糖尿病発覚 (1)
糖尿病が発覚したきっかけは、私の父がボケたことです。
私の父は、私の名義で、なんと、
土地
を購入する契約をしてきてしまいました。もちろん私に無断で。その時、父は八十歳近くだったですからね、しっかりしていたように見えましたが、やはり、ボケていたのでしょう。
私はろくな人生を歩んで来なかったですからね、
父が望むなら、それでいいっか
と、思ってしまったんです。
私が子供の頃、二軒目の家を建てる時に、父が喜々として家の設計図を書いていた記憶があるんですよね。
父は結局、その生涯で三軒の家を建てたことになります。私は今も、私の考えが全く入っていない、父が設計した家に住んでいます。
土地の購入はね、なんとか手持ちの現金で間に合ったんですけど、結局二千万円借金して家を建てることになりました。
お金を銀行から借りる際に、住民票を実家に移したんですよ。それまでは東京に住所がありました。
私は十四歳の時に、父が二番目に建てた家に引っ越して以来、ほとんど、住民票のある場所に住んでいないんです。だから、選挙に行くという習慣がないんですよね。
それと、ネウヨがよく、
南京大虐待はなかった
と言って、
当時の南京には記録上そんなに人はいなかった
と主張する人がいるんですけれども、
データそのものに信憑性を感じないんですよね。
東京では、私のギャンブル仲間が経営する、上野の「ロクサーヌ」という風俗店に住所を置いていました。
もちろん、実際に住んでいたのは、東京に隣接さえもしていない県です。
元風俗店員の方が、風俗店のこぼれ話を書いていましたけれども、「ロクサーヌ」はそれよりもちょっと前の、デリヘルができる前の、マンション型足フェチ専門店です。
有名人では、泉○人さんにご利用していただけたようで、
「膝から上と、膝から下、どちらが好きですか?」
と、ギャンブル仲間は聞かれたそうで、泉○人さんは完璧な足フェチです。
「ロクサーヌ」は風俗店でしたけれども、マンションなので、東京に行った時には、いつも泊まっていました。その時に、健康保険証や国民年金の支払い書などを受け取り、税金を申告したのは、銀行に借金するために一回切りです。税金の請求は、来たことがないです。
住所を実家に移すと、健康診断の受診票が実家に送られてきました。親が健康診断のために帰って来いというので、電車で二時間以上揺られて帰ることにしました。
糖尿病だろうな?
という気持ちはありました。
その頃、私は自分でスーパーに出かけ、一リットルの百パーセントジュース四本と、七百ミリリットルくらいのファイバーパーラー一本を毎日買っていました。それらを一日で全て一人で飲み、ファイバーパーラーは寝る前に一気飲みするのが習慣でした。
パイナップルジュースの箱を見たら、86キロカロリーと書いてありました。4リットルですので、それだけで、一日のカロリー摂取量は三千キロカロリーを軽く超えてしまいます。
肉しか食べないので、食事はほとんど、しゃぶしゃぶでした。これも毎日スーパーで買っていました。
夜中に腹が減ると、近くの吉野家へ行き、牛丼の特盛(当時は特盛が一番大きかった。メガ盛が出た時に食べたかったのですが、病気が発覚した後だったので、食べれませんでした)に卵二つをかけて食べていました。サラダは三つ注文しました。
一日の推定カロリー摂取量は、六千キロカロリーを超えていました。四十歳を超えて、全く動かない仕事なのに。