プロローグ
思ったよりプロローグが長くなってしまった。
寝苦しい。
それが少年―――波多那が目を覚まして最初の思考したことだった。
何度か身動ぎをした後、目を擦りながら上半身を起こした。それからぼんやりとした目で部屋を見渡す。
無機質な部屋だった。部屋の壁や天井は白一色で統一されており、部屋の奥には人一人が入れるほどの大きさのカプセルが一つ鎮座しているだけの部屋だ。それ以外には家具も装飾もなにもない。
「……ここどこ?」
多少ふらつきながらもゆっくりと立ち上がり身体に異常がないか確かめる。……特に問題はないようだ。
床に寝転がっていたためか体が固まってしまっていたが少しほぐせばそれも解消された。多少落ち着いたところで現在の状況を整理することにした。
「うーん、なんでここにいるかは……わかんない。 けど他のことは覚えてるし記憶障害ってわけじゃない……よね?」
自分の名前や年齢、生年月日はしっかり覚えていた。特に理由がなければ思い出したくない両親の顔だってバッチリ思い出せる。
しかしここがどこなのか、何故自分がここにいるのかは一切覚えていなかった。それでもこのよくわからない状況で記憶喪失なんてことにならなかったことだけには安堵した。
「しかし……」
改めてぐるりと部屋の中を見渡す。
少なくとも自分がここに住んでいたということはなさそうだ。そう断定できるほどに部屋には生活感がなかった。なら何故自分はここにいるのだろうか?
目の前にある蓋が開いたままカプセルを調べた。波多那はこの装置に見覚えがあった。
それはコールドスリープ装置だった。自分が見たことがあるものより複雑になっているが間違いない。
おそらく自分はこれの中で眠っていたのだろう。記憶ではまだ実用されていなかったはずなのだが……。
これが自分の記憶違いでありすでに実用されていたのだとしても何故自分がコールドスリープすることになったのか疑問が残る。
考えようにも肝心な所の記憶が抜け落ちてしまっている。その部分に関してはいくら思い出そうと努力しても思い出せそうになかった。
そのうち思い出せるだろうと思考を変えるとまず何をすべきかを考えた。
(とりあえず人と……服を探さないと)
身に付けているものは現在着ている簡素な患者服に近いもののみ。他に持ち物など一切ない。ほぼ布一枚と言って良さそうなそれはあまりも心許ない。
だが部屋の中には謎の装置しか置いていないのだ。そのため服が必要ならば部屋の外に出る必要があった。
しかし扉に向かいかけて躊躇う。
「ドアを開けたら生物災害が起こってた、とかは流石にないよね? 」
シチュエーションとしてはあり得なくはない。かつて見た映画の内容を思い出す。
内容は秘密裏に行われていた実験中の事故で実験動物が脱走し、研究員を皆殺しにしてしまう。主人公は警備チームの生き残りでほかの生存者と協力して施設からの脱出を目指す、といった感じだったか。
今の状況を省みると笑い事ではなかった。まったくもって本当に。
「まさかね……」
ひきつった笑いを浮かべながらも覚悟を決めドアに近づく。
ドアはひとりでに開いた。なんてことはない。デザインこそ見慣れたものとは違うが特に珍しいものではない。
「自動ドア……ってことは電気が通ってるってことだよね」
電気が通っていることに多少の安堵を得る。気を取り直すと服を求めて部屋の外に出た。
部屋の外は中と変わらず無機質な光景が広がっていた。
白で統一された壁と床。
規則的に並んだ扉。
そしてそれらを煌々と照らす照明。
その光景は病院かなにかの研究施設を彷彿させた。
「な、なんだか嫌な予感がひしひしと……」
そんな予感を抱きながら正面の扉を開ける。中はほとんどの部屋は倒れていた部屋とほとんど変わらない空き部屋だった。
唯一違うところを挙げればこの部屋のカプセルが壊れていることだろうか。それ以外には家具の一つもない。
「……ハズレか」
そう断定すると続いて隣の扉を開ける。
ハズレなら即次へ、多少家具のようなものがあるなら探索。それを何度か繰り返しているとロッカールームを見つけた。
ここなら服もあるだろう。そう考えた波多那はこれまた片っ端からロッカーを開け、中身を物色し始めた。
ロッカーはほとんどが空っぽで成果はほぼ無かったが諦めずにその中の一つに拳銃が入っているのを見つけた。
誰かがここで着替えをした際に忘れていったのだろうか。ホルスターに入れられたままのそれを手に取り確認する。
本物の銃。それは波多那にとってけっして身近な物と言えるものではなかったが全く関わりの無い物でもなかった。
波多那は最低限だったが軍人としての訓練を受けていた。故郷では兵役は義務ではなかったが“万が一”に備え訓練を受けることが推奨されていたのだ。
もっとも波多那が覚えている限りでは“万が一”の事態は起こらなかったのだが。
ホルスターから銃を抜き、構えてみるとズシリとした重さが手に伝わってくる。だが扱う分には問題はない。むしろその重さが頼もしく感じられた。
装弾数は十二発、フルで装填されている上に拳銃の状態も良く、問題なく使用できそうだ。
「これならたぶん僕でも使えるよね……最低限の訓練しか受けてないからちょっと不安だけど」
護身用にちょうど良かったためホルスターごと失敬することにした。ホルスターが付いているベルトには予備マガジンが二本入っていたので護身用としては充分過ぎるだろう。
改めてロッカーの中を漁ると警備員服を見つけた。少々サイズが大きかったが少なくとも今着ている服よりは遥かにマシだった。
さらにほかのロッカーや戸棚を漁り明らかに量産品らしい下着やシャツを見つけるとそれを着た。その上に警備員服を着用しようやく一息つけた。
やはり少々ぶかぶかで裾が余ったりしているが贅沢は言えない。最悪あの布一枚で行動するはめになったかと思えばどんな服でも文句はなかった。
服が整ったならば次は人を探さなければならない。だが波多那は早くもこの施設に人がいるかもしれないという希望を放棄しかけていた。
その理由は単純かつ明解。この施設には人の気配が無さすぎるのだ。
例えば昼間に人が活動していたならばたとえ夜になってそこから人がいなくなってもぬくもりが残る。この施設にはそれが一切なかった。
廊下に足音だけが響く。施設の歩いただろうか。その間、人と遭遇することはなかった。
これだけの施設だ。監視カメラはあるはずだしモニター室だってあるはずだ。そして普通に考えればモニター室に無人にするのはあり得ない。
故に波多那はこの施設に人がいる可能性を排除した。ありもしない希望にすがるのをやめたのだ。その代わり別の希望が波多那の前に現れた。
「エレベーター……」
エレベーターの地下二階を示す部分が点灯していた。
施設は地下三階まであるようだ。だがわざわざ地下を探索する気にはなれなかった。
そもそも地下に造られた医療施設なんて聞いたこともない。逆に地下に造られた研究施設というのは映画で見たことがあったが正直きな臭すぎる。
施設を地下に造る理由は九里九分隠すためだろう。そして隠された研究施設で何が行われるか。嫌でも最悪の想像が思い浮かぶ。嫌な予感に体を震わせ手に持った拳銃を握り直した。
その考えを振り払うようにエレベーターに入り、一階のボタンを押した。
エレベーターは問題なく動いた。一階と書かれたランプが点灯するとエレベーターは停止し扉が開く。
銃を構えながらエレベーターから出る。右を見て、左を見て、それから銃を下ろした。小さく「クリア」と呟く。見える範囲に脅威はなかった。
物音を聞き逃さないように呼吸を抑え、神経を研ぎ澄ませ、常に視線を動かしながら廊下を歩く。いくつかあった部屋を覗くと複数人数での使用を目的とした広い食堂や寝室がほとんどだった。
銃器を保管している武器庫も見つけた。ロックはかかっていなかった。警備用の武器が置いてあることからおそらくこの階は警備員達の生活スペースだったのだろう。その中で信用されている者だけが地下での仕事に就いていたのだ。
武器には手を出さないことにした。保管されていたサブマシンガンやショットガン、アサルトライフルといった銃器は非常に魅力的だったが自分では持て余すだろうと判断したのだ。
さらに歩くと今までとは違う光景が現れた。正面には大きな扉。その前のスペースは開けていてその近くにカウンターのようなものがあった。エントランスだ。
施設の出入口である大きな扉は閉ざされていた。これまで通ってきた扉と違い自動ドアではない。ならばどこかにスイッチがあるはずだ。
スイッチは受付の中にあった。スイッチを押すとゆっくりと扉が開く。施設内の清浄な空気とは違う、埃っぽい、土の匂いのする空気が流れ込んできた。
閉鎖空間から開放されるという喜びから外に向かって足早に駆けていく。そして出口から外を一望し―――足を止めた。
「……これはちょっと予想外かな」
施設の外は峡谷だった。そこかしこに切り立った崖があり、断面からはいかにも固そうな岩盤が顔を覗かせている。
空気は乾燥していない。地面は岸壁とは違い土であり、かすかに水の音が聞こえるので近くに川があるのかもしれない。だが近くに人が住んでいるとは思えなかった。
それでも波多那はこの一帯を探索することにした。自分が眠っている間に何が起こったのか知らないがこの有り様では生き物がいるかどうかも疑わしい。確認する必要があった。生物の有無で今後の方針が決まるからだ。
万が一に備えて扉の側に目印を付けると水の音が聞こえる方へ歩きだす。荷物は水の入った水筒とベルトのホルスターに入っている拳銃と予備弾薬だけ。
余分な物は持たない。そうすることによって遠くまで行けない代わりに脅威に遭遇したときに素早く動ける。もとより今回は遠くに行く気はなかったので逃げることを第一に考える事にしたのだ。
ベルトに水筒をくくりつけ、拳銃の安全装置を確認し、ホルスターの位置を整える。軽装とはいえ準備に手を抜くつもりはなかった。
波多那は準備にはし過ぎというものがないことを知っていた。さらに言うなら知らない土地で気軽に出掛けることができるほど剛胆でもなかった。
出発する際、念のために扉は閉めていくことにした。退路を断つ形になるが自分の知らぬ間に施設に何かが入り込むよりはマシだと思えたのだ。
扉は岩壁にカモフラージュされているのでこの入り口のことを知らなければ見つけられないだろう。すぐ側にある扉の開閉スイッチもカモフラージュされている。どうやらこの施設を造った者たちはこの施設を誰にも見つけて欲しくなかったらしい。
照りつける太陽の陽射しの下に出る。その暖かさは酷く懐かしかしく感じられた。心地よい暖かさに気分が良くなった。
だがしばらく歩いたところで不用意に外に出たのが迂闊だったと思い知ることになった。
うなり声と共に四匹の狼が姿を現した。波多那が知る狼より一回り、いや個体によっては二回りほど大きい。
視線を周囲に走らせる。狼は群れで行動する生き物だ。つまり敵は目の前の四匹だけではない可能性が大きい。そしてその予想は的中していた。
「はぁ…最悪」
波多那から見て右側に二匹、左側から三匹姿を現した。どうやらここは奴らの狩り場らしい。そうだとすると姿を現していないだけでまだ潜んでいるだろう。
ここから施設の入り口までは500メートルほど。どう考えても逃げる途中で奴らの餌になるのは明白。逃げるにしても戦うにしても絶望的だ。
だが波多那はここで諦めるほど潔い性格はしていなかった。
じわじわと距離を詰めてくる狼達から視線を放さずにホルスターから拳銃を抜いた。
狼の数は少なくとも九匹。弾の数は三十六発。控えめに言ってもこちらが不利だった。だからといって弾丸の節約など考えれば餌になる未来しかない。
故に波多那は躊躇いなく引き金を引いた。
銃口から打ち出された弾丸が音と同じ速度で飛来し最初の獲物に選ばれた哀れな狼の頭を砕いた。狼の体が悲鳴と共に後ろに仰け反った。
突然隣にいた仲間の頭が吹き飛ばされたことで中央の狼が怯む。だがそれと同時に右側の狼達が駆け出した。狼達は獲物の意識が別の方向に向いた瞬間に肉薄するつもりだった。
「目覚めの運動としてはハード過ぎるっての!」
しかし波多那は狼が肉薄してくるよりも早く間髪いれず銃口を右側に向け三回引き金を引く。放たれた三発の弾丸のうち一発の弾丸は狼の左目から入りその奥の脳を吹き飛ばし、もう一発の弾丸がもう一匹の腿を貫き転倒させた。
一連の流れを見た狼達が警戒を強める。それが何なのかはわからずとも自分達の命を容易く奪うものだと理解したのだ。
「これで三匹ッ」
四発で三匹を仕留める。それは波多那にとって考えられる限り最高の戦果だ。だが状況は彼にその戦果を誇る時間も慢心する余裕も与えなかった。
施設への距離を縮めながらこまめな牽制を繰り返し、狼たちが一斉に襲いかかろうとすれば足止めのために、少しでも長く生きて生き延びるチャンスを掴むためにマガジンに残った弾を躊躇わずに撃ち尽くした。
その甲斐あって狼たちが再び怯む。
この時全速力で逃げればもしかしたら施設に逃げ込めたかもしれない。だが波多那は逃げることよりも拳銃に弾を込めることを選んだ。
拳銃から空っぽになったマガジンを抜き、代わりに新しいマガジンを押し込む。リロードを終えてから施設に向かって走り出した。
波多那は『もしかしたら』なんていう博打をするつもりは毛頭なかった。少なくとも今の状況では逃げる時間を無駄にしてでも拳銃に弾が込めておいた方が生き残れると判断したのだ。
そしてその判断は間違っていなかった。
その狼は仲間たちが獲物の注意を引き付けているうちに背後に回り込み、岩影に隠れて待ち伏せをするつもりだった。逃げ切れると希望を持った獲物は周囲への注意がおろそかになるので狩りやすい。狼たちはこの作戦が非常に有効であると経験から知っていたのだ。
獲物が近くまできたのを感じとると岩影から勢い良く飛び出した。
だが狼は飛び出すと同時に己の判断ミスを悟った。虚を突いたはず獲物はこちらを向いていた。そして仲間の命を奪った武器もまた己に向けられていたのだ。
拳銃から弾丸が放たれ狼を貫く。即死には至らなかったが致命傷を負う。だが狼は飛び出した勢いのまま波多那にぶつかっていった。
その体当たりはその狼の全力に比べれば非常に弱々しいものだった。だがか弱い人間の姿勢を崩すのには十分な威力を持っていた。
そして仲間が命と引き換えに作った好機を狼達が見逃すはずはなかった。
「クソッ」
立ち上がる暇はない。波多那は倒れたまま拳銃を構え、撃つ。
倒れながらも拳銃を手放さなかったのは半ば意地のようなものだ。波多那は拳銃を手放してしまったら自分には死ぬ未来しかないことをこの短時間で十分すぎるほど理解していたのだ。
それでも死は着実に波多那に迫ってきていた。とにかく弾が足りない。狙いも満足に付けられないこの状況では押さえきれないのは明白だった。
そして弾丸を避け肉迫した狼が波多那の肉を食いちぎろうと飛び掛かった。
そして次の瞬間、突如飛来した巨大な鉄塊によって狼の身体は引き裂かれた。
「へ?」
波多那は半分になった狼を見て、もう一度鉄塊を見た。
それは鉄塊ではなかった。それは剣だった。剣と呼ぶのもおこがましいほど無骨であり波多那の身長ほどの大きさがある巨大な剣だった。
誰がこんなものを、と疑問を抱いた時、答えは現れた。
「オオオオオオォォォッ!!!」
―――咆哮。そう表現するのが雄たけびが響いた。
そしてどこからともなく巨体が飛び出してきて、飛んできた鉄塊に怯んでいた狼を思いっきり蹴り飛ばした。それから間髪いれず大剣を手に取るとそれを一閃させた。
まず最初驚くのは身長二メートルはあろうかという巨体。その巨体は鍛え上げられており元々大きい体をさらに大きく見せている。
肌は日に焼けており、見えるだけでも大小様々な傷が付いていた。そして要所要所を鉄で補強した革の鎧で覆っている。
大男は大剣を担ぐと波多那のほうを向いた。第一印象からは想像できない厳ついながらも人懐っこさを感じさせる笑みだった。
「おう、無事か小僧」
「あ、はい」
差し出された手を掴み立ち上がる。彼がいれば何とか切り抜けられるかもしれない。波多那が希望を抱いたときだった。
至る所からうなり声とともにさっきの倍の数の狼が姿を現した。それはまさしく群れであった。狼達の目は仲間を殺された怒りでギラついている
「……えーと、こいつら全部倒せます?」
「ううむ、ちとキツイのう。 逃げるぞ小僧」
「言われなくてもっ」
二人揃って即座に反転した。軽装な分、波多那が先導する形となった。一瞬、走りながら思考し施設に逃げ込むことにした。
走る、走る、とにかく走る。狼たちも追ってきていたが不用意に近づけば大男の大剣によって切り裂かれ、さらに銃による牽制も加わったため思うように追いかけることができなかった。
「こっちへ!」
波多那は全速力でカモフラージュされた扉に向かって駆け、勢いのまま殴りつけるかのようにスイッチを押した。扉が開く。
「ぬおっ!? 面妖な!」
「いいから中へ!」
牽制のために弾丸をばら撒きつつ叫ぶ。
幸いにも大男は躊躇う事無く施設の中へ飛び込んだ。それを確認し自分も扉をくぐり受付に飛び込むとスイッチを押し扉を閉めた。
扉が閉まって数秒後、扉に狼達がぶつかる音が聞こえた。続いて扉を引っかく音が聞こえ始める。だがその程度でどうこうできるような扉ではない。
狼達はしばらく扉の前をうろうろしていたがやがて諦め去っていった。
「あ、危ないところだったのう」
「そうですね……あ、助けてくれてありがとうございます」
いいってことよ、と豪快に笑うと大男は名を名乗った。
「わしはナハンの戦士、ヒルギス。 小僧、おぬしの名は?」
「波多那です」
「ハンナ?」
「は・た・なです」
そこまで思い入れのない名前とはいえ明らかな女性名で呼ばれるのは遠慮したかった。
大男―――ヒルギスは何度かハタナと繰り返し呟くと満足できる発音ができたのかうむ、と満足げに頷いた。
その時ヒルギスの腹の虫が鳴いた。
「のうハタナ、飯はないか? さっきから腹が減ってたまらんのよ」
「ご飯ですか? ちょっと待っててください」
はて、食料庫はどこだっただろうか。歩いているときに見つけた見取り図を見に行こうと立ち上がった波多那は自分も空腹であることに気づいた。
考えてみれば起きてからなにも食べてないのだ。その上激しい運動までしている。当然といえば当然だった。
早速波多那は食べ物を探すことにした。あるとすればおそらく食堂にあるだろう。
問題ははたしてこの施設にまともな食料はあるのだろうかということ。流動食やブロックのような非常食ばかりではないかそれだけが心配だった。
心配は杞憂だった。どうやらこの施設にいた人達はなかなかの美食家であったらしい。
牛、豚、鳥といった肉類はもちろんのこと、パン、米、野菜、卵に調味料各種、さらには魚介類に至るまで、そのすべてが新鮮なまま保存されていた。
人間の技術は知らないうちにとんでもないほどの発展を遂げていたらしい。その技術を持ってしても滅びは避けられなかったと考えると少々微妙な気分になるのだが。
だがそんなことを考えても仕方ない。彼らは滅びたがなんの因果か己は生き残ってしまった。ならば次に考えるべきは自分が死なないですむ方法だ。
そのためにもまずは食事をしなくてはならない。そう思考を切り替えると、料理に使う材料を選ぶ作業を開始するのだった。
しばらくしてテーブルの上にたくさんの料理が並べられた。
牛肉のステーキ、ローストポーク、鴨の腿肉にサラダ、バスケットにはパンが山ほど積まれている。
どれも凝った料理ではなく、切って焼いただけのものがほとんどだが味付けはしっかりしたので気にならない。
ヒルギスに至ってはむしろ食べたことのない味付けに満足なようで次々とさらを空にしている。
波多那は一口大に切り分けたステーキをおかずに米を食べながら考え事をしていた。
(誤算……あの狼達との戦いで持ってた弾をほとんど使い果たした。 幸いここには武器庫があるけどこのペースで使ってたらいつまで持つか……)
弾薬を持ち運べる量には限界がある。この世界で生き残り続けるには銃に頼らず戦えるようにならなければならない。
だが生半可なものではあの狼にすら勝てないだろう。護身術では焼け石に水なのだ。
だがなんの巡り会わせかちょうど波多那の目の前には戦士がいる。この状況を利用しない手はなかった。口の中のものを飲み込むとヒルギスに話しかけた。
「あの、お願いがあるんですが」
「ん? なんじゃ」
「僕を鍛えてくれませんか?」
最後の肉をのみ込んだヒルギスはその言葉に唸った。
「ふむ……わしはまだ戦士として未熟。弟子をとるほどの技量はもっとらん」
「…………」
「だがお前には飯をもらった。 ならばその恩を返さねばなるまい」
「じゃあ……!」
「うむ、わしでよければ鍛えてやろう」
この世界で生きていく当てができ、波多那は喜んだ。喜ぶ波多那をヒルギスは微笑ましそうに眺めている。
「修行は厳しいぞ! 心してかかれよ」
「はい!」
食後、波多那はヒルギスを寝床に案内した後、明日に備えて武器庫で弾薬の補充をした。ついでにカバンを調達しブロックと呼ばれる栄養補給食と水を詰めておく。
そのほかにも一通りの準備を終え一息つくと一気に疲れが襲い掛かってきた。簡易ベッドに身を横たえるがどうも目が冴えて眠れない。
(目が覚めたら知らない施設にいてしかも誰もいなくて……しかも外に出たらファンタジーだったとか……意味わかんない)
心の中で盛大に不満を言いながら波多那は目を閉じた。
明日からは今までと違う日常が始まるのだ。そのために無理にでも寝ておく必要があった。
目を閉じ続けているうちに次第に眠気が訪れ、波多那は眠りに落ちていった。
物語の始まりはこの一年後のことである。
冒険物の小説って設定考えるのが楽しいよね。