ガラクタの溺死
たった一つ、譲れないものがあったとしよう。
だけれど、その譲れないものの中には、才能という要素が必要不可欠だったとしよう。
それで、それがない場合は、どうしたらいいのだろうか。
その正しい答えは、誰も教えてくれない。
才能のない私は、どうすればいいですか、なんて、聞けもしないのだけれど。
幼い頃から小さな夢を抱えていた。
作家になること、小説を書き続けること、自分の作品で生計を立てること。
ゆっくりゆっくりと、時間を掛けて小さな夢が、私の成長と一緒に大きくなる。
その夢を持ったとしても、見たとしても、叶うなんて限らないのに。
大きくなり過ぎた夢は、今更捨てることも出来ずに、それどころか捨てる場所すら見付けられずに、ズプズプと足を取られていく感覚。
夢の中に取り込まれる感覚は、最早、夢を持っているとは言い難い。
あぁ、嫌だなぁ。
本当に嫌だ。
捨てることも、置いていくことも出来ずに、夢を溺れる私が嫌だ。
電源が入ったままのパソコンは、青白い光を灯していて、画面の中にはダラダラと並ぶ文字列。
保存も掛けずに放置をしている状態のそれを前に、私は万年筆を握っていた。
高校入学祝いに貰ったそれは、今でも大切に大切に使わせてもらっている。
A4の紙に縦横20ずつ並んだマス目。
よくある400字詰めの原稿用紙の中には、昔からの癖字がチマチマと並んでいる。
今時原稿用紙って、と言われるかもしれないが、何でもかんでもパソコンを使うのはよくないと思う。
パソコン大好きだけど、手書きも大好きだ。
「ただいまって、言ってるんだーけどー」
ゴンゴンッ、といつの間にか開け放たれた扉が叩かれる音。
振り返れば上等なスーツに身を包んだ、同居中であり学生時代からの恋人が立っていた。
「お帰り」
「はい、ただいま」
万年筆を握ったままそう言えば、彼は満足そうに頷いて私の部屋の電気を点ける。
眩しくて目を細める私を笑いながら、目が悪くなるなんて、今更過ぎる忠告をした。
ネクタイを外しながら近付いて来て、私の進行状況を覗く彼に眉を寄せる。
彼とは恋人同士、確かに付き合ってはいるが、ギリギリと締め付けられるような感覚を覚え始めたのは、一体いつ頃からだったか。
彼が前に進むのに、私は同じ場所に留まり続けることから生まれた痛みに顔を歪めた。
ギリギリ締め付けられる。
キシキシ軋む。
ギシギシ音を立てる。
キリキリ痛む。
キィキィ鳴いている。
ギリギリ、キシキシ、ギシギシ、キリキリ、キィキィ、次に聞こえるのは、何の破壊音か。
彼の手が原稿に触れる。
まるで壊れ物を扱うみたいに、丁寧に持ち上げてゆっくりと捲っていく。
昔からそうだった。
私のことも壊れ物みたいに扱って、大切そうに、子供が宝箱にガラクタを入れるような行為を繰り返してきたのだ。
私は、ガラクタ。
ガラクタの作り上げるものもガラクタ。
まぁ、彼はちゃちな宝箱じゃないんだろうけど。
「なぁ」
「何?」
「漢字間違えてる」
「……捨てる」
彼の手の中から奪い取れば、それは壊れ物じゃなくなって、ただのガラクタに戻る。
そのガラクタを、私はぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に放り投げた。
入らずに転がったそれを、彼は笑いながら拾い上げて再度捨てる。
そんな風に無邪気に笑われれば笑われるほどに、私が惨めになっていくのを、彼は知らない。
夢を諦められない私は、永遠に縋って生きる。
彼の夢はどこに行ったんだろう。
泣きそう、泣きたい。
じわりじわりと浮かぶ涙で視界が歪む。
彼の笑顔も歪んで、あ、と私の口から漏れた言葉と一緒に、ぽたり、落ちた。
泣く、泣く、泣いた。
歪んでぼやけた視界の中で、久々に見た驚いて焦っている彼の姿に、少しだけ肩の力が抜ける。
どうした、とか、お腹痛い?とか、ガラクタを壊れ物扱いして、宝物扱いするのだ。
夢を叶えられなかった、夢を叶えられない、夢に溺れたポンコツを、どうして。
「なぁ、結婚、しよ?」
バキンッ、破壊音。
譲れないものがあって、それを叶えるだけの才能も力量もなくて、夢に溺れた弱敗者。
ポンコツでガラクタで、夢に溺れたまま夢を見続けることしか出来ない。
そんなガラクタを、壊れ物として宝物として、宝箱に入れる彼。
その宝箱に、鍵を持って来た。
馬鹿にするな、私はまだやれる、私は一人でも、出したい言葉が出て来なくて泣き崩れる。
原稿用紙に落ちる雫はインクを滲ませてた。
夢を手放せない私。
手放せと言わない彼。
宝箱の中でガラクタは夢と溺死する。