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あとは、もう、時間の問題。……その最中の時間。

作者: 津田 塩基

 

あとは、もう、時間の問題。……その最中の時間。

一言でいうと、未練というやつか?いや、そんな簡単な言葉では、片付けられやしない。

もっとも惨めな時。もっとも虚しい時。私の心に浮かんだのは、あなただった。


*****

ゴーギャンにとってそれは、ゴッホだったのだろう。

画家として一度は成功したものの、新たな画風のそれは理解されなかった。

楽園の島に逃げ帰ったが、愛しい少女は待っていてはくれなかった。

そんな時、彼の心に浮かんだのは伴侶でもなく楽園の島で出会った少女でもなく、ゴッホだった。

だから、ゴッホの花の種を蒔き、ゴッホの花を描いた。

そして、ゴッホと共に暮らした散々な日々を、懐かしく思い出した。

*****


私もそうだ。あなたと散々、敵対した日々を無性に懐かしく思う。

私は全てあなたが悪いといい、あなたは与えられるものは全て与えたと言った。

誤解が解けた今となっては、お恥ずかしい限りだ。

けれど…とても勝手な言い種だが、今よりもあの頃のほうが幸せだったと思う。

頭も心もあなたでいっぱいで、虚しさなど入り込む余地の無かった、あの頃のほうが……


わたしも、あの日々を懐かしく思います。

実のところ、わたしは敢えて話を引き延ばしていたのです。

思いも寄らない出来事であの人を失った貴方は、怒りに我を忘れていましたね。

それでも道理の分かる貴方なら、きちんとお伝えすれば誤解は解けると分かっていました。

けれど、わたしの心は虚しさでいっぱいだったのです。

だから、わたしに投げかけた言葉で自らも傷付く貴方を、そのままにしていたのです。


今にして思えば、私はあなたに甘えていたのです。天の邪鬼だったのでしょう。

本当に怒りを覚えていたのは、他ならぬ私自身に対してです。

けれど愚かにも無自覚だった私は、あなたに怒りの矛先を向けてしまったのです。


…分かっていました。ええ、分かっていましたとも!

分かっていたからこそわたしは、困った顔をしながら、されるがままに任せていたのです。

そして、貴方が何もかもをわたしのせいにするのを、楽しんでいたのです。


*****

ゴッホが自殺した本当の理由は、一家が経済的に行き詰まったからだそうだ。

生前、たった一枚しか絵が売れなかったゴッホは、経済的に完全に弟に頼っていた。

では何故、精神病が原因だと言われていたのだろうか?

それは、ゴッホが死んで弟のテオも後を追ように死んだことが、彼女にとって余りにも辛かったからだ。

彼女は現実を直視していた。けれど、兄が弟の命なのだという、真実を見落としてしまった。

*****


貴方はわたしと接するうちに、冷静さを取り戻していった。

非礼を詫び、優しくなったけど…甘えてはくれなくなった。

開いてしまった距離に、虚しさが入り込む。


愚か者が羨ましい。初めて、そう思う。

無自覚なままでいれば、この心も頭も、あなたでいっぱいのままでいられたのに!

しかし、気付いてしまった以上、引き返すことなんて出来ない。

どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?!

どうすればいいだって?そんなの決まっているだろう?前に進むんだよ。

足踏みする時間は、もう終わりだ。

あの人との約束を果たしに行こう。その為に、ここまで来たのだから。


あの日の貴方は、とても思い詰めた顔をしていた。

「いつか、友達になりましょう。」

そう言い残して、去っていった。


今でも、あの時のことを思い出す。

あの時の私は、まだハッキリとは分かってなかったが…

それでも本当は、もっと別のことを言いたいのだということだけは、分かっていた。

けれど、あの時の私にはあの人との約束があって、たとえあの人にしてみれば受け取った覚えのない約束だとしても、やはり私にしてみれば一番優先すべきことだった。



==================================================


私はあの人と再会し、約束は一応果たされた。

その後、色々あり。唐突に悟った私は、ある人物とあの人を引き合わせることにした。

つまり、あの人と今度こそ本当に『サヨウナラ』をしたのである。

ある人物というのは、あの頃の私の唯一の理解者で、結果的にその人物とも『サヨウナラ』をすることになった。


その時になって私は、ふとあなたを思い出し、あの時のことを激しく後悔した。

理性的には、後悔していない。取るべき道は他になかった。

けれど、約束から解放され感情的になっていた私は、繰り返し繰り返し後悔した。

あなたの手を取らなかったことを。あなたを選ばなかったことを。


前に進もう。私にはまだ、あなたとの約束がある。『友達』になるという約束。

あの人とは違い、あなたはちゃんと受け取ってくれた。頷いてくれた。

だから前に進みたい。…なのに動けなかった。

どうやら私は、感情という名のエネルギーを使い果たしてしまったようだ。

こんなとこで果てたくない。それなのに、どうしても動けない。

……あなたに会いたい。


==================================================


わたしは、貴方の邪魔をしてはいけないと思いつつも、やはり気になり様子を見に行った。

そこで目にしたのは、熱という熱を失い凍てついて、茫然とした様子の貴方だった。

それでも貴方は貴方で、前に進もうと体を引きずっていた。


何も言葉が出てこなかったわたしは、ただ後ろから貴方を抱きしめた。

貴方は立ち止まり、黙って背を預けていた。

抱きしめても抱きしめても、貴方が熱を取り戻すことはなく。

いつまでもいつまでも、貴方を抱きしめた。


==================================================


暖かな感触が、この身を包む。私は、完全に立ち止まってしまった。

千里の道も一歩から。前に進まなければ…そうしなければ、ますますあなたが遠くなる。

なのに動けない。何もかも忘れて、この温もりに全て委ねてしまいたい。


どれほどの間、そうしていただろう。ふと私は正気に戻った。

私は、少しだけだが元気になっていた。だが、それで充分だ。これで前に進める。


生まれてこの方、これほど元気を取り戻せたことを有り難く思ったことはない。

だから、この温もりを与えてくれた者に、深く感謝した。


==================================================


貴方は、心の奥底から『ありがとう』と言ってくれた。

けれど、一度も振り返ることなく、行ってしまった。

わたしは再び動き出した貴方の姿にホッとし、貴方を救えた優越感に浸った。

そして、後悔した。こんなことなら、貴方に温もりなど与えるのではなかった。

……貴方を、あの人のところになど、行かせたくなかった。


しばらくして、貴方がわたしを訪ねてきた。

驚くわたしに、貴方はことの顛末を話してくれた。

そうして初めて、わたしは自分が勘違いをしていたことに気付いたのです。

あの時すでに貴方は、あの人とのことに決着をつけ、わたしの元に向かっていたのでした。


なのに貴方の顔色は冴えない。遠慮がちに、貴方は言った。


「私はまだ、何も成していません。本当は、あなたに合わす顔などないのです。

 けれど、どうしてもあなたに会いたくて、側に居たくて、来てしまいました。」


合わす顔がない…って、どういうこと?

訳が分からず、わたしはジッと貴方を見つめる。貴方は更に言葉を続ける。


「今の私があなたの側に居ても、どうしようもないことは分かっています。

 でも、どうしても、あなたの側に居たいのです。

 だから、どうか追い払わないでください。…私を、責めないでください。」


わたしは、疑問を口にする。

「わたしが貴方を責める?貴方を追い払う?…何故、そんなふうに思うの?」


貴方は答える。

「私はあなたを、逆恨みで散々、傷つけました。」


ああ…貴方はそんなことを、まだ気にしていたのですね。


「…それに、」


それに?


「私はあなたに言いました。あの人のことが、一番大切だと…」


「でも、お別れしたのでしょう?今でもまだ、あの人が一番大事?」


「…それは、」


     

「それは?」


「…それは、違います!」


そう、よかった。では今の貴方は、いったい誰を想っているの?



****************************


彼女とはテオの妻で、ゴッホを世間に認めさせた人物である。

兄弟の死後、その人生の物語と共にゴッホの絵を世に送り出した。


経済的に困窮する中、彼女がどんな思いで売れなかった絵に情熱を注いだのか、知る由もない。


後悔…だったのかも知れない。

けれどそれ以上に、凍りついた心に血を通わせるものが、他に何一つ残っていなかったのではないだろうか。


****************************



今の私には、あなたしかいない。

複数の選択肢の中から選んだのではなく、あなたに対する思いしか残っていないのだ。

おまけに質の悪いことに、あなたとどういう関係に成りたいのかすら、よく分からない。

約束をしたあの時のあの一瞬、確かに夢見たそれは、霧散して捉えることが出来ない。


いや、それは嘘か。ちゃんと覚えているし、確信もある。

ただ、実感が無い。現実感が無い。


こういう場合は、距離をおいたほうが良いのだろう。

何かを成すなり、友人と過ごすなり…他の事をして過ごすのが良いのだろう。

けれど、あなた以外の誰かや何かに、前向きな期待を抱くことも出来ない。


身動きが出来なくて苦しくて、あなたから突き放してくれないかと身勝手なことを考える。

けれど、見離されたくなくて、まして自分から離れるなんて絶対に出来ない。


一番大切なことに、誤解を混ぜ込みたくなかった。

けれど、矛盾を排した後に残ったのは、血の通わなくなった私の心だった。

夢に手を伸ばすことすら辛く、唯々、後ろから抱きしめて欲しい。


==================================================


貴方は随分ともがいていましたね。そしてそれを隠そうと、もがいていました。

慰めても抱き寄せても、どこか茫然とした貴方をどうすることも出来なくて…


…いえ、方法は一つだけあるのでしょう。

けれど、それを、どうしても選びたくなくて。


たとえ手応えが今一つ足りなくて、それが無性に虚しくとも、貴方の側にいたい。

それでは駄目なのでしょうか?


ええ、分かっています。駄目なのです。

それでは、駄目なのです。


時の流れは、時に優しく、時に残酷なのだから……


==================================================


世界に触れる方法。あなたに触れる方法。

手っ取り早いのは、愚か者になることでしょう。


けれど私は、もう真実を見失いたくない。…あなたを見失いたくない。


答えは出ているのかも知れない。

後は、あなたの温もりを少しでも多くこの身に刻むか、最後まで足掻くのか…その時が来るまで。


苦しい。胸が苦しい。



もう、本当に、どうしようもないというのなら、その時が近付くのに怯えながらでも、僅かでも長くあなたの側にいたい。

…そう、思いました。


けれど、時が折り重なってゆくということを、甘く見てはならない。

まして私と違いあなたは、感情というエネルギーを使い果たしてはいないのだから。

…世界に触れる術を持っているのだから。



『時』を掴み損ねた。きっかけを掴み損ねてしまった。真実に気付いていながら…

それでも結ばれた『約束』に縋った。みっともなく追縋った。


無自覚な『幻想』は、仮初めでも共に過ごす『時』を生み出す。

けれど、分かりきった『嘘』では、さすがに苦しい。

だから…


「別れ際のあの時、『いつか、友達になりましょう。』と私が言ったこと、覚えていますか?」


「ええ、勿論。」


「あなたは、あの時もそんなふうに微笑んで、頷いてくれましたね。」


「そうでしたか?」


「はい。頷いて貰えて、私は嬉しかった。」


「そう…でも、わたしには貴方が、泣きそうな顔で無理に笑っているように思えたのだけれど…」


「それはきっと、私が嘘をついていたからでしょう。…思った以上に、見え見えの嘘だったようですね。」


「貴方が嘘をつくのが得意だとは、思えませんよ。」


「そうですね。なんとも出来の悪い嘘です。…それでも、あなたは頷いてくれた。

 だから私は、その『約束』に縋ったのです。…でも、嘘は嘘です。」


「…何が言いたいのでしょう?」


「『友達になる』という約束を、解消してください。」



「…その約束を残したままでは、不都合があるのでしょうか?」


「私も同じ事を考えました。本来なら不都合は無いはずです。

 けれど、残り少ない私の感情では……いいえ、逆かも知れません。

 煮詰まり固まった私の感情では、こうでもしないと身動きが取れないのです。

 …だから、」


「…だから?」


「…だから、解放してください。」


==============================


「分かりました。解消しましょう。」


嗚呼、とうとう切れてしまった。貴方とわたしの『今』を繋いでいたものが…

いつか来ると分かっていて、けれど、どのようにやって来るか分からなかった、この時。


「ありがとう。」


「ありがとう?…一体、何に対して?」


「私の身勝手を許してくれた事に対してです。」


「そう…」


『嘘』でもいいから側に居たかった。

だからこそ、『嘘』のままではいられなかった。

ただ、それだけのこと。


「…これで、わたしと貴方の間にあるのは、敵対していた過去だけですね。」


「そうです。」


何故、あっさり肯定するの?事実だから?確かに、そうね。

…心に隙間風が吹く。そう、これは、虚しさ。

貴方との繋がりを手放してしまえば、わたしに残るのは虚しさだけ。


わたしは貴方に背を向け、俯く。

貴方の前で背を向けるなど、初めてではないだろうか。

敵対していた時ですら、貴方の顔を見ていたかったのに…今はとても見ていられない。


==============================


あなたの後ろ姿はひどく無防備で、いつの間にか私はふらふらと歩を進めていた。

気が付けば、私は目の前のあなたの背に身を寄せ、腕をまわしていた。


十秒か…それとも十分か?

ともかく、暫くそうしていると、あなたは私の腕の中で、くるりと向きを変えた。

至近距離真っ正面から、あなたは私を見つめ、近づいてくる。

疑問の言葉は、あなたのその動作で、封じられた。


ゆっくりと、あなたは元の位置に戻る。

何が起こったのか分からず、私は唯あなたを見つめ返す。


「…もう、遠慮は、要らないでしょう?」


あなたの背にまわしたままになっていた私の腕に力が込もり、雫が頬を伝った。


「はい。もう、遠慮は要りません。」



****************************


恐れていた事が起こった時、夢は覚め、封が弾け飛ぶ。

蓋を開けてみれば、彼女こそがゴッホの絵を最も理解していた。


…そういう事なのかも、知れません。


****************************



夢は時の乗り物。

時は夢の乗り物。

夢は真実の隠れ蓑。


三つを重ね合わせ、世界に触れる。

時はずれ易く、夢はすり替わり易く。

…そして、真実は零れ落ち易く。


だから私は、もがき足掻き続けることでしょう。





二人の間に一体、どんな物語があったのかは、想像してみてください。


ゴッホやゴーギャンに関する記載は、過去に図書館で読んだ本や複数のテレビ番組で聞きかじった内容を元に、津田 塩基の解釈でまとめたものです。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。



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