夏だ!休みだ!祭りに行こう!
「えー…皆さんは明日から夏休みに入るわけですが、ダラけた生活ばかりとっていては、将来ぶくぶくのおデブちゃんになってしまいます。健康的に早寝早起き、それから課題を忘れずにーーー」
人間ってのは、じつに現金な生き物だ。普段なら耳から通り抜けていく担任の長ったらしいお説教のような演説も、今は楽しみを助長させてくれる映画本編前の予告映像の数々のごとく心地よい。
それを感じているのはなにも俺だけではないらしく、右を見ても左を見ても、皆同じくらい微笑ましい顔で先生の理不尽なお話を聞いていた。
楽しみを前にした今、ちょっとした苦行なんてなんのその。
おそらくは休み期間中よりも、始まる前のこの瞬間が1番wktk出来て楽しいのだ。
担任の染井が一定のテンポで続けていた語りを止めて、苦虫を噛み潰したような、そのままあまつさえ飲み込んでしまったような顔で自分のクラスの生徒たちを見た。
「…気持ち悪い。お前らのその可愛らしい子犬を見守るような生温かい眼差しがすこぶる俺の悪寒を誘うんだが」
酷い言いようだったが、誰一人理不尽を咎めなかった。
あぁ。菩薩になるとはこうゆうことを言うのだろうか。
「なに言ってるんですか。先生の話をみんな真面目に聞いてるじゃないですか」
俺の一つ前の席の殿角 豊が穏やかな声音で言った。
皆、一貫して頷く。
おぉ…素晴らしい一体感。
染井先生は俺たちとは反対に嫌悪感むき出しの表情で教卓にうなだれた。
「そろいもそろって善人面しやがって。わかってんだからな。お前ら、今この休み前のふわふわした状況を楽しんでるだけだろ。俺の話なんてまるで聞いちゃいねぇだろ………いや、それはいつものことか…」
はあ、と盛大に息を吐いてなにか諦めてしまった担任はもういいやとクラス名簿を持ってドアに近づき手を掛けた。
そのまま行ってしまうのかと思いきやピタリと止まり、クラスじゅうを見回し一言吐き捨てるように、
「浮かれてハメ外し過ぎんなよ」
としごく真っ当なことを言って出て行った。
残された俺たちはお互いの顔を見つめ、確認を取り合うようにざわついた。
口元がにやける。
大きな行事ごとの際には必ずクラスを引っ張ってくれる花材 輪廻女子がすっくと立ち上がる。
よく通る声で指揮を高めた。
このクラスはノリだけはいいのだ。
「やろうども!恵みの雨だぞお!!」
そうだ、明日から……
「夏休みだぞーーー!!!」
どわーッ!と一気にテンションの上がった俺たちは騒ぎ立てる。
まさに騒げや歌えやのドンチャン騒ぎである。
「騒げー!歌えー!はしゃげー!明日から祭りじゃあぁあああ!!」
「泳ぐぜ海行くぜ!水着美女が待ってるぜ!」
「今年は山ガール目指して山に行くんだもんね!捻挫してイケメンに介抱してもらうんだもんねッ!」
皆が皆、それぞれの欲望を撒き散らしていた。バカ丸出しだ。
まぁ、俺だってその中の一人だ。
「山手。帰るのか?」
がやがやと賑わう中、前方の席の後藤が意気揚々と近づいてきた。
俺の席は後ろの窓際、惰眠を貪るにはうってつけの場所だが、しばらくここともおさらばだ。
名残惜しく一瞥してから俺は、机からために溜めておいた教科書の束をリュックにしまいこんだ。
う……やはり全教科分の教科書はずしりと重い。
普段、置き勉しまくっていた報いがのしかかってきたが、この程度の重さでへこたれる俺ではない。
勢いよく背負いあげ、後藤の方を見上げた。
「オカ研なら行かねぇぞ。俺には帰って寝るという使命があるからな」
後藤が苦笑いしながらカバンを背負う。
ずいぶん軽そうだなおい。
「そうじゃなくて、明日さ、花火大会あるだろ?暇ならアレ行かない?」
「あー、そういやあるな。えー…お前と2人でってのはちょっとなぁ…」
野郎どうしで仲良く花火を見るのが夏休み最初の思い出なんて嫌だ。
すごく嫌だ。
後藤がなにか言う前に激しい横槍が入った。
もうなんていうか、無駄に勢いよく。
「馬鹿野郎!!」
乱入者は俺の机をバンッと思い切り叩いて、目をギラつかせていた。
こえーよ。なんかすごく怖い。
軽くひきながら見ると、佐々木さんとよく一緒にいる長髪メガネ女子の錦織 亜子が眼鏡の奥の大きな目を光らせていた。
なんだこの子。
ていうか普段そんな、話したことないよな?
なぜそこまで話したこともない女子に馬鹿呼ばわりされなければならないのか。
皆目検討がつかなかった。
「……なんなんだよいきなり…」
おそるおそる言う俺に対し、錦織はキッと睨みつけてくる。だからこえーよ。
「山手くん!」
「は、はい?」
「花火大会。私たちも行くんだけど、一緒に行かない?」
「………へ?」
意外な申し出で、二秒ほど固まった。
なぜそれほど話したこともない女子に花火大会に誘われているのか。
それは皆目検討がつかないが、大した問題ではなかった。
花火大会+女子=浴衣姿、という公式が俺の中で光り輝いている。
しかも『私たち』ということは複数形。普段からつるんでいる佐々木さんとだろうか。
もしそうならなおのこと断る理由がどこにある。
「そ、そういうことなら喜んで。というわけで後藤、お前とは行けねぇな!」
「えー?俺が先に……」
「後藤君も一緒に行きましょう!というか、じゃないとダメ!絶対2人で来て!」
後藤の言葉を遮り、錦織は『2人で』をやけに強調して言った。
なんだよ。誘われたのは俺だけじゃないのかよ。
少し落胆する俺の耳に小さくボソボソと『夏祭り…花火大会…誘い受けの山手くんに、隠れドSな後藤くん…ムフフ……』という謎めいた言葉が聞こえて来た。
「錦織?なに言ってんだ?」
「ハッ!今私口に出してた!?な、なんでもない!なんでもないから!と、とにかく明日は2人で来てよ!私も良子と2人で行くから!」
ちなみに良子とは佐々木さんのことだ。
一気にそれだけ言うと、錦織は女子の群れへと混ざっていった。
なんだかよくわからんやつだ。
さすが、佐々木さんとつるんでいるだけのことはある。
横でぽかんとしていた後藤が目をしばたかせた。
「強引に決まっちゃったな」
「ダメだったのか?」
後藤はそうじゃないけど、と苦笑いした。
「俺だけじゃないんだよ。あした行くの」
だから2人でって言われてもなァ…と後藤は困ったようにつぶやく。
「ん。そうなのか?お前と誰だ?」
「殿と王子」
後藤の挙げた2人のあだ名に俺は豪華だなぁと笑った。
殿とは、先ほど先生に穏やかに意見した、殿角 豊である。
なんとも裕福そうな名前の彼だが、別に家が金持ちだとか、じつは殿様の血を引くなんてことはなく、ごく一般の家庭に住む、普通の男子生徒だ。
部活はテニス部で、テニスの王子様ならぬテニスの殿様というわけだ。
基本的にはいい奴なんだが、たまにド天然を炸裂させるから反応に困ることが多々ある。
それ以外は常識人のいい奴だ。
……うん。
次に、王子だが、こいつはあだ名というか、本名が王子というからあだ名でもないかもしれない。
漢字は大寺なので、たまにイントネーションが違うと叱られるが、みんな気にせず彼を王子と読んでいる。
フルネームは大寺 当夜。
別にかっこいいかと言われればそう言えるかもしれないかもしれないが、俺の正直な感想をいわせてもらえば、どーでもいいわけである。
野郎の顔が整ってるとか、すこぶるどーでもいい。
こいつの場合は、王子という割には特に目立つ要素もない至って普通のフツメンだ。
多少顔がいいとか、隠れファンがいるとかそんなことはあった気もするが、たいして大した問題ではない。
名前以外に特に特記すべき要素は皆無だ。
要するに俺と同類。
別に普段から行動を共にしているわけではないが、それなりに仲はいい方だ。
ちなみに部活はバスケ部。
体力があることが唯一俺と違う。
改めて2人のクラスメイトの顔を思い出しながら俺はため息を吐いた。
「野郎ばっかじゃねぇか。お前ら彼女作れよ」
「人のこと言えるのかよ」
後藤が辛辣なツッコミをいれてきたが、俺は知らんぷりをして席を立った。
「錦織たちに誘われた俺に感謝しろよな。なー?殿!」
前の席でもたもたと荷物を片付けていた殿角はあだ名を呼ばれてゆっくりと振り返った。
「えー?なに?呼んだ?」
殿角はのほほんとした顔で俺を見る。相変わらずの癒し系ボイスにこっちまで力が抜けてくる。
こいつは誰に対してもこんな風な穏やかな対応をするのだ。
毒気を抜かれるとはまさにこのこと。
それだけに密かに怒らせたら相当怖いのではないだろうかとクラス内で囁かれている。
「あー、いや、なんでもない。明日、俺も花火大会行くよ」
「本当に?じゃあこれで四人だね」
「あ、なんか錦織さんと佐々木さんも同行したいって」
後藤が言うと、殿角は意外そうな顔をした。
「後藤くんって、あの2人と仲良かったっけ?」
「いやー、仲良かったというか、流れでさ。悪かった?」
殿角はフルフルと首を振った。
「別に構わないよ。女子がいてくれた方が盛り上がるだろうし男だけよりか断然華やかになるだろうね」
うぅ……眩しいぜ。
女子が参加することに対して一切の下心がないこの感じ!
殿角を前にすると自分がいかに薄汚れているかを再認識させられてものすごく辛くなる。
「…お前ってさ〜、殿っていうか菩薩だよな…」
「そ、そうか?」
「うん。見てて拝みたくなってくるもん」
実際に手を合わせるジェスチャーをしようとしたら、殿角に慌てて止められた。
「い、いいよ!本当に拝まなくていいから!ていうかやめてくれよ…!」
「そうだな。殿なんだから土下座して頭を垂れるべきだな」
「だからやんなくていいってば!後藤くんも見てないで止めてよ!」
「いやぁ、俺も山手の意見に同意だからなぁ」
「なんで!?」
殿角はさらに慌てふためいた。
愛い奴め。
俺は殿を相手にする時はいつだってこうやって人のいい殿角をからかっては和んでいる。
はー、癒される。
殿の癒し効果を存分に味わった俺は床から頭をあげ、帰ることにした。
それにしても、進んで土下座したくなる奴なんてなかなかいないだろう。
改めて殿角がものすごい貴重種だと再認識する。
「じゃあ俺は帰るから。王子にも伝えといてな」
王子のことだからおそらくすでに体育館だろう。夏休み前でさえ部活とは…バスケ馬鹿というか、体育会系の考えることは分からん。
「了解!じゃあまた明日な。夕方から始まるから現地集合でいいよな?」
「あぁ。適当に着いたらメールするわ」
俺は軽く手を振って笑顔の後藤と若干疲れた表情の殿角に見送られて教室を後にした。
楽しい楽しい夏休みの始まりだった。