不思議な女の子
夜空に散りばめられた満天の星に微かに聞こえる虫の音。
ロマンチックな状況だが、俺の心境はそんな状況にうっとりできるほど穏やかなものではなかった。
第一状況がそんなロマンチックでも場所が大変よろしくない。
なにせ廃屋か?って疑いたくなる神社の前だ。
こんな場所に彼女を連れて来た日には間違いなくフられるだろう。
まあ今は1人っきりだから全然関係ないんだがな。
「はあ…」
ちなみにこんな薄気味悪い場所にいる理由はたんに足が痛いからだ。
でなけりゃこんな場所に誰が好き好んで座り込むもんか。
相変わらず携帯は機能を放棄したままで、おまけに圏外という絶望的な字面を出していた。
「疲れた…」
たいして祭りをエンジョイしていないというのにこの疲労感はなんだというのか。
もはや探しに行こうという思考さえ浮かばないほど疲れてしまった。
本当にマジでどうしたらいいんだ…もういっそ帰るべきじゃなかろうか。
そう思って何度めかのため息を吐いた時だった。
「くっしゅん」
背後で可愛らしいくしゃみが聞こえた。
「へ?」
振り返ると、神社の奥に黒いワンピースを着た10歳くらいの女の子が立っていた。
いつの間にいたのだろうか。
女の子はぐしぐしと袖で鼻を抑えようと躍起になっている。
「あ、待て待て!服が汚れるぞ!」
あわてて拭おうとする腕を抑えて、自分のポケットを探る。
ティッシュを取り出して何枚か引っ張り女の子に手渡すと彼女は不思議なものを見る目でこちらを向いて首を傾げた。
俺はずずいとティッシュを持つ手を突き出す。
「ほら。使えって。遠慮すんな」
彼女はおそるおそるという具合にゆっくりとティッシュを受け取り、キョトンとした顔を向けた。
「だ、だからそれ使っていいって…ほれ、チーンしてみ」
「う……?」
「チーンだ。チーン」
少女からティッシュを取ると彼女の鼻に押し当てる。
眉を寄せ嫌がるそぶりの彼女に自分の鼻を押さえてジェスチャーでかむ真似をする。
少女はすぐに理解出来たらしく、チーンと顔を歪めて鼻をかんだ。
「はい。よくできました」
かんだティッシュを丸めて、少女の頭をポンポンと叩いてやる。
昔、弟が幼い頃、よく癖で頭をポンポンと叩いてやっていたことを思い出しながら俺は改めて少女を見た。
黒い艶やかなセミロングの少女は、子供服らしからぬ真っ黒なワンピースを身にまとっており、あどけなさの残る幼い表情とは不釣り合いな気がした。
鼻をかんだためか鼻先が赤くなっているのが可愛らしくて微笑ましい。
少女は自分の鼻を触り、再び不思議そうにこちらを見た。
迷子だろうか。
俺がそう尋ねるより早く少女が小さな口を開いて問いかけてきた。
「だれ?」
「…そーゆーお前は誰だよ」
最近のガキは本当に言葉遣いがなってない。
まあ、まだ小さいから大目に見てやるがな…なんて頭で考えていると、少女が自分を指差した。
「う?」
「そ。お前。人に名前聞く前にまずは自分からって、親に習わなかったのか?」
少女は首を左右に振って頷いた。
「どっちだよ…」
「…ならってない」
「そうか…じゃあ覚えとけ。人に名前を聞く時はまず自分が名乗ること」
少女はぼんやりとこちらを見てから、数秒かかってコクリと頷いた。
動作がワンテンポ遅いのは、まだ子供だから理解するまでに時間がかかるのだろう。
「ムシ」
少女は自分の顔を指差して一言そう言った。
「むし?虫がいるのか?」
少女の周りを見渡したが、それらしい虫は見当たらない。
首を傾げる俺に少女はブンブンと首を振ってからもう一度「ムシ」と自分を指差した。
「……ひょっとして、お前の名前……ムシっていうのか?」
「ん」
少女が頷いた瞬間、俺は神社の壁に頭を叩きつけていた。
なんつー名前を子供に付けてんだ!!
最近の親はキラキラネームとかいう無駄に読みにくい名前をつけるとはよく聞くが、これはそれ以上に酷い。
キラキラしてないもの!
カサカサとか、ゾワゾワいう効果音を連想させる名前なんですけど!
どーゆーセンスしてるわけ?この子の親は!
「なまえいった…」
俺が憤慨している最中に少女は小さくそう呟いてこちらを指差した。
そういえばまだこちらの名前を言ってなかった。
俺はごほんと咳払いをしてなんとか気持ちを落ち着かせるように努力した。
「俺の名前は、山手和也だ。迷子仲間としてよろしくな」
「まいご?」
「楽しい祭りの中、こんな寂しいとこにいるってことは、お嬢ちゃんもそうなんじゃないのか?お父さんお母さんとはぐれたんだろ?」
少女は首をコテンと傾げた。
意味わかってねぇなこいつ。
俺はなんでもないと首を振った。
なに小さな子に仲間意識共有しようとしてんだ…
自分にツッコミを入れてため息を吐く。
「さみしい…?」
ムシと名乗った少女がこちらを不思議なものを見る目で見て聞いてきた。
「…そうだな。賑やかなとこに1人だけってのは、さみしいよ」
携帯も通じないし、あいつら見つかんないし、もう帰っていい気がするなマジで。
俺の方を見て、ムシは黙っていたかと思うと、パッと右手を差し出してきた。
「なかま、はいる?」
「お。入れてくれるのか」
ムシがコクリと頷く。
俺は彼女の右手を握り、笑顔で礼を言った。
小さな女の子に同情されるなんてなかなか精神的にクるもながあったが、せっかくの好意を無下には出来ない。
「ありがとな。ムシちゃん」
…呼ぶのにかなり抵抗あるぞこの名前…
俺の笑顔が苦笑いに変わりそうになっていた時、背後に気配を感じ、振り返った。
見ると、少し先の道に人影が一つ見えた。
……なんだ?今の感じ…
奇妙に感じたのは気配がまるで突然現れたように感じたことだ。
人がやって来た感じではなく、後ろにずっと立たれていたことに今、気がついたような。
たとえば、そこにあるが気にもしない背景に急に存在感が出てきたような、そんな気がした。
「…!」
横にいた少女が真っ先に影に気がつき走り出す。今までの光のなかった瞳が始めて光り輝いていたのが横切る時に見えた。
影はゆっくりと手を広げ、少女を待ち構えている。
どうやらムシの知り合いらしい。
「よかったな」
誰に言うでもなく呟いてから、立ち上がる。
俺もそろそろ帰ろう。
そう思っていたところに、「あ。いた!!」
と聞きたかった声が耳に届き、思わず涙が出そうになった。
振り返ると、後藤がこちらに走ってくる姿が目に映る。
「山手!よかった〜!みんなでずいぶん探したんだぞ!全く、なんだってこんな寂れた神社なんかにいたんだよ?」
「ご、後藤……」
この時の後藤はマジで輝いて見えた。
いや、冗談抜きでマジで。
この際、迎えに来てくれたのが後藤だろうが、とにかく知り合いに出会えたこの喜びは言葉では言い表せないほどだった。
思わず普段なら絶対にありえないが、後藤の肩に手を置き引き寄せるくらいには感動していた。
「なんだよ山手。…ひょっとして泣いてる?」
「泣いてねぇ!!」
「涙ぐんでるじゃん!たかが迷子で泣くなよ」
ゲラゲラ笑う後藤の後ろから再び聞き慣れた声が複数聞こえてきた。手前から佐々木さん、王子、殿と来て最後が錦織だ。
「後藤くーん!山手くん居たー?」
「あ!いるいる!おい山手!お前、祭りきて早々に迷子になるとかありえねぇぞ!綿あめももう食っちまったよ」
「でも見つかって良かったよ〜」
「全く!これじゃあ私が何の為に後藤くんと一緒に誘ったのかわからないじゃない!祭りでイチャつく2人が見たかったのに……って!抱き合ってる!!!?」
ギャーギャーと騒がしい懐かしのメンバーにドッと安心感が芽生えた。
これこそ俺の日常だ。
駆け寄ってきた王子がニヤニヤと笑う。
「なんだお前。一人で寂しくって泣いてたのかよ」
「バッ…!ちげぇよ!泣いてねぇよ!それに1人じゃなかったし!」
「え?他にも誰か居たの?」
佐々木さんが、奇声を上げて倒れた錦織を介抱しながら尋ねる。
「小さな女の子が居たんだよ。さっき迎えきてもう行っちゃったけど」
「託児所か。ここは」
王子が呆れた声を出す。
「うるさいな。けど、変な子だったな…名前が変だったし」
「いまどき流行りのキラキラネームってやつ?」
後藤が楽しそうに笑う。
「いや。キラキラっつーよりゾワゾワした感じ」
「ゾワゾワ?なにそれ」
「そんなことより!あんたらやっぱり付き合ってたのね!!」
「……はあ?」
錦織がようやく回復したかと思いきや、また頭のおかしなことを言い始めた。
小さな女の子とのやりとりなど頭の片隅に行ってしまい、いつもと変わらない日常が再び戻りつつあった。
***
「いったいどんな話をしてたんだい?」
祭りの太鼓の軽やかな音に掻き消されることなく、少年の声は手を繋いでいる少女の耳に確かに届いていた。
自分より幾分も背の高い相手を見上げて、少女はゆっくりと声を出す。
「じこしょうかい」
「名前が違ったろ。なんで嘘を?」
少年はまるでずっと聞いていたとでも言うように先ほどの少女と彼とのやりとりについて問いただす。
少女は、しょげたように頭を下げる。
「別に責めてるわけじゃないよ。莉央。これが君の名前じゃないか。なんで虫だなんて嘘をついたのかが聞きたいんだ」
「………」
喋りたがろうとしない少女に少年は苦笑いして立ち止まる。
その場で少女の目線に合わせてしゃがみ込み、彼女を真っ正面から見つめた。
「教えて。莉央。この名前が嫌なのかい?」
莉央は静かに首を振り、「だって…」と口を尖らせた。
「ムシってよぶヒトたちに、ヨウヘイやさしくする…"かわいい"っていってる……リオもやさしくされたい…だからムシになる」
ヨウヘイと呼ばれた少年はしばし固まり、小さく吹き出していた。
莉央がムッとした顔で睨みつけてきたため、すぐに笑いを抑えようと口をつぐもうとしたが、容易ではなかった。
「かわいいなぁ莉央はっ。ふふ…大丈夫。僕は莉央が大好きだからずっとずっと優しくするよ」
「…ムシより?」
「当たり前じゃないか。蟲なんかよりずうっと莉央が大切だよ」
少女はようやく嬉しげに笑い、少年に抱きついた。少年も優しく抱きとめる。
「蟲はね、僕の操り人形なんだ。だから優しく愛でてあげなくちゃダメになっちゃうんだ」
「ダメ?」
「うん。乱暴にしちゃうと壊れちゃうんだよ。君は、僕の操り人形なんかじゃない、大切な存在だよ。だから莉央。もう自分のことを蟲だなんて言っちゃダメだよ」
莉央は、満面の笑みで頷いた。
「いい子だ」
ヨウヘイは優しく莉央を撫でてから、手を繋ぎ直して立ち上がる。そして何事もなく歩き出す。
「…莉央。さっき、一緒にいたお兄ちゃんとは他にどんな話を?」
「まいごっていってた。さみしいって。だからなかまになりたいって」
「そう。約束したんだ?」
莉央がこくりと頷くのを見て、少年が楽しそうに少女の頭を撫でた。
「そっか。優しいなあ莉央は」
少女の頭を撫でながら、少年は楽しげに祭りの中を歩いていく。
「あ。蟲で思い出した。ねぇ、莉央。知ってるかい?蟲同士を同じ箱にしまっちゃうとどうなるか」
莉央はキョトンとしたまま首を振る。少年はニッと笑い、人差し指を立てた。
「蠱毒になるんだ。僕はそれが楽しみでならないよ」
「う?」
莉央が首を傾げたので少年がにっこりと微笑んだ。
「いいんだよ。君はわからなくて。莉央。これからも僕のためにたくさんたくさん仲間を増やしてね。君は蟲にはなれないけれど、蟲を生み出す力があるんだから」
首を傾げる少女を見ながら、少年は楽しげに笑い続けた。
***
ーーードーン……
微かに遠くで花火の音が聞こえてくる。
無音の小部屋にその音はよく響き渡り、部屋全体を震わせた。
そういえば、今夜は祭りがあったか。
暗がりの中、竪山龍牙はベッドから起き上がると窓に近づく。
20階立のビルの最上階から眺める階下の眺めは絶景と呼ぶに相応しいものだったが、龍牙の瞳は街のイルミネーションや艶やかなネオンの光など見てはいなかった。
龍牙が気にしているのは、むしろ暗がりの方だ。
明るく輝く街中の裏で、動き回る存在は確かにいる。
違法以外の何物でもないゲームが、この綺麗な光の合間合間で行われるなどとこの街の住民の大半は知る由もないだろう。
違法どころか、常識すら通じない力が、プレイヤー達にはある。
それは、超能力とも呼べるし、魔法とも呼べる…とにかく人が持つことのない、神の力だ。
なぜそんな力が備わったのか…それは一人一人理由は違えど、全員に言えることがある。
彼らは祈ってしまったのだ。
決して、許されない願いを。
本来なら叶ってはならないはずの絶望からの脱却。
それを彼らは願い、そして取引をした。
許されざる、悪魔との取引だ。
他人が聞けば馬鹿馬鹿しいと笑われてもおかしくない程イかれた話だ。
龍牙も何も知らないまま、この話を聞いたなら鼻で笑ったことだろう。
だが、現実に龍牙は悪魔に遭い、取引をして特別な力を手に入れた。
そして結果、悪魔のゲームに参加している。
「……イかれた方がよっぽどいいな」
自分の爪を見ながら龍牙は息を吐く。
このゲームへの参加が悪魔との取引の条件だった。
なぜ、どういった目的で、異能の力を使ったサバイバルゲームの行く末に何があるというのか、悪魔は何を望んでいるのか…全てが不明なまま、人を殺さなければならない。
取引したことを後悔したくはない。
人を殺すとわかっていたとしても、あの時の願いを覆す気は龍牙にはなかった。
きっと、取引した連中全員がそんな気持ちを抱いているはずだ。
だからこそ、ためらいもなく殺さなくてはならない。
そうしなければ、あの時の願いが全てなかったことになってしまうのだ。
それだけは、防がなくてはならない。
なにがあろうと、誰を殺すことになろうと、あの願いだけは……なかったことにするわけにはいかない。
龍牙は窓から目を離し、伸びをした。
「"ルールはチェスゲームに従って"…ね。俺、チェス知らないんだけどな」
呟いて欠伸をすると、携帯が振動した。
画面に仲間の名前が表示されている。
肩を竦めて、通話ボタンを押す。
「…よう。どうした?」
ゲームは静かに動き出していた。