屍
桃太郎が告白ともとれる言葉を暴露したその晩。
固いものを噛み砕くような音。一人の村人が、そこに居た。
その手には、鬼の残骸。男は歓喜に満ちた表情でそれを喰らう。
その様は人というより、獣に近い。赤い血が服を汚し、自らの唾液がその上に新たなシミをつくる。
跡形もなく、男は鬼の骸を食べ終えた。
メキッ…、バキッ…。歪な音が山に反響した。男の体が膨れ上がり、大きな目玉がギョロリと覗く。
金色の目が、江戸を見据えた。
にたりと男は下品な笑みを浮かべる。男は狂喜した。その声は最早、人ではない。
獣の様な咆哮が轟き、山に反響する。
その咆哮は、山々の木々を薙ぎ倒す程の大きく、強い咆哮だった。
桃太郎がむくりと起き上がる。
障子を少し開け、外の様子を窺った。
「鬼…、此処からそう遠くないな」
『この荒っぽい妖気は下級だな。どうする?行くか?』
鳥の姿へと形を変えた鴉が尋ねる。
「芽は早めに潰すべきだよ」
淡々と桃太郎が答えた。漆黒の艶のいい黒髪が夜風にたなびく。
表の門から出ることなく、塀を軽々と飛び越えた。
冬の風は冷たく、江戸は死んだように物音ひとつしなかった。
それもそのはず、「草木も眠る丑三つ時」。役人とて、寝入っている頃合いである。
「そう遠くない。…あれか」
屋根から屋根へ静かに飛び移り、とぼとぼと歩く一人の男へと距離を詰める。
「武士ではないようだな。あの村の者か?」
桃太郎が、鴉に問う。
男には帯刀がなかった。粗末な身なりからおそらくは村人。俯いているため、顔は見えない。
ただ、その男からは人間の臭いがせず、濃い血の臭いと、荒々しい妖気だけを感じる。
『さぁね。人でも喰ったか?ただの下級ではないな。暴走していないし、人の姿に戻ってる。
用心するに越したことは無い。んじゃ、行くぞ』
鴉が刀へと形を変える。
漆黒の一振りの刀からは、妖気が迸っていた。
「おやぁ?けけけけっ…。結構な色男さんがこんな夜中に刀なんぞ持って…。俺に何か用かい?」
酔い潰れた様な口調。余裕だな、と男に言った。
「あれかい?あんたぁ、幕府の奴か?こんな時間まで仕事とは、ご苦労な…、おっと」
男が言いきる前に、突きを入れたがひらりとかわされた。
反撃と言わんばかりに男の蹴りが桃太郎の脇腹へのめり込んだ。
男がにたりと微笑む。
桃太郎はその瞬間を見逃さなかった。男の足を掴み、逃げられないよう固定する。
そしてそのまま叩き斬った。
鮮血が彼の黒い衣を赤く染め上げる。
『こいつは喰う気にならんな。なんか、どろどろで、不味そうだ』
「鴉、どうやら違うみたいだ」
死骸となった男を見降ろす。何の妖気も感じない。
『ただ、妖気を纏ってただけか…。それにアレの蹴りがお前に当たった時、吹っ飛ぶほどじゃなかったしな。だからわざと蹴られたんだろ?ケケケケッ』
「ご丁寧に、血を混入させたんだろう。それならさっきのような状態になる。この男もあの村の者だろうな。これで三人死んだのか」
はぁ…と短いため息。そして小さく呟いた。
「何人死ねば満足するんだろうか…」
『お前はもう済んだだろう?お前は赤鬼じゃない。お前には分からない痛みさ』
皮肉げに鴉が言う。
桃太郎は何も答えず、帰路に着く。
月の光は二人を照らす事を嫌っているかのように雲に隠れる。
二人が消えた後、屍だけが二度と覚めることのない夜を見つめていた。