付ける。なんとこの刀、柄だけにできるのだ。消えた刃の部分がどこにおさまっているのかはサッパリわからない。持ち運びに便利だからいいんだけどさ。
柄だけになった刀を鞄に仕舞うと、クッキーをかじりつつ彼が続ける。
「その刀、竹から出てきたんだよな。ますます竹取物語っぽいな」
「たしかに。かぐや姫ならぬ姫刀!」
「姫刀! 面白いなそりゃ、いいじゃねえか。よし、勇者よ。お主に姫刀を授けよう」
「RPGの国王か! うわ、もっとカッコいい名前にしとけば良かった」
「ヒメガタナヒメガタナ、いいな、しっくりくる」
笑って言うトキは、二枚目のクッキーをかじった。この人見かけによらず甘いもの好きそうだよな、コーヒーほとんどミルク色だし、クッキー食ってるし……あれ、俺のクッキーはどこに消えた。
「あの、店長がサービスでつけてくれたクッキーは」
「あ、食わないのかと思った。悪いな」
悪びれもなく指についた滓を舐めとって言う、どう見ても二十歳は超えているだろう男性。
「このひと大人げねえ!」
店長の心遣いが嬉しかっただけに、俺はテーブルに突っ伏すしかなかった。胃袋に収まってしまった食べ物は、もう戻ってこないのだ。
2/17 一部表現変えました。




