表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

弾丸高速網

作者: 鈴夜

高速鉄道の予定が

高速道路も少し入ってしまった

1937年

日独伊防共協定

発足せず


原因として

日本海軍の中で知米派の有力者である 

山本五十六率いる勢力が

ドイツとの同盟に精一杯反対したためだった

当時のドイツは、ユダヤ人迫害や英仏を敵対国に含む構想があり


他にも前年に起きた 二・二六事件が発生前日に海軍と警視庁に把握されてしまい

当時の岡田総理、昭和天皇が都内を脱出して横須賀に避難してしまった事で

大儀を手に入れた海軍に一気に鎮圧させられた

陸海軍上層部から対米派や親独派が一掃され、知英米派が世襲した


その後、国力強化として ある計画が出た

東京ー広島(呉)を結ぶ貨客高速鉄道 弾丸鉄道構想が浮上した

当初は、下関までだったが予算と建設技術の都合上広島までになった

他にも、東京羽田と神奈川横須賀を繋ぐ弾丸道路構想も浮上した


だが、どちらにも予算が限られていた

大和型2番艦以降の戦艦建造中止と翔鶴型空母以降の空母建造の見直し次第では可能ではあった


そして、その結果、大和型は1隻建造のみになり

空母も翔鶴型以降の建造は、ほぼ中止になった


その後、大日本帝国は、イギリスと国交改善政策を進めたが、米国の妨害でうまく行かず、中華民国や植民地との取引で必至に内需強化を進めた

だが、朝鮮半島が大赤字で、ドイツがイギリス上陸作戦に失敗するとイギリスに朝鮮の仁川港(1939年12月1日)釜山港(1942年12月8日)を解放した

その経済需要をバネに

弾丸交通網計画を続けた

1940年4月   東京ー横須賀を結ぶ弾丸道路開通

1943年1月5日 広島ー大阪を結ぶ弾丸鉄道開通

1945年5月8日 ドイツ降伏 第二次世界大戦終結

6月1日 東京ー名古屋の弾丸鉄道開通

9月4日 日米英ソ平和宣言(平和という旗の下で中国、ベトナム、ドイツが分断国家に)


1947年2月11日

大日本帝国憲法改正

統帥権と軍部改造が行われ、客観的文民統制が敷かれ、陸軍省と海軍省が統合し国防局が設立

天皇が軍の指揮権放棄も明記され(英国政治を模倣し、君臨すれども統治せず)

これにより、軍部は大混乱になるが、天皇最終命令の元、鎮圧された


3月10日

アメリカ、日米平和条約打診

軍部と政治が分離し、立憲君主制が定まった日本を見て、

アメリカが国交改善を打診(条件として、軍縮と朝鮮独立が条件)

一部条件については棚上げにして

12月23日に締結

理由として、中国大陸の利権がソ連支援の中国共産党に奪われ続けていたため


1948年11月

広島ー東京を結ぶ、高速鉄道が全線開通(複線開業)

最初は蒸気機関車による牽引式だったが

その後、高速電気機関車や高速電車が開発されていき、後に一部路線変更工事も行われた


1949年5月

米英の必至の交渉におれ

朝鮮半島が独立。高麗民国が建国(後に大韓民国に変更)


1950年4月

中華大紛争勃発 

南京、上海、大同で起きた、中国国民党と中国共産党の全面戦闘

3都市すべてで国民党の大敗北により、香港、マカオ、満州を除く中国大陸と北ベトナムが中国共産党に支配されてしまった(原因として農民や貧困衆からの求心力が低かったため)


日米英は、国民党支援のために援軍や物資を送り

河北省と山東省を何とか奪還させ 最終的に中国は分断国家になった

その後14年の歳月の末

1964年10月に

日本傀儡国家だった満州帝国と中国国民党独裁体制だった中華民国が統合し、中華連邦発足

その時期に、日本では弾丸鉄道の全線電化が完了し、新型車両が東京ー名古屋ー大阪ー広島を結んだ

名前はその頃には

弾丸列車から高規格鉄道 高鉄と呼ばれ

国民からはそう親しまれていった


その間にも、延伸は行われ、東北仙台、北陸新潟、九州福岡への建設が行われていった


一部の試算では、高鉄が存在しなかった場合、東京大阪間の輸送需要に供給が追いつけなくなり、国道1号や東海道本線が大混乱状態になっただろうと推定されている

別の試算では、国内の石油事情の悪化も考えられている


この路線は、世界にも大きく影響を及ぼし、フランスやアメリカが鉄道高速化を推進していった


1990年

ソ連崩壊後、シベリア鉄道との相互直通計画も浮上(食料とシベリア鉄道維持協力を条件に北樺太割譲)

日本はさらなる羽ばたきを見せていった


2008年には、札幌ー稚内ー樺太ーラザルフーハバロフスクを結ぶ、高規格鉄道が開通し(と言っても、間宮海峡部分は線路敷設式の連絡船で往復、全線開業は2018年)

この開通により、日本の貨物コンテナは、ヨーロッパに船便よりも早くつくことで、発展していった

第1弾のコメントがなかったとかそういうのじゃないから

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 良いですね! 次回作も期待してます! [一言] 実際にこうなったらいいのになぁ...
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ