四月十一日 下
吉野さんから連絡を受けてすぐに、どれを買うか迷っていたバレーシューズも手近なものに即断して、勢い勇んでレジを通した。ビルを出ると地下鉄烏丸線の駅に直行。駅の入り口から階段を降りたところでふと気付き、構内の売店で使い捨てのヒゲ剃りを買って、昼の間に伸びていたヒゲをトイレで剃った。少し雑にやってしまったせいで、唇のすぐ上にあった小さなニキビを切ってしまったが、少し抑えているとすぐに血は止まった。ヒゲ剃りで肌を切って出血してしまうと非常に惨めな気持ちになるものだが、今はそんなことも言っていられない。さっき買ったバレーボールグッズの入った大きな紙袋を抱えながら、やってきた電車に乗り込む。吉野さんの大学の最寄り駅まではやや時間があったが、席ががらがらでも、座る気にはならなかった。なんともまあ、単純なものである。
そんなこんなで向こうに伝えていた時間よりもずいぶん早く着いてしまって、駅の周りをうろうろして時間を潰した。自慢じゃないが、私は人を待つのに慣れている。たいてい人よりも動くのが早いのだ。正直あまり得な性分とは言えない。
吉野さんはだいたい待ち合わせの時間通りに自転車に乗ってやって来た。急に横からやって来たものだから、不意をつかれて何かしら用意していた言葉を忘れてしまう。
「ごめん、待った?」
吉野さんは、自転車から降りて尋ねる。
「いや、そんなには」
「地下鉄ってほとんど使わないから、どの出口に行けばいいのか分からなくて」
構わないよ、とかそういうニュアンスのことを言って、私は頷く。こちらは買い物帰り(というか授業終わり)のラフな格好だったのに対して、吉野さんは、気合は入っていないまでも、小奇麗に着飾って来てくれた。向こうにしたらそれがいつもどおりなのかもしれないが、同じくいつもどおりの私の服装というのはあまり褒められたものではないから、少し申し訳なく思った。まあ、並んで歩くのが恥ずかしくなるような格好ではなかったと思うけれど。
それから、この後どこへ行こうという話になって、しばらく話し合ってから、私の大学を訪ねることに決まる。待ち合わせた駅から私の大学へは、歩いても十数分ほどで着く。吉野さんは既に一度来たことがあるとのことだったが、改めて案内してほしいと言った。目的地へ着くまでの道すがら、お互いの大学のこと、受けている授業のこと、一人暮らしのことなどなどについて話を交換する。まだどちらも新しい環境に慣れ切っていない時期だったから、新しくできた友人たちとは話せないようなこともいろいろと口を衝いた。
夕日が街を朱色に染め始めていた。吉野さんはいつか、夕焼けが好きだと言っていた。というのも、私が朝について描いた文章を描いているのが二人の間で話題に挙がったときに、私が朝焼けの方が好きだというのに対して、彼女はそう言ったのだ。まあ、だからどうということもないが。
私も夕焼けは好きだ。けれど、ただでさえ後ろを振り返りがちな私は、下手をするとそれに足を向けたまま、先へ進めなくなってしまうんじゃないかと思うことがある。「夕日は人を振り返らせる」である。夕日の赤は明るい色をしているのに、その奥にあるのは、何か、深くて暗い淵があるような気がしてならない。
鴨川に架かる橋を渡る。穏やかにキラキラと輝く水面をかき分けて、数羽の鴨がのんびり上流に登っていく。歩きながらか、それとも立ち止まってだったか、その様子を微笑みながら眺めた。桜は、もうほとんど散ってしまっていたように思うが、どうだっただろう。
そうこうしている内に私の大学へ着いた。ちょうど、5限を終えた熱心な学生たちが帰途につく時間である。まだしばらくは陽が持ちそうだ。人の流れに逆行して、本部構内に入る。
さて、私の大学にやって来たはいいが、急なお客さんを案内するとしたら、いったいどこが適当なのだろう。そもそも大学なんてのは観光で訪れるような場所ではない。よく小学生から高校生まで幅広い階層の生徒たちが、修学旅行か何かのついでに団体で立ち寄っているのを見かけるが、彼らは一体何を目的に来ているのだろうか、と思う。正直、ただでさえ席の少ない学生食堂に、制服を着た高校生だか中学生だかが我が物顔で屯しているのには閉口させられる。せめてお昼時は避けてほしいのだが。
と、その話は置いておいて、とにかく大学の構内で吉野さんを案内するような場所が思い浮かばない。彼女は大きな図書館に気分を高揚させるような人ではないはずだし、例の学生運動の跡を見せるのもなんだか気が引ける。ということで、あてもないまま構内をぶらぶらと歩きまわる。
陽が沈み、だんだんとあたりが暗くなってきたころ、吉野さんが、ふと思い出したように自転車のライト用の乾電池が欲しいと言うので、ひとまず構内で乾電池が買えそうな場所を回ることにした。そうしていれば自然いろいろ回れるだろうとも思って。それで、キャンパス内で乾電池が買える場所といえばやはり生協の売店になるのだが、時刻は既に6時を過ぎており、5限の授業もとっくに終わっている時間である。少しばかり不安を感じながら最寄りの売店まで行ってみると、案の定、営業時間を過ぎていて閉店している。もっと遅い時間までやっていると思ったんだけれど。少し離れた売店にも行ってみたが、そこも明かりは灯っているものの、入り口は閉められている。
さて、参ったぞ、というところで、明かりに誘い出されるように、本部校舎の時計台前まで出てきた。この時計台は大学の百周年だか五十周年だかの記念で造られたもので、大学のシンボルのようになっている。この時計台前の広場には、夕方を過ぎてもまだ人気が残っている。今はキャンパス内の建物も皆高層化しているが、そういうのがなかったころは遠くからも見えたことだろうと思う。夜は文字盤がライトアップされて、実にお洒落なたたずまいにになる。吉野さんもその様子に目がとまったらしく、大学に入ってから買い換えたというスマートフォンを取り出して、夜空に浮かぶ文字盤を写真に収めた。その後もその場でうろうろしていると、どこからともなく新歓の勧誘の声をかけられ、面倒なのでちょっと無理矢理に退散した。
結局キャンパス内で乾電池は買えなくて、近くのコンビニまで行って買った。まあ、そういうこともある。ブランドものの乾電池とそうでないのと何が違うのか、ということで迷ったあげく安い方を買ってコンビニを出ると、時刻は7時に近くなっていた。いわゆる夕食時である。どこか近くで食べようかということになり、とりあえず洋食を食べるということだけ決めて歩き出した。大学の近くだから、大学生にとってお誂え向きの食事どころはたくさんあるが、良い雰囲気のところとなると見つけるのは難しい。特に、この時は新歓シーズンまっただ中であったから、そういうので使いそうな店では、落ち着いて話もできないだろう。
そう思いながらあてもなく大通り沿いを歩いていると、一軒、いかにも洋食屋という体で、しかも中を覗くと客の誰もいない店があった。それはそれで心配なものがあるけれど、騒々しいよりはましだろうということで、そこに入ることにした。店のテーブルには既に食器が並べられていて、もしかしたら予約が必要な店だっただろうかと今更不安になったが、すぐに厨房から出てきた店長さん(料理長と呼ぶのが正しいのだろうか。しかしどうみても店の中には彼しかいなかった)によれば、そういうわけでもないらしい。ただ、この時間はめったにお客が来ないから、予め出しておいて手間を省いてるのだそうだ。そんなことをおおっぴらに言われても困る。それでも、店内の様子は(人がいないせいか)落ち着いていて、あたたかい色の照明の下にいるだけでほろ酔い気分になりそうであった。もちろんお酒は入れていない。しかし、料理の中に入っていたアルコールが効いたのか、それとも店の雰囲気に飲まれでもしたのか、いっそう饒舌になっていろいろなことを話した。まあ、いろいろなことである。その内容は覚えていないではないが、あんまり書くと今後何も話してくれなくなる可能性があるので自重しておく。とにかく、お互いいろいろあるのである。
それでも出された料理を食べ終わる頃には話も尽きて(あるいはやはり何かの空気にのまれて)、ふたりとも静かになってしまった。すると店長さんが奥から出てきて、料理の感想などなどを聞きに来た。こちらが大学生というのは分かっているだろうから、向こうもいくぶんフレンドリーである。こちらは有り体のことしか応えられなかったが、店長さんはむしろこっちのことをよく見ていたようで、吉野さんに対して
「けっこうぐいぐい引っ張ってくタイプだね」
と言って、吉野さんは、
「よく言われます」
などと返していた。私は苦笑いに終始していた。それから、この店でアルバイトを募集しているということで、彼女は少しその気になっているようだった。君がここで働くなら毎日来るよ、などと私も冗談を飛ばしたが、結局そういうことにはならなかったようである。それ以前に、大学生にとってはけっこう高価格の店であったから、そうしょっちゅう来れるものではない。
店を出てからは、完全な夜の訪れた町並みを、灯りのともった大通り沿いに、吉野さんの帰る方向へ歩いた。鴨川を渡り切るところまで、という約束である。
夜の鴨川に、灯りはない。絶えず車のライトが照らす橋の上とは対照に、ただ、月明かりと川沿いの家々の窓から漏れる光が、真っ黒な水面にゆらゆらと反射しているだけである。その暗い淵に目を向けないようにして歩く橋の上で、進路の話、モチベーションの話、少し難しい話と、この橋を渡りきってしまうまでには終わらないような話題が二人の口に上った。そして、橋が尽きるところに来ると、少しだけ行き過ぎてから、またね、といって別れた。そうして次第に小さくなっていく吉野さんの後ろ姿をしばらく見送ってから、私も自分の帰途についた。
未だに、鴨川のこちら側と向こう側の間には、何か、両方をぷっつりと分けるものがあるんじゃないかという気がしている。