第6話(思い出したくない過去)
今日の空は、ビー玉のようにキラキラと光を反射している。
小さい頃遊んだ透明の中にうっすらブルーが混じるビー玉。
筆で線を引いたかのような、細い雲があるだけで、真っ青な空。
僕の心のようだ。その少しの雲だけが、僕の中にある不安・・・。
僕らの関係を知らない人は、学校にはもういないくらいに有名になっていた。
と、言うのも、文化祭で僕とユキは堂々と手をつないで回ったからである。
2年生の嫌がらせや、僕らの邪魔をする全てのしがらみに対して、言葉で何を言っても無駄な気がした。
鋭い視線が僕らに刺さるのを感じたが、それ以上にユキと手をつないでいることが幸せだった。
それから、2年生のくだらない女子の嫌がらせもなくなり、同時に僕の小さなファンクラブらしきものも消えた。
山田は僕に気付かれないよう以前と変わらない態度で接してくれる。今はシンを狙っていると言っていたがそれが本心かどうかはわからない。
シンは、ユキの親友のユミちゃんと付き合いそうで付き合わない微妙な関係だ。
文化祭の一日目、僕とユキとユミちゃんとシンの4人で回ったが、僕らよりも積極的な感じがした。
それから、何回か電話をしたりしているらしいが、シンはここぞという時の押しが弱い。
サッカーでもいつもそうだ。自分がシュートすればいい場面でも、僕にボールをパスし、僕がゴールを決めることがある。
もう冬が始まろうとしていた。
僕とユキは、ほぼ毎日一緒に下校していたが、とても清いPTAには好感を持たれる交際であるだろう。
公園で話したり、ケーキを食べたり、昼休みに屋上でバトミントンをしたりと、絵に描いたようなさわやか交際を続けている。
キスは・・・あれから5回程した。キスは不思議だ。1時間の会話に相当するくらい相手のことが理解できるようになる。
2人の距離が縮まるような気がするんだ。
ここだけの話、まだ大人のキスはしていない。
そろそろかな、と思うけど、大人のキスしちゃったら、自分で自分を止める自信がない。
最近、僕の心にひっかかってることがある。それは、クラスでいじめが起こっていること。
クラスで一番小柄な男子なんだけど、目立たないグループがみんなで、そいつをいじめてる。
弱い者のすることだ。自分より弱い相手をいじめる。
体育の時間、いじめを受けている奴が、一人だけ体操服を着ていなかった。
僕は、誰にも気付かれないようそっと近づいた。
「大野君、体操服どうした?」
一瞬おびえたような目で僕を見る。
「あ、僕・・・忘れてしまって・・・」
目をそらし、うつむく大野君を見て僕は昔の記憶がよみがえる。
大野君をちょっと離れた所へ連れて行った。
「もし、誰かに体操服を隠されたり捨てられたりしたんだったら、黙ってちゃだめだ。いじめてるヤツらは、お前より弱いんだ。言いなりになっていたんじゃいつまでも終わらない。僕が、そいつらにいじめをやめるように言っても、一時的になくなるだけで解決にはならない。」
大野君は、突然大粒の涙を流して、泣き出した。
体操服を探しに行くと言って、その時間は帰ってこなかった。
僕のした行動が正しかったのか、間違っていたのかはわからない。
でも、僕は大野君に強くなって欲しかった。
僕は、古い記憶がどんどん押し寄せてくるのがわかった。とても苦く辛い記憶・・・。
中学一年の時、僕は生まれて初めていじめに参加してしまったのかもしれない。
そして、いじめられていた彼はそのまま転校を余儀なくされた。
僕にとって、最も思い出したくない出来事。
封印して、鍵を閉めてた辛い過去。どんどん思い出される・・・。
押し流されそうになる。
放課後、ユキと公園に行った。
僕は、今日の大野君との出来事をユキに聞いてもらった。
ホットコーヒーで温まりながら、僕らは寄り添っていた。
ユキは黙って僕の話を聞いてくれた。
今日の僕の行動が間違っていたか、正しかったかは、後々にならないとわからない、とユキは言った。
でも、ユキが大野君の立場だったら本当に嬉しくて泣いてしまうって。
「誰かが自分のことを気にかけてくれてるっていうことで、きっと勇気が出ると思うよ。」
そう言って、僕の左手をギュっと握ってくれた。
捨て猫が近寄ってきた。寒そうにミャアミャアと鳴いている。
「この子にエサをあげることは簡単。でも、この子にとって、今日の幸せより、これからの長い人生の幸せの方が大事だもん。この子は、誰かに拾ってもらわない限り一人で生きていかないといけない。どうやって、生き抜くか自分で考えてエサを探さないと。ハルは、大野君の将来を思っての行動だと思うよ。」
涙が出そうになる。
ユキってなんてあたたかいんだ・・・。
ユキは僕の専属カウンセラーのような存在。いつも僕の言葉に真剣に答えてくれる。
そして、僕は中学時代の後悔を語り始めた。
運動神経が鈍く、おとなしいゆうじって同級生がいた。
彼は、小学校の頃からよくからかわれたり、いじめられていたがいつも笑顔だった。
僕は、やんちゃだったけどいじめは大嫌いで、ゆうじをいじめた奴を殴った事もあった。
ゆうじに、どうしていつも笑ってるんだ、と聞いたことがある。
その時ゆうじは、笑顔でこう言ったんだ。
「笑っていれば、いつかいいことあるんだ。」
僕は、ゆうじを心から笑わせてやりたいと思った。
先生に同じクラスにして欲しいと頼み、6年生までずっと同じクラスだった。
そんな僕だが、中学へ入学してから、変わってしまった。
小学校で人気者だった自分は、リセットされる。
また中学校で新しい友達も作らないといけないというプレッシャーの中で、僕は知らず知らずのうちに、ゆうじを見放した。
僕自身、余裕がなかった。それはただの言い訳にしかならないが。
小学校の担任は、中学へも僕とゆうじを同じクラスにするように願い出ていた。
それなのに・・・僕は・・・多くの人の期待を裏切ってしまったんだ。
誰よりも、ゆうじの僕への信じる気持ちを裏切ってしまった。
ある日、教室でゆうじのパンを無理やり取って、投げて遊んでいる連中がいた。
ジャムパンは、もうジャムがパンからはみ出て、ぐちゃぐちゃになってた。
僕は、なるべく見ないように下を向いていた。
誰も、僕にそのパンを投げないでくれ、と願った。
その行為を止めるだけの勇気はなかったが、参加することだけは避けたかった。
しかし、パンは僕にパスされた。
一瞬、頭の中でいろんなことを考えた。しばらく、そのパンを持ったまま動けずにいた。
僕はそのパンをゆうじに返したかった。
ゆうじが優しい顔で、僕を見ていた。いつもの笑顔で・・・。
「神宮寺!パスパス!」
その時、クラスの誰かから、僕に声がかかった。
僕は、自分を守ることを優先してしまったんだ。
ゆうじを裏切るつもりではなかった。
でも・・・・パンをそいつに投げ返した。
その後、ゆうじの顔を見ることができなかった。
そんな自分を許せるわけがなかった。僕は後悔して、時間が戻ってほしいと願った。
僕の行動は、間違っていた。それは自分でもわかっていた。
でも、僕は人気者になることを選んでしまったんだ。
僕にまで裏切られたゆうじに対するいじめはエスカレートし、ついに転校した。
それから、一度だけ手紙が届いた。僕に恨み言ひとつ書いてなかった。
『ハル君、今までありがとう。ばいばい。』って。
思い出したくない記憶をユキに話しているうちに、心の中に長年たまっていたドロドロとしたものが溶けていくのがわかった。
ユキはずっと僕の手を握っていてくれた。
ギュっと。
もう、辺りは真っ暗になっていて、街頭の明かりだけが僕らを照らしていた。
さっきまでいた捨て猫も、もうどこかへ行ってしまった。