四月一日
四月一日
四月一日といえばエイプリルフールである。これは誰でも知っている。また、四月一日とかいてワタヌキと読む苗字の人がいるらしいというのも、それなりに有名な話だ。翻って、この記録は四月一日から始まる。この事実を知る人は今後どれほどいるだろう。ともかく、この文章を書き始めた四月の下旬から振り返れば、この日が最もきりのよい日付であるし、何より私が京都に越してきたのもこの日なのだ。
たしか、よく晴れ渡った引っ越し日よりだったと思う。
私が引っ越し業者に荷物を引き渡し、実家を後にしたのは、朝の十時を回らぬ頃だった。春休みの最中とは言え平日であったから、両親は仕事で家を出払っていた。家にいたのは私と祖母だけで、家を出る寸前まで祖母は私に訓戒を垂れた。曰く、怪しい宗教には気をつけろ、また曰く、大事なものは腹巻きに隠して持ち歩け、という具合である。もちろん嘘ではない。そうして差し出された使い古しの腹巻きには暫し閉口させられたが、酔っぱらいとお年寄りの話は逆らわないのが得策だ。
春の本番に差し掛かったうららかな日差しに目のくらむ思いがした。それは理由のない恍惚に似ていた。玄関を出てから家が見えなくなるまでの道のりに、私は二度か三度後ろを振り返った。振り向いてはならぬ、などと渋いことを考えていたわけでもなかったが、そのたびに庭先でたたずむ祖母の姿には、何にも増して目のくらむものがあった。そこを曲がれば全く家が見えなくなるという角まで来てもう一度振り返ると、祖母がこちらに手を振っているのが見えた。私も立ち止まり、荷物を下ろして大きく手をふった。腹のあたりがやけに締め付けられるのを感じながら・・・・・・
水気の多い話はそこまでで、あとは鼻歌交じりの旅路であった。「そうだ、京都行こう」とはさすがに訳が違うが、桜咲き乱れる京都の町で新生活が始まるのだから、これが晴れがましくないはずはない。肩に背負った荷物が予定よりも重くなってしまったのを除けば、他に差し支えもない。最寄りの駅から地下鉄に載って新幹線の駅まで行き、花見客の混雑に揉まれながら京都を目指す。
といっても最近は、地元から京都までというのも近くなったもので、新幹線を使えばものの数時間で着いてしまう。もちろん早く着けるのに越したことはないが、風情が減退してしまっているのは否めない。身体だけが先行して、心が追いつかない感覚、というのをどこかで聞いたことがある。まさにそんな感じだった。思えば、自分がもう大学生で、これから一人暮らしを始めようとしている、なんていう事実自体、心が追いついていなかったかもしれない。まあ、じっくりと待ってやればいいだけの話だが。
JRの京都駅に着くと、売店で昼飯用のパンをいくつか買い、それから駅前で停まっていたタクシーに乗り込んだ。少し贅沢かもしれないけれど、公共交通機関を使って観光客の雑踏に飲み込まれるのは、想像するだけで嫌だったのだ。
タクシーは、のんびりと鴨川沿いの道を走った。京都は道が真っ直ぐなら川も真っ直ぐになっている。その両岸は公園として整備されていて、堤に沿って植えられた桜が多くの人を呼び寄せているようだ。まだ七分咲きぐらいだったが、私はタクシーの中にいる間、街のそこかしこで我が物顔に枝を伸ばしている桜の花、を揚々とした気分で眺めていた。
下宿先はどこにでもあるような学生用マンションで、私の部屋は北向きだが、その分家賃も控えめで、それなりに広い。それに大学からもそう遠くはない。実に好条件な物件と言ってよいと思う。そこは、苦労して見つけ出してくれた親に感謝である。ただ、もちろん気に食わない点はいくつもあって、これからもぶつぶつと文句を垂らしていくことだろうが、まずは鍵が鍵穴に入りづらい。些細なことだろうけれども、毎回ドアの前でガチャガチャ音を立てないといけないのはなかなかストレスが溜まる。そしてさらに驚いたことには、居間の照明は前の住人の使っていたものがそのままになっていたのだが、壁のスイッチを押しても点かず、リモコンのようなものも一切みつからないのだった。北向きの部屋だから、昼間でもそう明るくはならないのに、頼みの照明がこの様子では困ってしまう。明るい新生活は、LEDの照明が引っ越しの荷物と一緒に届くまでお預け。私は、何故か居間と玄関横の台所との境にある段差に腰掛けて、じわじわと身体を伝う床の冷たさに一抹の不安を感じつつ、駅で買ったパンを頬張った。
午後三時を過ぎた頃、家から送った荷物と、生協で新しく注文した家電一式がほぼ同時に到着した。時間差で届くようになっていたはずだったのだが。おかげで、部屋の中は一気に物だらけ、ダンボールだらけになってしまった。家電の方は、運びこむだけで設置のサービスは申し込んでいなかったようだから、大変である。結局、洗濯機や電子レンジをダンボールから出し、ベッドを組み立てて新しい照明を取り付けたころにはすっかり暗くなってしまっていた。おまけに京都の夜は春でも寒い。
そして、さらなる問題が浮上する。エアコンがつかない。
正確に言うと、本体の電源スイッチを押せばエアコンは運転を始めるが、りもこんの電源スイッチが反応しない。それでもって、本体の電源を直接入れてからリモコンで温度調節をしようとすると、ピピッ、という音がしてから、噴気孔が閉じて動かなくなってしまう。いよいよ苦情レベルの不備である。しかし、そうは言ってもすぐさま賃貸業者に苦情を入れるだけの元気もなく、何より腹が減っていてそれどころではなかった。いくら寒いと言っても、布団に入っていれば耐えられないことはない。
溜め息を一つ、大きくついてから、衣装ケースに入れて持ってきていたインスタントのご飯とカレーを取り出し、電子レンジで温めて食べた。インスタントのカレーは美味しかったが、どうも、幸先がいいとは言えそうにない。しかも、それだけでは足りなかったらしく、その後すぐに布団に入って眠ったのだが、真夜中に異様な空腹で目が覚めて、しょうがなく、同じように持ってきていたシーチキンの缶詰を開けて食べた。
そう言う訳で、新生活の初日は、実に先の思いやられるものであった。