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短編

久遠の君と、時を越えて逢瀬。

作者: 夜風 牙声

昨年の秋に執筆したもの。やっと投稿できました。

 久しぶりに出したお気に入りのショートブーツを履いて、沢山の車や人が行き交う大通りを歩く。ちょっと前まであんなに暑かったのに、今は上着が無ければ寒くて出歩けない。朝晩に吐く息は白く曇り、もうそろそろ霜が降りる頃だろう。今朝卸したばかりの真新しいワンピースは秋冬物のブラウン。襟元についたファーが風に靡いた。

 さて、あの子はもう来ているのだろうか。

 信号を渡り、正面にはお洒落な喫茶店。ドアにつけられたベルを鳴らしてその店内へと足を踏み入れた。アンティーク調に統一された店内にはゆったりとした曲調のジャズが流れる。壁に掛けられた振り子時計に大きな窓、店員の他に客は数人しか居らず小ぢんまりとして落ち着いた雰囲気の店だった。店内を見回し、目が合った店員に声を掛ける。気付いて近寄ってきたウェイターに待ち合わせをしている旨を伝えれば、窓際の席に通された。

 椅子に座って一息、まだ待ち人は来ていないらしい。視線の先、時計の針が示すのは待ち合わせの十五分前。待たせては悪いと少し早めに家を出たのだが、そういえば彼女はいつも待ち合わせの時間より遅れて来る人だった。

 注文をとりにきた先程のウェイターに温かい紅茶をひとつ頼む。彼女の分は彼女が来てからで構わないだろう。まだまだ時間はありそうだし、と読みかけの本を鞄から取り出して頁を捲った。

 途端、走馬灯のように頭の中で流れる映像。ぼやけて滲む視界、(ウグイス)色の和服に身を包んだ男、目の前に差し出された手。一瞬にして駆け抜けたその映像を、私はよく知っている。

 嗚呼、『また』だ。

 物心がついた頃から何度も過ったこの映像。最初に観たのがいつだったのかなんて、もう思い出せない。なんのキッカケも脈絡もなく唐突に、しかも同じ場面だけが何度も何度も繰り返し。でも、なんだか最近になって頻繁に観るようになった気がする。

 最初は、夢だと思っていた。これが夢じゃないことに気付いたのは昼夜関係なく観るようになってから。最初は夜だけだった。だからただ眠ってしまっただけだと思っていたのに、昼までも観るのはどう考えてもおかしいだろう。心配になって病院で検査をしても異常なし。何か大切なことのような気はするのに、その前後が全く思い出せない。そもそも自分の身に憶えのないあの映像は、一体なに?

 折角開いた本も読む気にはなれずそのまま鞄の中へと戻した。湯気をたてるカップを見つめ、答えの出ない疑問に溜息を吐く。いつになっても答えは出ないまま、時間は過ぎて冷えていく紅茶。再び溜息が零れそうになった時、不意に鳴ったドアベルの音で思考は遮られた。もうそんなに時間が経っていたのか。

 入り口で店内を見回す彼女に軽く手を上げて見せる。視界に入った時計は待ち合わせの五分前を示していた。カフェオレを注文して目の前に座る彼女のごめんね待った、という問いに笑って首を振る。どうせ答えなど出ないのだ、考えるのは後にして今は旧友との再会を楽しもうじゃないか。

 久しぶりに会った彼女は暫く見ない間に随分と変わっていた。可愛らしかった服や化粧は大人らしく落ち着いた雰囲気に、ちょっとした仕草も優雅で丁寧に。暫く、とは言ってもそんなに長い期間ではないと思っていたのに、女性は少し見ない間に変わるものである。対する私は、大して変りなく。強いて言えば髪が伸びたことくらいだろう。

 お互いに『今は何してるの』『そういえばあの時は』なんて他愛もない話をして笑い合って。まるで昔に戻ったようだ。あの頃と変わったものは多かれど、きっと中身は大して変わってなどいない。懐かしい記憶に想いを馳せていれば、彼女の一言で話題は定番のあの話へと切り替えられた。良い年頃の女二人でお喋り、それも親しい仲ならば話さないことの方が少ないであろう恋愛の話。

 好きな人が出来たと、頬を赤らめ照れたように笑う彼女は可愛らしい。どんな人なの、どこで知り合ったの、そんなよくある質問を並べて紅茶を啜る。すっかり冷めてしまったそれが自分を嫌に冷静にさせた。その人がどんなに魅力的なのか、どこに惹かれどれだけ好きなのかを力説する彼女の頭の中はきっとその人で一杯なのだろう。

 私が気になる人と言われて真っ先に思い浮かぶのは……。

 再び回り始めた思考はあの疑問のこと。自分から尋ねておきながら私の意識は既にその場になく、一生懸命に話す彼女にうわの空で相槌を打った。

 そんな体験をした憶えはないのに、時々過るあの映像。夢と片付けるにはあまりにも強く刻まれたあれは、きっと誰かの記憶なのだろう。多分、私ではない誰かの。朧げな記憶は顔も景色も曖昧だ。判るのは鶯色の和服を着た黒髪の男が一歩先で振り返り、こちらに手を差し伸べていることくらい。白く靄が掛かったような記憶では、はっきりとした表情は判らない。でも優しく微笑む口元は愛おしく、差し出されたその手もひどく優しかった。

 あれは、誰なんだろう。

 優しくて愛おしくて、でも苦しくて切なくて、なにも知らない筈なのに何故かとても哀しくなる。あの映像を観る度に強くなっていく胸の痛みと喪失感。顔も名前も知らないあの人に逢いたいと思ってしまうのは、愛しいと思ってしまうのは、何故。

 ちょっと聞いてるの、と目の前で手を振られて漸く意識を引き戻す。頬を膨らまし拗ねる彼女にごめんごめんと謝った。

「だから、良い人居ないの?」

 軽く溜め息を吐きつつテーブルに置かれたカフェオレを混ぜる彼女を見つめる。スプーンを持つその指には綺麗なネイルが施されていた。そういえばさっきネイルサロンがどうのって話してたっけ。くるくる、渦を巻くミルクが珈琲に混ざる。今の私の思考回路を表したようなそれを眺めた。何度か渦を巻いたミルクは完全に珈琲と混ざり合い、判らなくなる。

「……私?」

 たっぷりと間を空けて彼女に問うた。呆れた彼女に他に誰が居るのよ、と小突かれる。

「良い人、ね……」

 ふと頭に浮かんだのは、やはり記憶の中の彼。あの記憶が過る度、何度その手をとりたいと思っただろう。ほんの少し、手を伸ばせば触れられる距離。それなのにいつもこの手は伸ばせなくて、心臓を締め付けられるような痛みに苛まれる。

 何故あの時私はあの手をとらなかったんだっけ。いや、そもそもあれは私の記憶じゃなくて、ならなんで私は今自分だと思ったの? 自分じゃない『誰か』の記憶だと思っていた筈なのに、何故手を伸ばそうとしているの? あの人は、誰? あの手は誰に向けて差し出されていたの?

 行き場のない疑問は尽きることなく私の中を巡り、当然答えなんてあるはずもない。優しくて愛しくて、そして哀しく残酷な記憶。どんなに忘れようと思っても、焦がれ忘れられない記憶。私はいつから、こんなにもあの記憶に執着するようになったのだろうか。もしかしたら、全てまやかしかもしれないのに。

「居ないよ。そもそも私、恋愛にあまり興味も無いし」

 また頭の中を過る記憶を振り払うように言葉を吐きだした。知らない人を、ましてや誰かの記憶なのか幻想なのかも解らない人が気になるだなんてどうかしてる。記憶も思考も全部流すように、新しく入れられた紅茶のカップに口をつけた。呑み込んだ紅茶の喉を伝う温かさに、何故だか無性に泣きたくなる。

 なんで、こんな。こんな想い、私は知らないはずだったのに。

「もう、そんなこと言って。お嫁に行き遅れても知らないんだから」

「大丈夫だって」

 作った笑顔で誤魔化して話を逸らす。まだ納得がいかないような顔はしていたが、彼女はそれ以上追及してこなかった。気を取り直して再びお喋りを始めた彼女に気付かれぬよう、小さく息を吐く。なんだかもうお喋りをする気分ではなくなってしまった。私に構わず話し続ける彼女に悪いとは思っていても、紅茶に砂糖を混ぜながら適当に相槌を打つ。沈んだ気分を切り替える為、窓の外に視線を移した。

 赤だった信号が青に変わって、待っていた人々が一斉に歩き出す。車道を渡って交差する人の波は向こう側へ渡る人とこちら側へ向かってくる人とが入り乱れていた。携帯端末を弄りながら歩く人や音楽を聴いている人、足早に通り過ぎていく人、時計を気にするサラリーマン。全く関わりのない数多の人々が、同じ道の上で交錯していく。

 そんな人の波の中で垣間見えた黒髪に、時が止まったような気がした。

 店内に流れるジャズも友人の声も、どこか遠くに聴こえる。黒髪の男性なんて他にも沢山居ただろう。似たような髪型をした人だって少なくないはずなのに。なのに、なんで。

 目が、離せなかった。

 俯き、イヤホンを耳に歩く男性。風に靡く髪が、伏せられたその瞳が、記憶の中の彼と重なる。刹那、再び廻る記憶。

「思い、だした……」

 全部全部、思い出した。そうだ、あれはどこかの誰かの記憶や、幻想なんかじゃなかった。あれは、私の記憶だったんだ。遠い遠い昔の、ずっとずっと前の『私』の記憶。あの日、あの人と願い誓った大切な記憶だったんだ。

 あの人は貴族で、私はただの女中で、近いのに遠かったその距離。身分が違いすぎたんだ。赦されないのは解っていたのに、結ばれないのは解っていたのに、私はあの人を慕ってしまった。苦しかったのだ。想いを告げてはならないことが、近付くことのできないその距離が。祝って欲しいとは思わなかった。認めて欲しいとは思わなかった。だからせめて想うだけでもと、あの人が幸せならばそれで良いと。それなのにあの人は、そんな私の決意をいとも簡単に消し去ってしまったのだ。どんなに好いても想っても報われなくて、だから私たちは契りを交わした。遠いあの日に、二人で誓った大切な契り。あの日の彼の言葉が、蘇る。

『悠久の時の中、私達は何度も廻り、何度も生きるのだろう。姿形を変え、何度も何度も。ならばいつの日か、再び君と出逢うことが出来ると信じよう。今度こそ、君と共に歩むことが出来ると信じよう。全ての(シガラミ)から解き放たれ、再び巡り逢うことが出来たその時こそ、君に久遠の愛を。君が私を忘れてしまうかもしれない。私が君を忘れてしまうかもしれない。でも、必ずまた逢える。だから、それまで』

 あの記憶は、あの人と交わした契りの時。哀しそうに、でも優しく微笑むあの人。あの手を、私は確かに掴んでいた。あの人と別れ、未来に想いを託す為に。あの手をとれなかったのは、きっとどこかで別れの時だと憶えていたからなのだろう。契りを交わして、それから二人手を繋いで走った。身分なんて捨てて、柵なんて飛び越えて。二人、輪廻(ツギノセカイ)へ。

 あの日交わした契りが、願いが、今やっと叶う時が来た。姿形はあの時とは違う。顔も、服も、背格好も。でも、それでも解る。ずっとずっと想い続けてきたから。

――嗚呼、あの人だ。

 やっと逢えた。幾千もの時を越え、幾度も輪廻を繰り返して、やっと。この時が来ることを、あの日から待ち続けていた。

 行かなきゃ、あの人のもとへ。

「……ねえ、聞いてるの?」

「ごめん!」

 冷めた紅茶も置きっぱなしの荷物もそのままに、勢いよく立ち上がって走り出した。後ろから友人の叫ぶ声が聞こえる。重い扉を力一杯開けば、ドアベルが大きな音を立てた。そんなことは気にも留めず、そのまま外に飛び出してあの人を探す。信号は赤に変わっていて、とうに渡り終えたあの人は既にこちらに背を向け歩き出していた。その背中を追って沢山の人々を掻きわけ走る。

 このままでは行ってしまう。折角廻り逢えたのに、また離れてしまう。そんなのは絶対に嫌だ。あの人は私を憶えていないかもしれない。でも、それでも良いんだ。だって、私が憶えている。あの人のことも、あの日の契りも、憶えているから。

 ずっと逢いたくて仕方がなかったあの人が、今度こそ手を伸ばせば届く距離に。あの時は出来なかった。でも、今なら。

「待って!」

 人の波に押され、どんどん離れていく背中に必死で声を上げた。周りに居た人達が驚いてこちらを振り返る。向けられる訝しげな視線なんて気にならない。今私の視界に入るのは、あの人だけ。前を歩く人が驚いて道を開けた。その隙間から、あの人の後姿が見える。気付いて振り向いたあの人は驚きの表情を浮かべ、そして優しく微笑んだ。憶えていてくれたのだ。溢れる涙で視界が歪む。姿形は違うはずなのに、その笑顔はあの時のまま。立ち止まって腕を広げた彼の胸へ、迷うことなく飛び込んだ。

「やっと、やっと逢えた……」

「嗚呼。ずっと、待っていた」

 鼓膜を震わせるその声に、涙が止まらない。全てがあの時とは違う。時代も、私たちの関係も。それでも、彼はすぐに気付いてくれた。あの人の笑顔も温もりも夢のようで、でもこれは紛れもない現実。強くなる腕の力、耳元で告げられたあの日約束した誓い。

『今度こそ、二人共に歩もう』

 久遠に貴方と誓った再会。長い長い時を越えて今、再びの逢瀬を。

 久遠には『永遠』の他にも『遠い昔』や『未来』の意味もあります。

 私は身に憶えの無い記憶が過る、なんてことはありませんが既視感があることは割としょっちゅうだったり。第六感が関係しているらしいですね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章が引き締まっていて、すらすらと読むことができました。描写が美しく、情景が鮮明に頭の中に浮かんできます。喫茶店に入るところから、友人と会うシーンまで雰囲気がよく伝わってきて、すぐに引き込…
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